我輩はレッドである。 作:黒雛
今回は説明会的な役割を持たせたかったので、少しキャラに違和感があるかもしれません。ご容赦ください。
――マサラタウン・オーキド研究所。
広大な庭を見渡すことのできる研究所の窓際には休憩用のスペースを確保しており、オーキド博士はよくこの場所で昼食を取りながら、広い庭に住んでいるポケモンたちの様子を和やかに観賞しているらしい。
確かに良い場所だ、とシロナは目を閉じる。
開け放たれた窓から吹き込む風は少し肌寒いが、大好きなポケモンたちの賑やかな声や雰囲気をその身に感じ取ることができるのなら何てことはない。現在シロナの手持ちのポケモンたちも博士の厚意により、庭で穏やかな時間を過ごしている。修行に集中しているときは、まさに研ぎ澄ませた剣のような鋭気を放っているのだが、今はそんな雰囲気は微塵も感じられず、元々この庭に住んでいるポケモンたちと一緒にお昼寝をしたり、遊んだりしている。普段とは違った愛すべき彼ら彼女らの姿にシロナも相好を崩し、年相応の少女のような可憐な笑みを咲かせた。
「フフフ、そんな姿を見ると、とてもシンオウ地方のバッジをすべて集めた凄腕トレーナーのようには見えんのう」
「か、からかわないでください。博士」
テーブルを挟み、向かいの椅子に座りコーヒーを飲んでいたオーキド博士の言葉にハッとなり、シロナは気恥ずかしくなった。別にそんな姿を隠しているわけじゃないが、出会う色んな人に、その怜悧な風貌からクールや高飛車な人だと勘違いされていくうちに、イメージと違う自分の本当の姿は似合っていないのかな、と思うようになったのだ。紅潮した頬を隠すように身を小さくしてしまう。
同席している同じ年のナナミが「あらあら、うふふ」と笑っているのが羞恥に拍車をかけていた。
「シロナくんは今年で十四歳になるのだったな」
「はい。ナナミと同じ歳ですよ」
「ナナミももうそんな歳になったのだな。ほんの少し前はこんな小さかったというのに、時間の流れは実に早いものじゃ」
「そうでしょうか?」
シロナとナナミを顔を見合わせて小首を傾げると、オーキド博士は愉快げに笑う。
「若い頃はそんなもんじゃろう。こういうのは大人になってわかるものじゃ。昔と今の時間の流れが本当に平等なのかと疑ってしまうほどになあ」
昔を懐かしむように、オーキド博士は穏やかな目を二人に向ける。だけどその瞳は自分たちを見ているようには見えなくて、もしかすると自分たちを通して若い頃の自分を思い出しているのかもしれない。
「だけど、いいの? シロナちゃん。私はポケモンリーグとか目指しているわけじゃないからよくわからないけど、今は大事な時期なんでしょう? こんなところでのんびりしてていいの?」
「こんなところとはどういうことじゃ、ナナミよ」
と、オーキド博士は半眼を向けるがナナミは笑顔でスルーしていた。同い年ということで一気に距離を縮め、連絡先も交換した友人はおっとりした正統派の清楚系美少女のソレだが、意外としたたかな一面もあったらしい。
シロナはナナミの言葉に既視感を感じ、くすりと笑う。
「どうしたの?」
「いえ、さっきもこの研究所の道を尋ねたときに赤帽子の子どもに同じことを言われたのよ」
「赤帽子……レッドくんね」
「あの問題児か」
オーキド博士は頭が痛そうだった。
「あら? 話していて面白い子じゃないですか。あの歳でしっかり敬語を使っているのは立派だと思いますけど」
自分はどうだっただろうか、なんて思いながら。
「あやつはこのマサラタウンを――いや、カントー地方を代表する問題児じゃ」
一体何をやらかしたのか。シロナは興味津々といった表情で尋ねようとしたとき、研究所の入り口が開いた。
自然と視線が入り口に集まり、「あ」と三人は声を揃えた。
研究所に入ってきたのはツンツン頭に翡翠の瞳が特徴的な少年と、話の渦中となった赤帽子に鮮やかな真紅の瞳が特徴的な少年――レッドだったのだ。レッドの背後にはもう一人、レッドの頭二つ分小さな白髪金眼の少女がいて、レッドはぷっくーと頬を風船にしている少女のご機嫌を取ろうと必死だった。
あら、とナナミの嬉しそうな声。
「おじいちゃん、回復装置を使わせてくれ」
「これ、グリーン。まずはお客人に挨拶をせんか」
オーキド博士が注意をするとグリーンは「……どうも」と呟くような声音で挨拶をする。
「うちの孫がすまんのう。名はグリーンという」
「いえ博士、どうぞお構いなく。はじめまして、グリーンくん。シロナよ。よろしくね」
「こう見えてもシロナくんはシンオウ地方のバッジをすべて集め終え、ポケモンリーグの出場権を既に獲得しておる凄腕のポケモントレーナーなんじゃぞ」
その期待に、少しの息苦しさを感じて苦笑。
グリーンは意外そうに目を見開いた。
「……こんなところでサボっていて大丈夫なのか」
「おっと、もう一人の孫までワシの夢と希望が詰まった仕事場をディスりはじめたんじゃが」
あ、ディスりとかわかるんですね、博士。
「修行は今はお休み中なのよ。確かに大事な時期だけど過酷な修行を根詰めすぎると、身体を壊したり、ポケモンのコンディションがガタ落ちして、逆効果になってしまうの。だから程よい休息を取り入れて、鍛えた身体をしっかりリフレッシュさせるのも立派な修行の一環よ」
かつてポケモンリーグで優勝経験のあるオーキド博士はうんうんと深く頷いていた。
「なるほど」
と、グリーンは頷いて、
「おじいちゃん、回復装置を使うぞ」
さらっと本題に戻った。
「構わんが、どうしたというんじゃ」
「レッドとポケモンバトルをしたから傷ついたポケモンを癒したいんだ」
どうやらあの二人は特別許可証を与えられているみたいだ。
だとしたらあのときにいたピカチュウはレッドの手持ちなんだろうか?
