我輩はレッドである。   作:黒雛

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第四話 「フラウとローザ ①」

 

 

 鬱蒼と生い茂る樹木が集まる、カントー地方最大の森林地帯――トキワの森。

 虫タイプのポケモンがたくさん生息するこの森は、虫タイプを好む少年たちの聖地として認識されているが、その反面、虫タイプのポケモンを苦手とする少女たちにとってはかなり辛い場所である。嬉々として森に突撃する少年と、嫌々虫よけスプレーをかける少女の対極した姿は、珍しくない。

 嫌なら行かなければいいだけの話だが、トキワの森はトキワシティとニビシティを繋ぐように広がっているため、空を飛ぶ手段を持たない人間はどうしてもトキワの森を通過しなければならない。

 少女たちは若干肩を落としながらトキワの森に向かうのだが、意外にもこの森を散策しようとするものは後を絶たなかったりする。

 生理的に受けつけないモノを認めて興奮する――なんて変態性のものではない。

 このトキワの森は虫タイプの聖地だが、ただ一匹、虫タイプと異なるポケモンが生息している。

 トキワの森を散策する少女たちは、その一匹を入手するために恐怖を押し殺しているのだ。

 

「いいいいやあああああーっ!!」

 

 ここにも一人、虫ポケモンに絶叫する哀れな少女がいた。

 こめかみの高さにツインテールにしたエメラルドグリーンの髪はとても長く、解けば太ももか足首にかかるくらいに伸びている。髪と同色の瞳は丸々と見開いて目尻には涙を浮かべている。恐怖に引きつった顔は樹木の幹を動いているキャタピーに向けられていた。

 少女の名は、フラウ。姓はジュンサーといい、彼女の親戚の大半が警察官の職に就いている――いわゆるエリート家系というものだ。彼女も親戚と同じく、立派な警察官になることを目指しており、十二歳を迎えた今年、人生経験のためパートナーにガーディを貰い旅に出たのだが、早速のところで躓いていた。

 

「無理無理無理無理、絶対無理~ッ!」

 

 全力で首を左右に振り、キャタピーから距離を取る。勢いよく背後の樹木に背中からぶつかると、頭上の枝に潜んでいたイトマルが「こんにちわー」と言わんばかりに糸を垂らして降ってくる。

 

「ぎゃああああああああああーーっ!!?」

 

 フラウは乙女を投げ捨てるような絶叫を上げた。

 すっかり腰を抜かしたフラウはスカートが汚れるのを気にする余裕もなく、ずりずりと後ずさる。そばにいるガーディが頼りない主の姿にやれやれとかぶりを振っていた。

 

「も~、フラウちゃんうるさい~」

 

 そんなフラウの近くにいた少女が迷惑そうに眉根を寄せて耳を塞いでいた。

 こちらの少女は虫ポケモンに対して珍しく偏見を持っていないらしく「ごめんね~、フラウちゃんってば、普段はプライドが高いのに泣き虫でヘタレな子だから~」と幼馴染のフラウをディスりながら虫ポケモンを優しく追い払っている。

 少女の名は、ローザ。フラウがジュンサーの家系なら、ローザはジョーイの家系に生まれた少女であり、ジョーイ特有の――後ろ髪を大きな二つの輪っかにしているのが特徴的だ。彼女もフラウと同じ理由から一緒に旅をしており、最初に貰ったポケモンはプリンである。

 

「もうこんな場所に居続けるなんて我慢の限界よ! 早くニビシティに戻りましょう!」

「え~、でもー、まだピカチュウを捕まえていないんだよ?」

「これ以上森の中にいたら気がおかしくなりそうなの!」

「そんなに虫ポケモンが嫌いなの~?」

「嫌いよぉっ。だって、うねうねしてカサカサして……あ、あぁぁあああ、想像しただけで嫌ぁあああああっ!」

 

 フラウは全身に鳥肌を立て、青緑色の長髪を振り乱した。

 

「じゃあ~、フラウちゃんだけ先に帰っていいよ~? 元々、あたし一人で来る予定だったんだし~」

「傷つくこと言わないでよ! 先に帰っていいって、地味に心に刺さるのよ!」

 

 そうなんだ~、と間延びした返事をして「でも~」と続ける。

 

「あたしはピカチュウを捕まえるまでトキワの森から帰るつもりはないよ~?」

「うぐっ」

 

