科学の都市の大天使   作:きるぐまー1号

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ep.6 9月1日-6

 錆びついた歯車のようだった思考がようやく動き出す。勇斗と上条は闇の中に消えて行った風斬やシェリーの後を追って地下通路の奥へ走り出していた。

 

「……さっきの風斬のアレ、何だったんだ?」

 

 走りながら、勇斗はポツリとつぶやいていた。数多くの能力者が暮らしている学園都市の中でも希少な部類に属するAIM拡散力場干渉系の大能力者(レベル4)として、そして『置き去り(チャイルドエラー)』として、様々な実験に参加し学園都市の『深部』を目にしてきたこともある勇斗でも、先程のような光景は目にしたことが無い。

 

「風斬の能力、とも思ったけど。あいつ自身、あの光景を初めて見たって感じだったし。それこそあの瞬間まさにその時に、初めてアレを見せられてパニックを起こしたみたいな」

 

 驚愕が一線を越えて、勇斗の声は逆に落ち着いた、平坦なものになっていた。

 

「能力か……。……! そう言えば、昼学校出る前に、小萌先生と姫神が風斬についていろいろ言ってた気がする」

 

 その勇斗の呟きに反応した上条が、思い出したように携帯電話を取り出した。

 

「小萌先生か……。確かにあの人は研究者でもあるし、何か知ってることがあるかもしれないな。姫神は……そうか。あの『三沢塾』の時の女の子か。確かアイツは転校前は風斬と同じ霧ヶ丘の生徒だったから、そっちも何か知ってるかもな」

 

「ああ。とりあえず小萌先生に電話してみる」

 

 2人は立ち止まり、そして上条は携帯電話を操作する。近くに通信用のアンテナがあるのか、電波状況に関しては問題ない。

 

コール音は2回。すぐに実年齢にはそぐわない幼い少女の声がスピーカーから聞こえてくる。

 

『あっ、上条ちゃんですか!? ようやく繋がったのですよー。今までどこにいたんですかー? もしかしてどっかの地下にいたりするんです?』

 

「あ、はい。今地下街で勇斗と一緒にいます。……ってか先生、俺の事捜してたんですか?」

 

『そうなのですよー。というか勇斗ちゃんも一緒にいるんですか? 風紀委員(ジャッジメント)の仕事で公欠だった勇斗ちゃんと上条ちゃんが何で一緒にいるような事態になっているのか詳しく聞きたいところではあるんですが、『専門家』がいるなら話は早いのです。上条ちゃん。勇斗ちゃんにもせんせーの声が聞こえるようにしてもらってもいいですかー?』

 

 突然の流れるような指示に、つい風斬の事も言い出せず、言われた通りにする上条。

 

『大事な話なのでよく聞いてほしいのです。カザキリヒョウカさんの事なのです』

 

 電話口から聞こえてきた名前に、勇斗と上条は思わず顔を見合わせる。

 

「……小萌先生。上条が先生に電話したのも、実は彼女の件なんです」

 

『そうだったんですかー? ならもしかするとこれからする話はその件を解決する何らかの糸口になるかもしれませんねー』

 

 そう言うと、わずかに咳払いをしてから小萌先生は話し出した。

 

 そこで小萌先生の口から語られたのは、衝撃的な仮説だった。

 

 曰く、『風斬氷華は、AIM拡散力場の集合体である』と。

 

 曰く、『風斬氷華は、人間ではなく物理現象の一種である』と。

 

 言葉を失う2人。しかしそんな2人に向けて、小萌先生はこうも言った。

 

『確かに風斬氷華は人間ではなく、幻想のような儚い存在だ。しかし、もしそうだったとして、彼女を見捨ててしまってもいいのか? そんな軽い存在だったのか?』と。

 

 その一言一言が、上条の、そして勇斗の胸に突き刺さる。今日という1日を彼女と共に過ごしていた上条も、ほとんどそのついでのように少ししか話をしていない勇斗も、迷いなく『それは違う』と断言できた。

