そのため、少し厨二部分がじんわりと染み込んでしまっている可能性があります。
読む際は、ご注意下さい。
プロローグ
………。
何かの植物が、風に揺れる音がする。
その風が、なぜか濡れている服に当たって寒い。
(…?)
それに反応し目を開けると、晴れとも曇りとも言えない空が広がっていた。
(ここは…?)
寝ていたのに気付き、起き上がってみる。分かったのは、服が濡れていたのは寝汗のせいだったということと、自分の周りが、全て麦のような穀物の畑だということだけだった。
立ち上がっても、穀物の背の方が俺よりも高く、何も見えない。
…いや、それよりも。
(…俺って…誰………?)
自分のことすら、覚えていなかった。思い出そうとしても、頭の中にもやがかかったようにかすんで、何も分からない。
俗に言う、記憶喪失だろう。
俺は、頭を抱えた。
(ど…どうしよう…)
焦り始めた時だった。
俺の後ろの方から、何かがせまってくる音がした。
心臓が、跳ね上がった。急いで後ろを向く。
…どうやら、聞き間違えではないようだ。目の前の穀物が、音に合わせて少しだけ動いている。
「…え?」
思わず声を出すと、それに気付いたのか、音がどんどん俺に近付いてきた。
誰だろう…いや、まず人なのだろうか?
逃げようとしても、足がすくんで動けない。
なぜ俺は、怖がっているのだろう? …来るものが恐ろしいものだと、決まっている訳ではないのに。
そして、音を立てていた奴が、俺の目の前に勢いよく飛び出してきた。
1
「お兄ちゃん、みーつっけた!」
目の前に勢いよく飛び出してきた何かは、俺の腹に飛びこんで来た。
「ぐはっ!?」
意外と、重かった。
よく見ると髪の毛がツインテールの、小学生くらいの一人の女の子だった。
彼女は、俺を『お兄ちゃん』と呼んだ。ということは…妹だろうか?
「もー、かくれんぼだからって、こんな所に隠れるなんて卑怯だよ! 今度から禁止ね!!」
女の子は、少し怒ったように文句を言った。
どうやら俺は、この子と…自分の妹とかくれんぼをしていたようだ。なるほど、確かにこんな畑に隠れられたら、この子の身長じゃ見つけるにも見つけられないだろう。
「謝ってよー!」
ポカポカと腹を殴ってくる、妹。
意外に痛いので、俺は素直に謝ることにした。
「ご…ごめんアヤノ…」
彼女に謝った俺は、即座に違和感を感じた。
(…今、なんて言った…? アヤノ? この子の名前か?)
全てを忘れていたはずなのに、この子の名前はまるで覚えていたように口をついて出てきた。
彼女のことだけ、頭の中のもやから、スルッと抜けてきたようだった。
(一体なぜ…?)
そう思った瞬間、めまいに襲われた。
「!」
倒れそうになったが、少し体がふらついただけで収まった。
「…お兄ちゃん? 大丈夫?」
アヤノが心配したような目で、俺を見上げている。
「…あぁ、平気…」
頭を軽く振りながら、返事をした。
(………そうだよ、こいつは俺の妹じゃないか…)
俺は頭の中のもやから、また何かがスルッと抜けてくるのを感じた。
(アヤノは俺の妹で、小学三年生…ここは、ばあちゃん家の近くの麦畑…。それで、今は夏休み…)
そう、俺の家では夏休み恒例の、兄妹での田舎のばあちゃん家一週関宿泊だ。
なんでこんな簡単なことを、忘れていたんだろう。
(暑さに、やられちまったかな…)
そういえば今日は、猛暑になるとかなんとかTVで言っていたような、気がする…。
ここまでは思い出せたのだが、自分のことに関しては、全くといっていい程思い出せなかった。まだ、暑さにやられているようで、頭の中のもやは簡単には晴れなかった。
(…まぁ、いっか)
妹のことなどを思い出すことができたなら、きっと自分のことも思い出せるだろう。
そう信じるしかなかった。
「ねーねー、おにーちゃんー」
俺はアヤノの声で、我に返った。
「気分悪いなら、帰ろ?」
手を引っ張りながら、そう言ってきた。どうやら、心配してくれているようだ。
「いや、大丈夫だよ」
俺は、無理して笑った。しかし、アヤノはまだ手を引っ張りながら言う。
「いいから帰ろ! 川で冷やしてあるスイカ持って、帰ろー! 食べたら、元気になれるよー!」
思わず、クスッと笑ってしまった。
(スイカで元気になれんのは、お前だろーが)
でもこいつはきっと、俺を元気にしたいがために、そう言って手を引っ張ってくれているのだろう。少し彼女に悪い気がした。
(まだ子供なのに…気を使わせちまったかな)
俺は引っ張られているのと反対の手で、アヤノの頭をなでた。
「ん?」
不思議そうに見上げてくる、アヤノ。
「分かったよ。スイカ持って帰って、ばあちゃんに切ってもらおうな」
