我輩はレッドである。 作:黒雛
視界が爆ぜた。
突然の事態にフラウは絶句して行動不能に陥った。別に怪我をしたとかそういうわけではなく、単純に思考が停止した。いきなり一条の閃光が迸ったかと思ったら、その閃光は確かなエネルギーを保有していて観客席を、フィールドを、そしてロケット団を薙ぎ払ったのだ。
レッドとブルーの凄まじいバトルに思わず魅入っていたらロケット団がぞろぞろと大群で現れて。続いてこの惨劇だ。混乱しない方がおかしいとフラウは若輩ながらに思う。
モクモクと土煙が上がっている。そこには巨大なポケモンの影があって、一歩、二歩と悠然とした足取りで近づいてくる。その度にフィールドに地響きが走るものだから一体何が出てくるのかとフラウは固唾を飲んだ。
やがて土煙を霧散させつつ姿を見せたのは、まるで鎧の如く堅牢な肌を持つ緑色のポケモン。その姿はアニメに出てくる怪獣と酷似していてフラウは思わず一歩引いた。何と瓦礫と火災が似合うポケモンだろう。ブルーのサザンドラも大概だが、こちらも負けていない。
今は図鑑を取り出して確認するような精神状態じゃないからスキャンはできないけれど、確かバンギラス……というポケモンだった、と思う。天変地異を引き起こす凄絶なチカラはドラゴンタイプに匹敵するとか。
そんな危険極まりないポケモンの突然の参戦に、誰もが(赤と青を除く)呼吸すらも忘れて硬直していた。ロケット団は先程までの小憎たらしい下卑た笑みはどこへやら、すっかりと青褪めて震えていた。この中で偉い立場にあると思われる女性も、口元こそ扇子で隠しているが、冷や汗を浮かべてまさかといった様子だ。
「あ」
そこでフラウはバンギラスの肩に見覚えのある少年が乗っていることに気づく。
およそ一月ほど前にニビシティで出会った少年だ。彼はバッジを入手するとすぐにニビシティを出て行ってしまったため自己紹介をする暇もなかったのだけど、レッドとブルーが親しげ? にその名前を呼んでいたから名前だけは知っている。
――グリーン。
彼のことを知っている者は多い。それは彼がオーキド博士の孫だからという話ではなく、史上類を見ない速度でバッジを集めている前代未聞の麒麟児――という話題によって。
ポケモンリーグへの出場権を得るために必要な――ジムリーダー公認のバッジ。それはたった一つ入手するのも難関というのが常識だ。もちろんジムリーダーやジムトレーナーはジム戦専用のポケモンを挑戦者のバッジ数やポケモンのレベルに応じて変更するのだけど、それでも全然勝てないほどに彼らの実力は高い。夢見る新人トレーナーにポケモンバトルとはポケモンはもちろんトレーナーの技術も備わってこそ、と現実を叩きつけるのだ。
しかし。
グリーンはそんなこと知ったことかとばかりの存在感を見せつけた。まだ旅立ちの日から二か月しか経っていないというのに破竹の快進撃で五つものバッジを入手して世間の話題を独占した。当初は期待の新人が、かのポケモン研究の権威オーキド・ユキナリの孫という箔、そして妬みや嫉みも相俟って接待プレイを疑われていたが、つい先日に特集になった際、取材に来たアナウンサーに対して場所と日時を指定し、『文句があるならかかって来い。百人まで相手をしてやる。俺はこいつ一匹で勝負してやる。負けたらトレーナーもやめてやろう』と盛大な挑発。そして後日、文句なしの百人斬りを達成した。もちろん“おまもりこばん”でお金を徴収した。積極的にお金持ちを狙っていた。寧ろそれが目的だった。短パン小僧や虫取り少年には見向きもしなかった。お金ダイソンという言葉が人の形をしているのがグリーンである。
そんな――既に伝説を築き上げている少年は、バンギラスの肩からレッドとブルーを見下ろして、
「チッ、照準を見誤ったか」
露骨に顔を顰めて舌打ちをした。
え……もしかして二人が狙いだったの? ロケット団を倒しに来たんじゃないの? あ……、とフラウはレッドとブルーがバトルをする前に煽りのメールを送信していたのを思い出した。
