銀二から呼び出しを受けた森田は、船内に設けられているバーに向かった。貸し切られているのか、マスターさえいない薄暗いカウンターには確かに銀二の背中を見つけたのだが、その隣にはストレートの黒髪をした女の子が座っていた。制服姿であり、女子高生。それを見た森田は一瞬足を止める。彼女は席を立ち、銀二に対して一礼した後、森田の横を通り過ぎ、バーを後にした。
「……銀さん?」
彼は良からぬことを頭に浮かべつつ声をかけた。
「よお。今日はご苦労だったな。最終戦、大変だっただろ」
銀二は振り返り、労いの言葉をかけるが森田の頭には入って来ない。
「あの…さっきの女の子は…」
まさか自分の尊敬する人が、いや、悪党であることに違いは無いし愛人の五人や六人いてもおかしくは無いかもしれないが、いやまさかと森田は思っていたが、それは直ぐに否定された。
「辻垣内智葉。『こっち』の世界じゃ有名人だぞ。日本の大手の組の殆どは、元を辿れば火消しの辻垣内組に行き着く。あいつはその血を受け継いでいる。で、今回そこの嬢さんから直々に依頼が来たってだけさ」
「え…」
呆けた森田に銀二は続けた。
「何か勘違いでもしたか?」
言われた彼はハッとして、
「そ…そんなこと無いですよ。はは……」
頭を掻いて誤魔化し、先程まで智葉が座っていた席に着いた。前にはウィスキーの瓶と氷の入ったコップが構えられている。
「まぁいい。ところで森田。明日の試合には出るか?」
森田のコップに酒を注ぎながら、銀二は話題を変える。
「あ…すみません…って明日?トーナメントの事ですか?」
反応が鈍いのは、彼はまだそのトーナメントに出場できるかどうかさえ知っていないからである。
「そうだ。お前はその枠に入った。後で通達されるが、その際に棄権を申し出ることも出来る」
彼も自分のコップに酒を注いだ。智葉と居た時は手を付けていなかったようだ。
「棄権?」
考えもしなかったことだ。勝ち進めたのなら、そのまま進めばいい。棄権する理由は森田自身には無い。
「俺が知っているだけでも既に三人棄権している」
コップを揺らし、中の酒を軽く回しながら銀二は言った。名前を上げはしなかったが、棄権したのは、爆岡と積倉、そして雀明華である。
船内調査も充分と判断したジョルノは、爆岡を『危険区域』から下がらせた。また、彼には来年度から日本のプロ雀士として働いてもらう予定もあり、彼に万が一があってはならない事も理由としている。
研究員として参加しており、かつ決勝に駒を進めた積倉、ミョンファに対しては銀二の方から警告、棄権の運びとなった。『関係者』に近ければ近い程、この船でこれ以上『深く』入り込むのは危険であり、また、『事』が済んだあとの情勢を考慮に入れても、彼らの組織に『観測』させることは避けたかった。
ミョンファについてはすんなりと言ったが、こういったことに関心を持つ積倉を説得するには『真実』が必要であった。銀二は彼に、彼が所属している橘総研の機密資料を証拠として、船で得られる『リターン』の正体を伝えた。
酒を一口した後、銀二は森田に言った。
「お前達プレイヤーだけでなく、裏でも勝負があったんだ。明日の試合の観戦権を賭けたな」
「観戦権?」
森田は酒には手を付けず、聞くことに集中していた。
「明日の対局室にはカメラは設置されない。観戦するためには、直接行くしかない。そういう場所だ。だから、何が何でも優勝し、『リターン』を得たい者共は、『壁役』として試合に参加するわけだ」
もっとも、その『壁役』の全てを銀二とジョルノは蹴散らしたわけだが。
彼は続ける。
「この船での俺の目的の成就のためには、俺かお前、どちらかが試合会場に入れば良かった。今回お前は予選を突破してくれたが、俺の方も『予選』を突破した。つまり、お前は棄権して、俺が行くだけでも良いんだ」
何が何だかわからない。森田は聞いた。
「その前に銀さん…。『リターン』ってなんですか…」
銀二は答える。
「その前に森田…。お前は神を信じるか?」
一時の沈黙の中、カランと氷の音が部屋に響いた。
◆
本日の試合の全てを終え、寝室に戻った咲はドアの前で足が止まった。外国語の声が中から聞えたからだ。誰か居る。
(歌…?)
