久しぶりに見た京ちゃんは、強くなっていた。
結局、東三局で飛んじゃったけど、四連続三家和なんて初めて見た。
私は清澄の副将、竜君の後ろから見ていたけど、もう四人が四人とも相手の手牌、そして山まで透けて見えているような、そんな対局だった。
東一局、竜君の手牌は最終的に
{③③③3} カン {⑦⑦⑦横⑦} 暗カン {■②②■} 暗カン {■[⑤][⑤]■}
だった。最後の手出しは{③}。
つまりもう一回暗カンできて、四槓子を確定できた。
でもしなかったのは、上家の{3}単騎、下家の辺{3}待ち、そして、京ちゃんの打{3}を読んでのことだったんだと思う。
次の嶺上牌は{東}だったし、待ちは変えれない。しかも、その{東}を切ってしまえば、京ちゃんは次巡{東}を切ってかわしてしまう。
さらに最後の{3}は………『次のドラ表示牌』に…(一瞬…【見え】た…?)。
流局でも、三家和による流局と変わらないんだから、結局最後は槓しても良かったのかもしれない。
でも、流れというものがあるなら(そんなの私は見れないけど)あれが正解だったのかな…私にはわからない。本当の目的はもっと別にあるのかもしれない。
少し前の私だったら、この場所で打ちたいって思っていたのかな。でもその時は、怖くて入りたくなかった。
地区大会団体戦後、私の調子はいいものとは言えなかった。部での成績も落ちた。ちょっと前までは『嶺上使い』って言われてたけど、その名は、今では竜君のもの、みたい…。あれ以来、カンをすることが怖くなった。
チャンカンはこれまで、まったくされたことが無かったわけじゃない、されたからと言ってカンが怖くなったことなんて無かった。そういうこともあるのが麻雀。
でも…あれは違った。私が、牌が見えていることを、竜君は…利用…そう利用した。『嶺上開花』は私だけの世界、その私の唯一の自信を、竜君は粉々に破壊した。
京ちゃんたちの対局が終了した途端、原村さんが飛び出した。清澄の先鋒、傀君に勝負を申し込んだ。原村さんは中学の時同級生だった優希ちゃんと仲良しで、その優希ちゃんは地区大会で傀君に負けちゃって、その仇を討ちたいって。
私も、申し込もうかな…竜君に。
そう思っていたら、原村さんに感化されてか、竜君には龍門渕の副将さんが申し込んでた。次に龍門渕の大将が清澄の大将、アカギ君に、鶴賀の大将が傀君にと、私は完全に出遅れた感じがした。
「はーいそこまで」
手を叩いて騒ぐ場を制したのは清澄の中堅さんだった。
「みんな長旅の疲れもあるでしょうし、今日はここまでにして、温泉にでも行きましょう」
「い、いやです。今、今打たせてください!」
反発したのは原村さんだった。
「安心して、傀君たちは逃げないわ、よね」
清澄の中堅さんは彼らの方に笑顔を向けた。眼は、笑っていなかった。
「傀君たちは、さっきの対局の前にも打っていてね、疲れてもう今はベストコンディションじゃない『かも』しれないわ。どうせ戦うなら、最善の状態の方がいいでしょ?風越女子の原村さん」
そう説得され、原村さんは引いた。原村さんは、傀君に対し「明日、絶対打ってもらいますからね!」と言って、傀君は「わかりました」とだけ言ってニヤリと微笑んだ。その眼は、ちょっと怖かった。
場が解散され、みんなはそれぞれの行動をした。温泉に行く人、外で運動をする人、卓球を打ちにいく人、部屋でゆっくりする人と様々だった。私は温泉に行こうとしたけど、竜君が外に出るのを見て、その後を追った。竜君は宿から出た入口のそばで、煙草を吸っていた。
「あの…未成年…ですよね?タバコはやめた方が…」
失礼かもと思ったけど、私は…話しかけてしまった。
「俺は誰の指図も受けない…」
「そう…ですか…」
少し、子供っぽいって思って…私は心の中でクスっと笑った。けど、思ったよりも親しみやすいのかも、とも思えた。少し近づけた、気がした。
「あの…明日…」
「……」
私は、何を言おうとしてるんだろう。
「明日、私と…私と打って…くれませんか?」
なんで、こんなにドキドキしているんだろう。
