「八重垣くん………! 君は………!」
トウジさんが毒に犯された体を苦しげな表情を浮かべながら持ち上げた。
八重垣さんが天叢雲剣の刃をリゼヴィムに向ける。
これはこの場の誰もが予想できなかったこと。
それはリゼヴィムも例外ではなかった。
リゼヴィムは不思議そうに首をかしげながら八重垣さんに問う。
「へぇ、俺は君の敵ね。そんじゃ、そこの神父はどうよ? 君から愛する者を奪った憎き仇じゃないの? それこそ、君の敵だろう? ほら、毒に犯されて苦しんでる今がトドメをさすチャンスだぜ?」
リゼヴィムはトウジさんを指差して、八重垣さんの復讐心を煽り出す。
八重垣さんも視線だけトウジさんに向けて、目を細めた。
………八重垣さんがトウジさんを恨む気持ちは消えてはいないだろう。
今でも教会、大王派の悪魔を恨む気持ちがあると言っていたから。
それでも、八重垣さんはリゼヴィムに刃を向けたまま。
「確かに僕は局長が憎い。おそらく、この先何年経っても許せるとは思えない」
「だったら殺しちゃえよ♪ その剣で貫いたら一発だろ? 他の奴が邪魔ならおじさんが足止めしといてやんよ」
ふざけた口調で告げるリゼヴィム。
この状況で奴が本気で俺達を足止めしようとすれば、それは可能だろう。
八重垣さんがトウジさんを殺す時間ぐらい余裕で稼げるはずだ。
しかし、八重垣さんは瞑目して首を横に振った。
「いや、彼は殺さないことにした。………死は一瞬。それではダメなんだ。局長にはこの先も生きて、僕達に対して行ったことを思い出し続けてもらう。それに………」
八重垣さんはその視線を倒れ伏す俺とイリナに向ける。
そして、微笑みを浮かべた。
「僕と彼女は結ばれなかった。時代がそれを許さなかった。だけど、彼らはそれが許される時代に生きている」
「だったら、余計に許せんでしょ? それが普通の反応じゃね?」
「確かに彼らが許されるこの時代は僕にとっては羨むものだ。もう少し………もう少し早ければと何度も思う。正直、悔しいよ。でも………いや、だからこそだ。僕は今の時代に生きる彼らを見届けることにした」
―――――自分は愛する人を守れなかった。
―――――君は本当に彼女を守りきれるか?
八重垣さんの目は俺にそう言っている。
そんな風に感じてしまった。
この激動の時代。
各神話体系で和平が結ばれる裏では様々な思惑が飛び交ってる。
思わぬところからとんでもない悪意が俺達を襲ってくるかもしれない。
その時、俺は本当に大切な人達を守りきれるか。
「心変わり早すぎだろ」
「自分でもそう思うよ」
リゼヴィムが鼻で笑うが、八重垣さんも自嘲気味に笑んだ。
天叢雲剣が光の―――――聖なるオーラを刀身に纏いはじめた。
八岐大蛇の邪気が消え、聖剣としての本来の力を取り戻したのか。
「邪龍より生まれた聖剣が魔に堕ちた。僕も教会の信徒から復讐者へと成り果てた。それが今、堕ちた聖剣は本来の力を取り戻し、元教会の戦士である僕とこうして魔王の息子と対峙している。実は僕とこの剣は良いコンビなのかもしれないな」
そう言うと八重垣さんは飛び出していく!
聖なる波動を刀身から解き放ち、リゼヴィムへと駆けていった!
「魔に堕ちた聖剣と元教会の戦士が俺に向かってくるか。せっかく生き返らせてあげたのにねぇ。おまえさんじゃ、俺には勝てんぜ?」
リゼヴィムが迫る八重垣さん目掛けて魔力弾を数発打ち出した。
濃密な魔力が籠められた弾丸が八重垣さんを貫こうとする。
すると、天叢雲剣から漏れ出していた聖なるオーラがうねり、リゼヴィムの魔力弾を呑み込んでいった。
それを見てリゼヴィムが驚愕の声をあげる。
「聖なるオーラが龍の形になっただと? それに八つの頭………マジかよ」
天叢雲剣を覆うオーラは八つの首を持つ龍を形成していた。
それはまるで神々しく輝く八岐大蛇。
八重垣さんは天叢雲剣を振るいながら言う。
「八岐大蛇の邪悪な気は消えた。だけど、天叢雲剣は覚えていたみたいだ」
天叢雲剣が八岐大蛇が宿っていた時のことを学習した………?
