アカギ、傀、竜が清澄高校麻雀部に入部したそうです   作:叶芽

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#43 胎内

 

 

 アミナにばれないように、向かえの車の場所はアパートから少し離れた場所にお願いしておいた。

 車の外で僕を待っていたのは、リーゼントの頭をした男だった。彼が鷲巣巌の部下らしい。「お前がケイだな。乗りな」と彼は言って、僕を後部座席に乗せ、自分は運転席に座った。

 運転中、僕の視線が気になったのか、彼は口を開いた。

「この髪はな。ちょっと前までは違っていたっていうか…元々がこうだったんだ」

 彼が鷲巣と出会い、そして部下になった頃は、彼は隼と言う名を名乗っていた。髪形もリーゼントで、かなり特徴的な風貌だった。

「だが鷲巣様がおかしくなってからな、『普通の格好』にして…名前も『鈴木』ってどこにでもありそうな名前にして…」

 衰え、そして死を迎えようとしている鷲巣が、部下よりも『下』になっているかもしれないと思っているかもしれない。そう思った彼らは、少なくとも外見だけでも、鷲巣の『下』であろうと、自発的に行ったらしい。

「でもな…鷲巣様が戻ってきて…『もうそんなのはやめろ』って…言ってくれてな……」

 声は少し震えているようにも聴こえた。何か込み上げるものがあったのかもしれない。

「だから…俺は『俺』に戻した。この髪も、『隼』って名前も、全部な」

 他人であるはずの僕に、よく話してくれる。たぶん彼は知ってもらいたかったんだろうと思う。鷲巣巌という人間を、僕に。

 僕は裏にいながら裏の世界については詳しい方では無かった。ただ仕事に意識を向けていたばかりで、鷲巣巌についても、大会の時に高津さんに聞いた程度だった。姿も写真と、大会の録画を見たが、『蘇った』と言われても、そんなのは『嘘』にしか聞こえなかった。『異世界』なんて、本当にあるのだろうか。

 しかし隼さんは言う。

「あの方は正真正銘、『鷲巣様』だ」と。

 単なる信仰なのか、彼らにしか分からない感覚なのか、そんなことは僕には関係ないが、それでも、これから僕は彼に会う。その『鷲巣巌』に。

 

「これから殺りにいく誠京についてだが…」

 隼さんは話題を変えた。

 現金を持たず、借金をし、不動産を買いまくる。バブル崩壊まで続いた錬金術をなりふりかまわず行い巨大化した企業、【誠京】。巨大化の過程で行った投資に次ぐ投資は、土地や物だけでなく、人間にも及んだ。若手議員をギャンブルに誘い、負けさせ、低金利かつほぼ支払要求の無い借用書によって【誠京】と繋げる。

「問題は、その【借用書】によって縛られている議員を目的として【誠京】の蔵前を潰しに来る者が近々出てくることだ」

 蔵前とは【誠京】のトップの老人であり、彼自身ギャンブルに狂った人間で、高額の借用書を書いた者とのみとならサシ勝負を受ける。その彼を潰しにかかる人間が

「平井銀二だ」と隼さんは言った。

 奇妙な言い方にはなるが、裏で『有名』なフィクサーが鷲巣巌と白根獅子丸だったのなら、裏の世界でですら『裏』のフィクサーだったのが平井銀二。鷲巣と白根の死亡後にその姿が徐々に見え始め、その恐ろしさを発揮し始めたらしい。

「今、鷲巣様は『ある目的』のために金が必要で、殺れる所からはとことん殺っている時期なんだ。だから今回も、平井が蔵前を殺る前に、【誠京】から根こそぎ奪おうって話だ」

 大企業を潰すとなると、億という次元では無い。兆という額が絡んでくる世界。果たしてそんなことが可能なのだろうか。

「可能だ。鷲巣様ならな」

 隼さんは間も置かずにそう返した。

 そして丁度その頃に、車は目的地に着いた。【誠京】の会長宅。

 僕が車を降りる頃、もう一台の車が停まった。そこから、鷲巣巌と、部下らしき者が一人降りてきた。車の中には運転手と、かなり高齢に見える老人が一人いたが、彼等は降りなかった。