まるで、告白のような…。
私は、何を血迷ったことを…しているんだろう。この人と打つのは、怖かったはずなのに、なんで…だろう…。でも…。
「席が空いていたのなら、勝手にすればいい」
そういって竜君は、どこかに行ってしまった。OKってことかな今の返事。
動悸が治まらない。体が、胸の方が少し熱くなっているのを感じる。
…温泉に行こう…。
◆
一人、温泉に浸かりながら私は考えた。
この合宿の意義、それは何か…。
清澄は全国に行く。その清澄の強化(そんな必要があるのか疑問だけど)、そして来年のある私たちのためのもの…。個人戦の全国出場を決めたキャプテンのためのもの(私や原村さんも行くけど)。
清澄と打つことで、私は強くなるの?鶴賀や、龍門渕と打つことで、私は…克服できるのかな。怖いってこと。
でも、私は申し込んでしまった。明日…私は竜君と打つ。
「宮永…さん?」
「原村さん」
原村さんが入ってきた。やっぱり、凄い胸。私は目を自分の胸に下ろしたけど、少し虚しくなって、ため息をついた。
「どうしました?」
「ん!?…い、いやなんでもないよ。それにしても二人っきりって、久しぶりだね」
「そうですね」
「明日、傀君と打つの?」
「はい。絶対倒します」
「そう…。私もね、竜君に申し込んだんだ…」
「そうなんですか?でも…宮永さん…」
「うん。自分でもね、何してるんだろって思った。私全国に行くのに、このままじゃって…のあったのかな?」
「宮永さんは十分強いです」
「でも、ずっと私…カン、してない」
「あんなのはオカルトです。今の宮永さんの方が強いと思います」
「そう…かな」
「そうです」
原村さんは、なんでもきっぱり言う。そう言われると、そうかなとも思ってしまうくらい、原村さんは強い。でも、私は…納得がしたい。自分のなりたい、ありたい自分でいたい。
沈黙が数十秒続いた。温泉から見える景色は、山は、綺麗だった。
「嶺上、開花…」
「?どうかしましたか宮永さん」
「山の上で花が咲くって意味…森林限界を超えた高い山の上…そこに花が咲くこともある…おんなじ、私の名前と…。私はその花のように…花のように…つよ・・・く・・・」
「宮永さん?」
なぜか、涙が出てきてしまった。どうしよう…止まらない…。
「宮永…さん」
原村さんは、やさしく私を抱き寄せてくれた。頭を、撫でてくれた。原村さんの胸は、温かかった。
「明日、絶対勝ちましょう…」
「…うん…」
◆
温泉から出たら、京ちゃんに会った。少し、背が伸びてた。
「久しぶり、京ちゃん…」
「お、咲か…」
京ちゃんは私から少し目をそらした。意識、してるのかな。私の浴衣姿。
「私は、お邪魔でしょうか」
そういって原村さんは行ってしまった。少し、怒っているような印象を、その声に受けた。勘違いしちゃったかな。私と京ちゃん。別に彼氏彼女じゃないのに。
「ああ!待って」
ああなるほど、京ちゃんは私を意識して目をそらしたんじゃなくて、原村さんを見てたんだ。
「ふーん」
私は京ちゃんに笑顔を送った。目は笑っていない。
「な、なんだよ咲」
「別に…」
それから、少し京ちゃんと話した。そして色々なことを知った。竜君のこと、やくざのこと、そして、死んでいった人たち。私には想像も出来ない場所に、竜君はいた。竜君は悲しみの中戦っている。
竜君の打つ麻雀は、私たちの打つ麻雀とは性質が違う。勝てなくて、怖くて当然、なのかもしれない。
じゃあなんで、竜君は一高校にすぎない清澄で打って、大会にも出ているんだろう。なんでこんな合宿に参加しているんだろう。
「さぁな…あいつのことはよくわからねぇ。けどよ、べつにいいんじゃねぇか?あいつはやりたいことしかやらない。押し付けられて何かをすることを嫌う奴だ。でもここにいるってことは、あいつがここにいたいからいるってことで、とにかく俺たちがどうこう考える必要なんてねぇのさ」
「そう…なのかな。でも、ありがとう京ちゃん」
少し楽になった。
◆