なでながら言うと、元気に返事が返ってきた。
「うん!」
元気がいいのが、こいつのとりえだ。
彼女のおかげだろうか、俺は少しだけ、元気になれた気がした。
2
ばあちゃん家に帰り、切ってもらったスイカは、よく冷えていた。色々なセミが鳴いている、日差しが強い庭で食べていると、特にそう思う。
しっかし、さすがばあちゃんのスイカだ。今まで食べたスーパーで買ったスイカよりも、とても甘かった。
アヤノはスイカを、一心不乱に食べ続けていた。そんなに急がなくても、なくならないのに。
それに、服がスイカのシミで汚れてしまっている。しかも、こんな時に限って白い服だ。後で母さんに、死ぬ程怒られるだろう。
ため息をつきながら、替えの服を持ってきた。
「アヤノ、替着えろ。汚れちまってるから」
「やだ! あたし、この服がいいの! お気に入りなのー!」
スイカにかぶりつきながら、アヤノは怒ったように言った。
(逆ギレかよ、こいつ…)
イラッときたが、ここは兄として抑える。
「それなら、なおさらだろ。お気に入りを汚して、どうすんだよ。俺だってさっきお気に入りの服、汗で濡れちゃったから着替えてきたんだぞ。ばあちゃんに、着替えさせてもらってこい」
ほら、と服を渡すと、アヤノはしぶしぶ、ばあちゃんがいる和室に走っていった。
「あんまり食べないでね!」
走っていきながら、そう声を張り上げるアヤノ。
(お前程、食わねぇっつーの)
フッと笑いながら、一つ目のスイカを食べ終わり、二つ目を食べようとしたその時だった。
『………キ』
聞いたことがあるようでないような、若い男の声がした。
だが、声が小さすぎるせいで、よく聞こえない。
俺はスイカを食べる手を止め、立ち上がって周りを見回した。しかし、人影っぽく見えるのは、目の前にある麦畑のかかしぐらいだ。
「…誰か、いるのか?」
おそるおそる、声を出してみる。
すると。
『………ナオキ』
「!!」
もう一度、声が聞こえた。今度は、はっきりと聞き取れた。
やはり、誰かいる。どこにいるかは分からないが、誰かが俺のことを呼んでいるようだ。
…そこまで考えて、俺はハッとした。
(…俺のことを、誰かが呼んでる?)
自分のことはまだ、名前さえ思い出していないのに。妹の…アヤノの名前が分かっていたような時と、同じ感覚だった。
…いや待て、『ナオキ』って誰だ…?
そう考えた時、一瞬だけもやが晴れた。
………そうだ、『ナオキ』は………俺の、名前。
(そうだった。俺は『ナオキ』って名前だ。やっと思い出せた………)
少し安心としていると、まためまいに襲われた。
「!」
二回目だから、慣れていると思ったが、そんなことはなかった。
勢いよく、倒れこんだ。
その拍子に、切ったスイカが乗せてある皿が落ちて、土の上に散らばってしまった。
スイカの赤い汁が、土に染み込んでいく。
「………」
その光景を見て、ふと俺は、何かを思い出しそうになった。
大事な、俺に関する何かを―――――。
「お兄ちゃん」
しかし後ろからの声に、出てきそうな何かは、もやの中へと帰っていってしまった。
めまいでグラグラする頭を、手で押さえながら振り向くと、そこには着替え終わったらしいアヤノがいた。どうやら、かなり怒っているようだ。
「…アヤノ」
「………お兄ちゃんの、バカ」
なぜ怒っているのだろうか。俺は何か、彼女にしただろうか。彼女が、かなり怒るようなことを…。
しかし、俺はもう分かっていた。
(…いや、もうこれしかねーだろ…)
そう、彼女が怒っているのはきっと…というか、絶対。
(…スイカ、だよな…)
アヤノが残しておいてと言っていたスイカを、地面に落として泥まみれにしてしまったから。
それ以外、考えられない。
あんまり食べないどころか、全てを食べられなくしてしまった。
焦った俺は、謝る文章を要約することがないまま、ベラベラとしゃべり始めた。
「ご、ごめん…兄ちゃん別に、嫌がらせしようとして、ふざけてスイカを落としちゃったんじゃなくて…えっと…」
そんな俺を、アヤノは泣きそうな顔で見ている。
俺は、さらに焦った。
「えっとだからえっと…えーっと…」
ちゃんとした文章なんて、出てこなくなった。
(あぁ、なんて兄ちゃんなんだよ、俺は………)
最終的には自己嫌悪に陥り、しゃべることもやめてしまった。
その場の空気が、どんどん重くなっていく。
「…ねぇ」
俺の困惑と焦りが頂点に達した時、ついにアヤノが口を開いた。しかし、発せられたのは、意外な言葉だった。
「…どこもケガ、してない?」
「…え?」
思わず、聞き返してしまった。
(ケガ? …スイカじゃ、ないのか?)
