我輩はレッドである。 作:黒雛
まず、朝に干した布団を縁側に敷きます。
日の光をたっぷりと浴びた、ふかふかの布団です。顔を埋めるとお日様の匂いがする心地良い布団です。ころりと寝転ぶと天国に至るような寝心地を我々に抱かせてくれる至高のお布団です。
そして、身を隠します。二つの穴の空いたダンボールを被り、身を隠します。このステルス機能は一見隠れていないように見えますが、実はマフィアの本拠地にすら余裕に潜入ができる優れたアイテムです。折り畳むことも可能なので是非とも常に携帯するようにしましょう。
じー、と待ちます。
近くを通りかかったピカチュウが「なにやってんだ、このご主人」みたいな呆れた視線を送ってくるのですが、ひたすら待ちます。
すると幼女が現れます。
とっても可愛らしい幼女です。
白銀の長髪に金色の瞳、そしてサンタのような紅白の衣装を着た幼女です。
幼女はきょろきょろとマスターを捜すように視線を右往左往させますが、ここはグッと堪えて隠密に徹します。
しょぼん、と寂しそうな顔をする幼女に、良心の呵責を感じますが、隠密に徹します。
すると幼女は縁側に敷いた布団に気づきました。ジッと布団を注視するとコロリと布団に寝転びます。
むふー、ととっても気持ち良さそうな顔です。
右にころころ。左にころころ。右にころころ。左にころころ。
むふー。
やがて少女はすやすやと心地良い寝息を立てます。
ダンボールを剥がし、ダンボールに一礼してから縁側に向かいます。
すやすやと寝ている幼女を見下ろし、縁側に腰を降ろします。
ノートを広げ、カリカリとシャーペンを走らせます。
冷静な瞳で己の書いた文章を見下ろし、一言。
「オーキド博士。これ、ラティアスの生態研究じゃなくて、ただのストーカー記録になりそうですがな」
伝説のポケモン。むげんポケモン、ラティアス。
古い文献にしか目撃情報のない伝説の再臨は彼の研究欲を大いに刺激したらしく、些細な情報すら欲しがっていた。
オーキド博士にはラティアスと一緒にいられるよう手続きをしてもらった恩がある。だから少しでも恩返しができたならと記録を録っているのだが――子どもじゃなかったら完全に犯罪です、ありがとうございました。
レッドは深い溜め息をついて、ページを破りくしゃくしゃに丸めた。
◇◆◇
ポケモンの種類は優に七百以上を超えているが、未だ正確な数を特定したものはいない。
初代となる赤と緑の物語が始まってすらいないせいか、レッドの保持する知識より、現存を確認しているポケモンの数はずっと少ない。
ゲンガーやフーディン、カイリキーにゴローニャなどはポケモン図鑑の転送装置を使い、他人と通信交換することにより進化することは確認されているが、ハッサムやハガネールなど特定の道具を持たせた上で通信交換をしないと進化できないポケモンの存在は未だ知られていないのだ。懐きを除く特殊進化にしてもそう。
(言われてみりゃ、そうだよな。特定の道具を持たせて通信交換とか、誰が思いつくんだよ)
ゲームでは平然とトレーナーが手持ちに加えたりしているが、現実的に考えると有り得ない光景だ。偶然――という線は有り得るが、進化の原因を突き止めるのは不可能なんじゃないだろうか。
だからオーキド博士に恩返しと称して、これをこうしたらこのポケモンは進化する、と自分の持っている知識を授けようかと思ったが、子どもの妄言と切り捨てられる可能性が高い。その分野で数十年以上の月日を費やした研究者に向かい、八歳の子どもがそんなことをほざけば――誰だって子どものつく嘘だと認識するに決まっている。なるほど! と納得されたら、その研究者はかなりめでたい頭をしている。
(特殊進化っつったら、やっぱりあいつだよな。第二のコイキング枠)
もっとも醜い姿を持つポケモンがもっとも美しいポケモンに進化する。
まさに大逆転のシンデレラストーリーと謳われるあのポケモン――。
「ちょっといいかしら」
しかし想像の姿が完成する前に余所から話しかけられ、イメージが霧散する。ヴァンガードなら負けていた。
畑に植えた木の実に水遣りをしているレッドは一旦手を止めて顔を上げる。
柵の向こうにいたのは、とても美しい美少女だった。太陽の陽射しを反射するように燦然と輝く金色の髪はとても長く、太ももの辺りまで伸びている。瞳の色は銀。透き通るような白い肌にふっくらとした桜色の唇。見た目は大体、十三、十四、といったところだろうか? 十代前半なのは間違いないが、涼やかな瞳が宿した理知的な光が、少し冷たげな印象を与える。
「どうしました? 木の実は一つにつき、有り金ぜんぶいただきます」
「凄まじいレベルのぼったくり商法ね。詐欺師も真っ青だわ」
「だけどオレンの実に罪はない」
「しかも全額払ってオボンじゃなくてオレンなのね」
はっはー、と笑う。
「まあ、売り物じゃないんだけどね。見ない顔ですけど、旅の人ですか?」
妬ましい。
「そうよ。良いところね、この町は。穢れのない無垢な町な香りがするわ。空気も美味しい」
「何にもないただの田舎ですけどね」
すると少女はクスリと笑う。レッドときちんと会話したり、ふわりと笑ったり――一見するとクールビューティーに見える彼女だが、性格はかなり温厚のようだ。
「子どもには、まだわからないのかもしれないわね。だけど大人になった時、ふと帰郷するとこの町の良さに、きっと気づけるようになるわ」
「まるで俺が旅に出ることがわかっているようなもの言いですね」
