先頭を行く
「ここが我々『騎士派』のトレーニングのための施設さ」
――――
「……広っ!」
ざっくりと見まわした勇斗が驚嘆の声を上げる。広さは大きめの田舎の学校の校庭くらいは軽くあるんじゃないかというくらいのレベルで、高さに関してはおおよそビル5階分を超えるほどか。床は表面がゴム製のマットになっており、この辺りは学校っぽい。それにしたって、ロンドンの街中の地中に、宮殿の地下に、これほど大規模な空間が作られていたとは……。
そして、その空間の中、たくさんの騎士たちが思い思いにトレーニングに励んでいた。筋トレに汗を流す者たち、外周部をオリンピック陸上短距離の決勝戦でのそれくらいのスピードでひたすら走り回っている者たち、無心に剣の素振りを続ける者たち、中央部の四角く区切られたスペースで実戦形式で甲高い剣戟の音を響かせながら打ち合っている者たち。総勢およそ50人。
「外勤中や休みの騎士以外はここや他の拠点でこういった訓練を行っている。何せ『騎士派』は体が資本だからな。それに、魔術を使うための魔力を精製する過程で生命力――――平たく言ってしまえば体力を使う訳だから、強い魔術を扱うためにもやはり体を鍛えておくに越したことはないのさ」
「にしたって大分ハードそうですね……」
全員が全員粛々と、見ているだけでわかるレベルで凄まじい運動強度の動きをこなしている。ついぞ先刻に神裂が教えてくれた「『騎士派』の騎士たちは生身の力が強すぎて魔術的な仕組みを自ら壊してしまうため、鎧に霊装としての強化機能を付けられない」というのも納得できる話である。聖人に類する力を持っている勇斗が言うのも非常にアレな話ではあるが、つくづく騎士たちは
――――ところで、その当の神裂は、そして女王に王女たちは、一体どこに行ったのか。
▽▽▽▽
「…………」
「…………」
「おいお前ら、何で本人よりもお前たちの方がそんな死にそうな顔をしてるんだ」
そわそわと落ち着かない様子を見せる神裂と、おまけにヴィリアンに向けて、呆れ顔を浮かべてエリザードは声を掛ける。
「少年は『聖人』の同類なんだろう? 何を心配する必要がある」
「もう既に『神の右席』が一を破りているの。実績としても十分足りけるのではなくて?」
ローラも女王に加勢する。優雅に紅茶を啜りながら、キラキラした目でモニターを眺めている。
「さしもの
「そんなに心配ばっかりして、ハゲても知らないわよ」
更に同じく女王側についたキャーリサとリメエアを含め、彼女たちがいるのは先刻までいた大部屋の隣、応接室の1つだ。壁にはモニターが掛かっており、そこには地下の訓練室の様子が映し出されている。
「……だって、
「……さっきも言いましたけど、千乃勇斗は聖人と同質の力を持っているとはいえ、基本的には一般人ですから。『神の右席』を倒したというのも、どこまで鵜呑みにしていいか。……自分の目で見ていない分、どうにも実感がわかないんです」
「……なら、なおさら黙って見ていろ。
エリザードはあっさりと笑う。
そんな感じに女たちが見ている前で、モニターの中、勇斗は
▽▽▽▽
「集合」
大声で叫んだわけではない。しかしそう呟かれた
「「「「
野太く響く男たちの声が豪快なユニゾンを奏で、思い思いにトレーニングに励んでいた騎士たちがダッシュで勇斗と
「紹介しよう。日本から来た、千乃勇斗という」
そんな集団を前にして、
「千乃勇斗と申します。よろしくお願いします」
深く一礼。顔を上げると、とんでもない量の視線が向けられている。その大量の視線に共通して込められているのは、「何モンだコイツ」という疑問だった。そりゃそうだ。勇斗は小さく肩をすくめる。いきなり訓練場に、しかも外国人の少年が、集団のリーダーに連れられてやってきたのだ。誰だってそんなこと頭に浮かぶ。あまりの視線の圧に、勇斗としては苦笑い気味の愛想笑いを返すのがやっとだ。
しかし
「今から私はこの少年と手合わせを行う」
その一言は、騎士たちに決して少なくない衝撃を与えるものだった。
「……だが、私はともかく、少年は準備運動も終わっていない。誰か、手合わせ前に彼のウォーミングアップに付き合ってくれる者はいるか」
そんなセリフが次いで放たれ、より一層の疑問を孕んだ視線が、勇斗だけでなく
「……団長」