 

 彼女は『友達』を守ろうと、危険で薄暗い地下通路を進み、戦場にまでやってきた。そんな、危険を顧みずに他人を思いやるその心は、下手な人間よりもよっぽど人間らしい。そんな彼女を、見殺しにすることなどあってたまるか。

 

『それでよいのですよー。まっすぐに育ってくれる子羊ちゃんはいつでも導いてあげるのです』

 

 そんな決断を下した2人に、優しい笑い声が掛けられた。

 

『うふふ。くれぐれも「大事なお友達」を大切にしてくださいねー』

 

 そう言い残して、通話が切れる。

 

 しばらく静寂が続き、そしてどちらともなく顔を上げ、互いに頷き合う。

 

 そして2人は再び走り出した。

 

 風斬とシェリーが消えて行った、深い闇の奥へと。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

風斬氷華は地下街の床に力なく倒れ込んでしまっていた。ついにさっき上条を庇って負った傷――――頭部の破壊、右腕肘下の切断、腹部の貫通創、はすべて消えている。明らかに致命傷だったのに、跡形もなく消えてしまっていた。

 

ついさっきまで彼女を襲っていたひしゃげた左腕と左脇腹から広がる痛みも、いつの間にか消えてしまっている。

 

そうだ。確かに痛みとそれをもたらした金髪女とゴーレムに対する恐怖は存在する。しかしそれ以上に、致命傷すら治癒して――――いや、『復元』してしまう自分自身の存在が、例えようもないほどに彼女の心を切り裂いていた。目の前で、ぐずぐず、ぐじゅり、と音を立てて、波打ちながら再生していく自らの体。それだけではない。壊れたメガネや、破れた制服に至るまで、再生してしまう。

 

『自分は人間だ』と思っていたのに。自分の体はそんな幻想を完膚なきまでに打ち壊してくれた。自分の体の中は空っぽだ。自分の正体は普通じゃない、何か得体のしれない異常な存在だ。そう。いくら壊れても再生する、あのゴーレムと言う『化け物』と同質の『化け物』。

 

「あなたみたいな化け物を受け入れてくれる場所なんて、テメェの居場所なんて、どこにもないんだよ」

 

 薄ら笑いを浮かべて、風斬を見下ろすように女と『化け物』が立っている。その女の言葉が、風斬に追い打ちをかける。

 

ボロボロになってしまった心が、勝手に思考を始める。止めようと思ってもそれは止まらない。思い浮かべるのは、自分にとっての最初の『ともだち』。インデックス。もっと一緒に遊びたかった。もっと一緒に話したかった。もっと一緒に居たかった。もっと一緒に笑っていたかった。

 

ぼんやりと金髪女とゴーレムを映す目が、振り上げられていく巨大な石腕を捉える。しかしそれも、すぐに涙でぼやけてしまった。

 

――――死にたくはない。

 

――――それでも、『ともだち』にこんな醜い姿を見せずに済むのなら、ここで死ぬのもありなのかもしれない。

 

そんなことを考える風斬の体は動かない。動こうと、しない。両目をきつく閉じて、その瞬間を待つ。一筋の涙が、頬を伝って零れていった。

 

「――――死ね。化け物」

 

 死刑宣告の言葉と共に、ヒュッという空気を切る音が降りかかってくる。これから襲い来るだろう言葉にできないほどの激痛を予想する。

 

 ――――しかし、いつまで待っても激痛は訪れなかった。音すら消えたようで、いや、何か足音のようなか細い音が聞こえてきたような気もする。

 

 恐怖よりも疑問が先行し、風斬は恐る恐る目を開けて、何が起こったのかを確認した。

 

涙で滲む視界の向こう、ゴーレムの動きが不自然に停止していた。まさに、自分の体を押し潰してしまうようなところで、だ。

 