 フラウに、虫ポケモンがたくさん生息するトキワの森を一人で移動する度胸はない。虫ポケモンに対して圧倒的に強いガーディを手持ちにしておきながら、フラウはひたすら虫ポケモンから逃げ回っていた。視界に入れることすら嫌なのに、どうしてバトルができるものか。

 ローザは極めて天然な少女だが、一度決めたことは絶対に諦めない頑固な一面があり、それでいて自由奔放とかなり手がつけられず、フラウはいつも振り回されている。

 結局のところ、フラウに選択権などないのだ。

 

「うう、どうしてこんなことに……」

 

 フラウは泣く泣く起き上がり、悄然と肩を落とした。

 ニビシティを出発地点に、当初フラウはオツキミ山を経由してハナダシティを目指すつもりだったが、ローザの「あたし~、ピカチュウがほしいんだ~」という発言により急遽路線変更をして現在に至る。別に一緒に行動するように――とは言われていないので、一人でオツキミ山を目指すなり、ニビシティで待機するなりしても良かったのだが、独りぼっちが心細いフラウは自ら茨の道に歩を進めたのだ。

 

「フラウちゃん、歩きにくいよぉ~」

「お願いだから我慢してー……」

 

 まるで引っつき虫のようにフラウがローザの背にぴったりついているのだから、ローザが少しうんざりしたような声音になるのは仕方ないだろう。

 

「まだピカチュウは見つからないの? このままじゃ日が暮れちゃうわよぉ……」

「そうだね~。このままだと野宿になるかもしれないね~」

「のじゅ、く……? こ、こんな場所で野宿なんて正気の沙汰じゃないわ」

 

 フラウは整った顔を更に青白くさせて打ち震えた。

 

「ねえ、今日はもう帰りましょう。また明日にしましょう? ね?」

 

 くいくいとローザの袖を引っ張るが、ローザは露ほども動じずに、

 

「野宿って初めてだよね~。楽しみだな~」

「聞いてよぉ!」

「だから~、怖いのならフラウちゃんは先に帰ってもいいんだよ~?」

「それができたら苦労しないもん!」

「おお~、フラウちゃんの、もん! って言葉遣いは、初めて聞いた~」

 

 基本的に自由人なローザには、何を言おうと暖簾に腕押しである。

 そのときである。フラウの隣を歩いているガーディの足がピタリと止まった。

 

「ど、どうしたのよ、ガーディ」

 

 フラウがおそるおそる尋ねると、ガーディは耳を澄ますようにピンと立てた。

 

「何か聞こえるのかな~? あたしは何にも聞こえないよ~?」

「当たり前よ。ガーディの聴覚は人間の十倍以上あるんだもの」

「鼓膜が大変そうだね~」

「わかってると思うけど、変なことをしないでよ?」

「変なこと~?」

「ガーディの耳元で叫んだり」

「もう、そんなことしないもん。フラウちゃんの意地悪~」

 

 ローザは不満ありと頬をぷくりと膨らませた。

 ジッと様子を窺っていたガーディがフラウとローザに振り向いて鳴き声を上げる。二人の視線を集めてからガーディは別方向に歩を進めた。

 

「もしかしてピカチュウを見つけたのかな~っ」

 

 先頭を歩くガーディの行動に、ローザがキラキラと目を輝かせて期待を寄せた。

 

「早く行きましょう! 早くピカチュウを見つけてダッシュで帰るわよ!」

「え~? そんな面倒くさいことしたくないよ~。えーと、“モンスターボール”は…………あれー?」

 

 肩に掛けていたバッグを漁っていたローザが不意に小首をちょこんと傾げた。

 

「……どうしたの?」

「どうしよう、フラウちゃん~。“モンスターボール”忘れてきちゃった~」

 

 ガビンとショックを受けたローザはあたふたを泣き言をこぼした。

 

「何してんのよ、このおバカ」

「ううう、だってぇ~……」

「……はあ、私の“モンスターボール”をあげるわよ」

「いいの!?」

「いいわよ。……その、と、友だちなんだから」

 

 そう言ってそっぽを向いたフラウの耳は赤く染まっていた。

 

(それに、そうしないと明日もまたここに来るとか言い出しかねないのよ!!)

