我輩はレッドである。   作:黒雛

34 / 46
第十五話「水上レース ②」

 しゃり……しゃり…………。

 

 そこはトレーナーズホテルの最上階。一人前のポケモントレーナーを目指す者が使用するホテルの最高峰である。従業員のトレーナー相手に連勝を重ねた者だけが滞在できる至高の一室は、しかし、現在暗闇に包まれている。

 

 しゃり……しゃり…………。

 

 闇。

 そう――まさに闇である。

 豪華な照明は一切ついておらず、見事な夜景が見渡せる窓も高級なカーテンによって遮断されており、光の介入を完全に断っている。防音機能が設えられていることもあり、闇の世界は静寂に満ちていた。

 

 しゃり……しゃり…………。

 

 そんな静寂な暗闇にときおり響いている、金属の擦れ合う音。

 しゃり……しゃり…………と、ひたすらに金属が音を奏でている。

 

 しゃり……しゃり…………。

 しゃり……しゃり…………。

 

 不気味な音だった。

 何度も聞いていると、本能が拒絶したくなる。

 心音が跳ね上がり、恐怖の音色が強くなる。

 

『ぁぅぁぅぁぅ……』

 

 少女は一生懸命に耳を塞いで音を遮断しようとする。

 しかし、

 

 しゃり……しゃり…………。

 しゃり……しゃり…………。

 

 なぜか塞いだはずの耳に、その音は容赦なく侵入してくる。

 少女は金色の大きな瞳に涙を浮かべて、ガクガクと震える。部屋の中の異様な空気が少女の恐怖を更に煽っていた。

 逃げ出したいと、少女は心から願った。

 しかし、身体は言うことを聞かず、震えるだけである。

 そもそもどこに逃げようというのか。少女の帰る場所はここなのに。

 一応少女には他に頼りがあるのだが、その少女達は(というかその一人が)そもそもの元凶であるために論外である。

 結局のところ少女の居場所はこの部屋の中に完結しており、ここで一夜を明かすしかないのだ。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 少女はとても泣きたくなった。

 少女にとってこの時間は一日で一番大好きな時間だった。少なくとも、昨日まではずっとずっと大好きだった。

 大好きな主にギュッと抱きしめてもらって、頭をなでなでしてもらいながら心地良い眠りにつくことのなんと幸せなことか。大好きな主の視線と感情と行為が自分だけに向いている瞬間は、少女に深い幸福感を抱かせた。

 だけど、

 

 しゃり……しゃり…………。

 しゃり……しゃり…………。

 

『ぴぃっ』

 

 未だ聞こえる恐怖の音に、少女は心当たりがあった。

 自宅の――キッチン。

 そうだ、これは包丁を研ぐ音だ。

 

 しゃり……しゃり…………。

 しゃり……しゃり…………。

 

 どうしてホテルの一室からこんな音が聞こえるのだろう。

 少女は意を決して布団から顔を出した。

 真っ暗な空間。

 しかし、少女の目は暗闇だろうとよく見える。

 ソレは――部屋の片隅にいた。

 少女に背を向け、壁と向き合いながらひたすら包丁を研いでいる。

 しゃり……しゃり…………と。

 ゆったり――そこに己の感情を注ぎ込むかのように、丹念に研いでいる。

 

 しゃり……しゃり…………。

 しゃり……しゃり…………。

 しゃり……しゃり…………。

 しゃり……しゃり…………。

 

 そして、研いでいる者は出し抜けに暗い喜悦を滲ませた笑いを零す。

 

「フ――フヒ……クヒヒ……ッ」

 

 不意に少女は主の借りてきたホラー映画を思い出した。

 その映画に登場するお婆さんの姿をしたお化けは、主人公の青年が眠っている隣の部屋で包丁を研いでいるのだ。しゃり……しゃり……と丁寧に、丹念に。青年を刻んで食べるためである。

 今の少女の状況は、そのときのシーンと酷似していて、もうどうしたらいいのかわからなくなった。

 包丁を研いでいる者は、一旦研磨を止めて横に用意している水桶に包丁を浸けて洗い流すと、それを翳してまた不気味に笑う。

 そして――こう呟くのだ。

 

「これなら……やれる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――というかレッドである。

 普通にレッドである。 

 昼の一件、ブルーの露骨な挑発によって闇堕ちならぬ闇漬けになったレッドは明らかに正気を失っていた。キチィのくせに人一倍プライドが高く負けず嫌いな気質だから、あの清々しさすら感じさせる挑発に怒りが天元突破していた。怒りと憎悪が捻って交わる螺旋道。アンチアルセウスさんの裁き待ったなし。人間は愚かである。まあ、仕方ない。この男の属性は闇というか――ドブである。闇だってもう少し澄んだ色をしているはずだ。