聖なる力を持つドラゴンとして、その力を使えるようになったということか?
その手のことに疎い俺では理由は分からないが………。
聖なる波動を放つと八つの首が一斉にリゼヴィムに襲いかかる。
リゼヴィムが魔力を放って首を消しても、その首はすぐに再生。
死角に回り込もうとすれば、他の首がそれを逃さない。
俺達と戦った時と同じだ。
聖なる龍が魔王の息子を追いかける―――――。
「こりゃすげぇな。どこまでも追いかけてくるじゃん。おじさんも大変だわ。それでもだ。堕ちた聖剣とその主ごときじゃあ、倒せないんだよなー」
リゼヴィムは八つの首を潜り抜け、八重垣さんとの距離を詰める!
天叢雲剣を持つ手を抑え、八重垣の顎に掌底を打ち込んだ!
上へと打ち上げられる八重垣さん。
宙に浮いた、そのタイミングでリゼヴィムの蹴りが深々と腹部に突き刺さる!
「かはっ!」
地面を何度もバウンドして転がっていく八重垣さんの口から血反吐が吐き出される。
今の一撃はかなり大きいはずだ。
聖杯で蘇ったとはいえ、彼は人間。
『超越者』と称される魔王の息子の一撃はそれだけで致命傷に成り得る。
それに、ゼノヴィアやイリナとの戦闘でかなりの体力を失っているはず。
彼の体はとっくに限界を迎えているだろう。
「感動の復活早々で悪いけどさ。お兄さんじゃ、おじさんの運動相手にもならなかったねー! うひゃひゃひゃひゃ!」
相変わらずかんに触る笑い方だな………!
リゼヴィムは不快な笑いと共にアーシアへと視線を移した。
「そっちのお嬢さんはどうする? おじさんと遊ぶ?」
楽しげに近づくリゼヴィム。
アーシアの前に黄金の龍―――――ファーブニルが立ち塞がった。
『アーシアたん、守る』
「おんや、龍王じゃん。俺の前に立っちゃうかい? それも面白そうだねぇ。ひとつ、やりあってみるかい?」
リゼヴィムが魔力弾をファーブニルに放つ。
ファーブニルは避けることすらせずに、アーシアの盾となって、奴の一撃を正面から受けた。
ドラゴンの鱗は固い。
それも龍王のものとなれば相当なものだ。
しかし、魔王の息子の一撃は強力で、受けた部位は弾け、血が噴き出ていた。
「ファーブニルさん!」
アーシアがすぐに傷を癒す。
リゼヴィムはファーブニルの行動を面白く思ったのか、俺の時みたく、連続で魔力弾を打ち出していく!
着弾する度に肉が弾け、血が噴き出させるファーブニル。
全身から煙をあげて、かなりの深手を負ってしまう。
それでもファーブニルは一切退かなかった。
―――――アーシアが後ろにいるからだ。
アーシアが飛び出して、ファーブニルを庇おうとする。
しかし、ファーブニルはアーシアを尾で覆って、それを拒んだ。
アーシアが出てくれば、リゼヴィムは嬉々としてそこを狙うのは分かりきっている。
ファーブニルもそれを理解している。
「ファーブニルさん! 逃げてください! このままじゃ…………!」
『大丈夫、俺様、アーシアたん守る。絶対、守る』
号泣するアーシアを安心させるかのようにファーブニルは告げた。
ダメージに膝をついても、倒れない。
何がなんでもアーシアだけは守りきる。
その光景にリゼヴィムが哄笑をあげる。
「うひゃひゃひゃひゃ! あの龍王さまが主の美少女ちゃん守るために体張るなんてな! そんなの見ちゃうと、おじさん楽しくって、もーっと痛め付けたくなっちゃうな!」
苛烈になる奴の魔力攻撃!
一発一発が更に強烈になり、ファーブニルの体をより深く抉っていく!
横合いから聖なるオーラで形成された龍が現れ、リゼヴィムを呑み込もうと巨大な顎を開く。
「んー、おじさんはこっちで楽しんでるから、邪魔すんな♪」
しかし、それをリゼヴィムは片手を振るうだけで打ち消してしまう!