「そういうことなら構わんが、あまり無茶はさせておらぬだろうな?」
「そこのところは師匠よりしっかりと教わっている」
「ならばよい」
グリーンは頷いて、
「おい、レッド。いつまでじゃれ合っている」
「これがじゃれ合っているように見えるのか、貴様」
少女はぷくーっとご機嫌斜め。
レッドがぎゅーと抱きしめたり、高い高いしたり、頭を撫で撫でしているが、効果はいまひとつのようだ。……いや、あの少女、たまに嬉しそうな顔を一瞬だけ見せているが、思い出したようにハッとなり、そっぽを向くということを繰り返している。
なんだあの可愛い生物。
ぐぬぅ……! と如何ともし難い現状(と思い込んでいる)のレッドはナナミの姿を見るなり、
「助けて、ナナえもーん!」
と、叫んだ。
するとナナミは実に嬉しそうに「あらあら、うふふ」と笑いながら少女の元に歩み寄り、少女を抱き上げて戻ってくる。
ナナミの登場にぷくーっと頬を膨らませていた少女は一転ご機嫌になり、ナナミに甘え始めた。
「ふう」
レッドの疲れたような声。
「いいのか?」
「……バーゲンダッツを全種類購入して献上する予定」
「中々に痛い出費だな」
「背に腹は変えられん……!」
二人は回復装置の前に行き、“モンスターボール”を置いた。
科学の力ってすげー! な科学で“モンスターボール”に入ったポケモンの治療が進む。
「そういえば、レッド」
「ん?」
「お前のピカチュウがサナギラスにやった、あの技はなんだ?」
「あの技でわかれとか、どんなニュータイプですか? 俺が指示した技は“アイアンテール”と“くすぐる”と“かげぶんしん”に“こうそくいどう”の四つだけだぜ」
へえ、とシロナは感嘆した。
あの歳で“かげぶんしん”や“こうそくいどう”を指示するんだ、と。
それはかなり珍しいことだ。親や学校からポケモンを借りて子どもがバトルをする光景は珍しくないが、どの子どもも攻撃ばかりを優先して、そういう技は、そもそも考慮しない。
オーキド博士もレッドの使用した技に感心しているようだが「ん? ピカチュウ?」と首を捻る。
同じくしてシロナもとある疑問に首を捻っていた。
「そう、その“くすぐる”という技だ。ピカチュウがサナギラスをくすぐっていたが、あれは本当に技だったのか?」
グリーンがシロナの訊きたかったことを代弁してくれた。
「“くすぐる”は立派な技の一つだぞ。ただくすぐるだけなら効果はないけど、技として確立した“くすぐる”ならステータスに干渉するからな」
「ステータスに干渉だと?」
「そ。おかしいと思わなかったのか? サナギラスはヨーギラスがレベル30になって進化するポケモンだ。つまりグリーンのサナギラスは絶対的にレベルは30以上なんだ。けど、うちのピカチュウのレベルは……二十前半ってところだ。いくら天賦の才を持っているつっても、そんなレベル差があり、なおかつ攻撃力の高いサナギラスの“すてみタックル”と“がんせきふうじ”を受けてピンピンしてんだぞ? 確かにピカチュウは“すてみタックル”の威力を天賦の才で最小限に留めることには成功したが、次の“がんせきふうじ”で普通なら終わっていたんだよ」
「だが、“くすぐる”という技がそれを阻止したと、そう言いたいのか?」
「そう言いたいのだ。“くすぐる”の正しい効果は相手の“攻撃”と“防御”を下げること。これによりサナギラスの“攻撃”と“防御”は低下したってわけだ」
「ちょっと待て。なぜお前はそんなことを知っている? そんな話は聞いたことがないぞ」
シロナも聞いたことがなかった。
そんな技があるなんて知らなかった。
「んー、まあ、まず技として認識すらされてないんだろうなー。誰も“しっぽをふる”とか“なきごえ”がステータスに干渉する技とか思わんて」
「尻尾を振るに鳴き声? 確かに野生のポケモンはたまに使ったりするが、アレはただの挑発や威嚇じゃなかったのか?」
「ああ。ただ尻尾を振ったり、鳴くだけじゃそれくらいの意味しか持たないだろうが、技として確立された“しっぽをふる”や“なきごえ”は相手のステータスに干渉するよ。前者は相手の“防御”を下げて、後者は相手の“攻撃”を下げる技だな」
本当に、どうしてこの少年はこんなことを知ってるのだろうか。
子どもの戯言?