 レッドの振り撒く真っ黒なオーラに怯える少女――ラティアスは最終手段として一つの“モンスターボール”を握る。ラティアス、ヒトカゲ、ルカリオの面々が恐怖している中、唯一呆れて半眼を向けている頼れる兄貴、ピカチュウ出陣。

 

『なんとかしてーっ』

 

 というラティアスの救援にやれやれと吐息をついて、ピカチュウは鉄をも叩き潰す強靭な尻尾でレッドの後頭部を殴りつけた。

 

 

 

 

 

 ――――ズゴシャァァアアアアアアンッ!!!

 

 

 

 

 柘榴パカァ。

 

 

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 

 

「俺じゃなかったらマジで死んでいたと思うんだ……?」

 

 翌日、起床直後にそんな言葉を吐いたレッドは首を傾げる。

 自分は一体何のことを言っているのだろうと記憶を探るが、どうも情報が見当たらない。レッドの最新の記憶は小躍りしながら去っていくブルーを最後にプッツリと途絶えている。

 

「それから、どうしたんだっけ……。とてつもなく尊いことをしようとしていたような気がするんだが……魔王を倒す勇者的な? ほら、俺って人間性が勇者の塊だろ。属性でいうなら光以外の何物でもないし。慈愛と優しさの化身だし。アルセウスだって俺を尊敬してるに違いないくらいだし。むしろ俺が神だし」

『思い出すの、めっ!』

 

 ラティアスが必死にしがみついてくる。

 

「うおっ、どうしたラティ」

 

 レッドは目を丸くしてラティアスを見下ろす。

 

『思い出すの、めっなの!』

「そう言われると逆に気になるんだが」

『めーっ!』

 

 まるで怖いことがあったかのように必死の形相で縋ってくるラティアスに少し気圧されながら、なんやかんやでラティアスに弱いレッドは仕方なくラティアスの望み通り思考を打ち切り、ホテルを後にする。

 向かう先はトレーナーズホテルの隣にあるポケモンセンター。

 

 

 

 

 

「久しぶりです、シロナさん」

《ええ、画面越しとはいえ、こうして顔を合わせるのは随分と久々ね。調子はどう?》

 

 ポケモンセンターに設えられているパソコンの画面にはシンオウ地方のチャンピオンに君臨しているシロナの姿が映っていた。初めて出会った頃は綺麗ながらも可愛らしい顔立ちをしていたが、今では美しいという言葉が相応しいだろう。数年に渡り頂点に君臨し続ける女帝は凛々しく、そして貫禄がある。

 

「問題ないですよ。ちょっとやそっとで崩れるような軟弱な精神はしてませんから」

『昨日の夜のマスターは……』

「どうした、ラティ? 昨日の夜……」

『なんでもないのーっ!』

 

 いきなり必死に抱きついてくるラティアスにレッドは疑問符を浮かべる。

 シロナはくすくすと笑って、

 

《貴方もそうだけど、グリーンくんもブルーちゃんも図太い神経をしているわよね。杞憂だったわ》

「俺をあいつらと同列に語るのはやめてほしいんですがねぇ。俺とあいつらの間には越えられない壁ってやつがあるんですよ。人間性然り、ポケモントレーナーの腕然り。あ、もちろん俺が上です。原点にして頂点ですから」

《世の中って不思議よね。貶し合いで成立する友情もあるんだから。奇特なコミュニケーションだわ》

 

 コクコクとラティアスが頷いている。

 

《というか、お互い素直になれないってのが本音かしらね?》

「ちょ、やめてくれません? そんなん違いますから。とりあえず青はブチ殺しますから」

《そんなこと言いながらマサラタウンではいつも三人一緒だったじゃない》

「だから違いますから。利害が一致していただけですから」

《そう?》

「そーです」

《そう。でも、なんやかんや言いながら貴方達三人は一緒に行動しているときが一番活き活きしていたわよ?》

「ぐぬぅ……」

 

 意地っ張り少年VS大人の女性。

 勝者、大人の女性。

 チャンピオンに考古学者、その二足の草鞋を履いて社会の荒波に揉まれているシロナにレッドが勝てる道理はなかった。

 

《貴方達が一緒にいるときは、まさに『無敵』って言葉が相応しかったのだけど、そんな貴方達が別々に旅をしているのに感慨深いものを感じるわね》

「おばさんみたいなこと言ってんな、この人」

《――私はまだ十代よ》

 

 ニッコリとシロナが笑う。

 レッドはこほんと咳払いをして、

 