 

 どうやら照れ隠しの中にはそうした背景も含まれていたらしい。また明日も今日のような地獄を味わうのなら、“モンスターボール”の一個や二個くらい安いものなのだろう。

 

「ありがとう~、フラウちゃん~」

「ちょ、ちょっと……くすぐったいわよっ」

 

 喜びを露に抱きついてくるローザにそう言い返しつつ、しかし、フラウは小さな苦笑を浮かべていた。

 

「はい、“モンスターボール”。落とさないでよ」

「うんっ」

 

 そうして二人と二匹は再び歩を進める。狭い獣道を抜けると、少し大きな広場に出た。

 ポケモンバトルに適した――ちょうど良い広さだ。事実、ここでポケモンバトルが頻繁に発生しているのを証明するように周囲の樹木には無数の傷が入っていた。

 

「なんか焦げ臭いね~」

「さっきまでポケモンバトルをしていた人がいたんでしょう。ちゃんと消火しているわよ……ね………………」

 

 流暢な言葉に、突如として淀みが生じた。キョロキョロと見渡していた視線がある一点に釘付けになり、その瞳は驚愕にまん丸となっていた。

 端整な顔の間抜けな姿は中々にインパクトがあるが、そんな隙だらけの表情を晒すフラウを、一体誰が責めることができようか。

 

 

 

「ぎゃああああああ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい! ごーめーんーなーさぁあああああいっ!!」

「あーっはっはっはっはっは! ごめん、高笑いで何を言ってるのかわからなかったーッ!」

 

 全身がテラッテラの蜂蜜色に輝いている、十代後半くらいの青年が、背の高い樹木の高い位置に縛り付けられていた。おそらく蜂蜜を塗りたくっているのだろう。甘い香りに誘われて、たくさんの虫ポケモンが樹木をよじ登ろうとしている。

 この時点でフラウは白目を剥いて気絶しそうになっていた。

 そして青年より少し距離を置いた場所で、赤帽子の少年がケタケタと笑っている。隣にいる白髪の美少女は口に含んだ大きな飴玉をコロコロと左右の頬に転がして味を堪能しており、そもそも興味すら示していない。

 

「まったく、初心者狩りなんてマジでロクでもないことをしやがって。わかる? おたく、これで三人目よ? なんでまともなトレーナーには出会わないのに、こうも初心者狩りに出会っちまうんだろうね。あれか? まともな人格者は登場しないとかいう縛りでもあるのか? さすがにマサラを代表する聖人君子のレッドくんも激おこスティックならぬ激うざスティックに突入するわ。……あ、ビードルだ。おいでおいで、そこに蜂蜜塗りたくって縛り付けられて喜んでいるクソドMがいるから、蜂蜜を分けてもらいなさい。“どくけし”もあるから、最悪、刺しても構わん」

「本当に悪かった! 出来心だったんだ! もう二度とこんな真似はしないから命だけは助けてくれー!」

「――わかった」

「ホ、ホントか!?」

「ああ。そこまで俺も鬼じゃないよ。命を取ったりなんてしないさ――――百分の九十九殺しならオッケーってことですね、わかります」

「そこまで鬼なんですけど!? だ、誰か助けてくれー!」

「叫んだところで誰も助けに来やしねーよ。このトキワの森がどれくらい広いと思ってんだ。せいぜい己の愚かさを後悔しながら土に還るといい」

「結局殺す気満々じゃね!?」

「ヘイッ、ビードルくんのちょっといいとこ見てみたい! ……毒針の効力とか」

「見たくなーいっ!」

「わがままな。じゃあスピアーさん呼んでくるわ」

「スピアーさんもやめてくれー!」

 

 樹木に縛り付けられている青年が涙ながらに叫んでいるが、赤帽子の少年は愉快げに笑いながら柳に風と受け流している。

 

「いいなあ、やっぱり。こういうアホな連中が苦しんでいる光景を見るのは」

 

 凄まじいレベルで良識を彼方へと放り投げている少年である。

 関わりたくないなぁ、とフラウは極力視界から虫ポケモンを外して、赤帽子の少年を注視する。赤帽子の下から覗く黒髪と、魔性の色を含んだ真紅の双眸。顔立ちはかなり良い方だ。もちろん、先のやり取りのせいで少しも心がときめくことはなかったが。

 できるならこの光景を見なかったことにして、さっさと踵を返したいのが本音だ。極力視界から外しているとはいえ、大量の虫ポケモンが目の届く場所にいるのは間違いないし、フラウの本能が「あの少年と関わり合いになったら確実に自分が割りを食うはめになる」と警報を鳴らしていた。フラウはローザ一人を相手するのに精一杯だ。

 しかしフラウは、代々偉大な警察官を輩出する由緒正しいジュンサーの家系に生を受けた人間だ。そこについて不満はないし、どうやら血筋そのものに篤い正義感が宿っているらしく、フラウの将来の夢は、立派な警察官になることだ。

