「ここは………?」
気がつくと俺は真っ白な世界に浮かんでいた。
右も左も上も下も何もない、ただ白がひたすら続く世界。
雰囲気としては神器に潜った時と、イグニスの世界に潜った時と似ている………が、どことなくそれとは異なる感覚だ。
………そういや、ドライグとイグニスの気配がないな。
いつもなら、直ぐに二人の姿を見つけられるけど、それが出来ない。
となると、ここは神器でもイグニスの中でもないってことか。
記憶が曖昧だ………どうなった?
アセムの放った球体をエクリプスブラスターの最大出力で迎え撃ったことは覚えている。
二つの力がぶつかって、大爆発を起こして………そこからの記憶がない。
「………巻き込まれて死んだのか?」
頭に過ったことをボソリと口にした―――――その時。
「いいや、君はまだ生きているよ。僕もね」
俺の呟きに答える声が聞こえてきた。
それはさっきまで戦っていた奴の声。
俺は辺りを見渡して、その声の主を探す。
すると、少し離れたところに一つの人影を見つける。
そこにいたのは―――――少年の姿をしたアセムだった。
真っ白な髪に、トレードマークのパーカーを羽織ったお馴染みの姿。
アセムは深く被ったフードの下に笑みを浮かべて言った。
「ここはね、僕の精神世界さ」
「精神世界? おまえの?」
道理でドライグとイグニスの気配がないわけだ。
ここがアセムの精神世界なら当然か。
でも、なんでアセムの精神世界に俺が入れたんだ?
イグニスみたく、魂の次元で繋がってる訳でもないのに………。
そんな俺の疑問を見透かしたようにアセムが言う。
「君がここに来られたのは、君が僕の力を取り込んだからさ」
「なに………?」
「君があの真紅の鎧に覚醒した時、君を閉じ込めていた球体を吸収しただろう? そのせいで、僕と君の間に
なるほど………俺が奴の力を吸収したから、ここに来られたと。
確かに、あの時は錬環勁気功も発動していたから、周囲にあった気―――――アセムの力も自身に取り込むことになった。
その結果がこれってわけか。
顎に手を当てて納得していると、アセムがふいに視線を上へと向けた。
それに釣られて俺も見上げてみる。
すると、何もなかった空間に幾つもの映像が散らばっていた。
サイラオーグさんのお母さん―――――ミスラさんの精神世界に潜った時にも同じ光景を見たことがある。
それじゃあ、ここに映っている映像は―――――。
「少し、古い話をしようか」
俺の思考がそこへ至ると同時にアセムは語り始める。
それはかつてアスト・アーデにいた若き神の話だった。
昔々、青年がいた。
その青年は若くして力を持った神だ。
当時、神々は下界に深く関わっていて、人々との交流を持っていた。
そして、その神も人々と交流を持っていた一柱。
その神は人々に知識を与え、技術を与えた。
他の神々は自身の信仰を集める目的もあったんだろうけど、その神にとっては信仰なんてどうでも良かった。
なぜなら―――――その神は下界の人々の一生を美しいと思っていたからだ。
神よりも遥かに短い時間で、多くのことを成し遂げる。
時には神々の想像すら超えてくる。
僅かな時間を懸命に生きる、そんな人々の命の輝きが何よりも尊く―――――憧れた。
その神は分かっていた。
自分はそんな生き方は出来ないだろう。
だからこそ、下界の人々が前に進めよう、その背中を押すことが出来たら、それで十分だ。
そう思っていた。
宙に浮かぶ映像の中では、下界の人々が普段通りにいられるよう、神であることを隠しつつ交流する青年の姿があった。
共に家を創り、井戸を創り、田畑を広げ、魔法を教え、ある程度落ち着いたら別の場所へと移る。
その青年は各地を転々としながら、多くの人々とふれ合っていった。
そうした生活を繰り返していく内に幾年が過ぎ―――――その青年は出会った。
映像に映し出されたのは若い女性だった。
褐色の肌に白い髪。
端正な顔立ちだったが、彼女の頬には紋様が刻まれて、額には小さな角が生えていた。
「彼女は人族と魔族の間に生まれた子で。所謂ハーフって奴さ。当時、ハーフって存在は稀有中の稀有でね。しかも、彼女の場合、他の者よりも強い魔力を持っていたものだから、人族からも魔族からも恐れられていてね。両親も早くに亡くした彼女は一人だった」
青年はそんな彼女と関わり始めた。
きっかけは一人だった彼女に声をかけたところから始まり、時間を見つけては会いに行くようになった。
すると、最初は無口だった彼女が言葉を返してくるようになった。
今まで誰も関わろうとしてこなかった中、その青年だけが声をかけてくれる、自分を恐れないでいてくれる、笑顔を向けてくれる。
