オーラス 1本場
北家 咲 手牌
{一九①⑨19東南西北白発中}
プラスマイナスゼロの世界……
虚無の中で咲く花…
◆
「自分のマイナスをゼロに戻したい」
最近読んだ本の主人公の台詞。すごく印象に残った。
その物語にはある聖人の遺体が登場し、誰もがそれを求め奪い合うというストーリーで、主人公もまたその遺体を求めた。その主人公には辛い過去があって、常に自分をマイナス側の人間だと思っていた。だから彼は求めた。自分をゼロに戻してくれるかもしれない聖人の遺体を。
竜君も、きっと私にとってそういう存在。竜君のおかげで、私はお姉ちゃんと仲直りで来て、プラスマイナスゼロに戻ることが出来た。竜君と出会えたから、私の未来は変わったんだ。
だから、私は竜君が欲しい。
竜君の存在は、人を幸せにする。
私は、この幸せを永遠のものにしたい。
◆
決勝が終った後、監督等を除く各々の選手はそれぞれのホテルに歩を進めたが、咲は決勝戦の間トイレを我慢していたため、終了後直ぐにトイレに走った。
迷いながらもなんとか発見し、用を済ませることは出来た。しかし、たどり着いた手洗い場は会場内でも奥側に位置する所で、咲はどのように進めば外に出られるのかが分からなかった。
(どうしよ…)
彼女は仲間に連絡しようと携帯を取り出そうとするが、その視界に竜が映った。廊下のつき当たり、一瞬。横切る彼が見えた。
彼女は走り、そして確認したが、やはり竜の背中だった。どこかに向かっている。
(竜君が、なんでここに?)
疑問に思ったが、道に迷っている自分にとっては助け舟ではあった。ついていけば、どこかには着けるだろう。そう思って咲は物陰に隠れながら彼をつけた。
(私…何しているんだろ。声をかけて、道を聞けばそれでいいのに…)
そうは思いながらも、彼女は竜に声をかけることは出来なかった。
竜がたどり着いたところは、どこかの部屋だった。彼はその部屋に入った。
彼が部屋に入るのを確認し、咲はその部屋の扉の前まで行き、部屋の名前を見た。
(臨海…高校?)
そこは臨海高校の控室だった。
(何故…竜君がここに?)
咲は扉を開けるのを躊躇った。中から声が聴こえる。彼女は扉に耳をつけ、その会話を聞いた。
◆
「やはり来てくれたね」
既に卓は用意されており、D・D、ヴィヴィアン、そして高津が席に着いていた。彼らは竜がここに来た理由を知っている。
「一応、確認しておこうかな。君は何故ここに来たのかを」
D・Dが訊く。訊かれた竜は
「ケイとアミナの自由を貰いに来た」と言った。
その答えは彼らの予想の通りだった。
ケイは現在病院に居るが、彼にはもう一つ大きな仕事が残っている。それは【名簿】を手にいるためにD・Dと打ち、そして勝つことである。勝つことでようやくアミナの自由は約束され、アミナはケイと共に生きていくことが出来る。
だが、今のケイの力ではD・Dには勝てない。インターハイでの彼の奮闘も、血も、何もかもが無駄に終わってしまうことは目に見えていた。
竜は、彼の代打ちとしてここに来た。
「まさか君が、他人のために打つとはね」
D・Dは軽く笑いを零す。
(『もう一回』って、こいつと打つことだったなんて…。ずいぶんと人使い荒いじゃないの、デイヴ…)
ヴィヴィアンはため息を漏らした。
「だが、条件がある」
高津が言った。
「竜、お前にはうちの代打ちになってもらう。それがこの勝負を受ける条件だ」
たとえ竜の力がケイより上であることが明らかだとしても、無条件で勝負を受けられるはずも無い。これは竜にとっては無関係の勝負。他人が勝手に割り込んで、勝負を請け負うという話が通るはずも無い。
「少なくとも『ケイが勝つかもしれない』という可能性を、お前は潰すのだからな」
高津のその言葉に、竜は少し間を置き
「好きにするがいい」と返し、そして卓についた。
その時、ガラっと扉が開いた。
そこに居たのは、宮永咲だった。
咲は自分で何をしているのかが分からなかった。しかしもう既に言葉を発していた。
「待ってください」と。
「君は」
「咲ちゃん?」
岩倉玲音が会場に【許可】した人物の一人である宮永咲。D・Dには彼女がここに来る予感が微かにあった。だが、それでも若干の驚きを見せた。ヴィヴィアンと高津にとっては全くの予想外。二人は目を丸くした。
「あの…」
思考よりも言葉が先に溢れてくる。咲は、自分でそれを止めることが出来なかった。
「私を、その勝負に加えてください」
「あ?」
「咲ちゃん何を言ってるの?」
理解不可能の申し出。何故、竜以上にこのことに無関係の宮永咲が。ヴィヴィアンと高津にはわからなかった。
「どういうことか、聞かせてくれるかね?」とD・Dが言った。
「竜君は、渡せません」
それが咲の返答だった。
(なるほどね)
D・Dはその意味を理解し、彼女の言葉に補足した。
「つまり君は、誰もが【竜】を求めるように、彼を求めたのだね」
「…かどうかはわかりませんが…たぶん…そうかもしれません」
若干我に戻りつつあった咲は、微かに照れを見せ始めた。
「でも、竜が打たなくては困る人間がいるし、竜が打つためには、彼は桜輪会高津組の代打ちにならなくてはならない。それを君はどうするつもりだね?」
咲は脳をフル回転させる。考えながら言葉を発していく。自分の中の【確かなもの】だけを頼りにしながら。
「事情は、分かっています……。竜君は、あなたに勝たなくてはなりません。それは、絶対です。竜君は打って、あなたに勝つ……それで、ケイ君も、アミナちゃんも助かる…」
「それで?」
「それで私は、あなたに勝った竜君に……勝ちます……」
「竜に、勝つ…か。フフッ」
D・Dは笑った。
「それ、本気で言ってるの?」
それはヴィヴィアンにすら不可能に近い偉業である。彼女には咲の言葉が冗談にしか聞えなかった。
「確認するが、それはこっちの勝負と並行して行うものだよね?竜がこの勝負を請け負う前提条件を潰す程のものであるなら」とD・Dは聞く。
「はい。竜君があなたに勝った次の半荘に私が加わって、打つ、などのものではありません。勝負には、私は最初から加わります…。竜君はそういう人では無いはずですが、あなたとの勝負の後の私との勝負で、竜君が私を勝たせる、というのは理論的には可能です。それはフェアではありません」
「高津君…。と言っているが、どうする?」
高津は咲を睨み付け
「もし君が負けたらどうする?いや、君だけが負けるならいい。仮に君が入ったせいで、竜がD・Dに負けることになったら、どう落とし前をつけてくれるんだ?」
咲はその迫力に息を呑んだ。そして震えながら答える。
「もしこの勝負に参加させてくれるなら、そちらにお任せします」
高津は大きくため息をつき、若干の間を置いた。
「命を賭けるなら…君の要求を受けてやろう」
彼はその言葉に重さを加えた。
「命…」
「そうだ。仮に君の希望通りの展開…竜がD・Dに勝ち、君が竜に勝ったのなら、竜は君にやろう。こちらはケイと竜を失う結果になるが【名簿】を手にすることが出来るなら良しとしよう」
高津は続ける。
「だが、それはうちから竜という貴重な代打ちを奪うという行為だ。つまりこれは【竜】を賭けたうちと君の勝負でもあるということ。その勝負に釣り合う代償は、本来なら君一人の命でも安いくらいだ。【竜】という男は、それほどまでに重い存在だ」
「わかります」
「君が竜に負けた場合、ここで俺が君を殺す」
高津は銃を取り出し、咲に見せた。彼はその眼にさらに力を込め
「そして、もし竜がD・Dに負け、我々が【名簿】を獲得できないことになったのなら、その責任を君に背負わせる」と付け加えた。
(ちょっとそれ条件厳しくない?)