その日、卓に付いたのは私と、上家に昨日申し込んでいた龍門渕の副将さん、下家に清澄の次鋒さん、そして対面に竜君。
やっぱり緊張してきた。龍門渕の副将さん、たしか透華さんだっけ。透華さんも緊張しているのか、そわそわしていた。
「よ、よろしくお願いします…」
声にもその緊張は出ている印象。大会の時は、うるさかったり、落ち込んでいたりとよくわからない人だったけど…そういえば、透華さんも二戦目なんだ。竜君と打つの。
「さぁて、はじめるかのう?竜と打つのはひさしぶりじゃのう」
変わったしゃべり方…。方言?たしか、染谷さん。
この人は次鋒戦、散々だったな。でも、あれはこの人の所為って感じじゃなくて、だれが打ってもそうなっていたと思う。この人以外の三人が、三人とも何かおかしかった。あり得ない流れ、っていうのかな。ああいうの。その中でこの人は良く戦っていたと思う。特に終盤は生き生きしていて、自分の麻雀って感じだったし。
山が上がり、賽が回る。鼓動のペースが速くなるのがわかる。団体戦とはまた違った緊張があって、私にとって…何か大切な一局になってしまうような、そんな予感がした。手が震える。手が冷たい。牌をこぼさないよう、私は慎重に牌を取った。
東一局 ドラ {北}
東家 透華(親) 25000
南家 咲 25000
西家 染谷 25000
北家 竜 25000
南家 咲 配牌
{三七九④⑤1579南南西中}
役牌が対子…。くらいか…。この局もたぶん違う。そもそも、来るのかな。
1巡目 {三七九④⑤1279南南西中} ツモ {西} 打 {三}
2巡目 {七九④⑤1578南南西西中} ツモ {中} 打 {七}
3巡目 {九④⑤1579南南西西中中} ツモ {⑨} 打 {⑨}
4巡目 {九④⑤1579南南西西中中} ツモ {白} 打 {白}
5巡目 {九④⑤1579南南西西中中} ツモ {九} 打 {9}
6巡目 {九九④⑤157南南西西中中} ツモ {④} 打 {7}
・・・・・・
暗刻らない。調子が戻る感じがしない。そんな中
「リーチですわ!」
上家からのリーチ、透華さんの甲高い声だった。この人はこっちの方が自分の麻雀らしいけど、明らかにあの暗くて静かな方が強かったと思う。
本調子だったはずの私が、まったくカンが出来なかったあの支配は、もう経験したくない。
東家 透華 捨て牌
{⑨白97一北}
{横1}
私の第七ツモは{⑤筒}で、またも対子。
原村さんにとってはこれはいい流れなのかな?けど私は、これは私の流れじゃない。ここずっと、こんな感じだ。上がれる気もしない。
私は現物の{1索}を切った。
「チーじゃ」
染谷さんが鳴いた。{2}、{3索}持ちの両面チー。
そして次巡
「ツモ!300・500」
{五六七八八45789} チー{横123} ツモ {6}
「おっと…忘れとったわ…」
そう言って染谷さんは眼鏡を外した。そう言えば大会の時は外してたっけ。それより、一般的に見れば勿体ないアガリ。しかも、{3索}の方を引いてきたら上がれない形。
「あなた!私の親リーをそんな手で!」
「いかんかのう?」
少し、私に似ているのかもしれない。
続く東二局。私の調子は相変わらずだったけど
「ツモ!メンホン中。満貫じゃ」
4巡目でのツモ、染谷さんの調子は良かった。流れというのはよくわからないけど、そんなにも簡単に動かせるものなのかな。この流れは、さっきの両面チーの結果なのかな。でも
「ツモりましてよ。3000・6000ですわ!」
透華さんは確かデジタル。次局、まるでそんなオカルトはあり得ないと言っているかのような、反逆の跳満を仕上げた。(オカルトチックだけど)
「これで逆転ですわ」
「まだ東三局じゃぞ?気が早よおて」
「わ…そんなことわかっていますわ!」
「ん?あんさどうしたん?」
確かに、透華さんの様子は少しおかしい。呼吸が少し荒いような、そして顔も少し赤くなっていて…
「な…!……さあ!次ですわ次!」
この取り乱し。この人もしかして。
「ほほう…もしやお前さん」
染谷さんが煽った。この人…あまり性格が良くないのかな?
