ep.60 10月1日-0
スピーカーから柔らかい電子音が聞こえてくる。次いで、機体が間もなく着陸態勢に入る旨の外国語のアナウンスが流れ始めた。
それらを拾い上げた勇斗の意識が浮上する。閉じていた瞼を持ち上げ、高級ソファーのように座り心地抜群な椅子に深く体を預けたまま、勇斗は周囲を見渡した。
そこは、たった1つの座席を残し、その他全てを撤去してあるという意味のよくわからない配慮がなされた、学園都市が世界に誇る超音速旅客機のファーストクラスのフロアだった。広々とした機内のど真ん中、ポツンと1つだけ座席が取り付けられているその様は、傍から見ればひどく寂しいものに映るだろう。――――ビジネスクラスやエコノミークラスといった他のフロアには乗客はいる(しかし深夜便かつ体に大きな負担を強いることが理由でパラパラと空席が目立つ)から、本当にぼっちを極めているわけではないが。
ふう、と深い溜息を吐きながら目を閉じて、それから再び目を開く。上げた目線の先、取り付けられている2つのデジタル時計が、それぞれ日本とイギリスの現在の時刻を表示していた。日本の時間では10月1日の午前3時を回った頃、イギリスでは9月30日午後の6時を回った頃だ。第23学区を出たのが午前1時半前だから、ここまでの所要時間はおおよそ2時間弱になるだろうか。
(……相変わらず、怪物じみた飛行機だな)
あくびを噛み殺しながら、勇斗は今自分が搭乗している『飛行機』に考えを巡らせた。『超音速』の名を冠するだけあって、最高時速は7000キロオーバー。単純に音速を秒速0.34キロメートルと定義すれば、約マッハ6。音速挙動を可能にする『聖人』の6倍の速さで飛び続け、日本からヨーロッパまで高校の授業2コマ分もかからない。――――逆に、最先端科学の髄を尽くした航空機のスケールを語るモノサシになれてしまっている『聖人』の異常さが際立つだけのような気もする。
――――それはともかく、もちろんそんな圧倒的な速度下では発生するGも凄まじいものになるわけで、「最初に少し無重力を感じた後は、10分も経たない内に考える余裕が消えるよ」(by某カエル先生)とか、「バスケットボールを内臓に思いっきり押し付けられた挙句、その上からぐりぐりと踏み潰されてるみたいだった」(by某ツンツン頭)とか、「出してもらった機内食が全部後ろの方に吹っ飛んだんだよ」(by某シスターさん)とか、聞こえてくるのはそんな本気とも冗談ともつかないヤバい話ばかりだった。
そんなとんでもない、拷問か何かじゃないかという状況下で勇斗がここまでくつろげているのは、『
――――そして、そんな思考がなお一層、自分の現状が決して夢なのではなく事実なのだと実感させてくる。
「…………ふう」
知れず、溜息が漏れた。とりあえず今日からしばらくの間は、イギリス暮らしが待っている。それも、全容の見通せない魔術組織――――イギリス清教第零聖堂区・『
――――そういえば、と。思考が脇道に逸れ、過去の記憶を掘り起こす。『必要悪の教会』が、『必要悪』などという呼ばれ方をされるに至った所以。それを、勇斗は土御門に聞いたことがあったのだ
あの時土御門はこう言っていた。『本当に宗教…………信仰のこと
――――とどのつまり、勇斗がその会話から得たのは『
『貧乏くじ』か。それとも、『
――――ふと、窓の外を見た。高度が落ち始め、物凄いスピードで流れていくヨーロッパの街の姿が、少しずつしかし確実に大きくなっていく。本格的に着陸の準備が始まっていた。
「……さて、どうなることやら」
勇斗のそんな呟きが、広々とした寂しげな空間に溶けていく。
▽▽▽▽
――――ロンドン・ヒースロー空港。ロンドン近郊に位置するイギリスの空の玄関口。この空港のラウンジに、2人の魔術師が居た。名は、五和と対馬。日本国内に存在する十字教の一派であり、今現在はとある事情からロンドンへと拠点を移すこととなった『天草式十字凄教』の一員である。そんな2人が、本来ならば利用が乗客のみに限定されるはずの空港ラウンジの一角を陣取り、あまつさえソファーでくつろいでいるのには、当然それ相応の理由があった。
2人の役割は、学園都市からやってくるのだという『
閑話休題。
つくづく面倒見のいい集団だなあ、と
件の『新入り』のデータはイギリス清教を通じて学園都市から提供されたものだ。名前は『千乃勇斗』。上条当麻と同じ高校、同じクラスで風紀委員に所属している。黒い髪、茶色い目。モデルとか俳優とかそこまで飛び抜けてはいないけれど、やや童顔気味の整った顔立ちをしている。
そこまでざっと流し読みして、――――紙面を滑る五和の視線が縫い止められた。やはり何度見返しても、この部分が引っ掛かる。