俺の動揺と裏腹に、無言で地面を指差すアヤノ。
「お皿…割れてるから」
「…あ、ああ…」
彼女はスイカよりも、俺が皿でケガをしていないかが、気になったらしい。
俺は手や腕を確認して、大丈夫と言おうとした。
だが、手首にキズがあることに気付いた。少し驚いたが、よく見ると血は出ていない。ただのかさぶただった。今したケガではない。
「いや…大丈夫っぽい」
「よかった…」
ホッと胸をなで下ろしたのか、背中からアヤノは俺に抱き付いてきた。
「うぐ」
最初の方にも言ったが、結構重い。
「…ねぇ、お兄ちゃん」
心配している声で、聞いてくるアヤノ。
「ん?」
「…元気になった?」
…あぁ、そうだった。
(そういえば、ばあちゃん家に帰ってきたのは、俺にスイカで元気をつけさせるためだったんだ…)
俺は、大きく深呼吸をして、心も体も落ち着いてから答えた。
「…うん、まあまあかな」
とりあえず、そう答えておいた。
これ以上、妹には迷惑をかけたくなかったからだ。
しかし。
「嘘でしょ」
いきなり、アヤノの声が、低くなった。
(!?)
女の子って、こんな声が出せるのか。
「…嘘じゃないよ」
少し震えた声で、言い返す。だが。
「嘘でしょ。だって、あいつとしゃべっちゃったもんね。元気なんか、なくなっちゃったよね」
アヤノの声は、さらに低くなった。まるで、獣のうなり声のようだった。
(あ…あいつ? …もしかして…)
さっきの若い男の声のことか…と聞こうとしたが、上手く声が出ない。
気が付くと、俺を抱きしめている手が、だんだんと締め付けてきている。
とっさに俺はアヤノの手を、離れさせようとした。しかし、手は吸盤のように離れない。
「嘘つかないで」
あの低い声がまた話しかけてきた。
「嘘ついたって、分かるんだよ? ナオキの気持ち…分かっちゃうんだよ?」
骨が、きしむ音がしてきた。
「なんで、アヤノがいるのにあいつに頼るの? ねえ何で? 何で何で何で?」
アヤノの声は、直接脳の中に、入ってくるように聞こえた。
……………ねぇ、何で、何で何で何で、何で何で何で何で何で何で何で何で?
俺は、穀物畑での恐怖が蘇ってくるのを、感じた。
同時に、俺の頭の中のもやが、全て取り払われるのが分かった。
そう、全て思い出したのだ。なぜかは分からないが、全てを思い出した。
そして、分かった。
あの時、記憶がないことに焦ってパニックを起こしていたから、恐怖を感じたのではない。彼女自体を恐怖だと、分かっていたのだ。なぜだかは分からないが、知っていた。そのため、俺の中の本能が、知らせてくれていたのだ。
しかし記憶をなくしていた俺は、『お兄ちゃん』と呼ばれたことにより、彼女を危険人物だということを忘れ、妹だと錯覚した。
(…違う、俺は、妹なんていない…妹じゃない、俺にいるのは…いるのは弟! 小学三年生の、弟!!)
じゃあ、こいつは? アヤノは一体、何なんだ?
アヤノは………誰?
必死に、頭の中で彼女を探した。
が。
「思い出すなアアァァァアアァァアアアアアアアッ!!」
甲高い叫び声と共に、何かが折れる音がして、俺は単調にしか、考えられなくなった。
折れたのは、何だろう。
なぜ、背中が痛いんだろう。
何で………視界が、赤いんだろう。
3
ハッと目を覚まし、起き上がった。
いつの間にか、周りは夕方になっていた。目の前の穀物畑から、リーリーと虫の声が聞こえてくる。
何か怖い夢を見ていたのか、服が汗でびっちょりと濡れていた。
(どんな夢、見てたんだ…?)
思い出そうとしていると、あることに気付いた。
(…? …俺って、誰………?)