――――そんな中で、挙手と共に、落ち着いた声が上がった。
「どうしたチェスター。やる気か?」
「その前に、いくつか確認したいことが。……あ、いや、やる気じゃないわけでもないんですが」
――――勇斗より何歳か年上、恐らく20代の前半といったところではないだろうか。髪色は暗めの栗毛で、声同様落ち着いた表情を浮かべている。背は勇斗より少し高く、その体躯は鍛えに鍛え抜かれた筋骨隆々っぷり。ゴリゴリというレベルではないものの、かなりのムキムキだ。
「せめてもう少しその子について情報を貰えませんか? いったい何処の誰で、何で団長と手合わせをするのか、とか」
「……もちろんだ。言葉足らずで済まなかったな」
部下の至極もっともな言葉に
「一体何処の誰か? 答えは、日本から来た、
「……
「ああ、そうだ」
その言葉に、質問をしたチェスターは一層訝し気な表情を浮かべた。しかしそのチェスターが更なる質問を投げかける前に、その場に乱入する声があったのだった。
「はあ? 『清教派』の軟弱魔術師風情が、何でまた団長と手合わせなんてする必要があるんですか?」
若い声だ。声の主を見れば、そこにいたのは少年――――勇斗と同い年か、下手をすれば1つか2つくらいは年下なのではないだろうかという容姿をした若い騎士だ。勇斗よりやや小柄で、大柄ムキムキの他の騎士たちと比べるとなおのこと小柄に見える。金髪碧眼で、モデルやアイドルとしてでも十分通用するんじゃないかという顔立ちだ。そんな少年が、ちらちらと見下したような視線を勇斗に送りつつ、その端正な表情を苛立ちにも似た表情で歪めて、そんなセリフをぶっこんできたのだった。
(うーん、すげー言い方。派閥の力関係ってここまでわかりやすい感じなのか……?)
あまりの物言いに、ディスられた勇斗としてはこれまた苦笑いを浮かべるしかない。――――ステイルが言っていた、英国三派閥の間の明確な力関係。『王室派』は『騎士派』に強い。『騎士派』は『清教派』に強い。『清教派』は『王室派』に強い。……確かに『騎士派』の人間からしたら、格下である『清教派』の、それも新人が、いきなり自分たちの派閥の長と手合わせをするということになれば、心情的に反発したくなるのもやむなしであろう。現に、彼の周りの騎士たちもそんな感じのことを考えているのだろう。決して口には出さないものの、表情に滲み出ている。恐らく、目の前にいるこの少年騎士は、そういった反発とか諸々の心情を口に出さずにはいられない御年頃なのだろう。
――――御年頃とか言い出したら当然勇斗もその『御年頃』であるわけなのだが。10代半ばの少年少女といえばそういう感じの人間が多いのが普通なのである。こういうことがあっても落ち着いて分析したりなんだり出来てしまう勇斗の精神年齢の方がおかしいのだということは、言うまでもないことだろう。
「……そんなに気になるのなら、まずお前からやってみるか、アルヴァ」
苛立ちと嘲りの表情のアルヴァと呼ばれた少年騎士、苦笑いの勇斗、そして「また始まった……」的な表情のチェスター。そんな彼らとは対照的に、
「気になるのなら自分で戦って、自分で実感すると良い。……千乃も、それで構わんか?」
「……まあ、確かに……、朝起きてから準備運動すらしてないんで、そちらのアルヴァさん? さえよければ、お願いしたいですね」
同意を返す勇斗。そして、
「……望むところだよ」
低く苛立ちの籠った声で、アルヴァも話に乗っかる。
「では、話の続きは手合わせの後だ。自ずと私が手合わせを望んだ理由もわかるだろう。それでいいな、チェスター」
「……はい。わかりました」
▽▽▽▽
「では、準備はいいか」
部屋の中央で向かい合う2人の少年に向けて、
「致死性の攻撃は禁ずる。一応フィールドは区切ってあるが、リングアウト負けは無し。あくまで目安だと考えてくれ。自分で棄権を申し出るか、戦闘不能となったものの負けとする」
その言葉に、勇斗と、そしてアルヴァという少年騎士は頷いた。
――――2人の手には共に
そして足元の床、部屋の中央の空間が一辺数十メートル程に四角く区切られ、周囲より10センチほどせりあがっていた。2人がいるのはそのせりあがった床の上だ。
――――あれよあれよという間に、勇斗は