――――そこに書かれているのは、この少年の『能力』についての情報だ。そのうち、強度判定の欄にはこの少年が学園都市内で最上位クラスの能力者であることを示す『
『
「……すごい名前よね」
五和の視線の先を追って、対馬もそれに気づく。
「『
「……でも、あえてそう名付けられたということは」
「名は体を表す。……何かしら『
そう言って、対馬は手に持っていたコーヒーに口をつける。一口飲み下し――――何かに気づいたかのように、残りの全てを一気に口の中へ流し込む。
「……? どうしたんですか?」
「んー、まあね。下手の考え休むに似たりっていうか、教皇代理も言ってたけど、何かを判断するには情報が足りないわ。とりあえず断言できる確固たる事実は、学園都市の
「ええ、まあ……」
若干戸惑ったような様子で頷く五和に対し、対馬はニヤリと笑って、五和を――――五和越しに彼女の背後を指差す。
「じゃあ、それ以外の詳しいことは
そんな対馬の言葉に、弾かれた様に五和は背後を振り返る。対馬の指差す先、写真に写っている少年まさにその人がキャリーケースを引きずり、こちらに近づいてくるところだった。――――とはいえ、彼女たちに気づいた様子はない。携帯電話片手にキョロキョロと周囲を見渡している。恐らく、出迎えがあるとは教えられていたのだろうが、肝心の『誰に出迎えてもらうか』は詳しくは教えられていないのかもしれない。――――ならば、声を掛けてあげるのが五和たちの役目だ。
「行くわよー」
「は、はい」
対馬が立ち上がり、少年の方に歩き出す。五和も慌ててミルクティーを飲み干し、対馬に続いた。
▽▽▽▽
そんなこんなでイギリスに到着である。日本と比べて気温が低く、周囲の喧騒を形作るのは英語がほとんど。肌で感じる『空気』が、学園都市のそれとは全くの別物だ。英語での受け答えは問題ない(……というか、ヨーロッパ系の言語は一通り習得してはいる)とはいえ、何分初の海外進出ということもあってか非常にアウェーな感じがする。
――――とはいえ土御門曰く、『天草式』という十字教の一派がイギリスでの勇斗の面倒を見てくれることになっているらしい。土御門も彼らの詳細を知っているわけではなさそうだったが、上条とは拳を交えて仲を深め、この間上条がイタリアに行った時にも互いに協力していたようだ。その時点でもう既に色んな意味でド安心できる。
では、その肝心の天草式の人間は一体どこにいるのだろうか? 土御門からのメールにはその肝心な部分の記載がなかった。とりあえず荷物だけは回収してきたが――――。
ちょうどその時だった。目線を上げた勇斗の視界に、こちらへと向かってくる2人の女性が映る。1人は、綺麗な金髪をゆるふわに仕上げたスラリと背が高いスレンダー美女。もう1人は、毛先が外側にはねたショートヘア(とはいえ絹旗よりはやや長めか)の、出るとこが出た同年代くらいに見える美少女だ。2人の目は真っ直ぐに勇斗を見据えている。
(……あの2人っぽい)
目をそらさず真っ直ぐ近づいてくる様子を見るに、2人は勇斗を勇斗だと認識している。何処かの誰かが――――恐らく学園都市の『上』が、情報を渡しておいたのだろう。
……だけどまあ、そのことが彼女ら2人が出迎えに来てくれた天草式の一員であるということを証明してくれている。………………のか? 一瞬安心しかけて、そういえばどこで自分のことを嗅ぎ付けたのか、テネブラという女魔術師が襲い掛かってきたことを思い出す。意外と本気で調べようと思えば、顔と名前と所属くらいはあっさりと割れてしまうのだ。
(……うーむ)
あの2人は本当に天草式の―――『
(…………まあ、それに、偽物だったらブッ飛ばせばいいだけだしなあ)
即座にそんなバイオレンスな結論に達し、吹っ切れた様に勇斗もまた2人の女性に近づいていく。
――――そして、
「千乃勇斗さんですか?」
スレンダーな金髪美女さんが朗らかにそう問うた。――――近くで見ると、なお一層『大人のお姉さん』という印象を受ける。勇斗の周りにはいないタイプ――――現役高校生なのだから当然なのだが――――だ。
「はい」
対する勇斗も爽やかに笑顔で応じる。これからお世話になる身だ。第一印象を良くしておくに越したことはない。
2人の女性たちはその笑顔に表情を緩め、それからそれぞれ鞄に手を入れ、中から何かを――――土御門が持っていたのと同じ『銀と赤のロザリオ』を取り出す。勇斗が何も言う前にそうしてくれるあたり、向こうもよくわかってくれているようだ。
「私は天草式十字凄教の対馬です」
「五和と申します」
「お世話になります。千乃です」
そんな感じで3人が頭を下げ合って、
それが勇斗と天草式の、ファーストコンタクトだった。