「連れてきましたよ。鷲巣様」とそう隼さんが鷲巣に言うと

「御苦労」とだけ言って、彼は会長宅の前まで行き、チャイムを鳴らした。

 それから間もなく扉は開き、執事らしき人物が出迎えた。

「『タケダ』様ですね?どうぞお入りください」

 鷲巣はあの大会と同じ名をまだ使用している。そもそも鷲巣巌の復活を信じる者も殆どおらず、同時に『あの大会』も信憑性の低いもの、所謂『やらせ』として多くの者は捉えていた。それを鷲巣達は利用しているようだ。隼さん達の格好がラフなのも彼等の目的の遂行の後押しになっている。

 つまり向こうは、こちらをギャンブルに夢見た『小物』と思っている。

 

 僕達は会長宅の地下に案内された。その地下の広さは、表の会長宅の何十倍もあり、ギャンブル施設となっていた。現金をそのまま賭けている非合法カジノには多くの人が賑わっていた。しかし、僕達の勝負はその部屋とは別の部屋で行われる。

 その部屋には先客、僕達よりも先に会長とサシ勝負をしている者がいた。行われている勝負は、麻雀。

 卓の下にはガラスのケースがあり、その中には数千万、いや数億もの札束が入っていた。プレイヤーはツモるごとに札束をケースの中に投げ入れている。これはこの後、僕達もやる特殊ルールの麻雀、【誠京麻雀】独特の光景だ。【誠京麻雀】とは一牌ツモるごとに金を出し、最終的にトップをとった者が総取りをするという、ようは金がものをいうルール。

 今、蔵前と相対しているのは西条という20代の男性。その彼は、そのルールの魔力に押しつぶされようとしている。彼はこの勝負に10億を用意し、その半分以上を既に溶かしている。

 勝負は終盤。南三局。南家の西条は28000。北家の蔵前は35000。1ツモ300万で、供託は8億程溜まっていた。

 

南家 西条 手牌

 

{一一三四六七七八八九九南白} ツモ {六}

 

 7巡と序盤の段階でこの形。彼の心理からすれば、何としてもあがりたい手ではある。彼は打{白}で前に出た。しかしその{白}を蔵前に鳴かれ、直後の東家からの打{発}をも鳴いた。

「うっ…」

 一瞬もしないうちに現れた役満濃厚の気配。彼は声を漏らす。

「勝負の前にも言ったことだが、西条君…」

 蔵前が喋り出した。

「役満を振り込んだ場合は、本来の点棒の他に、役満祝儀を払ってもらう」

 【誠京麻雀】においてその役満祝儀は変動相場制をとっており、一1ツモ300万、供託金計約8億のこの状況なら、0.3×8億という計算になり、計…

「約2億4千万…これだけの金を振り込んだと同時に払ってもらう。まぁせいぜい注意することじゃ」

 蔵前は彼に囁くようにそう言った。

 そして、彼が次に手にしていた牌は、その{中}だった。大三元の最後のキー牌。彼は頭を抱え、とりあえずの打、{南}。

 これはもう、あがれる者の手では無い。それを証明するかのように、次巡の彼のツモは{五}。打{中}で聴牌という状況。しかし、その状況こそ彼の不運の証明でもある。

「終わったな」

 僕の後ろにいた鷲巣が呟いた。

 西条に冷静な思考が出来ていれば、その声も聞き取れていたであろうし、そもそもここで{中}を切ることなどしなかったと思う。点差などたったの7000程度。ラス親も残っているこの状況なら、無理して攻める必要も無い。

 だが彼にはもうそれは出来ない。追い詰められていた彼は、地獄を見つめて生きるより、希望を追って死にたい、そう望んでいるかのように、{中}を切った。

 

北家 蔵前 手牌

 

{⑥⑦⑧33中中} ポン {白横白白} ポン {発発横発} 

 

ロン {中}

 

 それが人間の末期。

 

「西条君…。これも勝負の前に言っていたが」

 牌を倒した蔵前は、付け加えるようにまた話し出した。

「この誠京ルールの麻雀では『ダブロン』も認めている」

「え…?」

 既に青ざめていた彼の顔は、さらにその冷たさを加速させた。

「仮に『二つの役満』に振り込んだ場合…当然祝儀は倍になる…」

 

東家 蔵前の部下 手牌

 

{五五五②②②⑨⑨⑨南南南中}

 

ロン {中}

 