いや、とても法螺を吹いているようには見えないし、嘘だとしたらレベル差のあるサナギラスの攻撃にピカチュウが耐えた理由が説明付かない。
ポケモンの技がまだまだたくさんあることは知っていた。
自分たちが把握できていないだけで、未発見の技はたくさんある、と。
今も研究者の間で議論が交わされているその神秘に――この少年は辿り着いているというのか。
「俺がどうして知っているのかっつーのは、アレだよ。教えてくれた人がいたんだ。どんな人かは言えないけど、異常なくらいポケモンに詳しくてな」
「ポケモンに詳しい……。誰のことじゃ?」
「さあ? 研究者の名前とか知らないから、そんなこと言われても答えられないよ」
「まあ、いい。じゃあレッドはサナギラスがどんな技を習得するのかも知っているのか?」
「サナギーはどんなだったかな? バンちゃんなら知ってるんだけど」
「何を習得する?」
「えー? 何で教えないといけないんだよ」
「俺、勝者。お前、敗者。敗者は勝者の言うことを聞け」
「クソーッ!!」
レッドはがっくりと膝から崩れ落ちた。
どうやら技を駆使して互角にまで持ち込んだようだが、結果は敗北だったらしい。
「少し待つんじゃ、グリーン」
そんなところにオーキド博士が制止をかけた。
振り向く二人の少年。
「その前に少しレッドに聞きたいことがあってのう」
と、言いながらオーキド博士は二人のところに歩み寄り――その両の拳をレッドのこめかみに置いた。
「――――え?」
レッドの顔が引きつる。
「レッドよ。お主、いつの間にピカチュウをゲットしたんじゃ」
「………………や、やべぇ」
血の気が引いて、すっかり蒼白になった顔で必死に言い訳を考えているレッドに、
「こんの問題児がぁああああああああああーーーーッ!!!」
雷が落ちた。
効果は抜群だ! レッドは力尽きた。
ガミガミガミ! と老人特有の長いお説教が終わり、グリーンとレッドも同じテーブルを囲むことになったのだが、説教から開放されたばかりのレッドはさすがに死に体だった。
「あー、痛い。頭がガンガンするんだけど。……あ! 脳が右脳と左脳に割れてる!」
「元からよ」
テーブルに突っ伏すレッドにシロナが冷静に返した。
レッドが顔を上げ、そこでようやくシロナの存在に気付いたように、
「あ、メーテルさんじゃん。そういえば、ここに行くって言ってたっけ」
「ええ。だけど訂正させてもらうわね。私はメーテルじゃなくてシロナよ」
一体誰と間違えているのだろうか。
するとレッドは眉根を寄せて首を捻りはじめた。
「シロナ……? どっかで聞いたことがあるような」
カントー地方にも自分の名前は広まっているのだろうか、とシロナは苦笑した。
しばし頭を悩ませた後、レッドはポンと手の平に拳を降ろして、
「――そうだ。片付けられないおん」
その瞬間、シロナは一陣の風になった。
レッドの首根っこを引っ掴み、“こうそくいどう”も目を丸くする高速移動により壁際に移動する。
「それ、どこの情報かしら? ねえ、レッドくん、どこのメディアがそんなことをほざいたのか少し教えてくれないかしら?」
目の下を黒くして、シロナはニッコリと笑う。
これは絶対に外部に漏らしてはいけないパンドラの箱だというのに、一体誰がこじ開けてしまったのか。
有名になればある程度のプライベート情報の漏洩は覚悟しなければならないと言われたことがあるがモノには限度がある。
メディアよ、“りゅうせいぐん”、“はかいこうせん”、貴公らはどちらを望む。
それだけは、それだけは、踏み入れちゃいけないサンクチュアリだったのに……!
