合宿二日目。合宿のメニューはこの日から開始されたのだが、この日のメニューの内容は、打ちたい相手と打つ、というものでほぼ自由時間に近いものだった。各々が打ちたかった相手と打った。県大会で戦った相手とのリベンジ、戦えなかった相手への挑戦、動機は様々だった。
原村和もその中の一人であり、彼女は清澄の先鋒、傀への復讐を目的としていた。しかし、合宿のメニューは午前から始まったのだが、傀が場に現れたのは昼を挟んでの午後二時を過ぎてからだった。
「ここ、一つ空いてますよ…」
和は空いている卓を探す傀を呼び止めた。視線は向けず、声だけを送った。その卓には自分の他には、鶴賀の生徒二人が既に座っていた。加治木ゆみと東横桃子である。傀は言われるまま卓に着いた。
「午前中…居ませんでしたね。どこに行っていたのですか?」
「プロの方に呼ばれていまして、その方達と打っていました」
傀は答えた。丁寧な物腰、言動は和を更にいらつかせるのに十分だった。
「昨日…約束しましたよね。私との約束より大切なことですか?」
「午後には帰られてしまうそうなので」
「そうですか。まあいいです。逃げたのだと思いましたが、そうではなかったんですね。では、始めましょう」
会話中の彼女の表情は、氷と表現すればいいのか、微動だにしないものだった。彼女はただじっと卓を見つめながら冷たい音を発していた。
席決めによりタチ親は傀、そして和、加治木、桃子の順となった。
傀 25000
原村 25000
加治木 25000
桃子 25000
(先輩は上家っすか…。出来れば頭跳ねのされない下家、差し込み確実の位置に居たかったっすね。でも、この位置なら確実に差し込まれれる位置…。安めの早めテンパイを目指して、先輩をこっそり全力でフォローするっす)
東横桃子、彼女は午前中のすべての時間、金魚の糞の如く加治木に引っ付いていた。だが、彼女のフォローが成就したケースはこれまで一度もなく、彼女は今度こそはと意気込んでいた。
闘牌が開始された。東場は和の独壇場と言える時間だった。ミスなく最速ルートを通る彼女の麻雀は誰よりも早く、桃子がフォローする隙も存在しなかった。彼女は東一局、そして親の東二局で三連続和了を見せた。加治木や桃子も安手ではあるがアガり、彼女の連続和了を止めはしたが、次局ではアガリ返されてしまい、彼女の流れは止まらなかった。
東四局終了時
傀 14800
原村 48900
加治木 17700
桃子 18600
「東場、ノー和了でしたね」
和が言った。
「そうですね」
傀が返した。
「少しは悔しそうな顔でもしたらどうですか?」
和は少し声を荒げた。傀は悔しそうな表情をするどころか、不敵に微笑んでも見せた。彼女は左手で卓を叩いた。
「何がおかしいんですか!」
和はさらに声を荒げた。
「あなたは知らないでしょうが…」
彼女は続けた。
「県大会決勝、あなたと戦った優希は……もう麻雀がまともに打てなくなってしまったんです。あなたとの戦いのトラウマで、麻雀が…怖い…って……」
正確には、片岡優希は『自分の麻雀』が打てなくなってしまっていた。得意の東場でもリーチの前には必ず萎縮しベタ降りをするようになった。また、退路を狭くする、あるいは断つ『鳴き』や『リーチ』などは出来るはずもなく、勢いこそ売りだった彼女の麻雀はその影も形も無くなっていた。
「原村和さん…だったか?」
加治木が、彼女の話を遮るように言った。
「話なら後にしてくれないか?今は対局中だ。雑談を交えた仲間内の対局ならともかく、少なくとも君はこの勝負を真剣勝負として受けているのだろう?それに…恨みを晴らしたいのは君だけではない。こちらも睦月をやられているのでな。君だけの話じゃない」
(先輩かっこいいっす)
桃子は目を輝かせて加治木を見つめた。
「……すみません。そうですね」
和は引き下がった。しかしその手は震えており、納得できないことを示していた。
「再開してよろしいですか?」
「はじめてください」
和は間髪入れずに返した。局は再開された。
◆
「ロンです。4800」
南一局、和は傀に振り込んだ。和はその局リーチをかけており、振り込み自体は彼女にとって珍しいことではない。問題は、彼女の待ちと、傀の手牌である。
南家 和 手牌
{二三四五六⑧⑧345789}
待ち {一}、{四}、{七}
東家 傀 手牌
{一一一四四四七七七⑧⑧78} ロン {9}
三暗刻のみ 50符2飜 4800
和の待ちを止め、暗刻にした形。