ヴィヴィアンの思う通り、この条件は厳しいものである。咲は事実上、竜をD・Dに勝たせ、加えてその竜に順位で上回るしか生きる道が無い。高津が持ち出した責任の内容は、殺された方がマシであると思えるものであるということは、ヴィヴィアンも、咲にもわかっている。
咲は震えながらも、その条件を呑もうと「受けます」と返そうとした。だがその時
「咲も、一時的に君の所の代打ちにすることを許可しても良いよ」とD・Dが挟んだ。
これなら、竜か咲のどちらかがD・Dに勝てば名簿を獲得できる。咲は順位状況を気にせずにトップを狙うことが出来る。
「いいでしょう」
高津は応じた。
「これでいいかね?」
「……はい…」
咲は頷いた。
D・Dの問いは竜に対しても向けられたものだったが、竜は何も返さない。
そう
いつもそうだった。
なんでもかんでも勝手に決められる。それが竜の人生であり、宿命のようであるかのように。
だが、竜はもうそのことに対して何も言えない。
自分も、同じことをしているのだから。
他人が自分の人生をいじるように、自分はケイとアミナの人生に介入している。
どうして、こうなってしまったのか。
もう分からない。
ただ、自分の心に沿って生きているだけなのに。
誰も彼もが勝手に。
何もかも
◆
座順は咲、D・D、竜、ヴィヴィアン。
ルールはインターハイ団体戦と同じ。10万点持ちの前、後半戦の二回の半荘。
「ねぇ。私は自由に打っていいのよね?」
ヴィヴィアンの確認。
「良いよ。ヴィヴィの順位はこの勝負の結果に何の影響もないからね。好きに打ちなさい」
「当然トップを狙うわよ。全員飛ばすかも。それでも?」
「構わない。この卓が、君自身のスキルアップに繋がるとも思っているから、この卓に君を呼んだんだからね」
「ふーん。あっそ…」
若干の不満はありつつも、彼女は卓に目を降ろした。
対局は開始された。
「7」
配牌が終わるとともに、ヴィヴィアンは宣言した。
【カウントダウン】
(前回の対局が、結果的に良い調整になったってことみたいね)
「ツモ。3000・6000」
咲 94000(-6000)
D・D 97000(-3000)
竜 97000(-3000)
ヴィヴィアン 112000(+12000)
(お姉ちゃんを苦しめた…【カウントダウン】…)
驚異的な支配。驚異的な力であるはずだが、奇妙なことに咲の心拍は穏やかであった。卓に着いた時から。
心を決めたからだろうか。それとも自分は狂ってしまったのだろうか。
でも、悪くない。咲はそう思えた。今の自分はおそらく、これまでにない最高の状態。咲はそう感じた。
「6」
「ツモ。4000・8000」
「5」
「ツモ。6000・12000」
咲 84000(-6000)
D・D 83000(-6000)
竜 81000(-12000)
ヴィヴィアン 152000(+24000)
カウントはゼロに向かっていく。
だが、誰一人として動じる者はいない。
(いい気はしないわね…)
東ラスの親を向かえ圧倒的点差を手にしたヴィヴィアンであったが、その表情を渋らせている。
(竜だけでなく…この子もか…)
D・Dは確信する。宮永咲をこの卓に入れて良かったと。
(玲音に感謝しなくてはね。全く、この私が一人の女の子にいくつも借りを作ってしまうとは)
東4局 親 ヴィヴィアン ドラ {⑦}
「4」
その局もヴィヴィアンによるカウントダウンの宣言からスタートした。
東家 ヴィヴィアン 配牌
{九①①②③④[⑤][⑤]⑥⑥⑦⑧東北}
打 {九}
2巡目 東家 ヴィヴィアン 手牌
{①①②③④[⑤][⑤]⑥⑥⑦⑧東北} ツモ {⑦}
カウントは順調。ヴィヴィアンは手牌から{北}を河に置いた。
「ポン」
「ッ!」
声は南家の咲のもの。{北}を叩いたのは彼女。
(何?…今の感じ…。この私が……この娘に対して、戦慄?……まさか)
単なるオタ風のポン。その程度だけでは、ヴィヴィアンのカウントが崩れることは無い。
次巡の彼女のツモは{⑤}。打{東}で手を進める。カウント通りなら、次巡にリーチをかけ、そして一発ツモ。しかし
「カン」
咲、{東}を大明槓。
「もう一個、カン」
{北}を加槓。
「もう一個…カン」
{⑨}を、暗槓。澄んだ声で、淀みなく行われたその流れは、彼女による場の支配を体現しているかのようであった。
咲 打 {西}
(でも…頑張ったみたいだけど、追いつけなかったってとこね)
嶺上であがれなかった彼女を見て、ヴィヴィアンは自分の支配が彼女の支配の上を行っていることを実感した。
そして次巡
東家 ヴィヴィアン 手牌
{①①②③④[⑤][⑤]⑤⑥⑥⑦⑦⑧} ツモ {⑥}
咲の鳴きがあったが、カウントは順調に見える。
どれほど周りが前に進もうと、カウントダウンは止まらない。
ここには松実玄はいないのだから。
そう確信を持つ彼女は{⑧}を曲げた。
しかし
「ロン。16000です」
南家 咲 手牌
{南南南⑧} 加カン {
新ドラ {7} {6}
咲 100000(+16000)
D・D 830000
竜 81000
ヴィヴィアン 136000(-16000)
ヴィヴィアンのカウントは途絶えた。
(小四喜を捨てている?私の{⑧}を…狙って?)