自分のことを、ほとんど全て忘れていた。思い出そうとしても、頭の中にもやがかかったようにかすんで、何も分からない。
俗に言う、記憶喪失だろう。
俺は、頭を抱えた。
(ど…どうしよう…)
焦り始めた、その時だった。
「お兄ちゃーん」
甘えてくるような、可愛い声がした。しかし、その声が聞こえた時、体が震えた。
一体俺は、何を怖がっているのだろうか。…来るものが恐ろしいものだと、決まっている訳ではないのに。
疑問を抱えながら、声がした方に顔を向けると、そこには。
「…アヤノ」
やはり、アヤノがいた。そう、俺の妹のアヤノが。
彼女の姿を確認した俺は、即座に違和感を感じた。
(…今、なんで分かってたんだ?)
全てを忘れていたはずなのに、この子の存在はまるで覚えていたようにすぐ思い出した。
彼女のことだけ、頭の中のもやから、スルッと抜けてきたようだった。
(一体なぜ…?)
そう思った瞬間、めまいに襲われた。
「!」
また床に寝っころがりそうになったが、少し体がふらついただけで収まった。
(………何忘れてんだ、こいつは俺の妹だろ…)
俺は頭の中のもやから、何かがスルッと抜けてくるのを感じた。
(アヤノは俺の妹で、小学三年生…ここは、ばあちゃん家の庭…。それで、今は夏休み…)
そう、俺の家では夏休み恒例の、兄妹での田舎のばあちゃん家一週関宿泊だ。
なんでこんな簡単なことを、忘れていたんだろう。
(暑さに、やられちまったかな…)
そういえば今日は、猛暑になるとかなんとかTVで言っていたような、気がする…。
ここまでは思い出せたのだが、自分のことに関しては、全くといっていい程思い出せなかった。まだ、暑さにやられているようで、頭の中のもやは簡単には晴れなかった。
(…まぁ、いっか)
妹のことなどを思い出すことができたなら、きっと自分のことも思い出せるだろう。
そう信じるしかなかった。
「手伝ってよー、重いのー」
そんな俺には気付かず、一生懸命大きな袋を、顔を真っ赤にして引きずって歩いてくるアヤノ。
手伝おうとしてアヤノの元へ行こうとするが、体がガタガタと震えて、上手く動かない。
(なんでだ…?)
少し考え、ああ、と分かった。
寝起きだからだ。だから、上手く体が動かないのだ。
俺は震える手で、頭をバリバリとかきながら言った。
「お兄ちゃん、寝起きなんだけどな…」
だが、元気な妹は許してくれない。
「いーから! 早くー!」
仕方ない。体は震えたままだが、とりあえず深呼吸すれば治るだろう。
大きく深呼吸をして、アヤノを助けに行った。
俺は小さい妹が一生懸命運んでいた袋を、震えが少し治まった手で受け取り、庭まで運んだ。
「何だよ、これ」
「ん?」
「この袋の中身だよ」
あぁ、とアヤノは嬉しそうに袋の中のものを出した。
中に入っていたのは。
「…花火セット? こんなに…」
「うん! お兄ちゃんが寝てる間、おばあちゃんと一緒に、いっぱい買ってきたんだよ!」
楽しそうに、花火セットを開けるアヤノ。
「お兄ちゃん、この頃疲れてるみたいだしね。花火でもやって、パーッとしようよ! きっと元気になれるから!」
思わず、クスッと笑ってしまった。
(花火で元気になれんのは、お前だろーが)
でもこいつはきっと、俺を元気にしたいがために、ばあちゃんと一緒に花火を買ってきてくれたのだろう。少し彼女に悪い気がした。
(まだ子供なのに…気を使わせちまったかな)
大きなため息をついていると、アヤノがシャツを引っ張ってきた。
手にはもう、何本も花火を持っている。
「ほら、やろーよー」
拗ねたような顔の、アヤノ。俺はそんな彼女の頭を、ポンポンとなでた。
「分かった分かった、今からやろうなー」
俺も、花火を持った。
その時、重大なことに気付いた。
「そうだ、火は? ライターとかマッチとか…」
「…えっ…」
アヤノの顔から、血の気が引いた。どうやら、彼女も忘れていたらしい。急いで二人で、袋の中から、火元になるものがないかあさり始める。
「…あっ、ロウソクなら付いてたよ! ほら、こんなに!」
「それじゃ、火はつかねーよ」
ロウソクは何本も何十本も見つかるのだが、やはり火元になるものは見つからなかった。
「ごめん、お兄ちゃん…あたし、あたし、忘れちゃってたよう…」
泣きそうになる、アヤノ。俺は、そんな彼女の頭をなでた。
「いいっていいって。ライターとかマッチとかはまぁ…ばあちゃんに借りればいいだろ? な?」
アヤノは小さく、なおかつ申し訳なさそうに、小刻みにうなずいた。
その様子をみて、俺は手に持っていた花火を置いて、家の中へと入っていった。
「どこ行くの」
声がすっかり小さくなってしまったアヤノが、弱々しく聞いてくる。
心配させないために、俺はあえて、明るい声で答えた。
「ばあちゃんに、借りてくるよ。ちょっと待ってろ。おーい、ばあちゃーん」
大声でばあちゃんを呼びながら、家の奥へ足を進める。和室、TVの部屋、寝室などを探したが、どこにもいない。
(あれー…? もしかして、トイレかな)
トイレにいるなら、入るのも悪い。
仕方ない、自分で探そう。
俺はしばらくの間、台所をあさっていたが、そうだ、と思い出し、一番火の元がありそうな、仏壇に行ってみた。
すると。
「おっ」
どんぴしゃだった。ライターもマッチも、チャッカマンまである。
「ちょっと、借りますよっと」
そう言って、ライターを持った瞬間。
『なんでだよ!』
急に頭に、大きな声が響いた。
それに驚き、ライターを取り落とした。
(なんだ、今の…!?)