「あ!違いますわ!そんなことありませんわ!そんなこと!」
「わしはまだ何もいっちょらんぞ」
やっぱり透華さんは、竜君を意識してる。竜君の前だから、こんなんなんだ。でも、染谷さんも、わざわざそんな反応を引っ張り出す必要もないのに…。
「それなら…わしも負けられんのう…」
「え?」
染谷さんは小さくつぶやいた。その声は透華さんにははっきりとは届かなかったけど、私には聞こえた。この人も意識している。
私は…すごい卓に付いてしまった。
そして…。
「ツモ…」
東家 竜 手牌
{一二①②③④④} チー {横123} 暗カン {■[⑤][⑤]■} ツモ {三}
ドラ {西} 新ドラ {⑤}
東ラス、嶺上開花、三色ドラ4 赤2の倍ヅモ。竜君のアガリだ。
変わらない。あの時と変わってない。
まるで、時が止まっていて、竜君だけ自由に動いているような、まるで心が持って行かれてしまうような、そんな鳴き、そんなアガリ…。
鳴いたら上がる。京ちゃんはそう言っていた。一般的に、鳴き麻雀っていうのはデメリットが多いと言われている。でも、それでもアガって、竜君は勝ち続けてきた。
竜君は自分の麻雀を信じているのだと思う。今の私とは、違う。私は自信が持てない。私の麻雀は…勝てない…竜君に勝てない。そんなの、そんな麻雀を信じることなんて…できないんだ。
東4局終了時
透華 25500
咲 9700
染谷 21100
竜(親) 43700
竜君の親は続く。またも鳴き、またもアガり、またも魅せる。二度目の倍ヅモは私たち三人と竜君の差を具体的な光で照らした。
私の点数は残り1600点。
東場で、飛んでしまう。
せっかくの竜君との対局を…こんな形で…。私は、まだ何もしていないのに。
一本場、私は牌山に手を伸ばすことが出来なかった。手が固まって、動かなかった。
「どうしましたの?」
「どっか具合でも悪うなったか?」
「あの……その………私…」
変わるんだと、思っていた。
何か…何かが。竜君と戦うことで何かが。
でも、変わらない。変わるどころか。裁判で判決を言い渡された被告のように、もう何もかもが、未来までもが黒い光に貫かれてしまって…私はもう……もう、麻雀が……麻雀が出来…。
「あンたに一つだけ教えてやる…。俺が哭くのは勝つからではない。勝負において、信じられるのは己だけ」
「え……?」
聞こえた。確かに竜君の声が聞こえた。さっきまで固まってた手が、私の手が…動く。
私は何か、何か勘違いをしていたのかもしれない。
もう少しだけ…もう少しだけ、頑張ってみよう。負けてもいい。もう一度だけ…信じよう。
東4局一本場終了時
透華 17400
咲 1600
染谷 13000
竜(親) 68000
東4局二本場、私の配牌、ツモは相変わらずの中途半端な対子系で、とても上がれそうにない。
気分ひとつで麻雀が変われたらどれだけ楽だろうか。
7巡目、染谷さんが透華さんから{北}をポンして、次に私から{9}をチーした。奇妙なのは、染谷さんは{北}と{9}は既に手出しで切っていた牌だったということ。
透華さんや、私から出させるため?それにしても…
「ずいぶんと遠回りじゃったが…」
北家 染谷 手牌
{1334599} ポン {北横北北} チー {横978} ツモ {2}
ドラ無し。役牌、混一(食い下がり) 1000・2000の二本場
{北}も{9}も暗刻から落としている。
「お前からは喰えるとは思っとらんからのお」
竜君のツモを喰いとるため…か。
ずいぶんとシンプルなオカルトだと思う。
それでも効果はあるのだろうか。けどやっぱり、それにしても報われない点数。そう何度も通用はしないだろうし、竜君相手に流れを維持できるとも思えない。
その証拠か、次局も染谷さんは上がったけど、その点数は300・500。喰って喰っての単騎待ちの形で、苦しく、明らかに牌勢は落ちているのが目に見えた。