(これは…大明槓のドローブーストを使って、ヴィヴィのカウントの一歩先を行ったのか…しかし…)
ここまでとは。そうD・Dは感嘆した。
(これが…【嶺上使い】の力…いや…それ以上だな…)
その力は以前までの咲とは次元が違う。この命を賭ける卓にて、咲はその異能のさらに高いクラスへ進化させたのでは、そう彼は推察した。
(朝打ったテルとは…全然違う)
調査によれば、咲は父親に失敗作と言われていた宮永照とは違い、優性と称されていた。彼女はそのことを思い出した。
南1局 親 咲 ドラ {七}
4巡目
「ツモ。6000・12000」
南家 D・D 手牌
{23999白白発発発中中中} ツモ {1}
咲 88000(-12000)
D・D 107000(+24000)
竜 75000(-6000)
ヴィヴィアン 130000(-6000)
南1局。息を吐くようにその豪運で3倍満をあっさり和了したD・Dだったが
(ヴィヴィのゾーンが終了して、ようやく私に手が入ったが…)
手応えを感じない。まるで凪を押しているかのよう。
(カウント中のヴィヴィも、こう感じていたのか…。確かにこれは、いい気がしないな…。それに、そろそろ彼も…)
「カン」
南2局。D・Dの予感は竜の哭きによって確定されたものとして現出した。
「ツモ」
南家 竜 手牌
{発} チー {横一二三} 加カン {白白白横白} ポン {8横88} 大明カン {中中中横中} ツモ {発}
ドラ {7} 新ドラ {中} 新ドラ {中}
咲 88000
D・D 107000
竜 107000(+32000)
ヴィヴィアン 98000(-32000)
嶺上牌を含む全ての牌を利用した【ショートカット】。それは竜も使うことが出来る。そしてその火力は、宮永咲のそれとは桁が違う。
(これ程までに戦いにくいとは…)
生牌が切れない。
そういう場であることはもう間違いない。それ程までに、二人の力は強大だった。【オーバーワールド】を経験したD・Dでさえ、そう思わざるを得なかった。
(露子…。君を超えた逸材がここにも居たよ…。君の息子と、その息子を愛した者だ…)
D・Dは瞳を閉じ、あの世で生きている露子に対し届くはずも無い言葉を送った。
「ツモ。嶺上開花」
南3局 親 竜
咲 104000(+16000)
D・D 107000
竜 107000
ヴィヴィアン 82000(-16000)
感慨にふける間も無く状況は進む。
(あのヴィヴィアンが…いや…D・Dもか?……)
竜と咲は高津の予想以上の成果をあげている。圧倒的力を所持していた怪物であるヴィヴィアンとD・Dが、相手になっていないように見える。
そして
南4局が開始されるその瞬間
(ッ!…)
D・Dに訪れた胴震い。一瞬ではあったが、それは確かに訪れていた。
(今のは…)
彼を刺したのは咲。D・Dだけでは無い。ヴィヴァンも、高津もその鋭い刃を感じた。
咲から発せられる、これまでにない何か。
(これは…これが【恐怖】という感情なのか…)
D・Dにこれまで訪れなかった感覚。それが今、咲によってもたらされている。
「カン」
ヴィヴィアンからの大明槓。
{④}。
(ヴィヴィ…止めることは出来ないか…)
(この私が…押されているなんて…ありえない……)
前に進むのなら、当然切らなくてはならない生牌。当然ヴィヴィアンに後退の二文字は無い。認められない。
「ツモ。1000点です」
南家 咲 手牌
{一二三45678西西} 大明カン {横④④④④} ツモ {3}
ドラ {六} 新ドラ {③}
咲 105000(+1000)
D・D 107000
竜 107000
ヴィヴィアン 81000(-1000)
(え?)
先ほどのプレッシャーが嘘だったかのように、怖ろしく安い手を咲は和了った。加えてヴィヴィアンの疑問は咲の捨て牌にあった。
南家 咲 捨て牌
{九西西②発}
槓の出来る{西}を対子で落としている。
(下げた…っていうの?)
としか思えなかった。
何故。思考を巡らせどもその解答には到達しなかった。
(プラス…マイナス…ゼロ)
一方D・Dはその正解に近付きつつあった。この半荘を25000点持ち30000点返しとして見た場合、宮永咲のポイントはプラスマイナスゼロ。それは先ほどの圧力と何か関係がある。そう彼は推察した。
(調査では、一時期あの娘はプラスマイナスゼロで打っていたそうだな…)
◆
「ツモ。8000・16000」
オーラス 北家 照 手牌
{一九①⑨19東南西北白発中} ツモ {①}
もう夜遅くになっているが、病室の彼女達は飽きもせず対局を続けていた。
「あーまた宮永さんのトップかー…やってられんわー」
「そう言いながらも怜、何度も打っとるやん」
愚痴をこぼす怜。ツッコミをいれる竜華。
「こんなん100巡先を読んでも同じやわ」
未来予知の感覚を広げることの出来た怜であったが、未だに照には勝てず仕舞いだった。
「でも、今の半荘、ちょっとおかしかったですよね」
同卓しているケイが言った。
「やっぱり、気付いた?」と照は返す。
「確かになー。南場から宮永さんやけにおとなしくなってたやん」
「体温も、オーラスだけ急に上がって」
「うん。これは、ちょっと試してみたから」
「何を、です?」
「鏡のちょっとした応用。相手に向けた鏡を自分に使ってみた」
「鏡って、プロの間とかで照魔鏡と呼ばれているものですか?」
「うん。相手の力を計って、支配に繋げるんだけど、その力を自分に向けたら、こうなるみたい。まだうまく使いこなせる自信が無いから、公式戦ではまだ使わないかもだけど。照魔鏡・改…って所かな」
(宮永さんって結構中二病な所あるんかな…。それとも天然…)
竜華は若干引きつった。
国士無双十三面が約束された支配。
結果だけを述べるならそういう現象。それは、照が鏡を自分に対して使用し、自分の本質を知ることによって発揮される。
ライジングサン。それは照の名を示すが如く。
しかし彼女が言った通りこれにはリスクが存在する。
まず使用した半荘では、以後照魔鏡及び、その支配が発揮されない。また、これは直ぐに使えるものでは無く、4~5局程度は自分を見る時間が必要であり、その間も相手に照魔鏡は使用できないし、支配も発揮されない。
だが確実に役満を和了できるメリットが存在し、相手を見る必要もないため、後半の捲り用に使ったり、照魔鏡が通用しない可能性のある相手との対局では効果的である。
これは、この大会にて彼女が自分を見つめることによって見出した力であった。