ライターを拾おうとしたが、また頭に声が響く。
『なんで、燃やすんだよ!!』
(燃やす?)
何を燃やしたと、言うのだろうか。まだ、何も燃やしてないのに。
(花火も、制服もねーだろ…)
………制服も?
ちょっと待て、今俺は、制服を燃やした対象にしていなかったか?
(なぜ制服なんかを、燃やすんだ? 花火なら、まだ分かるけど…つか、なんでいきなり制服?)
不思議に思っていると、頭の中のもやが、取り払われていくのを感じた。
そして、ハッとする。
俺の制服は。
(制服は…………燃えた。燃やされ、た………)
でも、一体誰に?
疑問が持ち上がると共に、全ての頭の中のもやが晴れた。
(………五加木)
そうだあの日は…クラスの不良の五加木って奴が、いつものようにライターを学校に持ってきてたんだっけ。
(タバコのため、だったんだよな…確か。まだ中二なのに)
あいつは俺の前の席だから、ライターのふたを暇そうに開けたり閉めたりしてたのが、よく見えたんだ。
それで、それで、それで、それで、それで。
………俺の方を、じっと見てきたんだった。
それを気に止めず、次の時間が体育だったの思い出して、さっさと着替えて、教室を出たんだ。
そしたら、そしたらそしたらそしたら。
(こ、これ以上はもう思い出したくない!!)
「…いやだ」
俺は頭を抱えて、小さく叫んだ。
しかし、流れてくる記憶の波は止まらなかった。止められなかった。
………そしたら、そしたらそしたらそしたら。
教室に帰ってきたら、俺の制服、燃えちゃってたんだ。コゲコゲに、なってた。五加木が謝ってきてた、「焦がすぐらいのつもりだったんだ」って言ってた。なんでだよ、おかしいだろ、なんで焦がそうとしたんだよ、そう言って怒って殴りかかろうとしたらクラスの皆に押さえつけられちゃってそれで、それで、それでそれで、それで、それでそれでそれで。
…あいつ、俺を見て、「お前、なにムキになっちゃってんの?」って言ったんだ。
冷たい、怖い目で、俺を見てきた。
でも、みんな、そんなことされてる、泣きそうな俺を見ても、助けてくれなかったんだ。
俺、そんな皆を見て、なんで助けてくれないんだろうって、思ったんだった。
…俺が、いらないから? だから皆、
助けてくれないの?
「あ、ああ、アァァアアアアアァァァァアアッ!!」
「!!」
誰かが叫んでいるのが聞こえて、俺はやっと、思い出すのを止めることができた。
どうやら、俺がいじめのことに対して、苦しみのあまり叫んでいるのではないようだ。声が違う。
(この声は…獣のうなり声みたいな、低い声は…)
聞いたことがないはずなのに、誰の声だか分かった。
「…アヤノ!」
急いで、庭へ向かう。
アヤノは庭で叫びながら、頭を抱えて座りこんでいた。
「おい! しっかりしろ、おい!!」
今度は俺が、彼女にかけよる番だった。
「まァただァァアアアァァァア、ヴヴヴヴヴヴァアアアァァァァ!!」
(また? またってどういうことだ?)
しかし、今はそんなことを考えている暇はない。かけよって、彼女の肩に手を置いた。
だが一瞬にして、弾き飛ばされた。
なんて力だ。女の子にしては、力が強過ぎる気がする。
そう思った時だった。
(…アヤノって…誰だ?)
もやが完全に晴れた頭の中に、アヤノがどこにもいないことに気付いた。
(そうだ、こいつは妹じゃない、さっきもそう思い出してたじゃねぇか!)
