「君は『英国三派閥』って言葉を聞いたことはあるかい?」
食後のコーヒーを啜って、「少し予習をしておこうか」と、ステイルはそう口火を切った。
「このイギリスという国家は実に複雑でね。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという『四文化』とはまた別に、3つの大きな派閥があるんだ。……ああ、それなりのボリュームになりそうだし、食べながら聞いてくれて構わないよ」
「お、サンキュー」
そう言って、勇斗は止めかけていた手を動かし、納豆を再び混ぜ始める。流石に納豆は(見た目も匂いも)お気に召さないのか少し顔をしかめ、しかしステイルは話を再開する。
「その3つっていうのは、議会政治を掌握し実質的な国の舵取りを握る、
「ふむふむ」
納豆ご飯を掻き込み、冷たい緑茶で一息。相槌を打つ勇斗の横では、空になった湯呑にお茶のお代わりを注ぎながら、五和もまたステイルの言葉に耳を傾けている。
「で、昨日の夜にその『三派閥』のトップたちが集まって話し合いが行われたんだ。議題はもちろん、ローマ正教――――『神の右席』と名乗る者たちによる、学園都市への襲撃についてさ」
「…………」
ステイルの言葉に、焼き鮭に取り掛かろうとしていた勇斗の箸の動きがふと止まる。――――一晩経って思い返してみれば、昨日という1日はとんでもなく密度の濃い1日だったということがよくわかる。よもや比喩ではなくリアルに死にかけ(というかぶっちゃけ多分一度ガチで死んでる)、と思いきや彼女ができ、途轍もない力に覚醒し、挙句国外に左遷される、などという重大極まるイベントがあそこまで連続するとは思わなかった。いくら何でも重いイベントを1日に詰め込みすぎじゃあなかろうか。
「……あー、聞こえてるかい?」
咳払いと、そんな言葉が勇斗を脇道に逸れた思考から引き戻す。
「あー……悪い悪い。それこそ色々あってさ……」
「……まあ、君と上条当麻が苦労したっていうのは把握しているよ。何せ、僕も最前線で情報の収集に当たっていたからね」
そう言って2人は互いに苦笑を浮かべ合った。
「……じゃあ話を戻そう。昨日の夜の、その話し合いでのことだ。僕たち『
苦笑を、スレた笑みへと器用に変化させて、ステイルは目的語を省いたもったいぶった言い方をする。
「…………何を?」
「当然、君がイギリスに来るっていうことだよ。『学園都市からゲスト――――いえ、レンタル移籍したりけるものがやってくるのよ! おまけに聖人級の力を持ちたりて、とっても優秀な人材けるのよ!』、ってね」
「ええ……」
「いや、なんていうかさ、色々と考え無しなこと言いまくってる気がするよ。……まああの女狐の事だから、全部計算づくっていう可能性も捨てきれないんだけどね」
直属の上司――――それも英国という一国家を統べる三派閥のトップの1人を指して『女狐』呼ばわりとは。どうやら相当の『前科持ち』らしい。
「……ま、そんなわけでさ。『王室派』トップの女王陛下に、『騎士派』のトップの騎士団長。その2人も君に興味が湧いたらしくてね。女王様曰く、『どうせならみんなで面会してみようぜ!』ってさ。……だからさっきの話、正確に言うと、これから会いに行くのは三派閥の長達全員ってことになるね」
素晴らしく清々しいまでに悪い笑みを浮かべ、不良神父はそんなことをのたまいやがった。
「…………………………え、ちょっと何それ暇なの? 3人ともそんなに偉いくせに公務とか入ってねえの? 朝から好奇心丸出しで人を呼び出すとかニートクラスの暇人なの?」
たっぷりと沈黙した後で、色々と動揺しているからか、不敬罪で即刻しょっぴかれても文句が言えないような罵声を勇斗は繰り返す。
「何を言ってるんだい? この『謁見』が公務なのさ」
ステイルの悪い笑みがさらに深みを増した。友好的な関係を築けているはずの勇斗をして、一発くらいぶん殴ってやりたくなるような笑い顔だった。
「……ってわけで、状況が状況だし、なるべく正装っぽい格好をしてくれると助かるよ。『王室派』が国の中心であるとはいっても、見方によっては国のトップスリーと会うわけだし」
その笑みを浮かべたまま、そう言ってステイルは食後のコーヒーを飲み干すのだった。
▽▽▽▽
「……初バッキンガム宮殿をまさかこんな形で拝むことになるとはなあ」
時刻は朝の8時前。まだギリギリ早朝と言ってもいいこの時間に、勇斗は綺麗に整備された庭園を歩いていた。真っ直ぐに伸びた道の先に、件のバッキンガム宮殿が建っている。――――ちなみに服装は上下学ラン。男子高校生が『正装』をするならとりあえず学ランを着ておけば問題ないだろうとの判断である。
「私もまさか、この場所であなたをエスコートすることになるとは思ってもいませんでしたよ」
そんな勇斗の呟きに反応したのは、見知った女性の穏やかな声。勇斗の隣を歩きながら、ガイドを務めてくれているのだ。
その女性は日本人の女性にしては珍しい長身であり、隣を歩く勇斗よりも背が高い。それだけでも目を引くのだが、特に目立つのはその出で立ちだ。ヘソが出るように片側を絞ったTシャツに、なかなかきわどい感じで片脚側だけ根元からぶった切ったジーンズ。ジーンズ同様片腕側だけ切り落とされたジャケット。そして極め付けとばかりに、腰に提げられた巨大な日本刀。――――『正装』という概念の欠片もないような気がする。それにこの絵面、日本で言えば皇居敷地内で