(待ちが広くてもアガれなければ意味がない…。そう言いたいのですか?あなたは…)
普段の彼女なら、この程度のことは大したことでは無い。
アガリ方に意味を持たせている時点で、既に彼女の麻雀は狂っていた。
インターミドル全国覇者。人は彼女を天才といった。実際、彼女は天才なのかもしれないし、やはり運が味方していたから彼女は頂点に立てたのかもしれない。だが、彼女は自分が天才だとも、まして運が味方したから勝ってきたとも思ったことはない。努力に次ぐ努力、それが彼女を支えてきたのだから。
だが目の前の男のアガリは、自分自身が積み重ねてきた努力、信念、哲学を根本から否定するようなアガリ方は、『今』の彼女にとって許しがたいものになっていた。先ほど加治木に制されたこともあり、声を荒げたりはしなかったが、点棒を払う手の僅かな震えが、彼女の怒りを表していた。
彼女の怒りは闘牌にも表れた。
南一局一本場 ドラ{③}
南家 和 手牌
{四五七八九778899西西}
待ち {三}、{六}
6巡、比較的序盤に張ったものであり、原村はノータイムでリーチした。デジタルの彼女らしいといえば彼女らしいのかもしれない。しかし、捨て牌の乱れがデジタルというより怒りの要素が多いリーチであることを証明していた。
「カン」
次巡、傀は{六}を暗カンした。新ドラは{7}。そして、嶺上牌をツモ入れた傀はまたも暗カンした。今度は{三}。新ドラは{三}。
(そんな…私の待ちが……消えた…?)
考えるまでも無いことを、彼女は考えてしまう。
原村は傀を見た。彼は微かに笑っていた。
「リーチ」
同巡、和は掴んだ牌、{四}をツモ切るしかなかった。
「ロン」
東家 傀 手牌
{四四①②③西西} 暗カン {■三三■} 暗カン {■六六■} ロン {四}
リーチ 一発 ドラ5 18000(18300)
「裏は乗りませんでした。18000の一本場です」
和は思った。自分は間違っているのだろうか。いかに正しい打ち方をしていても、勝てなければ意味がないのだろうか。この男の麻雀は異常。今のアガリに関して言えば、明らかにこちらのアガリ牌を知っていて行っているようなものだった。
(そんな…。相手の牌が透けて視えているなんて…そんなオカルト……)
偶然。そう彼女は思いたかった。だが、傀の表情からは、明らかに意図的にやっているとしか思えなかった。何かが、彼女を狂わせていた。
「い………イカ……」
彼女はイカサマと言おうとした。しかし、その単語は言い切られなかった。その単語を言うことは、自分が物的証拠も存在しないのに言いがかりをつけるという麻雀の素人以下の行為だからである。和に、そんな真似は出来なかった。
南一局二本場 ドラ {1}
2巡目に傀からリーチが入った。
東家 傀 捨て牌
{六}(下家ポン){4横6}
南家 和 手牌
{四四四③⑤⑦3347} ポン {横六六六}
捨て牌
{西九}
同巡、和のこの形に入ってきた牌は{西}だった。早い巡目の親リーであり、一巡目に捨てている{西}が通る保証もない。通常の原村なら降りていたはずである。少なくとも現物の{4}を切る選択肢もあった。しかし
「ロン…一発です。12000は12600」
東家 傀 手牌
{一一[⑤]⑤⑥⑥⑨⑨88北北西} ロン {西}
リーチ 一発 七対子 赤1 12000の二本場(12600)
和の麻雀は崩壊していた。
南一局二本場終了時
傀 52500
原村 11200
加治木 17700
桃子 18600
そもそも、半荘一回で全てが分かるわけでも決まるわけでもない。手牌が透けて視えることも、待ちをすべて消されることも、本当はただの偶然であり、次局、また次局には普通の麻雀になっているかもしれない。
(でも……でも……)
この半荘一回が原村にとっては青春だった。彼女は青春を賭けて戦っていた。
優希の仇が目の前にいる。それが彼女を狂わせていた。
彼女の脳は理よりも悔しさが優先された。頭が悔しさで埋め尽くされた。彼女は俯き、体を震わせた。
「原村さん頑張って!」
背後から声がした。振り向くと、そこには宮永咲がいた。
「宮永……さん?」
「勝負はまだ終わってないよ、原村さん」
「でも……私…もう…」
彼女は声も震えていた。
「原村さん……自分を信じて…」
「え?」
「今の打…{西}…原村さんの麻雀じゃないよ。原村さん、自分の麻雀に自信を無くしてる…」
「そう…かもしれません……。でも、私の麻雀は……この人に通じないんです…。だったら…」