「ならバンギラスが感じた手応えは…………何だ、ただのサンドバッグか。紛らわしい」
フィールドに転がるロケット団を一瞥して冷徹な言葉。
ロケット団は一体マサラタウンに何をやらかしたのだろう。揃いも揃ってロケット団の扱いが底辺だ。
グリーンはこの状況から経緯を察したのだろう。クールな表情に不敵な笑みを浮かべて、
「もしかしてピンチに陥っていたのか? 情けない限りだな、マサラの面汚しめ」
……うわぁ。
だけどフラウは否定できなかった。赤と青は誰の目から見ても生粋のやべぇ奴だから。
「助けてくださいと言ったら助けてやらんこともないぞ。仕方ないから格上の俺が慈悲をくれてやる」
もちろんそんな上から目線に不良や暴走族よりも沸点の低い赤と青がキレないわけもなく――
「はあああああああ!? 何上から目線で舐めた口利いてんだ下等生物が! 助ける? はあ? その目は節穴ですか? どこをどう見たら俺がピンチだなんて見えたんですかねぇ? 眼科に付き合ってあげましょうかあ!? もう手遅れだがなあッ!」
どう見てもピンチでした。
「助けてやってもいいですって? 何様のつもりよ、アンタ! そこは助けてやってもいいじゃなくて助けさせてくださいお願いしますって跪くところでしょうが! いや、別に助けなんて必要なかったんですけど! 私一人でどうにでもなったんですけどお!」
助けてやってもいいの方が明らかに正解よ。
「そもそもこの状況は俺のパーフェクトな頭脳が導き出した結果だしな! あまりにも出番が無い空気キャラのお前に仕方ないから一瞬くらいはスポットライトを当ててやろうという善意的な計画だったんだけど伝わらなかったのかなあ!? ああ、哀しいなあ! 人の好意を無下にするとかマジ人として最低っすわー!」
おまいう。
「ほら、その劣化した眼球をくり抜いて刮目なさい! 私のポケモンのコンディションを見て、一体どこがピンチだと思ったのよ!? 誰も傷ついていないでしょうが!」
「なッ――!?」
幹部の人が驚愕する。
見れば、レッドとブルーのポケモンは完全回復して戦意を滾らせている。この二人、バンギラスの登場によって場が硬直した刹那の隙に回復アイテムを使ってポケモンの治療を済ませていたのだ。つまりどうあがいてもグリーンの手柄なのだが、赤と青は自分の都合の悪いところは全力で目を逸らす。ほんと、どうしてこんなに人間性が腐っているのだろうか。
まずはお邪魔虫を蹴散らすことにしたのだろう。二人は未だ無事なロケット団と向き合って人の悪い笑みを浮かべる。
「どうやら形勢逆転みたいだなァ」
悪役しかいないのか、この場には。主人公は何をやっているのか。
「やはりピンチだったのか」
「黙れ緑虫。俺はピンチじゃない。正確には俺とのバトルで敗北寸前だったブルーがピンチだった。俺のポケモンはそんなことなかった」
「はあ? 何息するように嘘ついてんのよこのクソガキ。あの勝負はどう見ても私の勝ちだったし、ロケット団に後れを取ろうとしていたのはアンタ一人だったでしょうが。ちゃんと現実と向き合いなさいよ、見苦しい男ね」
「は?」
「あ?」
「どうなんだ?」
グリーンがこちらに視線を寄越した。
「貴方の推察が正解よ」
「おい、何言ってんだ、フラウ。俺が今まで一度でも嘘をついたことがあったか?」
「赤の戯言はゴミ箱に捨てるとして。貴女まで節穴になっちゃったら誰がツッコミを担って収拾をつけるのよ!」
「その役割クーリングオフできないのかしら」
「じゃあ~、私が――」
「論外」
挙手をしたローザだが、彼女のテンポではどう足掻いても追いつかなくなるし、そもそも絶対ボケにボケを重ねるだけで場を混沌にするだけだ。
フラウは溜め息をついた。
「とりあえずロケット団をどうにかした方がいいんじゃないの? もうどっちが正しいかはその後に二人で決めたら?」