「てことはあれかー?今の半荘は舐めプやったんかぁー?」
怜は照の肩に掴みかかり、グラグラ揺らした。竜華がまあまあと言いながら止める。
「そう言えば、妹さん、遅いですね」
ケイが話題を変えた。
「うん…。もうそろそろ帰って来ても良い頃だと思うけど…」
照は、もうとっくに暗くなっていた窓を見てそう言った。
◆
暫くやめていた麻雀を、また始めた。
きっかけは同じクラスの優希ちゃん。
数学の教科書を忘れて、隣の席の私が見せてあげた時、優希ちゃんのノートには麻雀牌の落書きがしてあった。業後聞いたら、彼女は麻雀部に入っているって言って、それから私に聞き返した。咲ちゃんも麻雀好きなのかって。
私は、昔は好きだったと返した。でも今は、と続けるその前に優希ちゃんは私の手を思いっきり掴んで、引っ張った。それじゃあ来るじぇって言って。私は部室に連れてかれた。
そこには沢山の麻雀部員がいた。皆一生懸命に、時に楽しそうに、時に辛そうに打っていた。その時、何かが私の胸を叩いた。
優希ちゃんに卓に座らされて、私は打つことになった。懐かしさが蘇ってきて、断るつもりが、勝手に手が動いてしまった。その時同卓したのが、優希ちゃんと、池田先輩と、和ちゃん。
それから色々あった。キャプテンの福路先輩にアドバイスを受けての、プラマイゼロ打ちからの脱却、和ちゃんとのケンカ、仲直り、合宿、レギュラー決めのランキング戦。家族以外と麻雀をすることが、こんなにも楽しいんだってことを知ることが出来た。
そして、竜君と出会った。
地区大会で打ちのめされて、合同合宿でまた打ちのめされて、でもそれでも前に進めて、近付けた。私の麻雀の世界が一気に広がった。
だから思えた。今ならお姉ちゃんに近付けるかもって。でも違った。公園でお姉ちゃんに会った時、思い知らされた。私は真実を知ることを怖れていた。麻雀を打ち、のめり込んで、楽しむことで…楽しんだ振りをして、真実から目を逸らしていた。
だから私は諦めた。家族を元通りにすることを。だけど、お姉ちゃんのことは嫌いになれない、忘れられない。私はお姉ちゃんに告白した。告白することで、全てに区切りを付けて、新しい一歩を踏み出そう。そう思った。
でも、お姉ちゃんはお姉ちゃんのまま戻って来てくれた。こんなの、奇跡以外の何ものでもない。
何が私とお姉ちゃんを繋げたのか。頭に浮かんだのが、竜君だった。はっきりとした根拠なんて無い。でも、何故かそうとしか思えなかった。
竜君のその哭きは、その生き方は他人のため。竜君は自分のため、他人のためには生きられないって言っているけど、やっぱり違う。だって今、竜君は間違いなく他人のために打っている。
私は今、その竜君と命を賭けた勝負をしている。
何故だろう。こんなに素敵なことは無いって思えてる。感覚がこれ以上なく研ぎ澄まされて、最高の状態。命を賭けて必死になっているからなのか、それとも命を賭けることを心の底では望んでいたのか、分からない。
前半戦終了。結果はプラスマイナスゼロ。家族麻雀のあの時のように私は打っていた。もしかしたら、あの時に近いのかも。和ちゃん達がここにいたら、怒られちゃうかな。
私は今、あの時の真実に近付こうとしている。
◆
後半戦。座順は竜、D・D、咲、ヴィヴィアン。
「ツモ。嶺上開花」
竜 101000(-6000)
D・D 104000(-3000)
咲 117000(+12000)
ヴィヴィアン 78000(-3000)
悪くなかった。D・Dにとってこの状況は悪くなかった。
(この歳になって挑戦者とはね…。悪くない。まるで悪くない…)
松実露子と打ち思い知らされ、【オーバーワールド】で思い知らされ、そしてここでもまた思い知らされた。自分よりも強い者がいるということを。
そして何よりこのことを思い知らされる。
麻雀は楽しい。
このままならない遊戯が、自分をどこまでも高揚させる。
退屈だった人生を、ここまで劇的に変えてくれた麻雀。彼は相手に感謝し、そして麻雀という遊戯に感謝する。感謝し、そして打つ。
東2局 親 D・D ドラ {6}
3巡目 南家 咲 手牌
{四五六六②③④⑨⑨2西西西} ツモ {六} 打 {2}
「ポン」
鳴いたのはD・D。
東家 D・D 手牌
{五七22345666789}
↓ {2}ポン 打 {9}
{五七34566678} ポン {22横2}
鳴きが無ければ次巡の咲のツモは{六}であり、咲はそれを暗槓、嶺上牌は{三}でツモ和了る。それをD・Dは第六感で察知し、動いた。
(【ショートカット】…君たちが見せてくれたから、私にも応用出来る)
咲のツモるはずだった{六}は、D・Dが喰いとる
はずだったが
「カン」
咲のツモ切った{1}を竜が哭いた。竜は咲が掴むはずだった嶺上牌の{三}を手中に加え、打{四}。新ドラは{1}。
(当然のようにカンドラが乗るか。だがこれで{六}は…)
ヴィヴィアンに流れることになり
「ロン」
D・Dは彼女からの{六}で牌を倒した。
(すまない。君からあがらせてもらうよ)
東家 D・D 手牌
{五七34566678} ポン {22横2} ロン {六}
しかし
「頭跳ねだ」
竜も倒す。
北家 竜 手牌
{三三[五]七[⑤]⑥⑦[5]67} 大明カン {11横11} ロン {六}
竜 117000(+16000)
D・D 104000
咲 117000
ヴィヴィアン 62000(-16000)
(鳴きでは、まだ一歩届かずか…)
嬉しさが込み上げてくる。楽しさが込み上げてくる。負ければ負ける程、自分にはまだ先があり、世界にはまだ上があるのだということを実感できるのだから。
そして何よりも
―――滾る
この充実感は、何ものにも代えがたい。
(これが…この時間こそが)
【ゴールデンタイム】というものか。
そうD・Dは燃えていた。
(感謝するよ。竜…。これで、胸を張って俊を迎え入れることが出来る)
東3局 親 咲 ドラ {五}
閃光る。
また閃光る。
西家 竜 手牌
??????? 暗カン {■九九■} チー {横④③[⑤]}
新ドラ {発}
西家 竜 捨て牌
{八西1南①六}
{北6}
南家 ヴィヴィアン 手牌
{四五五七七⑦⑦577発発中} ツモ {四}
(三色同刻の{9}は咲ちゃんが二枚切ってる…345の三色の{四}もデイヴが一枚切っていて、これで四枚目…)
彼女の麻雀は乱れている。
(待ちは…役牌くらい?……というか何?なんで私がこんなこと考えなきゃならないの?こんなの……あり得ないじゃない!『この私』が!)
