ロンドン市街地中心部の北側に位置する街、フィンチリー。ロンドン・ヒースロー空港からは電車を乗り継いで1時間程のところにあり、治安が良く緑豊かな自然と穏やかな住宅地が広がっているこの街は、日本人にも人気が高い。そのため、街中には日本料理店や日本人向けのスーパーがいくつか立地し、ロンドン市内でも最大規模の日本人街を形成している。
そんな平和な街の一角に、その建物はあった。イギリスという国の裏側に巣食う、国家宗教が誇る秘匿された実働部隊。任務の遂行のためには敵の殲滅すら辞さない、対魔術師に特化した魔術師の集団。その彼らの、拠点が。
「…………普通のアパートだ」
思わずそんな声を漏らしてしまった勇斗の前に建っていたのは、イギリスのどこにでもあるような、普通のレンガ造りの3階建てのアパートだった。外観に異常という異常はなく、ぱっと見た感じでは変な魔術が使われている様子も見られない。――――アヤシげな魔術師たちの集団が拠点として利用するには少々普通すぎやしないだろうか? そんなことを思ってしまった勇斗を一体誰が責められようか。
…………まあ、とはいえ、SNSをはじめとする情報網が発達している現代社会において、悪目立ちする『アヤシげな』拠点など百害あって一利なしなのだろう。おまけに天草式は「周囲に溶け込むことを是とする集団」(五和談)らしいし。
「大昔の時代とか、大規模な儀式に使う聖堂とかならともかく、普段使いする拠点なんてこんなもんよ?」
対馬もそう言って、ダメ押しを決めてくれた。そりゃそうだ、と肩をすくめ、勇斗は門をくぐっていく2人に続く。階段を上り、2階に到達。廊下を進む。
「まあ、この建物が見た目と違うところと言えば、天草式が全員集まっても大丈夫なように何部屋かぶち抜きで広い部屋にしてるってところかしら。イギリス清教借り上げのアパートだからその辺は融通効くのよね」
「フロアも打ち抜いて階段も取り付けてあるので、上下方向にも広いんですよー」
「おお……ロマンを感じる……!」
「でしょー? ……さ、どうぞ」
対馬がドアノブに手を掛け、戸を開ける。
「そのまま廊下を真っ直ぐ進んでね。奥の部屋で皆が首を長くしてあなたを待ってるわよ」
そして、完璧なウインク。可愛い彼女がいる勇斗をして、クラりと来てしまいそうな怪しい魅力の籠ったウインクだった。――――やはりそこは男子高校生というべきか。『
――――閑話休題。そんな対馬の横で五和も立ち止まり、勇斗に向かって穏やかに微笑みかけた。
「私たち天草式十字凄教は、上条さんの親友であるあなたを、歓迎します」
――――他国の国家宗教に喰い込むほどの精鋭たちから成る魔術組織からここまでの高評価を得ているとは、上条は一体どんな事件に関わり、そこでどんなやりとりを交わしたというのだろうか。いやまあざっくりとした話なら聞いているが、詳細なところが非常に気になる勇斗である。
「…………」
まあ、それも今は置いておこう。2人の反応を見るに、天草式の面々は非常に好意的に勇斗を迎えてくれるようだった。ならば、その好意に迅速に応えるのが今の勇斗の務めだろう。
「…………ありがと!」
2人からの真っ直ぐな好意にいささかの気恥ずかしさを覚えながらも笑みを返して、勇斗はサッとドアから中へと歩を進めた。玄関は――――まだ普通のワンルームのアパートと大差ない。唯一普通のそれと違っているのは、いくつも並べられた大量の靴だろうか。ざっと見ても10ではきかない数の靴がきれいに並んでいる。――――場所は海外とはいえ、玄関で靴を脱ぐ辺りそこのところは日本のやり方を踏襲しているようだ。天草式は日本人なのだから当然と言えば当然なのだが。
並んだ靴を踏まないように慎重に靴を脱ぎ、フローリングの廊下を進む。脇には流し、洗濯機を置くスペース、洗面所、風呂にトイレと思しき部屋。この辺りも日本のワンルームとほとんど変わらない。外国っぽさが欠片も感じられなかった。生活様式が変わると慣れるまで大変だろうからとてもありがたく思う一方、それはそれで何だか残念な気がしなくもない。複雑な心境の勇斗君である。
そんなこんなで廊下の突き当たり、ドアの前に到達する。中央にひし形のすりガラスが入った木製ドアの向こうからは、胃袋を刺激するそれはそれはおいしそうな匂いが漏れ出てきていた。
「はいはい、止まってないで入った入ったー。私お腹すいちゃった。早く入ってご馳走食べましょう」
「あ、料理に関しては心配しないでくださいね。今日の料理は全て私たちの手作りです」
「心配…………? ……ああ、急展開過ぎて忘れてたけど、そうかここイギリスか……」
「そそ。いやあ、流石にウナギのぶつ切りをそのまま固めた料理を見た時は目を疑ったわね」
「パイ生地から魚の頭がいくつも飛び出てるあれも衝撃でした……」