「加えて…四暗刻単騎はダブル扱い…。祝儀はさらに倍だ…」

「あ…あ…」

 西条は崩れ落ちた。その様を、彼と同じように崩壊を迎えた者を、僕はこれまで何度も見てきた。僕はその時、『この世界』に帰ってきたのだと実感した。しかし、やはり鈍感になっている。本来なら、この場所に入る前にこの感覚は起きてないといけない。

 随分と長い期間、僕はぬるま湯の中に居た。

 

 もう一人で動くことすら出来ない西条を、蔵前の部下は部屋の外に運び出した。

 それをよそに蔵前は自分の血圧を測りだした。

「うん…まだ大分安定しているな…かなりあっけなく終わってしまったからなぁ…」

 と彼はどこか不満気であった。

「では…タケダ君だっけ?このままではわしも不完全燃焼だ。もう初めてしまおうか…君の後にも、客人を控えておるのでな。何、君の提案した追加ルール通りなら、そう時間もかからんだろ」

 既に鷲巣が提案していた追加ルールは、飛び無し、半荘1回勝負。

「だが、気を付けることだね。どこで用意したかは知らんが、10億程度なら、半荘一回でも、場合によっては一瞬で溶ける。それが誠京のルールだ」

 鷲巣がこの勝負に用意した額は10億。蔵前からしたら、闇金をかき集めたか、親の金か程度のものとしか見られていない。先ほどの西条と同じように。

「始めよう」と鷲巣は先程まで西条が座っていた席にどっしりと構えた。僕はその下家に着く。

 鷲巣のその落ち着いた風貌から、蔵前サイドの表情は若干の動揺の色を見せていた。

 

 賽が振られ、起家も決まった。タチ親は鷲巣となった。

 配牌が配られ終わる頃、鷲巣が口を開いた。

「確認するがこの勝負、仮にこちらが勝ったとしても、その勝負を反故にする真似は、しないだろうな?」

 それはあまりにも唐突で、蔵前からしたら想像にもしなかった発言だったからか、彼は困惑の色を見せつつも返答した。

「それは当然だが…。何故このタイミングでそんなことを訊く?」

「わからんか?この誠京ルールに、たとえ半荘一回であろうと、『飛び無し』のルールを挟んだとしたら、無限に貴様等から奪えるではないか」

 蔵前サイドからすれば、ますます意味不明の回答。彼らの目はまるで、頭のいかれた人間を見るようだった。

「ま…まぁ…それはそうだが……そんなことは」

 彼が「ありえない」と続けようとしたであろう瞬間、この部屋のドアが開いた。

「あ…あなたは…」

 と蔵前が見た相手は、先程僕も車で見た老人。その老人は、鷲巣の部下らしき者一名と一緒にこの部屋に入ってきた。

「劉だ。このタイミングでこの部屋にこいつを入れたのは、こいつの姿を見た瞬間、ワシとの勝負を取り消される可能性があったからな」

 その老人の名は劉。僕も名前だけは聞いたことがある。華僑の大物で、高津さんも怖れる程の力を持っている。少なくとも、彼がこの部屋に来るまで、誰も止めていないということからも、彼に逆らえる者は少ないのだろう。

 その彼が、この勝負の立会人として呼ばれた。

「ええ。私は今、はっきりと聞きましたヨ。この勝負は反故しない…とネ」

「お…お前は一体……何者だ…、何故、その方と繋がりがある!?」

 蔵前の声は震え始めた。やはり、劉という人間はそれ程なのだ。

「繋がりも何も、『鷲巣君』は私の同期でしてネ」と劉は答えた。

「『同期』?鷲巣…?」

 彼の混乱は理解できる。正直僕にも理解しがたい内容。やはり鷲巣巌は、『蘇った』というのか。

「まさか…そんなはずはない!死者が…蘇るなどと!」

 蔵前は椅子から立ち上がり、声を荒げた。

「信じる必要は無いぞ。貴様の前に居るのがタケダであろうと、鷲巣であろうと、勝負の内容が変わるわけでは無い。座れ。蔵前」

 対して鷲巣は落ち着きを払い、葉巻を取り出し、一服した。

 

 処刑が始まった。

 蔵前サイドに、そこに座る人間が正真正銘の鷲巣巌であるかどうかを知る術は無い。しかし、劉という強力過ぎる立会人を呼べる事実と、鷲巣自身から放たれている圧力は、彼らを不安にさせるには十分すぎた。

