「――――この忙しい時に何の用だね?」
次々に明滅する、得体の知れない数値を弾き出し続けるモニターのうちの1つ。突如として視界に割り込んできた金髪の女性に向け、アレイスターは面倒くさそうにそう声を掛ける。薄明るい教会の一室を背景に、十字教の一角であるイギリス清教、その(事実上の)トップに君臨する『
「今は
一度だけ気だるげに目を向けて彼女にそう告げ、しかしアレイスターは『動き』を止めることはない。思考を飛ばし、目線を動かし、時折指を動かしつつ、
『そんなこと承知の上にありけるのよアレイスター。このタイミングで通信を入れたる理由、知らないとは言いなしにけるわよね?』
しかし『
『――――
「……学園都市の『
『あら、彼が8人目の「
少しだけ意外そうな声色で、少しだけ目を丸くして、『
『――――でも、とぼけるのは無しにけるわよ。もし彼が「聖人」、あるいは「それに類する存在」の力を自在に行使できるように
少しだけ口角を吊り上げて、彼女はいたずらっ子を連想させるようなちょっと意地悪気な笑みを浮かべた。
「――――今の彼が、その状態だと?」
答えに窮しでもしたか、回答までにほんのわずかな間が空く。
『その背の翼に、金の円環。驚異的な身体能力。まるで『天使』や『聖人』の如しね。そして純粋な科学の能力者にあるまじき、「複数の異能」の行使。――――「科学」による異能は確か、1人につき1つ、けるわよね?』
「……」
そして、アレイスターは押し黙った。感情を窺わせないフラットな表情なまま、だがしかし何かしらの操作を止めることはなく。
『……まあ、安心しけれ、アレイスター』
そんな様子のアレイスターの姿を、『
『大事な「
「……」
そして、通信が切断される。種々雑多な計器類が発する規則的な数々の電子音が再びその空間を支配した。
「…………」
そんな『静寂』が取り戻されて、アレイスターもまた、一人微かに口元を吊り上げる。
(……少し想定よりは早いが、概ね予定の水準には達している。皮肉な話だが、向こうからわざわざ申し出てくれるというのであれば利用しない手はない)
舞い込んできた望外の幸運を最大限に利用すべく、アレイスターは新たな指示を機器に命じるのだった。
▽▽▽▽
まさしく、能面のような表情。言い放った言葉とは裏腹に、プロペラの上からアックアを見下ろす勇斗の表情は感情を窺わせないフラットなもの。――――しかし上条は知っている。あの表情を浮かべているときの勇斗は、そうとうキレている。『千乃勇斗』という少年は、
「――――悪いな当麻。俺、明日からしばらく
そんな様子の勇斗が、アックアを通り越して上条に視線を向け、唐突にそんなセリフを言い放つ。
「…………は?」
「多分今年中には帰ってくるけど、予定は未定ってやつな。しばらく不在にするから、課題とかは手伝ってやれねーぞ」
「え、ちょ?」
予想もしなかったセリフに上条の頭は意味をなかなか理解しようとしてくれなかった。しかしどうやら彼の前に立つアックアは、その言葉に秘められた意味を理解できたらしい。
「――――『
「ご明察」
端的に、ごく短く、勇斗はアックアの問い掛けに対して、そうとだけ答えた。
「…………あ?」
『ネセサリウス』。上条はそれが一体何を指す言葉なのか、理解している。十字教の一派、イギリス清教の中の一組織。第零聖堂区。必要悪の教会。あのステイルや神崎、そしてインデックスが所属する、魔術師たちの集団だ。
「ご存知の通り、今の俺が扱ってる力は単に『科学』の範疇には収まってなんていない。いや、単にそれだけならまだお目溢しもしてもらえたらしいんだけど」
平坦すぎる程に平坦で、かえって底冷えするような怒気を孕んだ声で、勇斗はそんな言葉をアックアに投げかける。
「……流石に
背の翼を、頭上の円環を、そしてその身に宿るある種の『力』を総じてか、一転自嘲気な様子を勇斗はわずかに滲ませたように見えた。
――――『天使』、あるいは、『聖人』。上条の脳裏にそんな言葉が浮かび上がる。『天使』と『聖人』の間に明確な壁があるとはいえ、どちらも『魔術』側の世界では大きな意味を持つ言葉だ。『見逃すことはできない』とは、とどのつまりそういうことか。大覇星祭、結果的に別物だったとはいえ、『
「本当にふざけた話だよなあ。そもそも俺の能力を
勇斗は首を鳴らす。右に、左に。溜息を1つ。
「……いやまあ、確かに『科学』と『魔術』の微妙極まりないバランスで成立してるこの世界で、『聖人』なんて存在を『科学サイド』に置いとけないっていう事情は重々わかってるつもりだよ。あとこれ、誰の言葉だったかな、『責任は過程ではなく行動に宿る』ってのは。――――俺がお前ら魔術師と戦ったのは、確かに紛れもない事実だ」
一度、そこで言葉を切って、
「でも、理屈では理解できても、そんなすぐに納得はできねえよ。――――だからこれは単なるやつあたりだ、アックアさんとやら。ロンドン送りになる理由も『敵』呼ばわりされる理由もわかったけど、……ああそうだ、ロンドンにだってどこにだって行ってやるけど、このクソみたいに理不尽な話に、全て黙ってる筋合いもない」
――――スッ、と。空気が急激にその重みを増したかのような錯覚に、上条は捉われた。粘性も増したかの如く、嫌な空気が纏わりついてくる。背筋に冷たくべたつく汗が流れ、寒気が身体を走る。
「……アンタ、『聖人』だろ。なら、多少やつあたりしてもくたばりゃしねえよな」
「……フン。そう思うのなら試してみるがいい」
普段の勇斗しか知らない人間では想像もできないような冷たく鋭い雰囲気を纏い、勇斗はアックアを挑発する。そしてアックアもまた、飄々とその挑発を受け止める。
――――上条は悟った。2人の激突まで、もう幾許も猶予はない。『魔術の世界』における核兵器とも称される『聖人』。世界そのものを震わせる衝突が、目前にまで差し迫っていた。
▽▽▽▽
――――ピリリリリリリ!!