私の点数はもう100点。自信は、一応は持っているつもり。だけど、それに牌が答えてくれない。そんなオカルトはやっぱり無いんだろうか。
南二局、親は私。
最後の親。相変わらずの対子止まり。場は染谷さんの足掻きもあってか、竜君の勢いも落ちている感じで平たい。何も起きなければ流局してしまうような空気があった。
東家 咲 手牌
{三三四四九②⑨7889西西}
もう14巡が過ぎていて、七対子でならリャンシャンテン。一般的には悪くはないけど、暗刻が…私には来てほしい。そんな中、竜君から{西}が切られた。
「え?」
思わず声を出してしまった。あり得ない、と思った。竜君は私に鳴かせてくれるとは思ってなかったからだ。それともこれは竜君のミス?ますますあり得ない。何か、何かあるんだ。透華さんが牌山に手を伸ばす。
「まっ、待ってください!すみません、ポンします」
でも、考えている暇はない。罠でも、鳴こう…。
次巡ツモって来たのは{三}、さらに次巡{四}。
東家 咲 手牌
{三三三四四四九889} ポン {西横西西}
罠かもしれないけど、それでも何かが変わってきた。最終的にはマイナスになるのかもしれない。でも、もし何もしないで死んだら、絶対後悔する。
さらに次巡、{西}をツモった。
嶺上牌に見えるのは{8}。
いつもなら{九}や{9}を重ねた後にカンをして嶺上開花に行くけど、今は、今カンしよう。
私はその後現物だった{9}の方を切った。
結果は流局。テンパイしたのは、私と竜君。
東家 咲 手牌
{三三三四四四九888} カン {西
竜 手牌
{五五五五六七八九九九発発発}
上がり目は無し…でも、一歩前進ってことにしよう。
南二局終了時
透華 14200
咲(親) 1600
染谷 17200
竜 67000
「一本場です」
私は大きく息を吸って、少しでも自分を鼓舞するように、言った
◆
強くなったのは自分を変えていったから。同じところに留まらないで前に進んだから。そんな感じのことを京ちゃんは言っていた。
確かに京ちゃんは変わった(変わってないところもあるけど)。麻雀においては昔は猪突猛進って感じだったけど、あの対局では、止まるところではしっかり止まって場を冷静に見る力、そんな所が京ちゃんにはあった。
私も、京ちゃんのように変わった方がいいのだろうか。でも変わるっていうのは、過去の自分を否定するってことだと思う。過去の自分を捨てることが、私にはできるのだろうか。はっきり言って怖い。
私はこれまで自分の麻雀に、戦い方に自信があった。でもそれは勝ち続けてきたから…。家族での麻雀では、勝負とは程遠いものだったし、勝負に関してなら、私は負け知らずだった。
つまり私の持っていた自信なんてものは、薄っぺらの、濡れたらすぐ破けてしまう紙、あっさり崩れてしまう豆腐のようなものだったってことなんだ。
一回負けただけで、自分には上がいるって知っただけで崩壊してしまうんだから。そんな自信なら、捨ててしまった方がいいのかな。
でも…竜君の言葉が、引っかかる…。
「竜君は負けたことはあるの?」
昨日、私は京ちゃんにそう質問した。そしたら京ちゃんは
「竜に同じ質問をしてみな。『…勝てば生、負ければ死…。それだけのこと…』って返すからよ。何かっこつけてんだかな。あいつも」
負けることを許されなかった。それが竜君…なんだ。
京ちゃんの話では、竜君は部に入る前はずっと一人だったみたい。勝つから自信を持つとか、負けるから過去の自分を捨てて新しい自分に変わるとか、そういう世界に竜君はいない。
自分しかいないんだ。信じれるのが自分しかいない。どうしようもないから、そうしているだけなんだ。
「ツモ…500オールの一本場です」
東家 咲 手牌
{四五六九九③④⑤12666} ツモ {3}
ツモのみ
