科学の都市の大天使   作:きるぐまー1号

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ep.8 9月1日-8

 勇斗は走る。断続的に走る振動が、インデックスの身に危機が迫っていることを如実に示していた。

 

 ――――と、そんな勇斗の目の前に、道を閉ざす隔壁とその周囲で応急処置程度の治療をしている十数人の警備員(アンチスキル)達の姿が飛び込んできた。まともに動けているのはその中の数人。そのうちの1人に、勇斗は見覚えがあった。

 

「黄泉川先生!無事だったんですね!」

 

 声を上げて思わず駆け寄る勇斗。その声に反応して、名前を呼ばれた女性――黄泉川愛穂が勇斗の方に視線を向けた。

 

「おお、勇斗じゃん!小萌センセーから地下街に突撃していったらしいって聞いて心配してたけど、大丈夫だったじゃんか!?」

 

「ええ、なんとか。この通りぴんぴんしてますよ」

 

 自らが巻いた包帯にはまだ赤いものが滲んでいるというのに、黄泉川の口から真っ先に飛び出したのは勇斗を、学生を心配する言葉だった。

 

 相変わらずな、素晴らしいまでの教師としてのその意識に勇斗は尊敬と感謝の念を覚える。しかし勇斗にはそこで感傷にひたる、そして労いにかける時間は無かった。

 

「――――それで黄泉川先生。ここの隔壁を開けてもらいたいんですけど」

 

 単刀直入に勇斗はそう言った。黄泉川は地下街の奥での色々な事情(・・・・・)を知っているだろう勇斗に色々と聞きたいことがあったようだが、切羽詰まった勇斗の様子を見るとため息をひとつ吐いて、出かけた言葉をぐっと飲み込んで、しかし決まり悪そうにこう言った。

 

「……残念だが私たちの管轄からは外れているから、ここを開ける権限は私たちには無いじゃんよ」

 

「……そうですか。なら緊急事態ですし、ちょっと強引にでも通してもらいますね」

 

 風紀委員(ジャッジメント)という組織に入っており、この手の組織にありがちな縦割り構造をよく知っている勇斗からすればある種予想していた返答であり、わずかなタイムラグの後で勇斗はそう言葉を締めくくった。

 

 その言葉の意味を、黄泉川が理解する前に。勇斗は行動を起こしていた。

 

 その場にいる全員が、地下街で感じるはずのない突風を感じた。黄泉川は知っている。目の前の風紀委員(ジャッジメント)の少年が大気制御系統の能力者では無いことを。この少年が学園都市の内部でもかなり希少な部類に属するAIM拡散力場干渉系統の能力者であることを。目の前の少年は風そのものを発生させているわけではない。彼が操るのは不可視の「力場」。ただその能力による「力場」の急激な収束によって、異常動作を起こした力が何らかの物理法則を介して周囲の大気へすらも影響を与えている。黄泉川は、少年の前の空間が球形に歪んだのを見たような気がした。

 

 一拍の間をおいて、収束した力が、隔壁に叩き付けられた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……まったく。理不尽な力じゃんよ」

 

 同僚たちへの処置を再開させながら、黄泉川は呆れたような声を漏らした。その言葉に、その場にいる全員が同様の反応を返した。

 

「……まさかあの分厚い隔壁を力技でぶち抜くなんて。2重の意味で驚きじゃん」

 

 そう言って視線を向ける先には、真ん中からひしゃげて穴が開いた巨大な隔壁の残骸が転がっていた。それこそあのテロリストではないが、巨人が本気で殴りつけたかのような、そんな壊れ方をしている。自らが勤務する高校では最高位の能力者、大能力(レベル4)御使降し(エンゼルフォール)。まさかその能力が、地下街の防衛を支える隔壁すらぶち抜いてしまえる程強力な代物だったとは思っていなかった。そしてまた、彼は風紀委員(ジャッジメント)として活動しているのだが、その礼儀正しく真面目な仕事ぶりは警備員(アンチスキル)の中でも評価が高い。器物損壊という下手しなくても始末書沙汰になるような行為を積極的にするようなそんな物好きではないはずなのだが。

 

 つい先刻の少年には全くのためらいは無かった。隔壁を吹き飛ばし、あっけにとられた警備員(アンチスキル)の面々に「すいません!」とだけ残し、穴をくぐってダッシュでどこかへ向かって行った。

 

 その時の様子を、黄泉川は思い出して。

 

「……ま、何か事情があるみたいだったし、ここの隔壁の損壊はテロリストのせいでしたってことにしてやるじゃんよ」

 