「くそっ………!」
八重垣さんも必死の攻撃があっさり消されたことに毒づいた。
「やめてください! どうして、そんな………! ファーブニルさん!」
アーシアが叫ぶ。
魔力弾を浴びるなかで、ファーブニルは言った。
『………俺様に微笑んでくれた女の子、アーシアたんが初めて。―――――だから、守る。俺様、いつアーシアたんのために死んでも良いように生きてる』
「…………!」
その言葉に口許を抑えるアーシア。
ファーブニルは血を吐きながらも続ける。
『………俺様、頑丈で大きな体と、他のドラゴンより力が強いだけ。いつの間にか龍王になってた。誇りとかよく分からない。でも、女の子一人―――――アーシアたんは守れる。きっと、それが俺様の誇りなんだと思う』
ファーブニル…………おまえ、そんな覚悟で…………。
いつもはあんなだけど、それでもアーシアだけは………そんな決意でアーシアの傍にいたってのか………!
血塗れになるファーブニルの決意にアーシアは嗚咽を漏らしていた。
「………お願いです。もう、立たないで…………逃げてください…………お願い…………」
アーシアが何度そう言っても、ファーブニルは聞き入れない。
リゼヴィムの攻撃からアーシアを守り続けた。
たまらなくなったアーシアは、ついにファーブニルの尾を振り払ってリゼヴィムの前に立った。
両手を広げて、今度はアーシアがファーブニルを守る格好となる。
「もう、やめてください…………! どうして、こんな酷いことばかりするんですか…………?」
「俺は魔王の息子よ? 悪いことするのは当然っしょ」
「………私もイッセーさんも皆さんも、ただ平和に暮らしたいだけなんです…………!」
「うんうん、そうだねぇ。皆平和に生きたいよねぇ。それがどうしたんだろうね?」
パチンと乾いた音が響いた。
リゼヴィムがアーシアを叩いたからだ。
「きゃっ!」
倒れるアーシア。
その光景は俺の…………俺達の中では絶対に許せないもの。
………あいつ、アーシアを………アーシアを殴りやがった。
俺もゼノヴィアもイリナもボロボロ。
だからって、寝ていられるか?
「リゼヴィム…………! てめぇは…………!」
「よくもアーシアを!」
「許さない…………!」
俺達三人はアーシアの危機に立ち上がる。
リゼヴィムはそんな俺達にただただ笑う。
「うわぁお、すんごい殺気。皆の愛されキャラ殴ったらキレちゃった? そんじゃ、こぉんな風にするとどうなるかな?」
倒れるアーシアに掌を向けるリゼヴィム。
俺は悲鳴をあげる体を無視して飛び出した!
させるか…………!
させてなるものか…………!
アーシアは俺の家族だ…………!
「させるかよぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
俺が吠えた時だった―――――。
『………許さない』
すさまじい…………全身が震えるほどの殺気が周囲に満ちた。
危険なオーラが俺の視界に映る。
血濡れの黄金の龍が立ち上がり、リゼヴィムを激しく睨んだ。
『………おまえ、アーシアたんを泣かせた。…………アーシアたんを傷つけた! 許さない…………許さない!』
受けたダメージで、体力など底をついていてもおかしくない状態。
そんな状態でファーブニルは飛び出していった。
大きな顎を開いて、狂暴な眼光で魔王の息子に襲いかかる!
『アーシアたんを泣かせた…………! アーシアを泣かした…………!』
リゼヴィムの足元の影から小さな人影が現れる。
オーフィスの分身体のリリスだ。
このタイミングで現れたということは、リゼヴィムの危機に応じて出てくるようになっているのか。
リリスはリゼヴィムの前に立ち、防御障壁を展開するが、ファーブニルはそれを噛み砕いてしまう!
ならばと、リリスは直接ファーブニルの顔面を殴り付けるが、ファーブニルはものともせず、前足でリリスをぶっ飛ばした!
分身体とはいえ、リリスはオーフィスの片割れ。
その実力は群を抜いて強い。
それを一撃で吹っ飛ばしやがった!
ファーブニルは極大の火炎をリゼヴィムに吐き出す!
リゼヴィムは容易にかき消してしまうが、ファーブニルは止まらない!
天高く飛び上がり、口からありとあらゆる武器を吐き出した!
あの一つ一つが伝説の武具だ!
「うひゃひゃひゃひゃ! すんげぇ重圧だな、おい!」
かなりの速度で突貫してくるファーブニルにリゼヴィムは笑みを浮かべて極大の魔力弾で迎え撃とうとする!