「旅の人かって聞いたとき、とても羨ましそうな顔をしていたもの。キミもポケモントレーナーを目指しているのでしょう?」
「んー、いや、違うかな」
思案げな顔で逡巡したレッドはかぶりを振る。
すると少女は、あら、と意外そうに目を見開く。
「そうなの?」
「だってポケモントレーナーは割りと普通になれるもんでしょう?」
もちろん免許の証となるトレーナーカードを取得するには試験を受ける必要があるが、試験の内容は一般常識を問う問題が多く、専門的な知識はほとんど要らないと聞いている。
普通の人間なら普通に取得できる。トレーナーカードとはそんなものだ。……その普通にレッドが適応するかは置いといて。
だからこそレッドの目指すモノはただ一つ。
「目指すはポケモンマスター――だろ?」
にやりとしたり顔で笑うと、少女はポカンと呆気に取られた後――大笑する。
「あはははは! そうね。その通りだわ! 目指すはポケモンマスターよね!」
と、口元を抑え、ひとしきり笑い声を上げた少女は目尻に溜まった涙を白魚のような指先で拭い取り、
「じゃあ将来は私とライバルになるかもしれないわね」
「アンタと?」
「そう、私もポケモントレーナーよ。もちろん、ポケモンマスターになることを夢見る、ね」
パチンと茶目っ気たっぷりに少女はウインクをして見せる。
「それならこんな田舎町で道草食わないで各ジムのバッジ集めをした方が」
「残念。もう八つ揃えているわ」
少女は懐からバッジケースを取り出した。そこにはきちんと八つのバッジが集まっていて、レッドは疑問を抱いた。
「あれ? これカントーのバッジじゃないですよね」
「このバッジはシンオウ地方のものよ。私が参加するのは、シンオウリーグ」
「なるほど」
シンオウ地方のバッジに既視感を感じつつ、頷いた。
「ほら、ポケモンリーグの開催まで、まだ余裕があるでしょう? だから、この空いた時間を利用してオーキド博士に会いに来たの」
ポケモンリーグの開催時期は全国共通で年末に開催されるのだ。
そして今は十月。ポケモンリーグまで二ヶ月の余裕がある。
あるが、
「修行はいいんですか?」
バッジを集め終わったトレーナーの大半はポケモンリーグで勝ち抜くため、一時的に旅を中断し、拠点を決め、本格的な修行に入りポケモンたちを仕上げる。年末が近づくと、既に調整に入っているトレーナーにインタビューをする番組が多くなるが、そのテレビに映った誰もが時間が足りないと嘆いていたのだ。リーグ優勝を目指すなら、そんな余裕などないはずだが。
「もちろんやっているわ。けど、あまり根を詰めるのもよくないのよ。トレーナーもポケモンもストレスを溜めると当然、体調を崩してしまう。たまに気分転換をしてコンディションやモチベーションを保つのも立派な修行の一環だわ」
「ふむふむ、なるほどなるほど」
うんうんと頷き、先輩トレーナーの助言をしっかりと頭に叩き込む。
「真面目なのね」
「あ、わかります? 自分、真面目だけが取り得――」
いつの間にか後ろにいたピカチュウがハッと笑うように、そして起床していた幼女が『ますたーがまたうそついてるー』とスケッチブックにカキカキ。
「貴様等ァッ!」
と、振り返って叫ぶと二人は蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
少女はそんな微笑ましい様子をクスクスと笑みを浮かべて見守っていた。
「ふふふ、とても仲が良いのね。そこのピカチュウ、貴方に懐いている――というより、対等に信頼し合っている感じがするわ」
「まあ――色々ありましたからねー」
言葉を濁し、曖昧に笑う。
ピカチュウと仲間になった経緯は誰にも話していない。もしあんなことがあったなんて知られたらオーキド博士の説教は確定だし、最悪、トレーナー資格取得の年齢が引き上げられる可能性も否定できないからだ。このお話は墓まで持っていかなければならない。
ばれてなーい。ばれてなーい。
レッドは冷や汗をかきながら拍手を打つ。
「そんなことより、オーキド博士の研究所には行かなくていいんですか?」
「あ、そうだったわ。研究所の場所を聞くためにキミに話しかけたのよ」
「博士の研究所なら、あっちですよ」
研究所がある方角を指差す。
「かなり大きい敷地なんで、あっち方面に適当に歩けば自然とつきます」
「ありがとう。長い時間拘束させちゃったわね」
「こちらもためになる話が聞けましたから」
ニコリと微笑み、レッドの指差した方角に歩いていく少女を見送りながら、うーん、と首を傾げる。
「あの女、どっかで見たような……」
レッドは少女の容姿に既視感があった。
片目を隠す、金色の長髪に銀の瞳。こめかみよりやや上につけている房のような黒い髪飾り。
しかし、随分と記憶にある姿より若い気がして、レッドは小気味よく揺れる後姿を見送りながら、その姿をもう少し成長させる。
成長した姿に黒いコートを重ねるとハッとレッドは目を見開き、愕然と打ち震えた。
そう――彼女はそう遠くない未来、シンオウ地方のチャンピオンという立場を獲得する。そして、以後長い間チャンピオンの座を守護することになる不敗の戦女神。
他にも女帝やら女王と呼ばれ、全国初となる女性チャンピオンの座についたことから、すべての女性トレーナーの憧憬とされる彼女の名は――!
「――メーテル!!」
…………あれ?
バカは少し錯乱している。