「それで本題なんですが」

《ええ、わかってるわ。水上レースに参加するためにミロカロスを貸してほしいのよね?》

「はい」

 

 ミロカロス。

 コイキングに並ぶみすぼらしいポケモン、ヒンバスが進化して大輪の薔薇となった美しいポケモン。

 ガブリアスと並んでシロナの看板となっているミロカロスは、そのあまりの美しさによってあらゆる人々を魅了し、今でもその入手経路、もしくは進化経路を問う者は後を絶たないらしい。しかし、それらに対してシロナはひたすら微笑の沈黙を貫いている。かつてメディアによってヒンバスを中傷されたことを未だ根に持っているのだ。そもそもシロナはヒンバスがミロカロスに進化することを知っているが、その条件は知らないのだが。

 ミロカロスの進化条件を知っているのはレッドと神様仏様ナナミ様の二人だけ。

 

《“そらをとぶ”もそうだけど、“なみのり”も初めてだと結構辛いわよ。大丈夫?》

「まあ、そこんとこは練習次第ですね」

 

 “そらをとぶ”や“なみのり”という技は、ポケモンが人を乗せて移動するための技術を修得するものであり、この技を覚えていないポケモンに乗ると、ポケモンはバランスを上手く取れず、転落してしまう可能性がある。“なみのり”ならまだしも“そらをとぶ”の失敗は“てんごくへとぶ(主にトレーナーが)”に派生するだろう。

 しかし、例えポケモン側がそれらを修得したからといって安全を確信するのは早計というもの。

 ポケモンがバランスを取ろうと、人間がバランスを崩したら“てんごくへとぶ”待ったなし。乗り手にも技術が必要であり、都会にはそうした技術を修得するための教習所もあるくらいだ。

 

《残念だわ。私も用事がなければ応援しに行ったんだけど》

「いや、そんな大層なモンじゃないでしょう。けど大変ですね、チャンピオンと考古学者の両立は」 

《そうね。でも、やり甲斐はあるわ。自分で望んだやりたいことだもの》

 

 レッドは彼女の研究のテーマであるポケモン神話について、その核心と言えるディアルガ、パルキア、ギゴガゴーゴー、アルセウスなどを知っているが、その設定については完全の忘却の彼方である。

 

『はじめに あったのは なみへいの うねり だけだった』

 

 いや、あのうねりは初めというか最後の防波堤だけれども。

 パソコンと隣接している転送装置が機動して、“モンスターボール”が出現する。手に取って覗き込むと、中にはミロカロスの姿があった。

 

「届きました」

 

 目が合う。するとミロカロスは嬉しそうな仕草を見せる。

 ミロカロスにとってレッドは大恩のある相手。もしもレッドと巡り合うことがなければミロカロスは今もヒンバスとして絶望の淵にいただろう。みすぼらしかった自らに、進化という光を齎し、最愛の主人と胸を張って肩を並べられる輝きをくれたレッドが、今度は自分の力を借りたいと言っている。

 ミロカロスにとってこんなに嬉しいことはないだろう。

 

《それじゃあミロカロス、レッドくんをお願いね。……くれぐれもラティのように染まらないように》

「どういう意味だ」

『まきこまれたーっ!』

 

 罪状、“アシストパワー”。

 日頃の行いである。

 

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 そして訪れた大会の日。

 参加者の集まる広場に行くと、百以上の人数にレッドは目を丸くする。 

 

「こりゃ凄い数だな。もしかして全員参加者か?」

 

 背中に貼り付けているゼッケンを見る限り、そうなのだろう。参加者の大抵が十代後半から上であり、レッドのような子供の姿は中々見つからず、故にチラチラとこちらに視線を向ける者が何人かいた。

 

『マスター、勝てる?』

 

 ラティアスがややこちらを気遣うような目を向けてきたので、レッドは苦笑してその頭を撫でる。

 

「問題ねーよ。しっかり“なみのり”の練習もしたんだ。ばっちりと優勝を決めてやる」

『んっ』

 

 目を閉じるラティアスを“モンスターボール”に戻す。幼女が“モンスターボール”に吸い込まれていく光景を目にした他の参加者はギョッと目を見開くが、レッドはそれらを無視して大会のレース内容を再確認する。

 水上レースは予選と本選の二つに分かれており、予選はA~Fブロックに選手が振り分けられ、その上位二名のみが本選への切符を手にすることができる。

 また、予選は“なみのり”以外の技を使用することは禁止。そして本選は順位によって運営が指定した技のみ使用可能となっている。

 

「予選は普通のレース。本選はアレか。マリカーみたいなもんだな」

 