 呆れたような苦笑いで、そんな言葉をもらす。再びその場の全員が、同じような苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

そんなことを言われているとはつゆ知らず。勇斗は考え得る最短経路で地上に戻ってきた。

 

第一級警戒宣言(コードレッド)発令下に加え地下街で実際に襲撃があったからか、せっかくの午前上がりでの長い放課後の真っ最中であるにもかかわらず、街に人の往来はほとんどない。皆どこかしらに避難しているのだろう。

 

そんな街の様子をざっと確認して、そして未だ衰えず続く猛暑に顔をしかめつつ、勇斗は背に翼を出現させ上空へと飛び上がった。地下街内部での「観測」により、ゴーレムが存在している大まかな方向はわかっている。その方向に目を向ける。しかし林立するビル群が勇斗の視界を塞いだ。

 

「……やっぱりこっからじゃ見えねーか」

 

 確かにゴーレムは巨大だ。しかしそれはあくまで人と比べて、であって、巨大な建築物が所狭しと建てられているこの景色の中でその姿を肉眼だけで確認するのは不可能だと言っていい。舌打ちをして、勇斗は携帯端末を取り出し、電話を掛ける。掛けた先は風紀委員(ジャッジメント)第177支部。数回のコール音の後、勇斗が今最も必要とする人間が電話に出てくれた。

 

『もしもし勇斗先輩ですか? ご無事ですかー!?』

 

 唐突に聞こえてきた甲高い声に耳がキーンとした。勇斗は思わず耳から端末を引きはがす。

 

「……無事だから、落ち着け初春」

 

『あ、す、すいません! 勇斗先輩だけ安否がわからなかったので、つい……』

 

「いや、……連絡しなかった俺のミスだから仕方ないよ。それより初春、調べてほしいことがある」

 

『は、はい。なんでしょうか?』

 

「地下街に逃げ込んでたテロリストが操ってる兵器が地下街の外に逃げ出した。とりあえず地下街の第3ブロックがある方面の地上を移動してるはずなんだけど、居場所の特定を頼めないか? できるだけ早く」

 

『うえっ!? わ、わかりました! 監視カメラにあたるのでちょっとだけ時間を下さい!』

 

 到底中学生の少女が出してはいけない素っ頓狂な声を上げた後、何やらパタパタという足音が聞こえ、そしてそれはすぐにカタカタカタというキーボードの音に変わった。待っている間、じれったさが勇斗を襲う。だが予想外に早く、再び電話口から声がした。

 

『見つかりました勇斗先輩! アスファルトを捏ね上げたような巨人……昼間に観測できたものと同じものです。っ、すぐそばに女性2人! 位置コードを送信したので、すぐに向かってください!』

 

「言われなくとも!」

 

 通話を切り、送られてきた位置コードに目を通す。距離はそれほどない。最高速で飛べば1分とかからないだろう。

 

 翼に力を込め、それを一気に解放する。弾丸が射出されるような猛スピードで、勇斗は目的地へと飛んで行く。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 時間は少し遡る。白井の空間移動(テレポート)によって地上に脱出していたインデックスと御坂。初対面である2人はやや硬いながらも上条についての話題でなんだかんだ盛り上がっていた。

 

 しかしそこで、インデックスが胸元に抱えていた三毛猫(スフィンクス)が突然逃げだしたのだ。まあこの猛暑の中、ずっと抱えられていて暑かったのだろう。仕方ない、とは考えつつも放っておいてはぐれるわけにもいかず、御坂に断ってインデックスは逃げる三毛猫を追いかけた。

 

 路地裏を舞台にした(スフィンクスにとっての)緊迫の逃走劇がしばらく続き、ぜーぜーと荒い息を吐くインデックスが三毛猫を確保した時には、最初居た地点からはだいぶ離れたところまで来てしまっていた。

 

動物的本能に従い、それでも逃げようと暴れ出す三毛猫をがっちりと胸元に押さえつけ、荒くなった息を整える。

 

「……ほら、みことと待ち合わせしてる場所に戻るんだよ。お返事は?」

 

 わがままな子どもに言い聞かせるようにインデックスがそう言うと、三毛猫は不承不承ニャーと一度だけ鳴いた。

 

 と、そこで。

 

 ピクン、と何かを感じ取ったかのように三毛猫は顔を上げ、体を硬直させた。そしてインデックスがその様子に疑問を差し挟む間すらなく、地面が小刻みに振動を始めた。

 

「……、これは……?」

 