ならば、彼女は。
アヤノは………誰?
その時、俺の体が動いた。
頭の中に、
(逃げなきゃ)
という言葉でいっぱいになったからだ。
多分、本能…という奴だろう。
しかし。
「思い出すなアアァァァアアァァアアアアアアアッ!!」
また、あの声がした。どうやら、追いかけてきているようで、声がだんだん大きくなってくる。
…と、いうか、さっきこのセリフを、聞いたような気がする。
いや…さっきだけじゃなくて、もっと前から聞いているような…。
…あれ、なんでだろう。
アヤノが、俺の首を、しめてくる。いたいじゃないか、ヤメロよ。
くるしいよ、やめろって、やめろやめろやめろってやめろやめろヤメロヤメロヤメテくるしいくるしいいいいいいいいいいいい
誰でもいいから、 助け、 て
4
「…っ!」
俺は大きく体を震わせ、跳ね起きた。
いつの間にか涙がでていた目をこすり、薄暗い周りをよく見ると、細かい編目状のものに囲まれている。
(どこだ、ここ…)
暗くて、狭くて、細かい網目状のものが全体的に張り巡らせてある場所…。
下を見ると、触り心地がとてもいい毛布が、一枚敷いてあった。
(…ん?)
しかし、今いる場所を思い出そうとした時、ハッとした。
(…俺は、誰………?)
自分のことが、すっかり頭から抜け落ちている。思い出そうとしても、頭の中にもやがかかったようにかすんで、何も分からない。
俗に言う、記憶喪失だろう。
俺は、頭を抱えた。
(ど…どうしよう…)
焦り始めた、その時だった。
隣に、誰かいることに気付いた。
「…アヤ…ノ…」
隣には、幸せそうに眠っている、アヤノが…。
(…アヤノ? 誰だ、それ…)
そう思った瞬間、めまいに襲われた。
「!」
また床に寝っころがりそうになったが、少し体がふらついただけで収まった。
(………何言ってんだ…こいつは俺の妹じゃねーか………)
俺は頭の中のもやから、何かがスルッと抜けてくるのを感じた。
(アヤノは俺の妹で、小学三年生…ここは、ばあちゃんが作ってくれた、特製の蚊帳の中…それで、今は夏休み…)
そう、俺の家では夏休み恒例の、兄妹での田舎のばあちゃん家一週関宿泊だ。
アヤノが寂しいと言って聞かないから、添い寝してたんだった。
なんでこんな簡単なことを、忘れていたんだろう。
(暑さに、やられちまったかな…)
そういえば今日は、猛暑になるとかなんとかTVで言っていたような、気がする…。
ここまでは思い出せたのだが、自分のことに関しては、全くといっていい程思い出せなかった。
思い出そうとすると、めまいが襲ってくる。
(なんでこんなに、めまいが…?)
脳の病気でも、患ってしまったのだろうか。
とりあえず、心も体も落ち着くように、大きく深呼吸をすることにした。
「はあー、げほっ、はあー…」
できる限り小声で深呼吸をしたつもりだったのだが、隣には聞こえてしまったようだ。
「…んう…」
アヤノは目をこすりながら、ゆっくりと体を起こした。
「あっ。悪い、アヤノ…起こしちまったな」
俺の声が聞こえたのか、フラフラしているがえへへと笑うアヤノ。
「…起きちゃったよー、もー…」
言っている内容とは裏腹に、なぜか楽しそうだ。
きっと、こんな真夜中に起きたことがないから、少しワクワクしているのだろう。
昔は、俺もそうだった。でも今は、中学に上がって、夜更かしするのが多くなっ、て…。
(………中学? 俺は…中学生なのか?)
自問自答しようとしたら、まためまいが襲ってきた。
「…っ!?」
(何だこれ、何だこれ何だこれ、何だこれ!!?)
そして俺は、パニックになった。頭が割れそうになるほどの、痛みだったからだ。
(さっきよりも、強くなってる…!!)
思いっ切り毛布に倒れて、体が激しい痙攣を起こした。
「……がはっ! …っぐううう…ぎいいっ」
声がちゃんとした声として、出ていってくれない。
さすがにこの俺の状態に、寝ぼけ眼のアヤノもパニックを起こしたらしい。
「お…お兄ちゃ…やだ、嫌だあ! お兄ちゃん、お兄ちゃあああん!!」
泣き叫んでいる声が、遠く聞こえる。
しかし彼女が泣き叫んだ所で、痛みは少しも変わらなかった。そればかりか、強くなってきている気がしてならない。
まるで、彼女の声を聞かせないように。
「く…うう…!」
しばらく苦しんでいると、見たことある場面がいくつも脳裏に浮かんだ。走馬灯だろうか。
(…嫌だ…まだ死にたくない…死にたくないよお)
泣きそうになりながら、どうしようもなく見ていた。
が、何かがおかしい。
妹のアヤノが、どの場面にもいないのだ。俺の隣に、ひっついていない。
ひっついているのは、小さい男の子だけ…。
(!!)