「あンた、早く打ちなよ」
竜は続ける。
「時の刻みは、あンただけのものじゃない」
(こいつ!)
彼女は乱されていた。
ヴィヴィアン、打{5}。叩きつける。
(私は何をしているの?いつもの私はどこに行ったの?)
「カン」
{5}。
「カン」
{⑧}。
そして、{一}が卓に叩きつけられた。
「ツモ」
西家 竜 手牌
{一} 暗カン {■九九■} チー {横④③[⑤]} 大明カン {横[5]555} 暗カン {■⑧⑧■} ツモ {一}
ドラ {五} 新ドラ {発} {⑧} {⑦}
竜 133000(+16000)
D・D 104000
咲 117000
ヴィヴィアン 46000(-16000)
D・Dにはこの状況を楽しめるであろう。だが、ヴィヴィアンにはそれが出来ない。出来るはずも無い。
「ツモ」
東4局 親 ヴィヴィアン
竜 157000(+24000)
D・D 98000(-6000)
咲 111000(-6000)
ヴィヴィアン 34000(-12000)
ヴィヴァンは屈辱を胸に刻んだ。
そしてその屈辱は怒りへと変貌していく。
徐々に臨界へと近づいていくその様は、周りから見ても明らかだった。
(これは、まずいかな…)
最早いつ爆発してもおかしくない状態のヴィヴィアン。
(だが、投げ出したりはするなよ。あくまで勝負は麻雀の中で)
そうD・Dはヴィヴィアンに視線を送る。
(当然じゃない!誰に向かって言ってるの!?)
ヴィヴィアンはそう睨み返した。
南1局 親 竜 ドラ {7}
7巡目 北家 ヴィヴィアン 手牌
{七七③③③④④④⑤7789} ツモ {七} 打 {9}
気迫や怒りで手が良くなるなどオカルトであるが、だがそのオカルトを証明するかのようなヴィヴィアンの手。
「ポン」
咲が{9}を叩き、打{⑨}。
(それが何?それがどうしたっていうの?)
咲が鳴いたことで直ぐにヴィヴィアンのツモ番が回ってくる。
北家 ヴィヴィアン 手牌
{七七七③③③④④④⑤778} ツモ {⑥}
彼女は{8}を曲げる。
(私が世界の中心にいるのだということを、思い知らしてやる!)
「ロン」
しかし通らず。
西家 咲 手牌
{⑨⑨12345679} ポン {99横9} ロン {8}
竜 157000
D・D 98000
咲 112000(+1000)
ヴィヴィアン 33000(-1000)
(え?さっきのポン…【カン】できたんじゃないの?)
相手は嶺上使いの宮永咲。彼女の行動パターンは、ヴィヴィアンにはそう刻まれている。
しかし、咲には見えている。この局の嶺上牌は違う。【そこ】は、自分だけのものでは無いことを知っている。
(この局は、嶺上開花では和了れない…。1枚目が{⑨}で暗槓出来るけど、次の牌は{三}…。竜君の牌。だがら出来ない)
東家 竜 手牌
{一三三三九九九⑦⑦⑦} ポン {北北横北}
嶺上牌 {⑨} {三} {北} {⑦} {一}
嶺上開花だけが咲にとっての【ショートカット】では無い。
咲にとってはそれ以外の道…たとえ『遠回り』に見える道でも【ショートカット】となる。
(この遠回りも…竜君が教えてくれた)
彼女は合同合宿の時の竜との対局を思い出した。
南2局 親 D・D ドラ {9}
「カン」
その局の二人の勝負は竜の{⑧}暗槓から始まった。新ドラは{9}。
(見える…)
咲には竜の動きが見えていた。
7巡目 南家 咲 手牌
{⑨114[5]6678中中中北} ツモ {1}
(先に取られた)
咲が欲しかった{⑨}。嶺上牌1枚目にあった{⑨}は、今、竜の手中にある。
咲は{⑨}を河に置く。
(……でも、きっと竜君は動く。私が{⑨}を切ったから)
咲の読み通り、同巡竜はヴィヴィアンから{一}をチーした。
(三色狙いじゃない。竜君の狙いは…)
次巡、咲は{⑨}をツモる。
(これ…この{⑨}…)
北家 竜 手牌
{②②②⑨999} 暗カン {■⑧⑧■} チー {横一二三}
(竜君だって私のことは分かっている。私がこの{⑨}がアタリ牌だって察知して、止めることも読んでいる。次の嶺上牌は{9}。加えて、次巡竜君は{②}をツモり、暗カンする)
そして{9}をさらに暗槓し、3枚目の嶺上牌、{⑨}でツモあがる。咲が停滞すれば、竜は和了ってしまう。そういう結末。
だがそれでも咲は{⑨}を止めざるを得ない。切ればそれまで、やはり竜が和了ってしまうからだ。彼女は{北}を河に置いた。
南家 咲 手牌
{⑨1114[5]6678中中中}
(でも)
同巡、ヴィヴァンから{中}が切られる。しかしこれを大明槓しても、嶺上牌は{9}。そして前に進めば{⑨}が溢れる。だから彼女は
「ポン」
南家 咲 手牌
{⑨1114[5]6678中中中}
↓ {中}ポン 打 {6}
{⑨1114[5]678中} ポン {中中横中}
一歩下がった。
だが一歩下がった故に、竜がツモるはずだった{②}はヴィヴィアンに流れ、ヴィヴィアンはその{②}を握りつぶした。
そして竜のツモは{北}。ツモ切る。
その巡、竜は停滞した。咲によって停滞させられた。
そして
南家 咲 手牌
{⑨1114[5]678中} ポン {中中横中}
ツモ {1}
彼女のツモは{1}。槓在の{1}。後退によって得た牌。
「カン」
{中}を加カン。嶺上牌は{9}。
「もういっこ、カン!」
{1}を暗カン。新ドラは{北}と{⑧}。
嶺上牌は{⑨}。
遠回りによって得た{⑨}。
彼女の成長の証。
「ツモ。{中}、赤1、嶺上開花。2000・4000です」
南家 咲 手牌
{⑨4[5]6789} 加カン {中中
竜 155000(-2000)
D・D 94000(-4000)
咲 120000(+8000)
ヴィヴィアン 31000(-2000)
(でも…これだけじゃ届かない…。竜君の居る高みには…全然……)
勝たなくてはならない。
勝たなくては死ぬ。
命を賭けた真剣勝負。成長した、成長できたというだけでは意味が無い。
残り南3局と南4局で、竜を超えなくてはならない。
だが、それでも咲の心拍は穏やかだった。
(ゼロに向かっていきたい)
彼女の身体はそう動いていた。
これは、人としての意思なのか、それとも人以外の何かの意思なのか。彼女にはそれを知る術は無い
ただ確かなのは、ゼロに向かうことで、彼女は彼女と向き合うことになり、そして真実を知るということ。
(お姉ちゃん…)
ふと彼女の脳裏に、昔の光景が浮かんだ。
家族で麻雀を打っていた、あの時。
―――私は…
南3局 親 咲 ドラ {1}
5巡目 南家 ヴィヴィアン 手牌
{一[五]六七七七⑤⑥⑦⑦⑦7発} ツモ {7}
打 {発}
(7が集まってきた…。まだ親は残っている。このまま仕上がらせる)
6巡目 南家 ヴィヴィアン 手牌
{一[五]六七七七⑤⑥⑦⑦⑦77} ツモ {七}
「リーチ」
{一}は生牌。たとえ槓されようが関係ない。小手先の小細工や、押し引きで相手に勝とうなど、ヴィヴィアンはしない。
力と力のぶつかり合いで、そして上回る。完膚なきまでに、二度と自分に挑みたいなど思えないほどに。
「カン」
やはりというべきか、その牌は鳴かれる。鳴いたのは咲。
・・・
「いっ!…」
ヴィヴィアンは左目を押えた。
(今の…何?)