染谷さんのマネって感じなのかな。流れが移動したのか、あっさりツモれた。前の私なら、ここからスタートするんだっけ。
山に登るように、少しずつ体を空気に慣らしていくように、手を少しずつ高くしていく。そして最後に山のてっぺんで、強く咲き誇る。
それが、私の麻雀。それが私の歴史。
これから、私は自信を持ってそれを敢行すればいいのか。
でも、相手は私より遥か高みにいる、山よりも雲よりも高い所にいる竜君。
思い返せば、竜君は大会で頂点に登った私に、青い
ダメだ…。ドロドロした気色悪い何かが、私の頭の中でグルグルと回っていて、私の思考を犯している。感情の起伏も激しい。もう少ししたら、眩暈や吐き気に襲われるのかも…。
「ツモ。1000オールは1200オールです」
南二局二本場
東家 咲 手牌
{③④⑧⑧234678} 加カン {
タンヤオ赤1
それでも世界は廻っているし、それでも局は進む。
私の歴史が引き起こした習性のようなものなのか、現出した結果は、私がまた一歩山頂に向けて歩を進めたという事実だった。
私は、どうしたいの?納得できる自分でありたい?納得できる自分って何?どう戦えばいいの…。私は、私の戦い方しか知らない…出来ない。
「ポン」
南二局三本場 ドラ{②}
東家 咲 手牌
{②②③[⑤]⑦⑧⑧⑧} ポン {三三横三} ポン {横発発発}
ここから何を切ろう。
打{③}で{⑥}待ち、打{⑦}で{④}待ちになる。
嶺上牌は{⑧}。二番目の嶺上牌は{⑥}。
登るなら、打{③}…。
{発}をツモって加カンすれば、そのまま発、嶺上開花、ドラ2赤1の満ヅモ。でも…。
南家 染谷 捨て牌
{⑤三二56三}(上家ポン)
{③79一⑤⑥}(下家チー)
{一}以降はツモ切り、国士を臭わせていた。
まだ張ってる感じじゃないけど、{発}をツモってカンした時にはアタリ…。そんな感じがする…。
その根拠みたいなのが竜君の両面チー({④[⑤]})と、{2}の加カン。新ドラは{⑦}だった。
まるで私の流れを阻止するかのように、単なるたった一つの鳴きなのに、そう思えてしまう。登ると…いけない。そんな気が強まってきた。
私の選択は
打{[⑤]}…
論理的に選択した牌じゃなかった。気が付いたら切っていた。
示した結果は『一旦戻る』だった。
登るのが怖かった。私の自信など、私の歴史など、恐怖の前ではちっぽけな存在なんだと思った。
だけど…。
北家 透華 打{①}
「!?…チー!」
鳴いた。鳴けた。私は打{②}でテンパイした。
そして次巡にはあっさりツモった。
東家 咲 手牌
{⑦⑧⑧⑧} チー{横①②③} ポン {三三横三} ポン {横発発発} ツモ {⑨}
役牌ドラ2 2000オールの三本場
この一連の流れに、少し私は拍子抜けした。牌が見えていたわけじゃないけど、流れが見える人は意図的にこういうことが出来るんだろうか。
あっさりと、竜君が鳴いたのにアガってしまった。
いや、冷静に見ればここは下がっていいんだ。下がったことで受けが広がったんだし…もしかして、答えはこんなにも単純なことなのかもしれない。
南二局三本場終了時
透華 10100
咲(親)13900
染谷 13100
竜 62900
とどのつまり、私は山を見ていなかったんだ。見ていなかったから、山を恐れたりもしなかった。山の恐ろしさなんて、知らなかった。
私も、昔の京ちゃんと同じだった。竜君はそれを私に見せくれた。竜君はたぶん、そんなこと意識なんてしてないだろうけど。でも、やっぱり竜君のおかげだ。
私は登ることを辞めなくていい。山さえ見ていれば、信念を捨てなくても、前に進むことが出来る。自分を…信じれる。勝てる勝てないじゃない…。変わる変わらないじゃない…。こんな…こんなにも単純なことを実行すればいいだけだったんだ。山は動かず、あり続けるんだから。
だから…。
「ツモ!嶺上開花!」
私は咲き誇っていいんだ!