そうだ、アヤノは俺の妹じゃない。俺にいるのは弟だ。
じゃあ。
俺をお兄ちゃんと呼ぶ、目の前で泣いているこいつは。
アヤノは………誰?
(…アヤノ、アヤノを探さないと!)
怖くなって必死に、場面の中にいるはずの、アヤノを探した。
しかし、どこにも見つからない。見つかるのは、俺が忘れていた記憶だけだった。
(あぁ、そうだ…俺は…中二で、いじめられっ子で…アヤノは、妹じゃなくて…)
徐々に全ての記憶を思い出し始めた、その時だった。
一場面だけずっとループされているものがあるのが、気になった。
まるで、気付いて欲しいと言わんばかりに、ループを続けている。
(何だ…?)
その場面をよく見ると、定規やシャーペンなどの道具が机の上に置いてある。
勉強中だろうか。
『…はははっ』
笑い声が聞こえる。これは…俺の声だ。
そのまま、じっと見ていた。
すると。
いきなり場面が揺れて、床に落ちた。
『…いっ…』
そして、苦しそうな声がした。
どうしたのだろうか。ケガでも、したのだろうか。
心配になった。
『いてえ…!! 痛いよ、痛いい、い!!』
どんどん、声が大きくなっている。
誰か、助けてあげないと。
『…いてえ、いてえんだよお、痛いんだよおお』
泣き始めたのか、場面がにじんでいる。
(…!!)
そこまで見て、思い出した。
この場面は。
ずっとループされていた、この記憶は。
あの日の記憶だ。
ハッとして、自分の手首を見る。
(…かさぶた…)
スイカの皿が落ちた時に見つけた、あのかさぶただ。
…そうだ、あの時の、キズ。
場面を見る。
そこには、痛そうに一人で泣いている俺がいた。
(なんで、誰も助けにきてくれないんだよ…なんで、誰にも助けを求めないんだよ…? おい、自分で痛いって…分かってんだろ!? おい!!!)
場面に向かって叫ぶが、声にならない。
(なんでそんなことに、なってんだよ! 一体何が…)
そこまで叫んで、止まった。
一体、何が。
そうだ、この日は…この日は………。
大事なことを、思い出しそうになった。
しかし。
「………アアアアァァアアアアァァァアアアァアアアアァァァァァ―――――――ッ!!」
「!?」
いきなり獣のうなり声のような低い声が、咆哮を上げたのに驚き、思い出しかけていた大事なことは、消えてしまった。
起き上がる、俺。
「あ、おに、い、いち、ちゃん、ん」
低い声は、嬉しそうな声をあげた。だが、ちゃんと言葉を発声できていない。
「元気、元、元気になた、な、たなったの、ねよかっ、よ、かった、あ、はは、ははははは、はハハハハ、ハ、ハ」
周りは薄暗いはずだが、目が暗さに慣れたらしく、よく見える。そのため、アヤノがあの低い声を出していることに気付いた。
俺は、穀物畑の恐怖が蘇ってくるのを、感じた。
…いや、あの時よりも強い恐怖だった。
なぜなら、おかしくなっている妹を、目の前で見ているから…妹だと思っていた、信じていたものが、壊れていくさまを見ているからだ。
だがもう、彼女を妹とは思っていない。全てを思い出したからだ。
俺が誰なのか。
彼女が何なのか。
そして、彼女は俺に、何をしたのか…。
「ナ、オ、キィィィィィ、おにいいいちゃあん」
低い声は、いきなりアヤノの声になったかと思うと、首をあらぬ方向に向けて、饒舌(じょうぜつ)にしゃべりだした。
「元気になったらスイカスイスイススキの畑、小麦印のアヤノちゃんは、いつもよりも楽しみながら、すってんころりん大激怒! 花火に華々しい、素晴らしい! 蚊帳の中では、汝たるや? ナオキ治るの? いつ治る? ナオキ花火大大大好きだもんね、じゃあ花火にしよう、しようしようそうしよう、全ては兄妹にかかっている! キャハハハハハハハハハハハハ」
もう、何を言っているか分からない。ただこれ以上、近付いてはいけないことは分かった。多分、これを知らせてくれたのは、俺の中の本能だろう。
俺は飛び出すように蚊帳の中から出て、そのまま目の前の麦畑に突っこんだ。
後ろからは、アヤノの声と低い声が入り混じっている叫びが聞こえる。