有無を封じる圧力のある笑顔にレッドはたじろいだ。
「い、いや、あの…………セ、センテンス スプリングだったかなー…………?」
ダラダラと冷や汗を流しながら視線を彷徨わせる。
「聞いたことのないメディアね」
「そ、そうかなー。俺の中じゃスキャンダルをすっぱ抜く達人なんですけど」
「――その名前、覚えておくわ」
決して許すまいと決意して、シロナはレッドを開放した。
「何で一日に二度も死を覚悟せにゃならんのだ……」
憮然と肩を落としながらレッドは元の場所に戻り、癒しを求めてナナミの膝の上にいるラティアスを自分の膝の上に移動させる。ぷくーと頬を膨らませていたラティアスだったが、バーゲンダッツを全種奢るというレッドの苦肉の策により何とか仲直りすることができたのだ。
「一体どうしたの、シロナちゃん」
「何でもないわ、ナナミ。気にしないで」
そう、笑顔で言ってのける。
「なあ、あのポケモンたちはアンタのポケモンなのか?」
グリーンは窓の向こうに広がる庭の一部分に視線を向けながらシロナに問う。
「ええ、そうよ」
「……見たことのないポケモンばかりだ」
「フフ、無理もないわ。私の手持ちのポケモンたちはカントーには生息しないポケモンたちばかりだもの」
ふうん、と愛想のない相槌を返すグリーンにナナミが注意を入れるが、その目の奥に隠している羨望に気付いて、シロナは嬉しくなった。
レッドも虚ろな表情を庭に向けて、シロナのポケモンたちを見た途端に色彩を取り戻す。
「ガブリアスにルカリオ、トゲキッス、グレイシア、おんみょ~ん……うわあ、超ガチパだあ」
「だから何でお前はカントーに生息しないポケモンを知っているんだ」
「ちょっと待って。お願い。最後のミカルゲだけおかしかったわ」
おんみょ~んってなに!?
「ミカルゲか。まあ、裏ではそうとも呼ばれているかな」
「表でも裏でもミカルゲよ! おんみょ~んこそ有り得ないわ」
もしカントー地方の資料にミカルゲがおんみょ~んとか載っていたら、たぶん泣いてしまう。
「強いのか?」
「このパーティで強くなかったら、完全にトレーナーの実力不足が浮き彫りになるくらいには。ぶっちゃけ、“つるぎのまい”を積んだガブリアス一匹で普通に全抜きとかできるんじゃねーの? まあ、あくまで……から見た場合だから、現実じゃどうか断定はできないけど、攻撃の種族値が高いのは事実だからタイプ一致の“げきりん”と“じしん”をメインウェポンに、フェアリーと氷対策に“アイアンヘッド”とか“ほのおのきば”をサブウェポンにしたら文句なしの最強格だよ。で、頑張ってこいつを倒してもルカリオやトゲキッスが後に控えていたり、逆に最後の切り札にガブリアスが控えていたりすると、もう相手は泣きながら笑うレベルだな」
「「「……………………」」」
滔々と語るレッドに、誰しもが唖然と言葉を失っている。
まるでレッドの言葉が別世界の言語のように聞こえてしまうくらい、レッドの言っている意味がわからなかった。
ただ一つ明確なのはシロナにとって最古参にして切り札のガブリアスを高く評価していることくらいだ。自分のポケモンが褒められるのは凄く嬉しいのだけど、その理由がわからないと喜びも半減だ。
ちらりとシロナはオーキド博士に救助を求めるが、彼も理解の範疇を超えているらしく重い顔でかぶりを振るう。
当の本人は「え? 何この雰囲気。…………ああー、なるほろ。そういうこと。この時代じゃ、まだ…………」と一人勝手に納得している。
するとレッドはもったいぶった口調で、
「説明いります?」
もちろん、頷く一同。
そんな一同の反応にレッドはにんまりと口を三日月にして、誰もが「あ、こいつ悪いこと考えてやがる」と察した。
「じゃ、一つお願いしていいですか?」
今度は太陽のような笑顔で。
その視線はシロナに向いていた。
「私?」
「はい。シロナさんにお願い事があるんです」
レッドはころころと表情を変える。
一息ついて間を置いてから、今度は真面目な――負けず嫌いの闘志を燃やして、
「――俺に戦い方を教えてくれませんか?」
そう言った。
「レッドよ。シロナくんがポケモンリーグを控えた身であることを承知の上で言っておるのか?」
オーキド博士は咎めるように言う。
「もちろん。その上で、言ってます。シロナさんに不利益なことはさせません。俺の――俺だけが知っていることのいくつかをシロナさんにお教えします。だから俺に戦い方を教えてください」
きっぱりと言い返され、さすがのオーキド博士も逡巡しつつシロナに判断を任せるように、こちらを一瞥して頷いた。