一瞬、まるで左目を刺されたかのような感覚。咲の槓は、これまでの槓とは何かが違っていた。
咲 打 {6}
(ツモ切り?)
ノータイムのツモ切り。その牌に発声も掛からない。意図が存在しない打牌。
新ドラは{七}。
(乗った…)
狙いは読めない。だがヴィヴィアンのドラ4が追加された事実。この事実を彼女が快く思うはずがない。
(私のドラを乗せて、私にツモを回して…舐めるのもいい加減にしろ!)
「ツモ!4000・8000!」
南家 ヴィヴィアン 手牌
{[五]六七七七七⑤⑥⑦⑦⑦77} ツモ {⑦}
裏ドラ 東 槓裏 西
竜 151000(-4000)
D・D 90000(-4000)
咲 112000(-8000)
ヴィヴィアン 47000(+16000)
(後悔させてやる。この私を怒らせたことを…)
ヴィヴィアンは咲を睨み付けた。しかし、彼女は意に介さない。
(ヴィヴィは気付いていないか…。この異常事態に)
前半戦終了時にも感じた圧力、その正体の恐ろしさに、ようやくD・Dは気付いた。
(この世に……このような現象が存在するとは)
南4局 親 ヴィヴィアン ドラ {中}
5巡目 東家 ヴィヴィアン 手牌
{五六七七七⑤⑥⑦56779} ツモ {7}
打 {9}
当然彼女は牌を曲げる。だがその瞬間、また先程と同じ感覚が彼女を襲った。
(つっ……!また!?)
「ポン」
鳴いたのはまた同じ、宮永咲。
(ヴィヴィ、認められないのか…彼女から発せられる『禍々しさ』を…)
黒と表現すればいいのか。
否。黒などよりも、黒い。咲の周りに存在する色は、この世のどの黒よりも黒く、他を侵食する。
(くっ…)
ヴィヴィアンがツモって来たのは{4}。安目。
(4…訃音……)
アガルものか。
彼女はその牌を河に叩きつけようと、その牌を掴む。
しかしもう、認識せざるを得なかった。
宮永咲を。
「つ……ツモ……2000……オール」
{五六七七七⑤⑥⑦56777} ツモ {4}
竜 149000(-2000)
D・D 880000(-2000)
咲 110000(-2000)
ヴィヴィアン 53000(+6000)
(今……威された……。こいつに……こんな奴に……)
―――殺す
―――アガらなければ殺す
ヴィヴィアンが感じた、宮永咲からの脅迫。
(こ……こんな……)
カタカタと、足が震えだす。
(止まれ……止まれ……トマレ……トマレトマレ……とまれ……とまって……)
その逆に震えは加速する。
これは個人が怯えるという次元のものでは無い。
仮に自分だけが殺されるなら現象なら、まだ立ち向かえる。
だが、仮に世界を滅ぼされるのなら、立ち向かいようが無い。
(ヴィヴィ…その震えは自然だ…。恥じることは無い。『生きている』のなら、必ず震える。恐怖する。絶望する。これは……そう言う現象だ)
今、全て【ゼロ】に向かい、そして虚無が完成した。
◆
お姉ちゃんが鏡で相手を知るように、私は今、自分自身の本質を知った。
私の力は…
私の血は…
◆
咲のたどり着いた真理には、先が存在していた。
先が存在していたが故に、これは真理たり得たのである。
ヒントはヴィヴィアンの【カウントダウン】。
彼女の圧倒的支配は、不合理な打ち回しの反動のようなものが作用して発揮される。
咲のプラマイゼロ打ちもそれと同じ性質があった。
この世の全てが消滅した瞬間に発生するエネルギー。
宇宙の再誕であるかのような現象。
それはまさしく、虚無に咲く花であった。
南4局 1本場 親 ヴィヴィアン ドラ {⑦}
北家 咲 配牌
{一九①⑨19東南西北白発中}
東家 ヴィヴィアン 配牌
{一九②②④⑤⑤⑦⑧3東東南北}
西家 D・D 配牌
{二二三三六六79東南西西北}
(これはもう…我々の出番は無い…かな)
配牌の状態だけでは無い。この空間に存在する異常。それがD・Dの予感を後押しした。
状態だけで言うなら全てを凍らせる、松実露子の支配に近い。
だがこの空間を凍りつかせている要因は【寒さ】では無い。
全てが存在しないが故に凍り付いている。虚無の空間である。
(これ…何を切れば良いの?…)
配牌を受け取ったままヴィヴィアンの手は動かなかった。
そこにある色は、萬子、筒子、索子、字牌という色のはずである。だが、彼女の眼には、それらが全て黒を超える黒一色に見える。
その黒は徐々に視界に侵食し、彼女の世界までも暗黒に染めようとしている。
(早く…切らないと……切らないと……『アイツ』が……)
彼女は竜を意識した。
竜に言われる言葉を意識した。この自分に対してこけにしたような口を、生意気な口をきく許しておけない存在。
だがその瞬間、彼を意識した瞬間、一つの牌が微かに閃光ったように見えた。
暗い暗い空間の中で、一瞬、しかし確かにその牌は閃光った。
彼女は何かに導かれるように、気が付いたらその牌に触れていた。
その牌は
「ポン」
{3}
哭いた。
竜が{3}を哭いた。
暗い暗い世界。
冷たい冷たい世界。
そんな世界の唯一の光、唯一の熱。
河に置かれた一枚の牌は{4}。
竜の哭きにより、ヴィヴィアンにも、D・Dににも微かな希望が開かれたように感じた。
黒だった視界が、僅かに光を戻しつつあった。
(これは…戦えるのか…いや…。この状況で動けるのは…竜しかいない……。生きながらにして『死体』である彼しか……)
D・Dのツモは{1}。視界は戻りつつあるが、はっきりと見える牌は…その{1}のみ。
彼も導かれるようにその牌を切る。
その{1}は、咲の和了牌だった。
だが咲は、微動だにしない。
咲の逆転条件は、役満ツモ、もしくは竜からの3倍満以上の直撃のみ。
しかしそう言った理で咲は動いていなかった。