しかし―――――リゼヴィムを目前にしてファーブニルの姿が消えた。
「幻影だと!?」
リゼヴィムが目を見開く。
その背後から巨大な影が一直線に奴へと向かった!
リゼヴィムは咄嗟に防御魔法陣を展開するが、刹那―――――
「…………っ! 嘘だろ…………!?」
リゼヴィムの左腕が宙を舞った。
ファーブニルの顎はリゼヴィムの防御魔法陣を容易く砕き、腕をもいだ。
―――――『逆鱗』。
以前、アザゼル先生が言っていた。
ドラゴンは決して怒らせてはいけないものだと。
下級のドラゴンでさえ、それに触れればどうなるか。
龍王の『逆鱗』にリゼヴィムは触れてしまった。
傷つけてはいけないものを容易に傷つけてしまった。
それが奴の最大の過ち。
『その通り。理屈なんて関係ないのよ。守りたいという気持ちもそう、怒りもそう。想いは理屈を越えた力を発揮させる。それをリゼヴィムは理解してないのよ』
『ああ、そうだな。それで相棒はどうする? 相棒の精神も燃え盛る炎のごとくだが?』
いくさ。
ファーブニルもボロボロの状態で食らい付いてるんだ。
だったら、こんな傷、動かない言い訳にはならないだろう?
俺はイリナとゼノヴィアに歩み寄る。
「イリナ、ゼノヴィア。今からあのクソジジイに鉄槌を下す。二人の力を―――――オートクレールとデュランダルを貸してくれ」
「それはいいが、どうする気だ?」
「聖なるオーラを取り込んで、俺の内側で魔力とぶつけて爆発させる。相反する力をぶつけることで二つの力は高まっていくはずだ」
少し前にアザゼル先生が昔作ったという人工神器を見せてもらったことがある。
そのうちの一つ――――――『
名前は………まぁ、あれだけど、こいつはかなりの破壊力を持っていてだな。
光の属性と闇の属性を高出力で同時発生させてぶつけているらしい。
今回はそれを参考にさせてもらう。
普通にやるなら危険な賭けだけど、天翼ならいけるはずだ。
力のコントロールに長けているからな。
それに―――――
『イッセーはまだ天翼の力を十全に発揮できているとはいえないわ。あれは私の力も混じっているけど、フルに使えていれば、私の力の一端くらいは使えるはずだもの』
と、イグニスは言っていた。
もし、ここで天翼に隠されたイグニスの力を発揮できればあるいは…………。
「分かったわ」
「使ってくれ。私達の分まで頼む」
「ああ、任せろ!」
俺は二人からオートクレールとデュランダルを受けとる。
すると、八重垣さんがふらふらした足取りでこちらに歩いてきた。
「………天叢雲剣も使ってくれ。なにかの力になるはずだ」
そう言って、八重垣さんは天叢雲剣を差し出してくる。
俺と八重垣さんの視線が交錯する。
「ありがとうございます」
それだけ述べると俺は天翼の鎧を纏い、右手の籠手に天叢雲剣をはめた。
アスカロンを籠手と融合させた時と同じ感じだ。
通常時、籠手は左手にしかないし、既にアスカロンが収納されているから、これは禁手の時しか使えないけどな。
両手にデュランダルとオートクレール。
左の籠手にアスカロン、右の籠手に天叢雲剣。
纏う鎧は天翼。
俺は再びリゼヴィムの前に立つ。
それを見て奴は笑った。
「うひゃひゃひゃひゃ! 聖剣握っても無駄だっての!」
俺は哄笑をあげるリゼヴィムを無視して、静かな声音で奴に告げた。
「おまえ、人の大切なもんを壊して楽しいか?」
「あ? 楽しいに決まってるっしょ? 泣いたりしてくれるとおじさん嬉しいぜ!」
「…………そうかい。………リゼヴィム、おまえは『想い』ってやつを何も分かっちゃいねぇな」
「うひゃひゃひゃひゃ! 想い? そんなもんで何ができるよ! くっだらねぇな、赤龍帝の坊主!」
嘲笑うリゼヴィム。
俺は一歩踏み出した。
「―――――『想い』の力、舐めんな」
天翼の翼が大きく広がる。
いつもなら、赤い粒子が羽の隙間から発生するはずだが、この時だけは違っていた。
代わりに虹色に輝く粒子が放出されて、辺りを満たしていく。
―――――その時、皆の『声』が聞こえた気がした。