「レッドくんにそれは必要なのかしら? よくわからないことだらけだったけど、レッドくんの知識量が多いことはわかったわ。それだけの知識を持っているのなら」
「そう――ですね。もしポケモンバトルが交互に技を出し合うだけの競技なら必要ありません。でも、そんなわけがない。ポケモンバトルにおいて、俺にあるのは技に対する知識と素質に関する知識の二つだけです。バトルを数値化した机上のものだけなんです。この二つにおいては誰にも負けない自信はありますが、他が全然ダメでした」
「だから戦い方を教えて欲しいというわけね」
「はい。ほんの二、三日くらいでいいんです」
シロナは腕を組んで長考に入る。
シロナとレッドはほんの少ししか時間を共有していないが、シロナはレッドの性格を大体理解できた。
まずドS。
そしてノリがいい。
ふざけたり悪巧みをするのが大好き。
だけどポケモンには真摯で、とても負けず嫌いだ。
きっとグリーンに負けたのが凄く悔しかったのだろう。
自分のことを全然ダメと人前で言うのは、彼自身のプライドを大きく傷付けることになったはずだ。
それでも――言った。
はっきりと。
ライバル視しているグリーンにすら曝け出して。
面白い、とシロナは思う。
そして自分の勘が告げていた。
きっとこの申し出は、シロナとレッドの両者にとって深い意味を持つことになる――と。
だから。
「引き受けましょう」
シロナは微笑んだ。
「良いのか、シロナくん!?」
オーキド博士が驚く。
「はい。私自身、彼の知識には凄く興味があります。お互い、足りないもの同士、きっとこの機会を逃せば後悔することになる――そんな予感がするんです」
「ありがとうございますっ」
パッと笑顔を咲かせ、頭を下げるレッドにシロナは笑う。
妙に大人びているくせに、ポケモンのことになると歳相応の子どものように目を輝かせる。
ポケモンが大好きという気持ちがしっかり伝わってくる。
同じ気持ちを共有できるのは、とても嬉しいことなのだ。
「私のほうこそ、よろしくお願いするわ」
二人は握手を交わした。
◇◆◇
そこはマサラタウンのはずれにある平原。
「それじゃあ、まずは私から始めましょうか」
きれいな足取りで前を歩くシロナがにこやかに微笑み、振り返る。
怜悧な美貌のふわりとした柔らかな仕草にドキンとしたのは事実だが、よくよく考えるとこの人って結構ズボラな人なんだよなー、と居た堪れない気持ちになった。
「お願いしまーす」
レッドはそんな思考を隠しながら軽く頭を下げる。そう、この気持ちは墓場まで持っていかねばならない。あの笑顔は命の危機を感じたのだ。咄嗟のセンテンス スプリングには感謝である。
「来て、ルカリオ」
“モンスターボール”に唇を落とし、シロナは揚々とボールを中空に投げる。
ポンとボールが開き、光のヴェールを弾くようにしてボールの中にいるポケモンが出現する。
はどうポケモン――ルカリオ。
“格闘”と“鋼”の二種類のタイプを兼ね備えた正義に厚いポケモンだ。
(かっこいいなあ。やっぱルカリオいいよなあ……)
ついつい羨望の視線を向けてしまう。
レッドの中で格闘タイプのポケモンは? と訊かれたら真っ先にルカリオの名前が飛び出るくらい、ルカリオのことを気に入っていた。
早くトレーナー資格を取得して自分だけのパーティーを作りたい。
「まずはバトルの基本からいきましょう」
こくりと頷き返す。
「ポケモンバトルはトレーナーとポケモンが一丸になって戦うもの。ポケモンは前に出て戦い、トレーナーは後ろから指示を出して戦いを展開していくのが仕事よ。トレーナーは言わば戦場の指揮官。後ろから視野広く戦場を見ることによってポケモンの攻防はもちろん地形を把握して臨機応変に対処する必要があるわ。自分のポケモンの調子はどうか、相手のポケモンの苦手にしているものはなにか、相手トレーナーは一体どんな戦術を展開するつもりなのか、そしてそれをどう壊して自分の戦術を展開するのか。トレーナー同士の読み合いはポケモン以上に刹那の攻防が求められるから常に思考をぐるぐる働かせるクセをつけないと、一瞬の思考停止であっという間に戦場を覆されることも珍しくないわ」
そう、ゲームのように一つの技を使用するごとに長考する余裕なんてない。早碁の如く相手の攻撃に素早く切り返す必要があるのだ。
だからゲームで培った長考ありきの術は役に立たない。