 この卓に座って、彼らの心理がひしひしと伝わってくる。感じることが出来る。牌をツモる毎に、河に牌が置かれる毎に、この感覚は、あの時のものに戻ってきている。相手の心、これからの動き、手牌までもが透けて見えてくるようで、研ぎ澄まされていく。

「り…リーチ」

 蔵前が5巡目でリーチをかけた。それは焦りによるものだということがはっきりと分かった。役は無いが、早い段階で張れたという事実が彼を焦らせた。簡単に読み取れた。何もかもが懐かしく思え、不思議と心地が良い。

「アップ。3200」

 6巡目、鷲巣はまた場代を引き上げた。

 誠京のルールでは1ツモごとに金を払っていく。最初は100万からスタートし、親はツモの毎にその場代を倍に上げる権利を持つ。この6巡目が終わる頃には、供託金は早くも2億5200万。鷲巣サイドは10億スタートのため、既に1億以上をつぎ込んだことになる。

「アップ。6400」

 場代アップにより当然リスクも跳ね上がる。しかし鷲巣は何の躊躇いも無く場代を引き上げる。

「……二度ヅモだ…」

 ツモれない蔵前はさらに焦りを見せた。金がものを言うこのルール。場代の倍の額を払えばツモるはずの牌を次に回し、次の牌をツモることが出来る。

 しかし彼はツモることは出来ない。8巡目、9巡目も同様。場代は引き上げられ、蔵前は二度ヅモのため金をつぎ込む。その段階で、場代は2億5600万、供託金の合計は25億を超える。

 そして、蔵前は河に{北}を叩きつけた。

「まぁここだろうな。倒すとしたら」と鷲巣は呟く。

「は?…」

 {北}を切った蔵前の困惑の理由は、この{北}は前巡も、そしてさらにその前の巡にも切った牌、つまり3枚目の牌であるということと、その間鷲巣は全てツモ切りであるということから来ている。

「和了ることなどいつでも出来る。問題は、『いつ』和了るかだ」

 と言って鷲巣は牌を倒す。

 

東家 鷲巣 手牌

 

{東東東南南南西西西北中中中}

 

ロン {北}

 

「役満の重複は有りだったな」

 非常識な手をさも当たり前のように和了る彼は、まさしく鷲巣巌なのだろう。あの夏の大会の大将戦は、真実だったのだ。

「あの時のアカギのようで、あまり良い気分でもないがな…」

 そう言って鷲巣は葉巻に火を点け、また一服した。

「な……何故……」

 蔵前は、何故前巡の北でも、その前の巡の北でも和了らなかった、と言いたいのだろう。だが、その答えは既に鷲巣は言っている。問題は、いつ倒すのか、だ。

 この誠京のルールのでなら、額はめい一杯に引き上げた後の方が当然報酬もでかい。蔵前程度の相手なら、和了ることなどいつでも出来るのだから。

 

 

 だから

 

 

 

「ダブロンも……有りでしたよね?」

 

 

 

 僕もこのタイミングまで待った。

 

 

南家 ケイ 手牌

 

{一一九①⑨19東南西白発中}

 

ロン {北}

 

 

 

 

「な……そんな……馬鹿な……」

 役満祝儀の合計は、5000億を超える。

 たったの一局でここまでされることは、彼も予想は出来なかったであろう。

 

 

 最早崩壊寸前の彼に対して僕は言った。

 

 

 

 

 「どうしたんですか?震えてるよ?」

 

 

 

 

 帰ってきたんだ。

 

 

 

 

 僕はこの場所に、帰ってきたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それ以降は対局というより作業に近かった。10億スタートだったため最初の局は5000億程度しか奪えなかったが、投資できる額が跳ね上がった一本場以降は、報酬額の桁も文字通り上がる。それが誠京麻雀の性質。蔵前は、己が作りだしたルールの上で死んだのだ。搾取する側だったからこそ気付けなかった爆薬の存在が、彼を焼いた。

 東1局は終わることなく、全ては終わった。額が額だったため一本場以降は、実際の金は使うことなく、計算式のみで施行された。時間的には半荘一回程度。隼さんの言った通り、鷲巣はあっさりと大企業を支配下に置いた。

 

 