南4局 四本場
東家 咲 手牌
{⑦⑧⑨⑨⑨99東東東} 加カン {
役牌 嶺上開花 赤2
4000オールの四本場
少しずつ、少しずつ登ろう。そうすればいつかは着くんだから。
「ツモ…」
南二局五本場 ドラ{7} 新ドラ{3}
西家 竜 手牌
{2223477} ポン {七七横七} 暗カン {■⑦⑦■} ツモ {7}
タンヤオ 三色同刻 三暗刻 嶺上開花 ドラ4
4000・8000の五本場
さすが竜君。簡単には登らせてくれない。でも大丈夫。もう、私は折れない。
南二局五本場終了時
透華 1200
咲(親)18600
染谷 4200
竜 76000
「竜君…」
南三局…。山が上がる。賽が回る。私の心臓の鼓動は、最初のころとは比べものにならないくらいゆったりとしていた。
「この対局が終わっても、また打とうよ…。私、もっともっと竜君と打ちたい…」
私はまっすぐ竜君の瞳を見て、感謝の意をその言葉に込めた。届かなくてもいい。私が言いたかっただけなんだから。
「え?…。そんな…。竜さん…また、わたくしとも打ってくださいますよね?今回は、たまたま私、調子が悪かっただけですわ!」
透華さんが私の後を追って言った。そっか、透華さんもそうだっけ…。
「もてもてじゃのぉ、竜」
染谷さんも…。やっぱりすごい卓についちゃったな…。
「勝負はまだ終わっていない…。早くツモりな…」
微かに、竜君が笑っているように見えた…。
南三局 親 染谷 ドラ {南}
北家 咲 配牌
{一四①②②②③[⑤]39南発中}
なんだろう。大きく何かが変わる気がする。悪い予感はしない。何か…。
北家 咲 手牌
1巡目 ツモ {②} 打 {一} {四①②②②②③[⑤]39南発中}
2巡目 ツモ {①} 打 {9} {四①①②②②②③[⑤]3南発中}
3巡目 ツモ {③} 打 {3} {四①①②②②②③③[⑤]南発中}
4巡目 ツモ {③} 打 {四} {①①②②②②③③③[⑤]南発中}
5巡目 ツモ {①} 打 {発} {①①①②②②②③③③[⑤]南中}
7巡目 ツモ {④} 打 {中} {①①①②②②②③③③④[⑤]南}
8巡目 ツモ {③} 打 {南} {①①①②②②②③③③③④[⑤]}
……来た。あと少しで…頂上。
しかし、私は次の瞬間目を疑った。竜君の…打{①}だ。
「え!?」
竜君が、私に振り込むなんて…そんなことがあるなんて…。
いったい、どういう形で切ったのだろう…。それとも、これは罠?どういう。ただの振り込みに、どんな意図がある?