そして、目の前の石像に何が起こったのか、じっくりと確かめる間もなく、轟音と共にゴーレムの巨体が吹き飛ばされた。

 

ついさっき、体感ではもうずっと昔の事だったかのように感じてしまうが、似たような光景を見た気がする。粉々になった巨体が雪崩のようにシェリーのもとに殺到する、そんな光景。

 

遠くの方で、風斬を極限まで追い詰めた女の怒号が響いた。

 

前を見る。風斬を庇うように、2人の少年が立っている。この少年たちには、見覚えがあるような気がする。しかし、そんなことないと、頭は全力で叫んでいた。この人たちの前で、自分は『化け物』としての『化けの皮』を剥がされてしまったのだから。この人たちはもう、自分が『化け物』だと知っているから。まともな人間なら、そんな自分を追いかけてきたりなどしないはずなのだから。

 

「……間に合ったぞ」

 

しかし聞こえてきたその声は、聞き覚えのあるものだった。肩を震わせ鼻をすすって、涙を拭う。晴れた視界のその先に、やはりというか、見覚えのある少年たちがいた。

 

緑の腕章をつけた少年が、瓦礫に埋もれる金髪の女を厳しく睨み付けていた。ゴーレムを吹き飛ばしたのは、風斬自身の体を引きずりかねない程の強制力でAIM拡散力場に干渉しそれ放ったのは、この少年のはずだ。

 

その隣に立つ少年は、逆に風斬の方をじっと見つめていた。へたり込んでしまっていた風斬に『左手』を伸ばしている。

 

「もう大丈夫だ。後は俺たちがどうにかしてやる」

 

 頼もしく伸ばされたその手が、風斬の手を優しくつかんだ。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 3人の前方。シェリー=クロムウェルは俯いたまま肩を震わせて笑っていた。そのまま白いオイルパステルで壁に何かを書き殴る。それに応じるように彼女の周囲に散らばる瓦礫が浮かび上がる。更にそれだけでなく、周囲の壁面すら取り込んでゴーレムの体が再生していく。先程よりも巨大となった石像が、急速に体を取り戻していった。

 

「くっ、はは。あはははは!とんだ笑い話なおい。喜べよ『化け物』! お前のあんな醜い姿を見ても守ってくれるような悪趣味な人間もいるみたいだからな!」

 

 そう言って、壊れたように笑うシェリー。

 

「どうして、……」

 

 ここに来てくれたのか。弱々しい声で、風斬は問う。こんな化け物のような自分を、一体どうしてかばってくれるというのだろう。

 

「……どう、して……?」

 

 痛々しい声で、心から不思議そうに、繰り返し風斬は問いかけた。

 

「ばかばかしい。そんなの決まってんだろ」

 

 上条はその問いに悩むことなく答える。

 

「お前が俺を、俺らの事を本当はどう思ってるかはわからない。けど俺は、俺らは、お前の事を友達だと思ってる。それに、インデックスだってそうだ。お前を守る理由は、それさえあれば十分だよ」

 

 上条の言葉に勇斗も頷いて肯定の意を示す。一瞬たりとも悩むことなく。

 

「お前が人間だろうがそうで無かろうが、そんなことは何の問題にもなりはしない。そんなことはどうだっていいんだ」

 

 風斬と、彼女を嘲笑ったシェリーに言い聞かせるように、上条の言葉は紡がれていく。

 

「立ち上がろう、風斬。もしきついんなら、いつでも俺が引っ張ってやる。だから前見て胸張って、立ち向かおう」

 

 その言葉を聞いて、風斬は顔を上げる。弱々しく痛々しかった彼女の表情に、少しずつ力が戻ってくる。永劫続く暗闇に、一筋の光が差し込んできたような、そんな感覚。

 

「エリス―――」

 

石像の陰で、シェリーの顔から表情が消えていた。上条の言葉に何も感じなかったのか、それとも何かを悟られないようにあえてそんな『表情』を浮かべているのか。

 