それは至って普通のこと。
だけど、彼女にはそれが嬉しくて―――――。
アセムが映像の中の彼女を見て、目を細めた。
「いつしか彼女は笑顔を見せるようになってくれたんだ。嬉しかったよ、初めて笑った顔を見た時は泣きそうになったよ。一人の人間に肩入れをするなんて、神としては失格だったけどね。だけど、自分が神であることを忘れるくらい、彼女の笑顔に魅せられた」
再び、映像に目を移すと、そこには表情豊かに話しかけてくる彼女の姿。
そんな映像がいくつも映し出されていた。
孤独だったが故に知ることが出来た感情。
空っぽだった彼女の時間を埋めていく新たな時間。
この時、彼女は本当に幸せだったのだろう。
映像越しでもそれが分かるくらい、彼女の笑顔は本物だった。
それから少しして、彼女は青年に想いを告げた。
自分を変えてくれた彼と、これからと同じ時を過ごしたいと。
「本来なら首を横に振らなきゃいけなかった。だけどね………気づいた時にはもう遅かった」
その青年もまた彼女に惹かれていた。
彼女と過ごす日々が新鮮で、何よりもかけがえのないものになっていたのだ。
多くの人々と関わってきたはずなのに、初めての感覚―――――初めて、一生を懸けて守っていきたいと思えた存在だった。
彼女の想いを受け入れる上で、彼は隠していた自身の正体を明かした。
そして、
「神である自分と下界の存在である貴女とでは生きる時間が違いすぎる。貴女と共に老い、死ぬことは出来ない。それはきっと残酷なことなのだろう。それでも良いのかと問うた。それでも………彼女は良いと答えてくれたよ」
次に映像に映し出されたのは再び、各地を渡り歩く青年の姿。
だけど、今までは一人だった彼の隣には彼女の姿もあった。
青年は自分の世界に閉じ籠っていた彼女に世界の広さを教えた。
人を、土地を、文化を、奇跡を、世界にある神秘を、彼女が見たことのないものを見せて回った。
彼女は初めて見るものに驚き、いつも目を輝かせていた。
そして―――――勝手に世界を恨んでいた自分の愚かさを知った。
アセムが苦笑しながら言う。
「彼女はいかに自分が小さい世界で生きていたか、今までの自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。そう苦笑いしながら言っていたよ」
それが孤独に生き、青年にしか心を開いていなかった彼女が自身を縛り付けてきた鎖から解放された瞬間だった。
それから、彼女はそれまで避けていた人族と魔族と関わりを持とうと動き出した。
映像の彼女はどうすれば良いのか困惑しながらも、勇気を出して自分から他者に声をかけていく。
最初は簡単な挨拶、それが少しずつ話題を持つようになり、徐々に輪を広げるようになる。
気づけば、あれだけ恐れられていた彼女の回りに人が集まるようになった。
そうして、ようやく世界も彼女を受け入れようとした―――――はずだった。
ある日、彼女はある人族と魔族の者達に拐われることになる。
「少し離れた時だった。少しだけ意識を他のことに回していた僅かな時間に彼女はいなくなった。彼女を拐った首謀者はすぐに分かったよ」
首謀者は―――――青年と同じ神だった。
この世の全てを自分達の都合の良い世界にするがために動き始めた複数の悪神達。
悪神達は目的のために青年の力を欲した。
彼女を拐ったのは単に人質にし、青年を操りやすくするため。
そして、彼女を直接拐ったのは、悪神達から与えられる恩恵に目が眩んだ者達だった。
「誰かに助けを求めたかった。だけど、彼らは狡猾でね。ありとあらゆる策で嵌めてきた。その時は………もう、どうしようもなかった」
力ずくで助けることも出来ず、誰かを頼ることも出来ない。
彼女を人質に取られた彼は黙って悪神達の言うことを聞くしか道はなかった。
彼女を助けるために。
あの笑顔をもう一度見るために。
だが―――――その願いが叶うことはなかった。
「捕らわれている間、彼女はそれまでに学んだ術を用いてある魔法を構築していたのさ。神の予想すら超えた強力な魔法を密かに作り上げた。それは―――――」
―――――自らの命と引き換えに愛する者の力を増幅させる魔法。
彼女は自分の命を青年の力へと変換する魔法を発動した。
その魔法は相手を視認出来る距離じゃないと発動出来ないもの。
つまり――――青年の前で彼女は自ら命を絶ったのだ。
「自分のせいで苦しむのなら………そう考えての行動だったんだろうね。彼女は死の間際、こう言い残した」
―――――この世界を守ってあげて………あなたが愛した……私がようやく愛せたこの世界を―――――。