そう言ってフラウは視線を促すと、逃げの準備に入っていたロケット団はゲッと顔を引き攣らせる。
既に自分たちの手に負える状態じゃないと判断したのか、二人が言い争っている間に逃げようとしていたのだ。負傷した仲間は放置して。
「チッ、緑と青の殺処分は後回しだ。保健所に連絡しないといけないしな。ラティアス、“リフレクター”」
「それはこっちの台詞よキチ赤。トゲキッス、同じく“リフレクター”」
慌てて逃げ出そうとするロケット団だが、それを許すほど二人は優しくなかった。
即座にポケモンに指示を飛ばした。だけどフラウにはラティアスとトゲキッスが何をしているのか分からずに首を傾げる。いや、厳密に言うと何かをしているのは分かるのだけど、それが何なのかが分からない。このままではロケット団が逃げてしまう、と焦ったそのとき――ゴン! と先頭を走っていた者が何かに激突して後ろに倒れた。他の者たちも何かに阻まれる形で強引に足止めをくらっている。
「“リフレクター”――不可視の壁を作り出すエスパータイプの技だ」
そこに何時の間にか隣にいたグリーンが解説に入った。
「本来なら物理技のダメージを受け止めるために張る技だが、応用すればあのように相手の逃げ場を奪う使い方もできる。今、連中はラティアスとトゲキッスの“リフレクター”によって小部屋に閉じ込められた状態に陥っている」
不可視の壁を叩く姿はまるで上質なパントマイムを見ているかのようだ。
「へぇ、便利な技なのね」
「覚えておいて損は無い。耐久性は“まもる”に劣るが、技の展開速度は“リフレクター”の方が上だ。咄嗟の防御はこちらに軍配が上がるからな」
レッドとブルーがポケモンに修得させてグリーンまでがそう言うのだから間違いないのだろう。
“リフレクター”に閉じ込められたロケット団は幹部の女を始め、まだ手持ちに残っていたモンスターボールからポケモンを繰り出すが――
「甘い」
「弱い」
瞬殺だった。
手持ちの総力戦になれば必然の結果だ。二人のポケモンが全開の状態なら負けると判断したから彼女たちは機を窺っていたのだ。おまけにバンギラスの“はかいこうせん”。この一撃で半数以上が散り、レッドとブルーが指示を出すまでもなくロケット団のポケモンは蹴散らされた。
これで終わり――なんだけど、とても嫌な予感がする。赤と青が、ただロケット団を閉じ込めただけで終わるだろうか?
「あ、貴方たち! 今すぐ私をここから出しなさい! 私が誰だか分かっているの!?」
「おやおやブルーさん? 負け犬が何かほざいていますが何を言っているのか聞き取れました?」
「あらまあ仕方ないわねーレッドくん。このおばさんはね、こう言ってるのよ。――くっころ、と」
「違うわよ!」
途端に仲良くなったな、あの二人。この人たちのテンションと基準が分からない。
「うわ、おばさんのくっころとかないわー。よっしゃって言ってズバッと斬り捨てられるのがオチだろ」
「シュールな光景ね」
「我々の業界ではただの罰です」
「で、どうする? 焼く? 斬る? 溺死? 発狂? もう全部やっちゃう?」
「バカだな。まずは『シュールストレミング~ベトベトンの香り添え~』をブチ撒けるところだろ」
「アレを罰ゲームで私に食べさせたことは絶対に許さないわ。あの日からアンタたち二人に対する遠慮が一切なくなった」
「なっつ。アレ買ってきたのグリーンだからな?」
「とりあえず二人とも殺しておけば確実なんだから犯人はどうでもいいわ。あるでしょ? そういうの」
「あー、あるある。つかマサラにいるときは毎日そんな感じだったし。疑わしきは殺せ。疑わしくなくとも殺せ。それが俺たち三人の常識だったもんなァ」
聞こえてくるとんでもない会話にロケット団はもう盛大にドン引きして、中には神に祈っている者もいた。
「………………」
フラウは即座に端末機器を起動させて身内に連絡を回した。
彼らにかける慈悲はないが、友達が殺人犯になることだけは阻止しなければ。