「一度覆されると、そこから巻き返すのは非常に難しいの。こっちは動揺するし、相手は当然勢いに乗って一気呵成に攻め立ててくる。だからバトルの最中に思考を止めるのは絶対にダメ、戦術が上手くハマったからといって中盤で喜んじゃダメ、最後まで油断なく確実な勝利が確定する瞬間まで気を抜くのは禁止。そして自分の戦術が絶対に上手く行くと妄信するのもダメ。自分の戦術が破られた場合の戦術、その戦術が更に破られた場合の戦術。たとえどんなトレーナーと戦うことになろうと、最低でも三つの保険はかけること。バッジを八つ集めてポケモンリーグへの出場権を獲得したトレーナーはみんな、これくらいのことは呼吸するようにできるわ」
この時代は技のプールが少なく、“つるぎのまい”や“りゅうのまい”など非常に効果的な補助技すら浸透していないし、タイプ一致による恩恵も知られていないし、手持ちのポケモンに役割を持たせ、役割に応じてポケモンを入れ替えたりもしない。
ゲームの常識とあまりに違うから、レッドは高いレベルと強い能力によるごり押しのバトルが主流だと勘違いしていた。
スポーツ選手は試合の最中に頭を使い、機転を利かせることにより、有利な試合運びをしているのだが、素人は合間合間にそんな高度なやり取りが交わされていることにすら気付かないものだ。
レッドはまさにソレだった。
タイプ不一致の技をメインにしたり、苦手のポケモンが出てこようと交代させずそのまま試合を続行させるものだから、てっきり高いレベルと強い能力のみが勝利を手にする派手なだけの殴り合いだと思っていた。
しかし、実際は違う。
彼らは彼らなりの戦術を持ち、苦手なポケモンが出現した場合も上手く立ち回ることが可能なようにしっかりと修行をつけていた。万能に仕上げていたのだ。
グリーンと戦い、レッドは見通しの甘さを痛感した。
「そしてポケモンの育成。これは、ただレベルを上げたらいいというものじゃないわ。もちろんレベルを上げるのも大切だけど、同時にポケモンバトルに適した肉体造りをしていく必要があるの。人間と同じように、筋肉をつけたいのならたんぱく質をたくさん摂取したり、身体を絞りたいのなら食事制限をしつつ適度な筋肉トレーニングと有酸素運動によるトレーニングを持続させたりね」
子ども同士のポケモンバトルはお遊びで。
ゲームのポケモンバトルはゲームで。
ポケモンマスターを目指す者たちのポケモンバトルはスポーツなのだ。
「肉体造りと並行して行うのがスタイルの固定化ね。これは実際、見た方が早いわ」
そう言ってシロナは提げているバッグからタブレットを取り出した。
「私のルカリオは二ヶ月前にリオルが進化したばかりなの。だから一流のトレーナーと互角以上に渡り合うにはもう少しスタイルを極めないといけないんだけど」
レッドにタブレットを渡した。
タブレットはルカリオが岩石に拳を打ち込んでいる動画が再生されていた。
「そのタブレットの動画は進化したばかりのルカリオが“はっけい”を打ち込んでいる姿よ」
ルカリオが岩石に拳を打ち込み、その衝撃破が波紋のように広がって岩石を粉々に破壊している。
「どう?」
「どう――って、凄いんじゃないんですか? 少ない動きでこれだけの威力を出せるのなら」
と、テンプレみたいな返しをしつつ、聞いてきたということは問題点があるんだろうなー、なんて思う。
しかし、肝心の問題点はわからなかった。
「一見そう見えるかも知れないわね。でも“はっけい”の真髄は相手に衝撃を送り込むこと――つまりは相手の防御を無視した破壊力の透徹なの」
動画を停止して、シロナはルカリオに指示を出す。
「ルカリオ、そこの岩石に今の貴方の“はっけい”を見せてあげて」
ルカリオは力強く頷き、最寄の岩石と向かい合い――その姿が一瞬だけぶれる。少なくともレッドにはそうとしか映らなかった。
二ヶ月前を記録した動画では視認できた技を――レッドは視認することができなかった。
余計な動きを徹底的に省き、省いた上で、更にどうすればよりコンパクトな動きで最大の威力を叩き出すことができるのか――それを追求した身体捌きだったのだ。
肝心の岩石に、破壊音が轟く。
しかし、拳を打ち付けただろう表面には一切のひびが入っていない。回り込んで岩石の裏を確認するが、そこにもひびは入っていなかった。
「うん。上出来ね」
岩石に歩み寄り、シロナは軽く手刀を振り下ろす。するとひび一つ入ってなかった岩石はまるで砂の城のように崩れ落ちてしまった。
「これが“はっけい”の真髄よ。打ち込んだ衝撃破エネルギーを操り、内側を攪拌させるの」
なにそのリアルな一撃必殺。ドン引きなんですけど。