「…………その辺、ネタじゃなくてガチだったのか」
苦笑を浮かべて、それから気を取り直して、勇斗はドアを開けた。フローリング張りのかなり大きそうな部屋だ。真ん中の方には大きなテーブルが準備され、その上には様々な料理が乗っている。勇斗の近くに並んでいるのは和食か。煮魚に漬物、肉じゃがが目に入ってくる。その向こうは……チャーハンらしきものが見える辺り中華ゾーンだろう。その向こうにもたくさんの料理が並べられている。かなり長いテーブルだ。RPGやファンタジーで大きな城での晩餐会の描写がなされるときに、決まって出てくるあの長テーブルを想像すれば話が早い。
そしてテーブルの周りを囲む、老若男女様々な人々。皆人当たりの良さそうな穏やかな笑顔をこちらに向け、手に持った何かをこちらに――――
――――パン!パパン! という弾けるような音が幾重にも重なり、音の壁となって勇斗の耳に殺到する。
「うおぉっ!!??」
彼らの手元から爆音と共に飛び出した大量の紙吹雪のようなものが部屋中を舞い飛んでいた。突如視界を覆いつくした紙吹雪と大音量に体をビクリと震わせた勇斗の嗅覚に、次いで火薬の匂いが届く。
――――部屋の中で待機していた人間たちが一斉にクラッカーを鳴らしたのだ、というところまで思考が追いついた勇斗。そこへ、
「うぇーるかーむとぅー……あまくさしきぃぃぃぃぃいいいいい!!!!!!」
「「「「「「イェー!!!!!!」」」」」」
首から小型扇風機を提げた背の高いツンツン頭の声に続いて、残りの全員が快哉を叫ぶ。室内だというのに不自然な風が吹き、舞っていた紙吹雪が全て吹き払われた。
「…………」
「見ての通り、
面食らって動きを止める勇斗の肩を優しく叩き、対馬もそう言って楽しげに笑ったのだった。
▽▽▽▽
「さて、それじゃあ主賓が到着したということで―……自己紹介タイムなのよな!」
「「「「「「イェー!!!!!!」」」」」」
「……あ、申し遅れたのよな! 司会を務めさせていただきますのはー、天草式教皇代理・建宮斎字なのよな!」
「「「「「「イェー!!!!!!」」」」」」
「よし、それじゃあ少年! よろしく頼むのよ!」
「……無駄にハードル高いなもう!」
いくつかの部屋をまとめてぶち抜いて作られた、学校の教室4つ分(詳しく言うと2×2)ほどの広さの大広間。最初の盛り上がりが全く冷めやらぬまま、勇斗は背の高いツンツン頭の男性――建宮斎字に背を押され、端に設置されたひな壇に上ることになる。
「あーあー、……えーっと、この度学園都市からやってきました、千乃勇斗です。色々とツッコミどころはあるかとは思いますが、どうか生暖かく見守っていただければと思います」
と、手短な言葉と共に一礼。空気が破裂したんじゃないかというほどの大きな拍手が迎えてくれた。それがおさまりを見せるまで待って、そして、
「………………じゃあ、後は質問タイムということで! 皆さんもうお腹ペコペコだと思うんで、手短に3つまで質問受け付けます!」
「ちょ、それ俺のセリ……」「「「はい!」」」
勇斗の言葉に建宮がツッコミを入れるものの、手を上げる他の面々の声であっさりと呑み込まれてしまうのだった。
「……はい、じゃあそこのあなた!」
「浦上です。よろしくね。今何歳ですか?」
「よろしくです! もう間もなく誕生日を迎える現在15歳の高1です! ……はい次!」
「香焼です。よろしくっす。……いきなりぶっこむすけど、彼女はいるんすか?」
「います! かわいいかわいい彼女がね!」
その隠そうともしない惚気に大人たちは大盛り上がり、若い衆からは歓声交じりの舌打ちや溜息が飛んでくる。
「はい、じゃあ次!」
「牛深だ。よろしくな。聞いていいのかはわからんが、何でイギリスに来たんだ?」
「あー、むしろ一発目に来る質問だと思ってましたよそれ。話せば長くなるんで、詳細はまた後で! とりあえず今はこれで察してください!」
そう言って、勇斗はおもむろにその背に翼を出現させる。その色は白ではなく、
「「「「「「……ッ!」」」」」」」
突然の行動にさっきまでの喧騒はどこへやら、水を打ったかのように一瞬で静寂が訪れ、張り詰めた空気が場に漂う。
「……とまあ、こういう事情があるわけで」
ちょっとやりすぎたかな、と若干の後悔めいた感情を微かに滲ませた苦笑いを浮かべて、勇斗は背の翼を解く。淡い光の結晶がひらひらと舞い散った。
「……今の、『
「ご明察です」
「……なるほど。これなら確かに、『
真っ先に沈黙状態から復帰した建宮が、合点がいった、という表情で数度頷く。
「でも学園都市の能力者――――
「えーっと、まあ……色々と事情がありまして」
あはは、という乾いた笑いと共に勇斗は遠い目を浮かべ、