「―――1人残らずぶち殺すぞ」

 

 そこまでを読み取ることはできない。しかし無表情のまま、シェリーはオイルパステルを振り下ろしていた。術者のその動きに連動し、ゴーレムがその巨大な腕を床目がけて振り下ろす。地面に足をつけて立っている人間を全て一度に無力化する、あの攻撃だ。

 

 しかしその腕が地面に届く前に、破砕音と共にその動きが停止する。勇斗が打ち出したAIM拡散力場が打ち下ろされるゴーレムの腕を抑えつけ、拮抗している。間をおかず、白い光が地下街に瞬く。勇斗の背中から白い翼が飛び出した。――――と、そこで勇斗は気付く。さっき頭に負った怪我の影響が残っているのか、()()()()()()()()()()()が生じており、その影響か微かだが()()()()()のようなものが走っている。しかし勇斗はそれを無視して翼を振るう。閃光が走り、ゴドン!という音と共にゴーレムの右手が落ちた。

 

 それを機と見た上条が矢のようにゴーレムに迫る。全ての幻想を喰らい尽くす右手を強く握りしめ、走る勢いそのままに右手をゴーレムに叩き付けた。その一瞬でゴーレムの動きが止まり、その全身に細かなひびが広がっていく。

 

 再び勇斗は翼を振るう。翼は強かにゴーレムの巨体を打ち据え、いくつもの石片に粉々に崩れながらゴーレムの体が傾いでいく。横目にしつつ、上条はシェリーの下へ駆けてゆく。

 

 と、そこでシェリーは手首を引き戻すようにオイルパステルを振るった。――――同時。崩れていたエリスのカケラが突然宙に浮かび上がり、散弾を撒き散らすように周囲に――――勇斗には正面から、上条には背後から、襲い掛かった。

 

「「――――ッ!!」」

 

 勇斗は翼をはためかせて飛び上がり、上条は地面を蹴りつけて横に跳んで、襲い掛かる石片の群れから必死に逃れる。ガシャガシャ!と石片が地面に散らばる中、シェリーは次の動きを始めていた。横っ飛びで石片を回避し地面に転がった上条に向かって、突きを喰らわせるような動きでオイルパステルを振り抜く。

 

 いや、振り抜こうと、した。

 

 シェリーが手に持っていたオイルパステルが、粉々に砕け散りながら吹っ飛ぶ。とっさの事に、目を見開いて驚愕したシェリーの動きが硬直する。その様子を見た上条が跳ね起き、再びシェリーに迫っていく。

 

 勇斗と、そして上条を見て忌々しげに舌打ちをして、シェリーはつま先で地面を叩いた。オイルパステルに頼らず術式を組み上げる。

 

「同じ手を食うか!!」

 

 勇斗のその叫び声と共に、シェリーの周囲が円形に押し潰された。甲高い金属音が鳴り響き、シェリーが展開していた防御術式が働いたことがわかる。しかしその周囲の地面には蜘蛛の巣状にひびが入り、タイルが間をおかずに粉々に砕け散っていく。

 

つまり。シェリーが作り上げた魔法陣(じゅつしき)はもう効力を発揮しない――――!!

 

「行けっ当麻!」

 

「おうっ!!」

 

 さらに加速し、シェリーに飛び込んでいく上条。焦燥に駆られたシェリーは袖から予備のオイルパステルを取り出そうとするが、手元がおぼつかず落ちたオイルパステルが床に散らばった。

 

「はは。何だ、こりゃ。これじゃ、どうにもならないじゃない」

 

シェリーは思わず引きつった笑みを浮かべる。

 

「もう終わりだ。テメェは黙って眠ってろ!」

 

加速の勢いを拳に乗せて、上条はそのまま一切の手加減無く、シェリーを(なぐ)り飛ばした。

 

地下街を、そして風斬を、絶望に叩き落とした女の細い体が、地面を何度も転がった。

 


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