薄く引き伸ばされた意識が無粋なコール音を拾い上げる。大音量でけたたましく鳴り響くそれ――――ご丁寧にバイブレーションまで作動している――――は、ズボンのポケットを音源としていた。
「……」
大音量と振動が勇斗の意識を一気に『現実』へと引き戻す。『冷静さ』を取り戻した頭が、そんな事態の異常さを認識していた。
――――普段勇斗は携帯端末をバイブレーションのみのマナーモードに設定している。私用の端末も
「……」
「……どうした。電話が鳴っているようだが」
「……そうだな」
どうすべきか逡巡していた勇斗だったが、当のアックアから指摘されたのであればそう悩む理由もない。釈然としない憮然としたような表情で勇斗は端末を手に取った。――――表示されている発信者は、当然の如く『通知不可能』の5文字のみ。――――この状況で電話を掛けてくる常識知らずは一体どこのどいつだというのだ。溜息を1つ。
「……はい、もしもし」
『せっかく
「……先生?」
いったい誰から掛かってきたものなのか。すわ『暗部』の何者かか。――――そんな覚悟をしていた勇斗の耳に飛び込んできたのは、よく聞き慣れた
『まあいいけどね。君に頼まれた「患者」の検査が終わったからその報告だよ』
医者は、勇斗の疑問など意にも介さず、淡々と言葉を並べていく。
『いくつか検査をしてみたけど、異常は全く無し』
それはまるで、現在の状況を全て見透かしているかの如く。
『一度死んでいたとは思えないね? 脳細胞その他、損傷はゼロ。君をぜひアシスタントとして雇いたいくらいだね?』
そして勇斗にとって最愛の存在となった少女の無事を、これ以上ない程に確証するものだった。
「…………」
通話が終了し、勇斗は端末をポケットに仕舞いなおす。アックアという強敵を前にして、しかし憑き物の落ちた様なスッキリとした表情を浮かべていた。
「……貴様の恋人の件か」
「……よくわかったな。流石聖人サマは耳がいい」
対するアックアは、――――ほんのわずかだが、表情に苦みにも似た何某かの感情が過ったような。
「……貴様の恋人に関しては、純粋に申し訳ないと思っているのでな」
そして続けて放たれたその言葉もまた、勇斗を驚愕させるのに十分な威力を秘めていた。
「……」
アックアの後方、上条もまたポカンとした様子で口を開けている。『こいつは何を言っているんだ?』なんてセリフがよく似合う表情だ。
「……へえ、意外だな。こんなに素直に謝ってくれるなんて思わなかったぜ」
「……必要であれば躊躇などせん。しかし、ただその場に居合わせてしまっただけの少女を身内が死なせて、それを誇るのは私の矜持に反しているのでな」
「……なるほど」
武士――――いや、騎士道というべきか。このアックアという人物は、単なる
「…………興が削がれたな」
そう言って、アックアは小さく笑う。現在の状況には似つかわしくない、不釣り合いな笑顔だった。
「今日の所はこれで引き返す。――――感情論を抜きにしても、無策で2体の『堕天使』と戦うのは無謀に過ぎる」
肩に背負うようにヴェントの体を抱え直し、アックアは告げる。
「――――学園都市の『上』にも伝えておけ。……『次は無い』と」
そんな声に連続して、ダン!!という凄まじい音が木霊する。本当にあっさりと、彼は姿を消したのだった。