 インデックスは首を傾げて、そしてそこで、魔術に対して鋭敏な感覚を持つ彼女の第六感が全力で警鐘を鳴り響かせた。意識する前には体がすでに動いていた。インデックスは三毛猫をより強く抱きかかえ、とっさに後方へ跳躍する。――――半瞬遅れて、彼女の目の前で地面が爆発した。幸い飛び散った石片が直撃することは無かった。頭のすぐ上を彼女の頭より一回りは大きい塊が掠めていくが、彼女は目をつぶらない。その恐怖を塗りつぶすほどの違和感が、彼女の視線を釘づけにしていた。

 

爆心地に、ゆっくりと巨大な石像が姿を現しつつあった。最初の爆発は、地面の下から腕を突きだしたのか。そこまで思考が及んだところで、脳内のスイッチが切り替わった。大食いで天真爛漫な少女『インデックス』ではなく、イギリス清教第零聖堂区必要悪の教会(ネセサリウス)所属の魔道書図書館、『禁書目録』として。10万3千冊に及ぶ膨大な『原典』がもたらす魔術の知識が、突如目の前に現れた石像の正体を明らかにしていく。

 

――――しかし明らかにするだけでは足りない。知識はあってもインデックス自身は魔術も超能力も使えない。容赦なく始まったゴーレムの攻撃を何とか強制詠唱(スペルインターセプト)で捌き、体を構成する術式を逆算し妨害することで攻撃を凌ぐが、その均衡を維持するだけで精一杯だった。

 

 だがその均衡はあっさりと崩れる。ゴーレムの操作系統が変更され、彼女の強制詠唱(スペルインターセプト)が効力を発揮しなくなったのだ。唐突に対抗手段を奪われ、驚愕に身を固めてしまったインデックスに、ゴーレムの腕が迫った。

 

 恐怖に時間の流れがスローになってしまったような気がした。しかしもう為す術は無い。目を閉じるインデックス。

 

 ――――しかしインデックスの耳に、こんな言葉が飛び込んできた。

 

「私の友達に――――手を出さないで!」

 

 その声は聞き覚えのある声だった。この街でインデックスが初めて自分で作った、『ともだち』の声。ほぼ同じタイミングで、肉を潰すような鈍い音が響き渡る。

 

 ゆっくりと目を開けるインデックス。彼女の目に飛び込んできたのは、自分を守るように立つ『ともだち』と、殴りかかってきていたゴーレムが逆に吹っ飛ばされているような、そんな光景だった。

 

振り下ろされた拳に対し、カウンター気味に蹴りを叩き込んだ風斬。その威力は予想だにしないものだった。見た目から推測するに非常に重量があるゴーレムを、蹴りで数メートル単位吹っ飛ばしたのだ。当の本人はだるま落しで落ちてくる『だるま』のごとく、横方向の運動ベクトルを完全に攻撃に転用したようで。横方向への移動を完全に相殺し、ふわりとした羽のように風斬は着地した。しかしそこで起こったのは風斬の細身な見かけからは想像もできないような現象だった。骨すら震わせるような重い震動がインデックスの体を震わせる。風斬が着地した瞬間、巨大なハンマーで思い切り地面を殴りつけたように、風斬を中心として半径数メートル程の範囲に円形に地面がひび割れたのだ。

 

 次々と重なる光景に、インデックスは目の前の少女に声を掛けようとして、しかしそこで更なる驚愕の光景を目にすることになる。

 

数トンはくだらないだろう巨体を吹き飛ばした風斬。当然そんなことをして生身の肉体が耐えられるはずもなく、右足が見るも無残に吹き飛んでしまっていた。しかし目の前の少女は、痛みなど感じさせない様子で悠然と立っている。そしてそれだけに留まらない。突然ズバン!! という大きな音が聞こえたと思うと、切断面から凄まじい速度で足が飛び出したのだ。それで、傷1つない足が復元されてしまう。これが彼女の能力なのだろうか、そうインデックスは考える。何が起こったのか、起こっているのか、全く分からなかった。

 

「もう……大丈夫」

 

 そんな、目を疑うような光景を作り出した少女は、落ち着いた声で告げた。

 

「あの石像は私がどうにかするから、あなたは早くここから逃げて」

 

 そんな風斬は、もぞもぞとのたうつように動く石像に視線を注ぎ、インデックスに視線を向けようとはしない。

 

「……ひょうか、なの?」

 

「……うん。そうだよ」

 

 インデックスの口から洩れた呟きに、間をおいて風斬が応える。

 

「あ、足は、……足は大丈夫なの!? あんなにボロボロになって……」

 