「当麻の手伝い的なことをやってたらいつの間にか当事者の1人になっちゃってたんです。んで、ドンパチ騒ぎに巻き込まれて、うっかり死にかけたらこうなってて。土御門曰く、もともとあって、でも顕在化していなかったものが、ふとした拍子に引きずり出されたんじゃないか、って話みたいですけど」
「聖人の亜種か……?」
「さあ……? でもまあ、
「ふむ……」
勇斗の言葉を聞いた建宮は、唸ってしばし考え込んで、
「……なら、気にするだけ無駄ってことなのよな」
口元を歪め、笑みの表情を浮かべる。
「力の出自も、お前の出身地も、別にどうだって構わんのよ。俺たち天草式はお前を歓迎するし、お前が何者だろうとその気持ちに変わりはない。……なあお前ら」
建宮がそう声を掛け、部屋中の天草式の面々が力強く頷く。
「――――『救われぬものに救いの手を』。俺たち天草式は別にお前を救われぬ身だなんて言って憐れむつもりはないが、いきなり異国に飛ばされた同郷の若者を拒絶するような心の狭さは持ち合わせてなんかいないのよ」
「「「「「「イェー!!!!!!」」」」」」
「……本当にありがとうございます。みなさんよろしくお願いします!」
「「「「「「イェー!!!!!!」」」」」」
「よーしじゃあ後はもう宴会しながら打ち解けりゃあいいのよ。堅苦しい敬語も無しでいい」
「……オッケー。サンキュー」
「いいってことよ。……さあ、夜はこれからだぜー! 宴会を始めるのよー!」
「「「「「「イェー!!!!!!」」」」」」
その言葉を皮切りに、一斉に料理テーブルに人が殺到する。勇斗も牛深に肩を組まれ、対馬にニヤニヤ顔で先刻の惚気話を追及されつつ、ごった返す人波にもみくちゃにされながら、料理を確保するためにテーブルへ向かうのだった。
▽▽▽▽
微かな物音を捉え、勇斗の意識が覚醒する。重い瞼を無理矢理にこじ開けた。
「あ……おはようございます。よく眠れました?」
「…………!?」
目を覚ました勇斗の視界に飛び込んできたのは、エプロン姿の五和の姿だった。
「ん、え?」
突然の新婚夫婦的シチュエーション的光景に一瞬で眠気が吹っ飛んだ勇斗が飛び起きてみれば、そこは10畳ほどの和室だった。開かれた襖の方から五和が室内を覗き込んでおり、周りを見渡してみればいくつも布団が敷かれていて、そのうち何個かからはいびきも聞こえてくる。――――速い話が、合宿やら臨海学校やらの大部屋の朝をイメージすればいい。
「疲れてたんでしょうね。昨日宴会の途中で寝ちゃったんで、この部屋に運び込んだんです。……覚えてます?」
「……いや全く」
首を横に振る勇斗。言葉通り、いつの間に寝てしまったのか全く記憶がなかった。入れ代わり立ち代わりやってくる天草式の面々と何だかんだ楽しく盛り上がっていたことは何とか覚えているのだが。
「朝ごはんができてるので、よかったらどうぞ」
そんな様子の勇斗に微笑みかけて、五和は言う。……確かに襖の向こうから味噌汁と焼き魚のいい香りが漂ってくる。それを認識して、勇斗の胃袋は急速に空腹を訴えだす。
「あ、あと、勇斗さんにお客さんです」
「……客? 誰?」
「よく知ってる方ですよ」
そう言って、五和はあっさりと襖を閉めて行ってしまった。
「客ねえ……」
枕元に置いてあった携帯端末で時間を確認すれば、まだ朝6時を回ったところだ。こんな朝早くから一体誰が来ているというのだ。
「……」
よし起きるか、と意を決して立ち上がり、まだ寝ている面々を踏まないように気をつけながら進んで、静かに襖を開けて、
「…………その格好で和食食ってんのマジ違和感」
「いいだろう別に。……やっぱり朝のミソスープはいいね。日本人ではないけど、この感覚は何となく理解できるよ」
そこにいたのは、いつもの真っ黒修道服を身に纏った不良神父、ステイル=マグヌスだった。ご飯、味噌汁、焼き魚、おひたし――――高級旅館の朝食にも劣らない完璧な和朝食を意外にも器用に箸を操り食べ進めている。
「……こんな朝早くに来るとか、それでも英国紳士か」
「……しょうがないだろう。一応昨日のうちに天草式には連絡を入れておいたんだけど、君はもう寝てしまったっていうからさ。こうして直接迎えに来てあげたんじゃないか」
「……迎え? 何だ、どっか行くのか?」
訝し気な声を上げる勇斗に対し、ステイルは笑みを崩さない。
「うん、まあ、そうだね。多少の礼儀を無視してでもこうして出向くくらいには重要なところさ」
「…………なんだそれ。嫌な予感しかしねえぞオイ」
引き攣った顔を浮かべて、勇斗はキッチンの方にいる五和に目を向ける。目が合った五和は、苦笑気味の表情を向けてくれていた。
「……で、どこだよ」
ステイルの方に向き直り、勇斗は尋ねる。
「バッキンガム宮殿」
端的に、ステイルは答えた。
「この国の女王様に会いに行くよ」