「ステップ踏んで捨てないで! 人間逃げ逃げにげえものは苦手だ。楓の木達の奇天烈めいた表現の仕方には、考えには、孤独もろとも固まるものがある。さすがに、8ビットに打ち破れるものは、五万と五億といる! ケラケラケラケラケラケラケラケラケラ」
聞いていると、おかしくなりそうだ。俺はその声を聞かないために、とにかく走った。
しかし、奴の声は聞こえないどころか、どんどん近づいてくる。
「シャルシャル、シャル・ウィー・ダンシング? どーすりゃえーねん、みすぼらしいったらありゃしないね、きれきれ布切れ切れ切れ端、顔は油性ペンで見境なし! 梨がないなら橋もなし! イヒイヒヒヒヒヒヒヒヒ」
恐怖に負けて、思わず振り向いたその時、奴の顔が月光に照らし出され、しっかりと見えた。
とてつもなく深い穴のような黒い目に、赤黒い肌、耳まで裂けた口。
とても人とは、思えなかった。
「ひっ…ひい!」
思わず、情けない声を出してしまった。
その声に反応したのか、アヤノの声が聞こえてきた。
「ナオキィィィィィ!! 私これからも、ナオキが楽しかった時のこと、思い出させてあげるからねェェェェェ、大丈ォォォ夫だよォォォォォ?」
これからも?
…おい、ちょっと待て、それってまさか。
「苦しいあっちの世界なんかにィィィィィ渡さなァァい、ナオキは渡さァァァなァいィィィィィ!!!」
まさか…ループってことか?
ずっとこの日だけを、ループさせていたってことか?
さっきの記憶みたいに、永遠とループしてたってことか!?
「嘘だろ!?」
じゃあここは、本当の世界じゃないってことか!?
ああもう、訳分かんねえよ!!
俺は今、どこにいるんだよ! ここはどこなんだよ!! 出口はねーのかよ!!!
「誰か助けてくれ! 誰か!!」
俺は、走りながら泣き叫び始めた。
しかし、助けなんて来ない。きっと、奴が全てここの世界を管理しているんだろう。俺の助けがいたとしても、遮断しているんだろう。
(…いや、助けなんて元々、俺には存在しないのかもしれない…)
そんなことを孝えていたせいか、足がもつれて派手に転んだ。そしてついに、ガッチリと腕をつかまれてしまった。
(もう駄目だ…)
そう思った時だった。
いきなり、腕が上に引き上げられた。
「えっ!?」
焦る俺。だがついに、麦畑から上に突き抜け出してしまった。どんどん、空に引き上げられていく。
「もう大丈夫」
俺の腕を持っているらしい人が、優しく声をかけてきてくれた。
声がした方を見ると、全身光に包まれている、大きな翼を持った人が、しっかりと俺の手をつかんでいるのが分かった。まぶしくて、顔が見えない。
「あ、あなたは…」
誰? と言う前に、あることに気付いた。
下の方に見える麦畑に、奴の姿を確認できなかったのだ。
追ってきていた、はずなのに。
ハッと気付き、もう一度俺の腕を持っている人を見たら、遅かった。
まぶし過ぎる輝きが、除々に剥がれ落ちているのだ。大きいあの翼も、輝きを徐々に失っていった。
そして、その中身は。
「もううううだああいじょおおおおぶううううへへへへひひひ」
…あいつだった。
アヤノだったのだ。
「でもおおおお記憶があるならあああああ、リセットしなきゃあは、あはあは、はははは」
頭に、あいつの低い声が響く。
俺は、言いようのない絶望というのを感じた。
何をしても。
どう抗っても。
どれだけ時間が過ぎようとも。
俺は、元の世界には戻れないんだ。帰れないんだ。
ソンナノ、イヤナノニ。
「リセットは、死いいいんでおーしまいっ、きゃはっはあっ、ははあっははあ、アははは」
あいつの、声が、頭の中に、直接、聞こえる。
そして、空に、投げ出される、気がした。
風を切る、音がする。
あぁ落ちてるんだ、って分かった。
…ああ…。
スイカの皿が落ちた時、何を思い出そうとしたか、今、分かった。
俺は、そうだ。
こうやって、自殺したんだった。
落っこって、それで、血が、いっぱい、いっぱい、出て。痛くて、痛くて、痛くて。
降ってくる雨が、異様に、温かったんだ。
そっか…そういうことか。
………俺………死んでたんだ。
だから今、俺は今、
地獄に、いるのかな。
だから誰も、
助けに、
きて、
くれないの、
かな…。