仮にこのままアガった場合、12000点。点差は明らかに離れているし、逆転にはならない。
それに、見える嶺上牌は{④}…その次が{⑦}で連カン出来ないから、このままアガっても、カンしても同じ12000点。意図は、局を流すってことなのだろうか。
「鳴かないのか?」
「え…?」
鳴くどころか、アタリ牌なのに。竜君にはもしかして見えていないの?私の手牌が。
それとも…ここは哭くべきだと、竜君は言っているの?何かが、変わる感じがする…。鳴いても同じなら、哭こう…。
「カン!」
嶺上牌は{④}。
「ツモりました…。12000の責任払いです」
「…カンドラをめくってくれ」
「あ・・・はい…」
これまでカンドラが乗ったことなんて無かった。それが牌が見える代償だと思っていたから。それに、あまりの出来事だから忘れていた。
ドラ表示牌は{⑨}…つまりドラは{①}だった。
12000の手が、三倍満の24000点になった。
北家 咲 手牌
{②②②②③③③③④[⑤]} 大明カン {①①横①①} ツモ {④}
清一(食い下がりで5役) 嶺上開花 ドラ4 赤1 24000
「す…すみません…24000です…」
少し、恥ずかしかった。でもカンドラが乗るなんて…。
これが変化?そういえば、竜君は鳴けばよくカンドラが乗る。これは竜君に近づいてるってことなのだろうか。
少しの戸惑いと、少しの嬉しさが、その時あった。
私は、まだまだ強くなるんだ。そう思ったら、勇気というかやる気というか、そういうプラスの粒子のようなものが、胸の中心から体の隅々まで広がっていく、そういう感覚がした。
南三局終了時
透華 1200
咲 42600
染谷(親) 4200
竜 52000
近づいてきた。あれだけ絶望的点差だったのに、近づいた。点差も、力も…。そしてオーラス…。
親は竜君。
その局、信じられない配牌が降りてきた。
西家 咲 配牌
{[⑤]3東東東南南南西西北北北}
初めて見る…こんなわけのわからない配牌。これが『運』というものなんだって、私は確信した。
親の竜君から切られた第一打は{西}…。
「ポン!」
私はノータイムで発声し、そして{3}に手をかけた。
だけど、その時ふと京ちゃんとの会話を思い出した。
竜君が{3}を鳴く…。
そしたら必ず緑一色を竜君はアガる。そう、京ちゃんは言っていた。あまりにも信じがたい、オカルトどころではない話。
その時私は四槓子をアガれる感じがしていた。
その最後の嶺上牌は感覚では{[⑤]}で、それがそのまま{3}を切る理由になっていた。
切ったらアガる。
怖いもの見たさというより、竜君への興味から、そのオカルト話の真実を見てみたい気もしていた。その魔性のような魅力が、竜君にはあった。
もはやその時私自身に、成長や、変化や、勝利などといったキーワードは存在せず、あるのは好奇心だけとなってしまった。そしてその好奇心に、私は身を委ねた。
「ポン」
竜君が・・・哭いた。
牌が、青白く光って見えた。
そして切られた牌は、{北}…。
「カン!」
またもノータイムで発声した。その間におそらくコンマ1秒もなかったと思う。
早く、早く結末を知りたかった。私と、竜君だけの世界の結末を。
嶺上牌は{西}…。
「もういっこ、カン!!」
見える、牌が見える。さらに次の牌は{南}、次は{東}…それも見える。私は哭いた。
「もういっこ…カン!!!」
「もういっこ……カン!!!!」
西家 咲 手牌
{[⑤]} 加カン {西
そして最後の嶺上牌に私は手を伸ばした。あれは…あれは{[⑤]}…。これで…ついに、やっとわたしは………。
引いてきたのは
{3}……。
そんな…。
いや…そっか…。そうだよね…。
「……まだ……まだ、か…」
私は、一息ついて少し自分を落ち着かせた。竜君の魔性に、魅せられちゃってた。
京ちゃんなら、止めていただろうな、この牌…。
そして…アガっている。勝てたんだ…私、あっさりと。
「終わったナ…」
東家 竜 手牌
{2222444466} ポン {3横33} ロン {3}
緑一色 48000
南四局終了
透華 1200
咲 -5400
染谷 4200
竜(親) 100000
負けた―!!!!!!!!!!!!
「竜君!もう一回!!」
「ふっ…」
また、竜君が笑った。