宥へ…
あなたがいつの日か訪れるこの『手』に、真実を記しておきます。
私は、最低の母親です。
私は、弱い女です。
私は、卑怯な人間です。
私は、あなたが生まれるずっと前から、お父さんと出会うずっと前から、裏の世界で生きていました。
父も、母も殺されて、残ったのは私の命だけ。
私は、私の運だけで生きるしかありませんでした。
運以外の全てを失った私は、その世界では何一つ語りませんでした。
ただ、打つ。ただ、勝つ。それしか、道は無かったのです。
その世界の人たちは、何一つ語らず、ただ勝ち続ける私を『男』として見ました。
ドラに愛される私のことを『竜』と呼び、誰もかれもがその幻想に振り回されました。
そこに居たのは、竜と言う男の幻想だけだったのです。
その世界が、嫌でした。
誰もかれもが下らない幻想に振り回されて、命を奪う。命を落とす。命を賭ける。
誰もかれもが『男』を売り、『男』に憧れ、『男』に生きる。
それが、極道でした。
そんな世界で、唯一私を女として見てくれた男性がいました。
あなたのお父さんです。
あの人は私に表の道を与えてくれました。私は、プロ雀士になりました。
裏の世界が私を手放す、ということにはなりませんでした。裏の世界は、私ではなく、『竜』という幻想しか見えていなかった。
ですが、裏とは違った表の世界は、私には新鮮でした。
私は、表と裏の顔を持つようになりました。
表の世界でも、私は勝ち続けました。
最初は良かったのです。充実感もありました。大きな大会にも出て、色々な方にも出会って、様々なことを学びました。
そしてあなたが生まれ、思ってもみなかった家庭的幸福が、私に訪れたのです。
ですが、そんな日々もいつしか崩れていきました。誰もかれもが、私を怖れるようになったのです。
人は私を『氷のK』と呼び、避けるようになりました。
あなたも、私が抱くたびに泣いていました。
そして玄が生まれ、私の生活はますます多忙になりました。出産してから数日もしないうちに裏で打ち、表では記者たちの取材。
そんな私に、そんな私に対して、あの人は、「今日も頑張れよ」って。
私の中の、何もかもが凍りつきました。
あの人の優しさは、見せかけだけのものだった。
使える『道具』としてしか見ていなかった。
あの人が幻想に惑わされなかった理由がそこでわかりました。
あの人は氷だったのです。完璧なる現実主義者。自己の利を考え、冷徹に他者を利用する。それが、あの人だったのです。
私が傷つくことを言われても、それが重要なことだったとしても、あの人は何も感じない。
私は、全てを失いました。
『私』には自信がありました。歴代唯一の国内無敗雀士だったのです。その自信が、私を『裏』に足を運ばせました。
そこに居たのは『竜』だったのです。
『私』は『竜』に会ったのです。
ですが、それは真実ではないのです。
私は、私の中で『竜』を作りました。
『竜』を想い、生きるようになったのです。それしかなかったのです。
そして、最悪のことを私はしました。
私が表と裏を作ったように、あの人を、夫を、二つに分けたのです。
私を傷つけた、氷のあの人と、理想の夫『竜』の二つに。
そして生まれたのが、竜司です。あなたの弟です。あなたには、弟がいます。
そして、『竜』は消えました。
裏の人たちは竜司を『竜』の生まれ変わりと思い込み、私から引きはがしました。
私は、自分で作りだしたものさえ失い、生んだものさえ奪われました。
私は最低です。
夫もいる。あなた達もいる。なのに、私は自分には何もないと独りよがりの絶望に浸っていました。
私は、欲しいものしか見えなかった、自分勝手な人間です。
それが、その凍りついた『手』が、『本当』の私なのです。
◆
伝わってくる。
お母さんの声、悲しい声が、『手』から伝わってくる。
こんな不思議なことが、この世にあるなんて。
この『手』は、母が最期に打った対局の、オーラスに訪れた配牌。
その日風邪で学校をお休みしていた私は、その対局を後ろで観ていた。
私はお母さんが好きだった。でも、怖かった。
違う。私はお母さんが怖かった。でも、失えなかった。失うことは、もっと怖ろしいから。嫌いになることが、出来なかった。
だけど、優しかったし、言葉は、温かかった。
やっぱり、私はお母さんのことが、好き?
私も、お母さんと同じ。自分がどっちなのか、わからない。
お父さんは、お母さんが死んでから、変わった。
あんなにも冷たかったお父さんだけど、変わった。
まるで、光は影と共にあるように、お父さんの冷たさには、お母さんが必要だったのかもしれない。
好きにはなれないけど、今は嫌いでもない。
清澄高校副将、甲斐竜司君。その子が、私の弟。
同名というのもあるけど、長野の方達と打った時に教えられたし、赤土先生にもビデオを観せてもらったから、すぐにわかった。
前々から予感はあったけど、今、繋がった。
あの人は、お母さんの子。まぎれもない、大切な。
あの人も哭いていた。
今ならわかる。
お母さんは、冷たくなんか無い。
寒さの中を必死に生きる、温かい…違う、熱い命だった。
お母さんも、哭いていたから。
先生の言った通りだった。
臨海の、鉄壁さんの麻雀を観ていたから、気付けた。繋げれた。
原村和さんと打った時や、爆岡さんの麻雀を観た時、私は震えた。あの人たちは、まるで機械のような麻雀を打つ。
でも、鉄壁さんは、その寒さにじっと耐える人。先生の言葉を借りるなら、まるで針葉樹。
植物。お母さんも、花が好きだった。
今、花が咲こうとしている。
本当に温かいものは何か、それがわかった。
私は、哭いた。
私も、哭く。
この冷たい『手』に、命を刻むために。
牌が、青白く閃光った。
お母さん。ごめんなさい。
お母さん。ありがとう。
お母さん。さようなら。
――― ツモ 嶺上開花 緑一色
◆
次鋒戦が終わってから暫くして、一つだけ、気になることがあった。
次鋒戦終盤、私は母の最期の対局を思い出した。
それは麻雀教室での対局。
その時、母の対面にいた女の子。
あれから、もう何年も経っている。
普通なら、そんなことは無いはず。
でも、その子は今……白糸台の大将……。
岩倉 玲音
あの子は、いったい……