「そんなに引かないで。確かに“はっけい”は弱い相手なら一撃で仕留められるけど、相手が拮抗した実力を持っていたら正確に穿つことができても耐え切る可能性は高いし、そもそもポケモンリーグに出場できる実力者なら“はっけい”を見抜いて打点をずらすことくらい朝飯前なのよ。だから“はっけい”は牽制用――強い一撃を打つための繋ぎとして使用するのが基本よ」
どうしよう。ポケモンマスターの道、超遠くね? 修羅に片足突っ込んでないかな、この人。
「だから引かないで。ルカリオのスタイルは常に相手に張り付いて圧力をかけていくインファイト。無駄のない素早い攻撃を積み重ねて、相手の隙が生まれた瞬間に“インファイト”で顎を打ち抜き、脳を揺らし、相手の体力の有無に関係なく、強制的に戦闘不能に追い込むスタイルよ。こうやって予め理想のスタイルを固定すると、どんな技を選出するのか、そしてどんな風に改良していくのか、自ずと答えは見えてくるはずよ」
シロナはバッグからミネラルウォーターの入ったペットボトルを取り出し、喉を潤す。
「絶対に知っておく必要のあるポケモンバトルの基本はこんな感じかしらね。まだまだ話し足りないけど、一度に説明してもちんぷんかんぷんになるでしょうから、実戦に移りましょう」
「いやいや、アンタのポケモンとうちのポケモン、どんだけレベル差があると思ってんですか」
さっきの“はっけい”を見た後で実戦に誘うとか、自分のポケモンを殺すつもりか、とレッドは半眼を向けた。
「大丈夫よ。ちゃんと手加減のできる賢い子なんだから」
“モンスターボール”を覗き込むと“ラティアス”と“ピカチュウ”も乗り気で、少し気後れしつつ距離を取る。
――いや、これじゃダメだ。
レッドはパンと両頬を叩いて気持ちを切り替える。
ポケモンたちがやる気なのに、肝心のトレーナーがやる気を見せないなんて、ポケモンたちに失礼だ。
「お願いします」
「よろしくお願いされました」
シロナは一度ルカリオを“モンスターボール”に戻して、レッドの一礼に同じ動作を返す。
そして、二人は同時に“モンスターボール”を投げるのだった。
◇◆◇
「それじゃあ今度は俺の番でーす」
「お願いしまーす」
「よろしくお願いされましたー」
と、今度はレッドがシロナに教鞭を取る。
既に夕日も西に沈み、夜の帳が降りている。あの後みっちり実戦を繰り返し、容赦ないダメ出しに心朽ち果てながら、しかし、きちんと己の養分にすることのできたレッドは身体の疲労を無視してリビングのソファに腰を降ろしている。
「まずは――俺も基本から話しましょうか。ポケモンの能力は体力、攻撃、防御、特殊、素早さ――五つの能力にわかれている」
コクリと頷いたシロナにくすりと笑い、
「――のは間違いです。厳密に言うとポケモンの能力はぜんぶで六つにわかれているんですよ」
「聞いたことないわ……」
まあ、時代的に今は初代以前だから仕方ないかな、と思う。
「注目してほしいのが、特殊です。シロナさんは特殊がどういうものか、ご存知ですか?」
「なんかレッドくんの話を聞いていると、常識が覆りそうで自信がないけど……」
それはレッドも数時間前に通った道だ。
「特殊はエスパーとかゴーストタイプの威力を示すんじゃないかしら」
「ふわふわしとる返答やがな」
「し、仕方ないでしょうっ。特殊については未だ謎が多いんだもの」
「じゃあその謎を解明しようじゃありませんか」
さっきまで師匠だった相手に、今度は師匠面をして得意げに語る。
大変に気分が良い。
「特殊というのは、特殊攻撃と特殊防御の二つにわかれているんですよ。一般的にこれらは特攻、特防と呼ばれています」
シロナの「どこの一般」と言いたげな視線は有意義に無視をして。
「この特攻と特防は、シロナさんの言う通り、エスパーやゴーストタイプの威力を示すのも事実ですが、この特攻には“かえんほうしゃ”や“れいとうビーム”とか、直接攻撃じゃない技もジャンルに入っているんですよ。ルカリオの“はどうだん”、トゲキッスの“エアスラッシュ”は、この特攻に属します。ポケモンの技には物理攻撃技と特殊攻撃技と変化技――この三つに分類されているんです」
――と、レッドは滔々と説明していく。
ゲームで得た知識の中で晒しても問題ない手札を可能な限り述べていく。
正直、どこまで話していいかわからないので慎重に喋っている。口に出す前に、必ず二度は情報を整理してオープンしていい手札だけを晒していく。
ときおりシロナが挙手をして、疑問を口にするとレッドが詳しく叙述する。これは教導の立場が逆のときにレッドもきちんと挙手をしてシロナに尋ねていた。やはり教本より生のトレーナーに教わる方がずっと効率的だった。