自身の腕の中で冷たくなっていく彼女に、青年は何度も回復の魔法を施した。
だが、そのどれも効果を発揮することはなく、彼女は徐々に弱っていく。
そして、彼女の鼓動が完全に止まった時―――――青年の中で何かが切れた。
自分勝手な都合で彼女を拐った神々、欲に目が眩んだ下界の者共、何より―――――彼女を守れなかった自分への激しい怒り。
怒りに呑まれた彼は強力な呪いを発動させた。
それは永遠に滅びを繰り返す破滅の呪い。
目の前の神々を、自分を、全てを滅ぼす圧倒的な絶望だ。
彼女の最後の願いを踏みにじるものだとしても、止められなかった。
「そうして生まれたのがロスウォードってわけか………」
▽
再び映像は切り替わる。
気づけば、青年は緑の深い森の中で横になっていた―――――片腕を失い、腹に風穴を開けられた状態で。
呪いは彼が望んだ通りに全てを壊し始めていた。
発動させた彼自身も滅びを受け、消滅寸前といったところだ。
このまま自分は消えるのだろう。
誰も知らない地で誰にも看取られぬまま、一人で消えていく。
自分にお似合いの最期だと思い、目を閉じようとした、その時。
不思議な輝きが彼の頭上で生じた。
消え行く意識の中で見守っていると、その光の中から一人の少年が現れたのだ。
これには瀕死の彼も驚いた。
世界を渡り歩いた彼ですら見たことがない現象だったからだ。
彼は這いずるように少年の近くに寄る。
そして、彼は少年の顔を見て気づいてしまった。
少年もまたそう長くはもたないことに。
よく見ると衣服は破れ、体の至るところに傷があり、酷く痩せていたのだ。
少年の意識は僅かに残っていたが、話を聞けるような状態ではなかっため、青年は自身に残った力を使って少年の記憶を探った。
その結果、少年が異なる世界の存在であることが分かった。
そして―――――少年は戦災孤児であることを知った。
少年は人間同士の戦に巻き込まれ、家族を失っていたのだ。
アセムが言う。
「まだ十にも満たない子供だ、一人で生きていくには無理がある。でもね、誰もその子を助けてくれなかったんだ。自分達では力になれない、救ってあげられない。そう言って、全ての者が彼を見捨てた。その結果、少年は傷つき、衰弱し、終には倒れてしまった。調度その時だ―――――彼は次元の渦に呑み込まれた」
なぜその少年だったのか。
なぜ青年の目の前に召喚されたのか。
それは世界の意思とも言える運命とやらがそうさせたのかもしれない。
青年は少年を救おうとする………が、力のほとんどを失った彼ではほんの僅かな時を与えることしか出来なかった。
ただ死を引き伸ばす行為、それは残酷な行いだと感じてしまうだろう。
それでも、青年は力を使った。
―――――せめて、少年の最後の言葉を、少年の最期を看取ることが出来る自分が聞き届けるために。
青年の力により薄く目を開けた少年。
青年は問うた。
最後に言い残したいこと………願いはないか、と。
すると、少年は掠れた声で、
『ねぇ、神様………。もし、本当に願いが叶うなら………もう誰もいなくならない………そんな世界になったらいいな………。お父さん………お母さん………お姉ちゃん………』
それから、少年は家族の名前を呼びながら息を引き取った。
青年は弱りきった体で少年を抱き締めた。
そして、涙を流しながら叫んだ。
―――――どうして世界はこうも理不尽なのだ!
ようやく幸せになろうとすれば、それを奪う。
平穏を求めれば、その願いを踏みにじる。
強者の傲りで世界は乱され、弱者は自分達の立場に甘え見て見ぬふりをする。
こんなものは自分の求めたものでは、彼女が愛した世界では談じてない。
こんな理不尽が許される世界は間違っている。
そうして、青年は一つの決意をすることとなる。
「愛する人も失った。愛する人の最後の言葉を守るどころか、踏みにじってしまった。自分の愚かな行為のせいで、助けられたはずの少年を助けることが出来なかった。じゃあ、僕に残されたものはなんだ?」
アセムはフードをめくり、顔をこちらに見せてきた。
フッと軽く笑むのはいつものことだ。
だけど、今のアセムからはどこか悲しく、辛いものが感じられて、
「今度こそ彼女との約束を守ること。この体の少年が願った世界を創ること。これが僕が自らに刻んだたった二つの誓いさ」
今回は珍しくシリアスでした
~あとがきミニストーリー~
イグニス「今日は二人きりね」
イッセー「そうだな。………変な気は起こすなよ?」
イグニス「え?」
イッセー「一人じゃツッコミが追い付かないから」
イグニス「あら、残念♪」