「そうじゃないよ、原村さん。勝つから自分を信じれるとか負けるから信じれないとか、そういうんじゃないよ」
「よく…わかりません…」
「私ね、さっきまで竜君と打ってたの。5回打って5回とも負けちゃったけど、それでもね、自分の麻雀取り戻せた…。竜君と打って…私は私の麻雀を捨てなくていいって思えた。だから……嶺上開花………アガったよ。だから…原村さんも、原村さんの麻雀……信じて」
「宮永…さん…でも……」
「のどちゃん…。私はもうだいじょうぶだじぇ」
宮永の後ろから片岡が現れた。
「ゆーき?」
「優希ちゃんもね、竜君と打って取り戻せたの。自分の麻雀。だから、原村さん…。原村さんは自分のために打って」
(ゆーきが…笑ってる…)
優希の笑顔を見た瞬間、彼女の中でつっかえていた何かが、外れた。
「私の……麻雀……」
原村和の麻雀。それは牌効率、打点を意識し、ミスをしない徹底したデジタル麻雀である。しかし、彼女の人格はそれだけではない。デジタル麻雀を徹底すると同時に、オカルトを徹底的に否定する。それも彼女の一面である。
「宮永さん……私……もう一度信じてみます……私の麻雀を」
「原村さん…」
(ゆーきが…笑顔を取り戻した…。宮永さんが、自分を取り戻した…。なら…信じましょう。宮永さんの言葉を。そして、私の麻雀を…)
彼女は目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をした。
そして目を開き、その視線を卓に戻すと、彼女を纏っている空気が次第に冷たくなり始めた。
空気は冷たい。しかし、彼女自身はのぼせたような雰囲気になり、その頬を赤らめる。
デジタルの化身が今、舞い降りた。
南一局三本場 ドラ{六}
南家 和 配牌
{一八⑦⑧⑨25688西白中}
第一ツモ {中} 打{西} {一八⑦⑧⑨25688白中中}
第二ツモ {8} 打{一} {八⑦⑧⑨256888白中中}
第三ツモ {⑥} 打{白} {八⑥⑦⑧⑨256888中中}
第四ツモ {7} 打{2} {八⑥⑦⑧⑨567888中中}
第五ツモ {4} 打{八} {⑥⑦⑧⑨4567888中中}
第六ツモ {3} 打{⑨} {⑥⑦⑧34567888中中}
東家 傀 捨て牌 鳴き牌
{中⑨④三⑧7}
ポン {2横22} ポン {[5]横55}
西家 加治木 捨て牌
{12}(対面ポン){35}(対面ポン){四}
北家 桃子 捨て牌
{1⑨1}
{2}、{5}、{8}、{中}待ちの多面張。だが和は既に{2}を切っておりフリテン。出アガリは不可である。多面張だけなら彼女はフリテンでもリーチしたであろう。しかし、残りのアガリ牌は{8}と{中}の一枚ずつである。今の彼女はそんなリーチなどしない。
同巡、傀は加治木の切った{発}をポンし、打{8}。原村の待ちであるが、当然アガれない。彼女のアガリ牌の殆どを喰い、そして彼女を愚弄するかのような捨て牌。先刻の彼女には許しがたい行為だったであろう。しかし、現在の彼女はその状況を単なる一つの事象として観た。そして計算し、光よりも早く答えを導き出した。自分がどこに向かうべきかを。原村和の精神状態は氷そのものだった。
(さっきから何回も飛ばされるっすねー。でもいいっすよ。それで私のステルスは完成するッすから…)
桃子は原村や加治木に対しては消えれない(加治木に対しては消えたくない)ことを知っていたが、傀に対しては消えれると思っており、加治木への差し込みが不可なら傀からの直撃によって流れを断ち切ろうと考えていた。
「ポン」
そんな桃子の打{中}を和は鳴いた。そして打{3}。結果的に傀のツモ番は飛ばされたことになる。
(やっぱり…視えているっすね)
和のこの鳴きによって彼女の待ちは、{3}、{6},{9}、{4},{7}となる。またもフリテンであるが、その待ちは増えた。
次巡、その理に応えるように、彼女はツモった。
南家 和 手牌
{⑥⑦⑧4567888} ポン {中横中中} ツモ {3}
中のみ 300.500の三本場(600.800)
「300.500は600.800です」
その声はあまりにも冷たく透き通っていた。周りを気にせず自分の麻雀が打てた。彼女にとってこのアガリは、努力に対する褒美のようで、役満よりも勝利よりも貴重な、かつ愛おしい300.500となった。
南一局三本場終了時
傀 51700
原村 13200
加治木 17100
桃子 18000