竜からしかあがらない。咲が見ていたのは、竜だけだった。
咲のツモは{2}。
これがどんな牌なのか咲はとっくに理解している。
理解している上で、咲はその牌を河に置いた。
「ポン」
一つ晒せば自分を晒す。
二つ晒せば全てを晒す。
竜の狙いは緑一色。
咲には見えていた。
南家 竜 手牌
{123666発} ポン {横333} ポン {2横22}
南家 竜 捨て牌
{44}
D・Dに番が回ってきた。
ツモは{4}。
これで河に3枚目の{4}が並び
咲が4枚目を置いた。
そしてヴィヴィアンの番。
彼女は{1}をツモ切った。
咲は動かない。視線すら送らない。
竜からしかあがらない。
咲には竜の{1}が見えている。
竜が必ず{1}を切ることを、咲は解っている。
「咲」
(え?……)
竜が、咲の名前を呼んだ。
「今のが4枚目の{1}だ」
―――4枚目
竜のツモは{8}。
「カン」
{3}
{8}。
「カン」
{2}
{8}。
南家 竜 手牌
{1666888発} 加カン {3横333} 加カン {22横22}
新ドラ {8} {①}
そして河に、そっと{1}が置かれた。
同巡、和了れず。
D・Dの河に{⑨}が置かれ、咲の番。
咲が手にしていたのは…{8}
◆
(私に……幸せになる資格なんて無かったのかもしれない……)
{8}を手にして咲はそう思った。
終わったのだ。
(不思議……)
何もかもが真白く見える。
(竜君……)
―――私の……
―――
――――
―――――
トン
静かに
その牌は静かに置かれた
静かだった。
何もかもが静かだった。
それは全ての終わりを告げるからなのだと、咲は思った。
終わったのだ。
今。
―――
――――
―――――
(あれ?…)
声がかからない。
何故。
もう自分は、殺されてしまったからなのか。
人は死ぬ時、こんなにもあっさりと終わるのだろうか。
死ぬ瞬間さえ分からずに。
だが静かに意識だけが継続している。
これは
終わっていなかった。
咲が河に置いていたのは{8}では無かった。
{⑨}。
何が自分をそう動かしたのか。
答えは決まっている。
生きたいからだ。
―――勝負はまだ、終わっていない。
咲は『この麻雀』を知っている。
『この生き方』を知っている。
これは、竜の麻雀だ。
生きるために打つ、竜の麻雀。竜の生き方。
その魂が、今咲に宿っている。
そして、世界が開かれた。
(竜……君……)
―――
――――
―――――
東家 ヴィヴィアン 手牌
{一九②②④⑤⑤⑦⑧東東南北} ツモ {⑧}
(今、終わったと思ったのに…)
その手は牌をツモっていた。そして
(見える…牌が)
その視界は回復していた。
(まだ……戦えるなら!)
ヴィヴィアン、打{九}。
勝負は再開された。
南家 竜 手牌
{666888発} 加カン {3横333} 加カン {22横22}
ツモ {九}
打 {九}
(そう…勝負はまだ終わっていない)
咲は可能な限り状況を分析する。
(まず、竜君の手は私の{8}に依存している。その理由が、嶺上牌にある{発}。逆に言うなら、竜君が和了するためには…)
竜が和了する条件は3つ。
一つ、咲が{8}をきる。
二つ、竜が{6}を哭く。
三つ、竜が{発}をツモる。
条件1は咲が握りつぶした。となれば竜が和了るための条件は残り二つであり、つまり、{6}か{発}が竜の手に渡る前に決着をつける、という未来が咲にはある。
(とは言っても遠い)
逆転の条件が変わったわけでは無い。咲は三倍満を竜から直撃するか、役満をツモるしかない。
(ヴィヴィアンさんに和了ってもらうルートもあるけど…さすがに集中力が限界、この局で結着にする。竜君がヴィヴィアンさんに役満をふるとも思えないし…それにしても)
―――遠いなぁ…
遠い。
遠い。
なんて遠い廻り道。
咲は微かに、その柔らかな表情を取り戻していた。
西家 D・D 手牌
{二二三三六六79東南西西北} ツモ {西}
(視界が回復した。宮永咲……壁を越えたか…)
打 {7}
その牌に、咲は反応した。
「チー」
ここに来てついに
咲の鳴きに閃光が宿り、彼女の鳴きは真の『哭き』となった。
北家 咲 手牌
{一九①1東南西北白発中} チー {横789} 打 {九}
(今……牌が青白く……竜君のように)
閃光った。
場にいる全員がそう見えた。
宮永咲が、竜の哭きをした。
東家 ヴィヴィアン 手牌
{一②②④⑤⑤⑦⑧⑧東東南北} ツモ {南} 打 {一}
南家 竜
ツモ {一}
打 {一}
西家 D・D 手牌
{二二三三六六9東南西西西北} ツモ {6}
打 {東}
(これは、私らしからぬミスかな。それとも、咲の『哭き』か。魔術の如き『哭き』が、私の手を殺した…そして…)
竜が和了る条件の残り二つの内、一つを殺した。
これで、彼の和了る条件は、{発}をツモるのみとなった。
(ん…今…)
咲は見逃さなかった。
その時竜が微かに笑ったことを。
北家 咲 手牌
{一①1東南西北白発中} チー {横789} ツモ {白}
一歩前進。
打{一}。
東家 ヴィヴィアン 手牌
{②②④⑤⑤⑦⑧⑧東東南南北} ツモ {一}
打 {一}
南家 竜
ツモ {白}
打 {白}
「ポン」
咲はまた進んだ。
北家 咲 手牌
{①1東南西北発中} チー {横789} ポン {白横白白}
打 {1}
東家 ヴィヴィアン 手牌
{②②④⑤⑤⑦⑧⑧東東南南北} ツモ {九}
打 {九}
南家 竜
ツモ {⑨}
打 {⑨}
西家 D・D 手牌
{二二三三六六69南西西西北} ツモ {二}
(これは…まだ行けるかもしれないね…。とは言っても、条件は厳しいが…{6}…落ちてくれるかな?)