「てっきり謁見の時もステイルが付いてくれるもんだと思ってたんだけどな。『王室派』絡みは神裂担当なんだって?」
しかしそんなツッコミをぐっと堪えて、勇斗はロックでファンキーな出で立ちの『聖人』、神裂火織にそう問い掛ける。
「ええ、まあ。こうした集まりの際には度々『
ふう、と神裂は溜息を吐く。
「何も言わずに会議をすっぽかしたりしますからねえ……」
「……苦労してんだな」
「わかっていただけて何よりです……」
ステイルと神裂、2人のおかげで、勇斗の脳内では『
……と、そんなことを色々と考えているうちに、バッキンガム宮殿に到着である。改めて間近で見れば、そして周囲一帯に広がる広大な公園と併せて見れば、そのスケールの大きさにはただ圧倒されるばかりだ。
「まだ朝早い時間ですので、裏口から入ります。こちらへ」
そう神裂に誘導されるがまま、勇斗は裏口のドアから、いよいよ宮殿内部へ足を踏み入れる。
「…………はー、すげー」
外も外なら中も中。学園都市のワンルームタイプの学生寮の部屋1つが丸々収まってしまう程に幅が広い廊下に、その上一面に敷かれた汚れ一つない絨毯。その上を行く紅茶のセットや食事終わりと思しき食器を運ぶメイドさんたち。そんな光景がずっと向こうまで広がっている。
そんな中勇斗と神裂は、粛々と仕事をこなし粛々と一礼して通り過ぎていくメイドさんたちに会釈を返しつつ、デカい廊下を進んでいく。
「……そういや神裂」
「どうしました?」
その途上、おのぼりさんのようにキョロキョロと周囲を見回しながら歩いていた勇斗が、何かに思い至ったかのように神裂へ声を掛けた。
「ここって英国女王をはじめとするイギリス王室の居所なんだよな?」
「ええ、その通りです。正確に言えば、住み込みの使用人たちもいくらか存在していますが」
「……その割に、ガチガチの魔術要塞みたいになってるわけじゃないのな」
呟かれたその言葉に、神裂はわずかに目を丸くする。
「……よく気づきましたね。――――半信半疑ではありましたが、どうやら『聖人化』というのは本当のようですね」
神裂のそんなセリフに、勇斗は複雑そうな表情を浮かべて、
「……まあね。つっても、純粋に喜んでばかりもいられないってのが難しい所なんだけどさ」
「……『超能力』、ですね」
「そ。書類上は『
「……恨み、ですか。…………知る限りでは、特には。でも確かに、あまり大声で言いふらせる話でもなさそうですね……」
「少数の例外こそあれ、基本的には
そう言って、勇斗は肩をすくめた。
「……俺の話、そんな大っぴらになってんの?」
「いえ。知っているのは昨日の会議にいた方々と、私、ステイル。それに……天草式ですか」
――――天草式、の言葉を口にするとき、神裂の表情が微かに歪んだように見えた。しかし、それについて勇斗が何か口を挟む前に、
「少なくとも『
神裂はきっぱりとそう言って、その会話はそこで打ち切りとなったのだった。
▽▽▽▽
「では、こちらへ」
勇斗が通されたのは、こじんまりとした応接間のような場所だった。決してごてごてと飾り立てられているわけではない。しかし、窓1枚1枚、柱の1本1本その他諸々、汚れや傷1つ無く、細かいところまで細かな手入れが行き届いているのがよくわかる。
――――そんな部屋の、中心部。磨き上げられた木で作られた円卓が置かれていた。
「現在、『王室派』の皆様、及び『
椅子を引き、勇斗に着席を勧めて、神裂はそう口を開いた。
「皆さまあと10分ほどで到着されるかと。もう少し待っていてください」
「……『王室派』、特に女王様ってのはどういう人なんだ?」
神裂に一礼して、着席した勇斗が一言。
「テレビのニュースとかで姿だけなら見たことはあるんだけど、素もあんな感じなん?」
「…………」
「……神裂。今お前、とんでもない顔してるぞ」
「ああ……失礼しました」
一度顔を手で覆い、俯き、顔を上げると、いつものすまし顔に戻っていた。
「女王は……そうですね、何と言いましょうか……」
とても言いづらそうな、何と説明するべきか悩みに悩みぬいているかのような、そんな苦悩が滲んだ表情だ。
「え、何? 女王までヤベーのこの国? 大丈夫なの?」
「えーっと、うーん……」
『そんなに私の事が気になるのか少年よ!!』
「「!?」」
――――その時だった。何故かエコーがふんだんに効いた、そんな女性の声が聞こえてきたのは。
『ならば「百聞は一見に如かず」! ジャパニーズ・コトワザがそう言い伝えている通り、直にその目で確かめてみるがいい!』
声質だけ聞けば、そこそこ年は行っている――――おおよそ60歳くらいだろうか。しかし声に満ち溢れた活力というか、若々しさというか、そういった目では見えない部分で、とてもエネルギッシュさを感じさせる声だった。
立ち上がって横を見る。これ以上ないくらいに頭を抱えた神裂の姿があった。
バン!!! という轟音と共に、ドア自体が吹っ飛ぶんじゃないかという勢いで開かれる。
――――そこに、立っていたのは、
「ヒャッハー!! 『
上下白のジャージに身を包み、エレキギターを構えた、英国女王まさにその人だった。