 インデックスの声は尻すぼみで小さくなっていった。風斬の足をじっと見つめるが、さっきのが見間違いだったのではないかと感じられてしまうほどに、彼女の足は傷1つない。

 

「っ、人間が生身の体でゴーレムに立ち向かうなんて、無茶なんだよ!」

 

 しかしそれでも、インデックスは叫んだ。魔術を知っているものとして、目の前の少女をゴーレムと戦わせるわけにはいかない。いくら自己再生能力を持っているからといって、これ以上さっきみたいな特攻を掛けさせるわけにはいかないのだ。

 

「とうまじゃあるまいし、『天使』をモチーフに作られたゴーレムなんかに立ち向かっちゃダメ!早く逃げよう、ひょうか!」

 

「……ううん。大丈夫だよ」

 

 しかし、風斬の口から発せられたのは、拒絶の言葉。

 

「大丈夫、なの」

 

風斬は言って、インデックスの方を振り返る。憑き物が落ちたような、不自然なまでにすっきりした表情のまま、笑っていた。

 

「私はね、……人間じゃないから」

 

「……え?」

 

「私は、あの『化け物』と同じ。人に似た、人型の『化け物』」

 

 風斬はインデックスから視線を外し、ゴーレムに向き直る。周りのアスファルトやビルから『材料』を取り込み、一回り程は大きくなったゴーレムが、そこに生み出されていた。

 

「……ごめんね。騙しちゃって」

 

 風斬がそうポツリと呟いて、そしてそこで石像の拳が発射された。

 

 凄まじい速さで放たれた拳が空気を押し潰し、衝撃波すら伴いながら風斬に向かって襲い掛かる。

 

 インデックスは思わず身を縮こまらせて、目をつぶる。しかし風斬は全く動じない。状況にそぐわないゆっくりとした動きで両手を上げて、そこでゴーレムの拳が風斬の両手に叩き付けられた。

 

 ゴドン!! という、とても人体に激突したとは思えないような轟音。

 

 塞がった視界の向こうで起こったであろう惨劇をインデックスは予測する。しかしすぐに違和感に気づく。本来であれば、もし風斬が潰されてしまったのなら、その後ろにいた自分もぺしゃんこに潰されていてもおかしくないはずなのだ。しかし、痛みもなく、こんな風にまだ考えることができている。と、いうことは。

 

 インデックスは目を開ける。開かれた視界の先で、風斬は両手をいっぱいに広げ、放たれたゴーレムの拳を受け止めていた。

 

「……あ……、ひょう、か……?」

 

 呆然としたような声で、インデックスは風斬の名前を呼ぶ。しかし、返答は無かった。無視したのではなく、返したくても返せなかったのだ。

 

 一瞬たりとも気を抜くことは許されない。余計なことに力を割くわけにはいかない。そんな極限状態に、風斬は追い込まれている。

 

 インデックスは風斬の全身に視線を向ける。衝突の影響か、全身の皮膚や筋肉がたわみ、潰され、弾け、不自然なまでの凹凸が風斬の体を蝕んでいた。

 

「っ、ひょうかっ! ひょうかぁぁぁ!!」

 

 悲痛な声でインデックスは叫ぶ。その声に応えるように、再び風斬の体が『復元』された。それにより、やや風斬に均衡が傾く。抑え込んだ拳を少しずつ押し返していく。

 

 風斬は嬉しかった。こんな自分の姿を見ても、心配するように叫んでくれる人がいることが。自分の力で、その人を守れていることが。

 

 ――――しかしそこで、彼女は目にする。いつまでも吹き飛ばない攻撃対象に業を煮やしたか、ゆっくりとゴーレムの反対側の腕が振り上げられていく。

 

 まずい、とほとんど余裕のない思考の中で風斬は思った。片腕を抑え込むだけで精一杯なこの状況で、もう一方の腕を止めるのは不可能だ。後ろにいる少女ごと、吹き飛ばされ潰されてしまう。

 

 打つ手は――――1つだけ。自分の命を懸けてでも、少女を逃がすだけの隙を作り出すこと。

 

 来るなら来い、と全身に力を込め、体を強張らせる。

 

ゴーレムの腕が、風斬に狙いを定め、ピタリと静止する。

 

そして、瞬きするくらいの間で、拳が放たれた。

 

後ろの方で、自分の名前を呼ぶひときわ大きな叫び声がした。

 

と、その時。

 

風斬の全身にノイズが走るような不快な衝撃が走るのと同時に、突きだされていたゴーレムの両拳が叩き潰され、地面に叩き落とされた。

 

 


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