D・Dの逆転条件は咲以上に厳しい。役満を竜から直撃する。これのみである。
打 {9}
北家 咲 手牌
{①東南西北発中} チー {横789} ポン {白横白白} ツモ {①}
(ドラの{①}。思えば…これが希望だったのかもしれない。竜君のカンによって開かれた新ドラ…)
打 {東}
東家 ヴィヴィアン 手牌
{②②④⑤⑤⑦⑧⑧東東南南北} ツモ {四}
七対子。現在最も和了に近いであろう彼女であるが、聴牌までの一歩が遠い。
打 {四}
南家 竜 手牌
{666888発} 加カン {3横333} 加カン {22横22}
ツモ {7}
竜が笑った。
微かであったが、また。
咲は知っている。あの笑いは『勝つ気でいる』笑い。
竜は{発}を河に置いた。
(そう…それでこそ、竜君だよね)
この打{発}は当然諦めではない。勝つために放たれた一打。
咲には解った。
竜が竜であり続けていることに、咲は嬉しかった。
西家 D・D 手牌
{二二二三三六六6南西西西北} ツモ {三}
打 {北}
北家 咲 手牌
{①①南西北発中} チー {横789} ポン {白横白白} ツモ {中}
打 {南}
東家 ヴィヴィアン 手牌
{②②④⑤⑤⑦⑧⑧東東南南北} ツモ {北}
(入った!)
ここに来て彼女は聴牌した。
打{④}。七対子、{⑦}待ち。当然逆転に到る手では無いが、連荘、次局に繋げるために彼女は前に進む。
南家 竜 手牌
{6667888} 加カン {3横333} 加カン {22横22}
ツモ {白}
打 {白}
西家 D・D 手牌
{二二二三三三六六6南西西西} ツモ {六}
(遠かったか…)
{南}を河に置き聴牌したD・Dは、勝負の終焉が近付いており、ここでこの手は終わるのだということを感じた。
(まったく…【高み】はいったいどこまであるんだろうね)
彼はこれからの人生が楽しみで仕方が無かった。
未来に思いを馳せるその表情は穏やかであり、どこか少年じみていた。
北家 咲 手牌
{①①西北発中中} チー {横789} ポン {白横白白} ツモ {①}
打 {西}
(ここまで…遠かった…)
ゴールが、もう見えるところに。
東家 ヴィヴィアン 手牌
{②②⑤⑤⑦⑧⑧東東南南北北} ツモ {中}
ツモれない。
(認めろ…って言うの?……私がまだまだだってことを……)
まだ、認められない。
彼女は{中}を切る。
「ポン」
咲が哭いた。
打 {北}
咲、聴牌。
北家 咲 手牌
{①①①発} チー {横789} ポン {白横白白} ポン {中中横中}
咲の打牌が終了し、ヴィヴィアンのツモは
{7}
表示牌に一枚、咲の手に一枚、竜の手に一枚。
これは、4枚目の{7}
竜の和了牌は、咲の哭きのよってヴィヴィアンに流れ、そして潰された。
(流石に…これがその牌……よね。ここで私が【7】を…手放せるわけないじゃない……)
ここに来てようやく思い知らされた。
世界にはまだ高みが存在し、自分がまだまだなのだということを。
彼女は{北}を切った。
そして、結着の時が来た。
{①}
竜がツモり、そしてそっと河に置かれた牌。
(竜君……)
―――ありがとう
―――ありがとう…それしか言う言葉が見つからない……
「ツモ……」
―――嶺上開花
北家 咲 手牌
{発} チー {横789} ポン {白横白白} ポン {中中横中} 大明カン {①①横①①}
ツモ {発}
ドラ {⑦} 新ドラ {8} {①}
そして、最後のドラ表示牌が開かれる。
{発}
終局
竜 116700(-32300)
D・D 88000
咲 142300(+32300)
ヴィヴィアン 53000
―――
――――
―――――
「こんなことがあるなんてね」
最早ヴィヴィアンの怒りはどこかに消えていた。ただただ、脱力。それが今の彼女の状態だった。
「いやいや…長生きはしてみるものだな」
D・Dは笑う。
「ということだ。高津。この一件は咲の希望通りに…」
そうD・Dが高津に対して言った瞬間、高津は立ち上がり、咲に対して銃を向けた。
「え?」
咲は目を点にした。
自分は、竜に勝ったはず。
なのに、何故。
「悪いな。これが大人のやり方だ」
そう言って彼は躊躇いも無く引き金を引いた。
咲の意識はそこで途絶えた。
―――
――――
―――――
引き金は確かに引かれた。
だが弾丸が発射されたわけでは無かった。高津は弾をあらかじめ抜いていた。
咲は気を失っただけであり、その場に倒れただけだった。
「すみません。驚かせて。でも今の彼女に対してなら、この脅しだけで十分【線】を切れると思いました。気絶しなかったら、他の方法で気絶させるつもりでした」と高津が言った。
「初めから決まっていたからね。全部」
「はい」
咲が竜に勝つことは想定外だったが、仮に勝ったとしても、高津は初めからこうする気でいた。
【竜】という存在は重い。一人の女の子が所持していいものでは無い。仮にここで手に入れたとしても、直ぐに他の者達が取りに来る。そして抗争が始まり、彼女は巻き込まれることになる。それだけはしてはならない。
【名簿】についても話は既についていた。ワシズと再開できたD・Dにとってもう【名簿】は不要のもの。【名簿】の勝負は、あくまで本気の…それも『他人のために打つ』竜と打つための餌に過ぎなかった。
「しかし、いいものを見せてもらいました。ありがとうございます」
高津はD・Dに頭を下げた。
「感謝なら、咲にするべきだね」とD・Dは返す。
「したいですが、それも出来そうにないですね。ですが、病院には私が連れて行きます。償いというほどのものではありませんが」
これで一段落着いたことを確信して、高津はようやくその頬を緩めた。
◆
気が付いたら、私は病院のベッドの上にいた。
見覚えのある天井。ここは、お姉ちゃんがいた部屋だ。
「咲!」
その視界に、お姉ちゃんが入ってきた。
どれだけ心配していたか、その眼にいっぱいに溜めた涙を見てわかった。
ごめんなさい、お姉ちゃん。
私はもう一つお姉ちゃんに謝った。
家族麻雀のこと。
たとえお姉ちゃんに嫌われても、これだけは言わないといけない。
でもお姉ちゃんは、許してくれた。
誰も彼も自分のために生きている。それが普通。仕方が無いんだって。
その言葉はあまりにも優しくて、もうどうしようもなくなって、私はお姉ちゃんの胸で泣いた。
事情は全部お姉ちゃんが教えてくれた。
でも、その時の私には頭に入らなかった。
ただただぼーっとして。
竜君にはもう…会えないのかもしれない。
でも、不思議と寂しくは無かった。
竜君が私の中に生きている。
そんな感じがする。
さすがに全部じゃないけど、その欠片が、私の中に。
これまでの全てが
夢のようで
でも夢じゃなくて
確かに竜君は存在した
生きていたんだ