とまあ、そんなことを考えながら、勇斗はアルヴァに目を向けていた。
「――――何だよ? 『清教派』の分際で調子に乗ってんじゃねえぞ」
返ってきたのは元気いっぱいの罵倒である。元気が良くて何よりだ。勇斗は何も言わず、肩をすくめることで返事とした。――――『清教派』傘下の天草式にはお世話になっているし、こういう意味もなく他者を見下してくるような人間は勇斗にとって嫌いなタイプだ。流石にちょっとイライラしてくる。ちょっと当てつけっぽい返事になってしまうのはご愛嬌というべきだろう。
「チッ……! ブッ飛ばしてやるからな!」
「さっきから口が悪いなあ……。英国紳士の名が泣くんじゃねえの?」
だから、あえて涼しい顔で煽ってみることにした勇斗である。怒りに駆られる人間は御しやすいとも言うし。
「……口を慎めよ、宗教を騙る詐欺師集団風情が」
「その鼻っ柱、叩き折られないといいな」
再び肩をすくめ、さらに追加で一煽り。元々の肌の色が白目ということもあってか、怒りでアルヴァの顔が真っ赤に染まっていくのが勇斗には面白いようにわかる。多分、周りで見ている騎士たちからしてもそうだっただろう。
「では、構え」
「――――始め」
弾かれた様に、勇斗とアルヴァが動き出す。
▽▽▽▽
先手を打って飛び込んだのはアルヴァだった。突きの形に剣を構え、かと思えば突如として彼の体が加速する。
床を蹴るといった予備動作は一切なかった。立ったままの状態から一瞬でトップスピードに達するという不自然な加速は、やはり魔術によってなされたものだろう。
まあ、この際その部分はさほど重要ではない。ここで重要なのは、その突きが真っ直ぐに勇斗の首元目掛けて突き込まれていること。そして、予備動作を感じさせない不自然な初動に虚を突かれつつも、勇斗がアルヴァの動きを全て観察できてしまっていることだ。
――――手の内の知れない、得体の知らない『敵』を相手にしてさえも、先手を打って仕掛けてきたこの『技』。恐らくアルヴァにとって最も自信のある技なのだろう。やられる前に、やる。神速の先手必勝の一手だ。護身術や捕縛術向けの体術、剣道柔道という形くらいでしか武術をかじっていない勇斗ですら、この技に込められた高い技術を読み取れる。常人の意識から外れる程の加速と速度を為しつつ、自らの体と武器をバランスを崩さずに正確に操作する。魔術に思考リソースを割いた状態で自らの体を通常時以上に正確にコントロールする必要があるわけである。厳しい反復訓練の賜物と言えるだろう。
しかし、
(こっちだって1回文字通り死んで、やっとモノにした力だ。これくらいじゃないと割に合わねえよな)
首元に超高速の突き技とか致死性の攻撃なんじゃね? とかなんとか諸々の疑問はぐっと飲みこむ。勇斗は体を左に滑らせ、同時に右手に持っていた剣を横薙ぎに振るった。アルヴァが突き出した剣に、寸分も違わず真横から水平に飛び込んだ勇斗の一閃。首元を狙っていた突きを強制的に中断させるのみならず、アルヴァの手から剣を弾き飛ばす。
――――『聖人』。その力を、正確にはそれに類する力を、その身に宿し振るうことで、勇斗にはわかったこと、実感できたことがある。
第一に、一瞬一秒というほんのわずかな時間の中で選べる選択肢の広さ。生身の状態で音速超過挙動を可能とする聖人は、その速度を以て一瞬一秒という単位を強引に引き延ばすことができる。常人には瞬きをするだけで過ぎ去ってしまう文字通り一瞬の間であっても、聖人は何手もの動きを重ねることができるのだ。
第二に、
コンマ何秒の世界でカウンターを決めつつ、勇斗の思考の片隅にはそんな考えが浮かんでいた。怪力や音速超過挙動といった『わかりやすい』身体強化以上に、この思考の高速化は『聖人』としての力を扱う上でのキモとなる部分だろう。
――――閑話休題。
通常の打ち合いではまず起こりえない方向から
アルヴァが次のアクションを見せるより早く、勇斗が踏み込んだ。一瞬で間合いを詰め、アルヴァの懐に滑り込む。そして、
(騎士様相手に使うような技でもないような気がするんだけどな)
ダァァァン!! という、マットを思い切り手のひらで叩いた時のような小気味のいい音が訓練場全体に響き渡る。剣を投げ捨てアルヴァに組み付いた勇斗が、流れるような体捌きで払い腰を決め、彼を投げ飛ばした音だった。