 上位は低火力の技しか使用できず、下位は高火力の技を使用できる。但し使いたい放題というわけではなく、コーナーを曲がる毎に使用回数が一回ずつ増えていき、最大三回までストックを貯められる。

 

「その辺の駆け引きも重要ってことか。惜しむらくはトレーナーへのダイレクトアタックが禁止されているってことだな。チッ、レースにかこつけて青を海に沈めてやろうと思ったのに、命拾いしやがって」

 

 今更ながらこのキチガイが主人公でいいのだろうか。周りのトレーナーもドン引きである。

 しばらく待っていると、受付時間が終了し、やがてAブロックの選手達が各々ポケモンを出してその背に乗っていく。その中にブルーの姿があった。マリルリに乗り、人混みの中からレッドを一瞬で見つけ出すとプギャーという顔で指差して嗤ってくる。

 

「沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め沈め」

 

 かつて、これほどまでに器の小さな主人公がいたであろうか。果たしてどの層に人気があるのか極めて疑問である。

 

「こら、君。そんなことを言うのは不謹慎だぞ」

 

 と、そんなレッドの行為を咎める声。

 この小説において常識的な発言の、なんて非常識なことか。あまりにも非常識すぎてレッドは一瞬ぽかんとなって顔を上げる。そこには海パンを履き、水泳キャップと水中ゴーグルを掛けた青年が立っていた。

 ――海でその装備かぁ……、とレッドは少し引いた。

 しかし、これこそが『かいパンやろう』のスタンダード・フォームである。わかっていたが、改めて目にすると『これでドククラゲがうようよしてる海を泳いでんだよなァ……』と正気を疑う視線になってしまう。マサラも大概だが、こやつらも大概である。

 

「皆、今日の大会の為に一生懸命トレーニングを積んだんだ。そんな人達に向かって『沈め』とは、少し酷いとは思わないか?」

「大丈夫。あの小娘にしか言ってないから」

「そういうことじゃないんだよっ。そもそもその言葉が間違っているんだ」

 

 真っ当な意見。

 しかし、なんだろうこの違和感は。

 レッドは面倒臭くなってひらひらと手を振りながら、

 

「あー、はいはい、わかりました。以後気をつけます」

「君ねぇ……」

 

 と、頭を悩ませるかいパンやろうを横目で見遣り、仕方ないからレッドは違う言葉を、祈るようにして紡いだ。

 

 

 

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね」

 

 

 レッドの しねしねこうせん!

 

 

「悪化してるじゃないか!」

 

 

 レッドは せっきょうを うけた!

 こうかがないみたいだ……。

 

 

 

 

 

 

 




 












 半年に一回くらいハーメルンスレに潜るんだけど、色々と参考になるや同じ意見の言葉があって中々に面白いですよね。たまにえげつないコークスクリューが入って自爆するけど。
 HACHIMANがピクシブ百科事典にまで載ってるとかどんだけ人気なんですか。専業主婦が夢と言ってるのにエミヤさんの如く働かされすぎでしょう。

 十年前――とまではいかないかな? 個人サイトの小説やにじファンが主流だった時代が懐かしくなってランキングサイトに飛んだら軒並み消失していた。自分のサイト(黒歴史)も弾け飛んでいたのは安心したけど、あの頃に二次小説にハマって、また書き始めた自分としては少し寂しい気持ちになりました。

 あの頃は台本小説が主で擬音もたくさんあって今ハーメルンに投稿しようものなら凄まじい勢いで低評価がつくのでしょうが、普通に楽しんでいたなぁ。

 ISやらソードアート・オンラインやらダンまちやらハイスクールD×Dとかもなくって、SHUFFLE!とD.C.となのは、たまにクラナドを筆頭にしたギャルゲ作品のクロスオーバー作品が大多数。いや、本当懐かしい。その頃は転生設定も殆どなかったなぁ。その分、オリキャラの設定がぶっ飛んでるんだけどね!

 誰かもう一度今のクオリティでギャルゲ+なのはのクロスオーバーとか書かないかなぁ。
 そして禁断の技――『オリキャラ投稿掲示板』。
 アレ眺めるの好きだったんですよねぇ。十代前半で管理局元帥とかある意味神様転生よりすげーよ。

 あの頃から今日までに未だ執筆してる人ってまだいるのかな? というかハメの読者層にSHUFFULEとか知らない人は普通にいますよねぇ。単行本おススメですよ! アニメは……うん。

 関係ないお話をして申し訳ないです。後書きやら前書きにこういうのを嫌う人もいるから、プロローグの注意事項に追加しておこう(そもそも神様転生物のプロローグは飛ばす自分。神様とオリ主の会話はお腹一杯)。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。