 今はただ警察官の家系に生まれただけの小娘に過ぎないが、目の前の理不尽を放置することはできない。

 篤い正義感と関わり合いになりたくないなぁ、という思いを秤にかけた結果、どちらに天秤が傾くか――問うことも浅はかである。

 

「フラウちゃん?」

「ローザ、少し下がってなさい」

 

 フラウはその瞳に決意を宿し、豁然とした声音で言い放つ。

 そして広間の中腹まで歩み寄り、大きく息を吸い込んで、赤帽子の少年に告げた。

 

 

 

 

「――そこまでにょ!!」

 

 

 

 噛みまちた。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 さて、これはどういう状況だろうか。

 レッドはこちらにビシっと指を差したまま硬直しているツインテールの少女を見遣り、冷静に状況を解読していく。

 ことの原因は樹木に縛り付けられている男にあった。この男はレッドがポケモントレーナーになったばかりの少年だと見抜くや否や、半ば強引にバトルを仕掛けてきたのだ。

 ニヤニヤしながら上から目線に話しかけてくる姿が非常にウザく、レッドは再びラティアスに蹂躙してもらった。いい加減にヒトカゲの戦闘経験を積ませたいのだが、こういう手合いには一切の容赦なく自信もプライドも根こそぎへし折ることにしている。

 びっくりするほど瞬殺された男は「プークスクス。負けてやんの。だせー。何さっきの上から目線、恥ずかしくないの? 俺だったら恥ずかしくてその場で喉笛かっ切るわー。ないわー。マジないわー。生きてて辛くないの? どうしてまだ生きてるの? べーろべろべろ、ぶわあっ! あー、楽しい! 負け犬を見下すの気持ち良いー!」と盛大な嘲りを受け、それはもうぷっちんぷりんと堪忍袋の緒が切れてレッドにダイレクトアタックをしようとしたのだが、まあ、そこのところをレッドが予想しないわけがなく、ラティアスの“サイコキネシス”で樹木に縛り付けたのだ。

 そして「あ、今もしかして俺に暴力振ろうとした? 嫌だわ、最近の若者ってホント怖い。ゆとりの弊害だわっ。これはもう痛い目を見て反省してもらうしかないわね!」と白々しいことを言いながら男に蜂蜜を塗りたくり、虫ポケモンが集まるように仕向けたのだ。

 子どもの頃は虫が大丈夫だったのに、青年になるといつの間にか虫が苦手になっていたというケースは珍しくない。青年はまさにその典型に類していた。

 青褪めた顔で恐怖に震える青年の姿は実に爽快だった。悪の苦しむ姿のなんと愉快なことか。我輩、超正義の味方。ケタケタと腹を抱えて笑わせもらった。やっぱりざまぁ展開は最高である。大好物です。

 仕上げに入ろうとしたところで、件のツインテールの少女が割り込んできたのだ。

 

 ――そこまでにょ! と。

 

 思考するまでもなく噛んでしまったことがわかる。少女は、それはもう鮮度の高いリンゴのような顔になっている。後ろに控えていた少女が「フラウちゃんって、肝心なときにやらかすよね~。ほらあのときも、あのときも~」と次々とフラウと呼んだ少女の黒歴史を暴露している。何の罰ゲームだろうか、あれは。しかも間延びした声とのんびりした表情には悪意などどこにもなくて、無邪気にフラウの心にナイフを突き立てているのがわかる。

 瞳はすっかりと潤み、顔を真っ赤に染め上げて、生まれたての小鹿のようにプルプルと打ち震えている。

 良識を持った人間なら「もうやめたげてよぉっ!」と叫んでいるに違いない。

 残念! ここに良識人はいなかった!

 

「どうしたんですにょ? 俺に何か用事でもあるんですにょ? ほら、言ってみにょ?」

 

 レッドはニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべながら、嬉々として追撃に入るのだった。

 ――マジクソである。

 

 

 

 

 

 




 
 正直オリキャラをぶっ込むのはどうかなーと最後の最後まで悩んでいたのですが、よーく考えたら、そもそも赤と緑と青がキャラ崩壊を起こして完全にオリキャラになっているので、大丈夫か、と開き直りました。しかし、この二人はニビシティ編のお話に加わる程度で、旅のお供にはなりません。

 あくまでメインは赤、緑、青の犯罪者予備軍たちです。


 ローザの髪型はXYのジョーイさんかな? あの髪が一番好きなんだ。

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