「今日はご苦労だった。劉」

 事後処理を部下に任せ、鷲巣は部屋を立ち去る際に言った。彼の力も凄まじいが、その力を発揮できる環境が出来たのは、他でもない劉という裏社会の怪物が居たからだ。

「君からそんな言葉を貰える日が来るとは、長生きはしてみるものですネ。それに、面白い子もいるようですし、これからが楽しみだヨ…ほほほ…」

 と言った彼も、鷲巣の後に部屋を出ようとした。

 その時、部屋のドアが開いた。

 

「遅かったな」

 と鷲巣が言った先に居たのは、白髪のオールバックの中年、と数名の部下らしき人間。

「のようだな」とその白髪は返した。

「そう言えば、この後の客人とは、あなたのことでしたネ…。平井銀二……」と劉が言った。

 平井銀二。隼さんが車の中で言っていた、蔵前を殺ろうとしていた人物。その彼が、今ここに来ていた。

「貴様の目的の【借用書】分はやる。既にそのように話は進めておいた」

「ほう…そりゃあ有り難い。…てことは、その代わりに俺に協力しろと…。潰すつもりだな?『あれ』を」

「当たり前だ。あんなものをのさばらせるつもりは無い」

「銀さん……これはいったい……」

 彼の部下らしき人間が話しかけた。

「森田。お前はやはり強運だ。ここで使うはずだった『運』を『後』にまわせる」

「え?…」

 鷲巣巌、劉、平井銀二。彼らのいる世界はおそらく、僕のいた世界よりも遥か上にあるのだろう。そしてその世界は、高津さんの目指していた世界。僕のいた世界を創っている存在。

 

 

 

 

 全てが終わった後、僕は隼さんにアパートの近くまで送って貰った。

「ケイ。一つ程言っておくことがある」

 車から降りた僕に対して、隼さんは言った。

「お前をこのバイトに採用したのは、本当はD・Dに借りがあるからだけじゃ無いんだ」

「え?」

「【洋上麻雀大会】には鷲巣様のお孫様、衣様も参加される。だが、衣様一人では心配で、お前に衣様を任せたいから、ケイ、鷲巣様はお前をお選びになったんだ」

 話が急で、僕は反応に遅れた。衣…。天江衣。確か、龍門渕高校の高確率で海底で和了する女の子。去年は全国でも活躍していて、高火力の選手だった。ただ今年は、地区予選で清澄に敗退し、全国には姿を見せなかった。

「『場所が場所で』ハギヨシをやることも出来ないから、他に適任がいない」

 鷲巣巌という男も、孫の事を心配する人間、と言うことなのだろうか。今の僕にはその話の殆どを理解できていない。鷲巣が天江衣を【洋上麻雀大会】に参加させた本当の理由を知るのは、まだ先のことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 僕の声に返答が無い。普段通りなら「おかえり」という言葉が返ってくるはずだ。どこかに出かけているのだろうかと思ったが、それも無い。彼女の靴はここにある。

 となると、寝ているのかと思い、彼女の寝床である押し入れをそっと開けた。彼女はそこで奥側を向いて横になっていた。

「寝ているのか…」

 僕は少し安心して戸を閉めようとした。その時

「ケイ…」

 アミナの声。寝言だろうか。しかし彼女は続けた。

「『シゴト』……行ってきたのか……」

 彼女は動かず、向こうを向いたまま言った。

 彼女は、気付いていた。いや、気付かないわけがないんだ。彼女の嗅覚を、感性を欺けるはずなどなかった。

「うん……」

 僕はそう答えるしかなかった。もう彼女に、嘘など通じない。

 

 

 

「どうして…」

 

 

 

 震えた彼女の声が、胸に突き刺さる。

 

 

 

 苦しい。

 

 

 

 これまでの何よりも苦しかった。

 

 

 

 彼女の声は、実際の刃物よりも遥かに鋭かった。

 

 

 

 これまで、僕は『震えた』人間をいくつも見てきた。そしてその時に溢れた感情は常に、高揚だった。狂気の世界にいることこそ、己を狂わせることこそ、己のアイデンティティーであるかのように。

 あの世界こそ僕の居場所だと思っていた。心地良かったからだ。あの温度が、自分自身の温度だったからだ。あの場所こそ……僕の『母』だった。

 

 でも……違う。

 もう……違うんだ。

 アミナの声を聴いて、はっきりわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は【洋上麻雀大会】に参加する。これを変えることはしなかった。

 

 しかし、その目的を大きく変更した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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