「――とまあ、こんな感じですかね」
大体の説明が終わり、ふう、と一息つく。口しか動かしていないが、晒すべき手札と、どう喋れば伝わりやすいか考えながら話していると、意外と気を遣い、疲れてしまった。
「やっぱいきなり組み込むのは難しい感じですか?」
シロナは少し難しい顔をしていた。
「そうね。レッドくんの知識と現代の戦術はシナジーがかみ合わないわ」
「ですよねー」
苦笑。
現代の戦術の起点は努力! 熱血! 気力! こんじょおおおおおお! の体育会系に端を発しているが、レッドの知識はデータを基にした文科系のソレだ。
正反対の二つをかみ合わせるには妥協、もしくは切り崩す必要がある。使用できそうなものだけを輸入する――とも言う。
「だけど凄く面白いと思うわ。かなり試行錯誤に時間を持っていかれると思うけど、この二つを上手く取り入れた新しい戦術を組み立てるのは、とても遣り甲斐のあるテーマよ」
私は既に調整に入っている状態だから、レッドくんの知識を用いた戦術構築はリーグが終わってからになるけどね、と続ける。
「じゃあ俺が第一人者になりますかね」
「そうね。その役目は知識の基となったレッドくんが担うべきだと思うわ。この二つを取り入れた新しい戦術は、きっと今のポケモンバトルに一石を投じることになるはずよ。今のポケモンバトルは良くも悪くも力押しの一辺倒になりがちだもの」
これは実はシロナたち―ーいわゆるエリートトレーナーに属するトレーナーたちの悩みとなっていたらしい。
今のポケモンバトルに不満があるわけじゃないが、似たり寄ったりな育成や戦術になりがちで、もっと、もっと、ポケモンの可能性を取り込んだ自分だけの戦術を作りたい――そう思いつつ現状を打破できない現実に歯がゆい思いをしているトレーナーは少なくないという。
「なんだったらシロナさんがこの知識を基に論文を書いて、タマムシ大学辺りに提出・発表してもいいですよ」
前世の記憶が目覚めた頃は知識の独占グフフフと笑っていたが、少しアンフェアな気がしたのだ。
「嫌よ。人の成果を横取りするさもしい趣味はないわ。これはレッドくんが発表するべき成果よ」
「八歳のガキの戯言を誰が聞くというのか」
「ポケモントレーナーになって結果を出せばいいのよ」
「四年も先ですよ?」
「そうね。でも四年あればレッドくんの知識を基にした新しい戦術も完成に近づいてると思うわ。子どもの言葉は聞かないかもしれないけど、結果を出したトレーナーの言葉なら老若男女関係なく興味を示すはずよ」
「これは……責任重大だなあ。面白いじゃないかッ!」
「本当にキミはテンションの変動がピーキーね」
グッと握り拳を作り、気炎を吐くレッドにシロナは苦笑した。
そのとき、くいくいとレッドの服を引っ張る小さな存在。
さっきまでの修行でへとへとになっていたラティアスがスケッチブックにカキカキとペンを走らせて、
『おなかすいたー』
隣にいるピカチュウも平静を装いながら少し辛そうだ。
「ん、もうこんな時間か」
話し始めて、もう数時間が経過していた。時計の針は九時を指している。
「今すぐ作るから、少し待っててくれ」
二人の頭を軽く撫でてからキッチンに向かう。
「シロナさんのポケモンは好き嫌いとかありますか?」
「ううん。みんな良い子よ」
ちなみにラティアスは辛いものと酸っぱいものが嫌いで、ピカチュウは好き嫌いがない。
「待って、レッドくん。お泊りさせてもらう立場ですもの。私も手伝うわ」
シロナは元々マサラタウンに滞在する予定はなかったので、宿を用意していなかった。だからここにいる期間は自分の家で生活するのはどうだ、とレッドが申し出たのだ。
「こっちが申し出た身ですから大丈夫ですよ」
「そういうわけにもいかないわ。ここは私のメンツを立てるつもりで」
なんてことを言うものだから、レッドはシロナをキッチンに招いたのだが、包丁を両手で握りしめ、天高く腕を振り上げようとするシロナの姿を目撃した瞬間、躊躇なくキッチンから追い出した。
やっぱこの人ダメナだわッ!
シロナ、ダメナ、クロナ、この人はあらゆる種族に対応できる人間版の6Vやでぇ。
いろいろ面倒くさく執筆したことに少し後悔。だけどこれだけ書いて全体的に修正する勇気がないのだ……! 次回からは数値とか無縁の、いつも通りのふわふわした物語に戻ります。戻します。頼んだぞ、ラティアス!
あんまり幼少期を続けてもグダるだけなので、このお話が終わったら、必殺コマンド「パッと移動する」で一気に物語を進めます。