恐る恐るドアを開けた彼女は目を疑い、ミョンファから借りた眼鏡を外し、その光景を見た。混沌は二つ存在した。一つは眼鏡をかけ直せば消えた。しかしもう一つは消えることなくその場にあり続けた。
具体的に言うと、咲に特殊眼鏡を貸してくれた恩人がそこには居た。彼女はベッドに腰を下ろしている。そこまでは良い。まあ何かあるのだろう。眼鏡についてだとか船についてだとかの説明とかをするためにこの部屋に来てくれていたのかもしれない。何故鍵を開けて入って来れたのかは多少の疑問だがそんなことは大したことでは無い。
問題は、その膝に一人の、金髪の、見覚えのある男子高校生の頭が横たわっていることである。膝枕。そう言えば千里山の園城寺怜が、病院のベッドの上で、竜華の膝枕がどうのこうのと言っていたことを咲は思い出した。
というか鍵を開けたはこいつだ。須賀京太郎だ。当の本人は向こう側、ミョンファの腹の方に頭を向けている。寝ているのだろうか。それとも起きているのだろうか。咲は目の合った方に声をかけた。
「えっと…これは……」
「あ…えっと……その……」
どこから説明したものか。数秒程沈黙があった。空気は固まり、咲は一歩も前に進むことが出来なかった。
「な…何か…京ちゃん…、あ、そこの男子が何かしてしまいました…?」
その時の彼女には普段の文学的想像力は吹っ飛んでおり、目の前の二人に何があったのかがイメージできなかった。
「そ……そうでは無くて、えっと……う……歌です……」
「…歌?」
キーワードを何とか脳から拾えたミョンファは、なんとかそこから繋げることが出来た。
「欧州選手権とか、ご覧になったことはありますか?」
「…たまに…テレビで見たことは有りますけど…」
話が飛んだ印象を受けたが、咲は質問に答えた。
「…そこでは…対局中歌うことは禁止されていないんです」
「え?…あ…。あぁ……え?」
確かに、歌っている選手を、咲は何人かはテレビで見たことはあったが、どうもキーワードが繋がりそうで、中々繋げられないでいた。
「ここは非公式の大会ですので、歌うことは許されたんです…それで…、この方と打った時も…」
ミョンファは軽く膝の上に乗る金髪を撫でようとした。
「ストップ!」
反射的に咲は声をあげた。
「あ…すみませんっ……」
彼女はビクッとして手を止めた。
「せ…説明の続きを…」
「あ…はい。……それで、この方が、後でまたゆっくり聴きたいと申していたので、今日の試合が終った後でなら、ということで、ここに来たんです」
「そ…そう……」
これで状況の半分は理解できた。この子は咲に用があってきたわけでは無く、そこの金髪に用があって来たわけだ。
「これで…よろしいでしょうか…」
よろしくないです。まだ半分です。
「いや…この部屋に来た理由の方はわかりましたけど、その…なんで…そこの男子は、そこで寝ているのか…」
ミョンファは視線を金髪に下ろした。
「ああ。疲れていたのか。部屋に入ったらすぐに寝てしまってしまって。どうしたものかと思って。ネリー…あ、同じ留学生のネリーがサトハのお腹に寝っころがっていたことを思い出して、その真似みたいなことをしてみたんです。さすがにこの方の身体は大きいので、頭を膝に乗せるくらいしか出来ませんでしたが」
「あぁ……えぇ……」
(サトハ?辻垣内さんの事かな…)
理解できたような出来ないような。
「これで…よろしいでしょうか…」
まぁいいでしょう。
「とりあえず、その頭、降ろしてもらっていいですか」
「あ、はい」
彼女は横にずれ、京太郎の頭をベッドに下ろした。その後、横にあった枕を拾って、彼の頭をそこに乗せた。
「あ、わざわざどうも」
その頭が、その時微かに動いたのを咲は見逃さなかった。だがその前にミョンファの方から一言が挟まれた。
「あ…そうでした…」
「え?」
一件が終わりかけたと思ったら、まだ何かあるのか。もうあまりこっち方面では突っ込みたくない心境ではあったのだが。
「明日の試合。あなたはどうしますか?」
別方面であったが、この方面でも若干の混乱を彼女に与えた。
「明日の?…出るって…?」
ミョンファは答える。
「私の方は先程、母の友人から棄権するよう言われまして、ここから先は進まない方が良いそうです」
再び、若干の沈黙が訪れた。しかし先程とは違い、彼女が何を言っているのかが、咲には大体理解出来た。一呼吸し、咲は返答する。
「私は行きます。そこの京ちゃんもそうだと思う。私達には、どれだけ危険でも行く理由があるので」
さっきまでのおどおどした雰囲気とは一転し、真っ直ぐとした瞳がミョンファを貫いた。もうこれ以上の言葉は不要だった。
「そうですか…。まぁあなたは研究員では無いですし、大丈夫かもしれませんが、どうかお気をつけて。眼鏡の方はあなたにそのまま差し上げます」
「はい。ありがとうございます…」
ミョンファは立ち上がり、部屋を後にした。
バタンとドアが閉まると、咲は金髪の寝るベッドの方に歩を進め、そして金髪の頭に鉄槌を下した。
「いてぇ!」
京太郎は飛びあがるように身体を起こした。「何しやがる」と文句の一つでも言いかけたが先制は咲だった。
「起きてたでしょ…」
「うっ…」
彼は「何の事だ」と反論出来ない自分の弱さを呪った。目の前の圧倒的力は、彼に有無を言わす隙を与えなかった。
咲の二度目の鉄槌は、姉から受け継いだコークスクリューであった。
◆
高鴨穏乃が園長…風間巌らと行動していた期間は3ヵ月と短い。それは原村和が引っ越した翌月からであり、巌がチームを立ち上げた時期と重なる。その頃は、まだ【ZOO】という名前も持っていなかった。
巌がまず声をかけようと思っていたのは少年時代世話になった穏乃の祖父であった。かつての恩人への挨拶、組織を立ち上げたことの報告程度のつもりであったが、既に他界していた。彼は孫の穏乃と日本各地の山を渡り歩いており、巌は彼女の幼い頃の姿を知っている。彼はせめて成長した穏乃の顔だけでも見ようと、彼女に会いに行った。
会いには行ったものの家には居なかった。母親に聞くと、山に行ったと返ってきた。彼女の行動力を考えると、本来ならこの時点で諦めるところであったが、彼は試しに穏乃の祖父と一番よく歩いた道を行ってみることにした。チャレンジは成功。深い所に、穏乃はいた。
当時の穏乃は中学二年。表面上は小さな女の子だ。しかしその彼女の纏っていた気は巌を圧した。巌は「これだ」と確信した。この力は、成熟したものでは無く、これから伸びる力であることを、当時の巌には疑いようも無かった。つまり、求めていた『若さ』がそこにはあったのだと、その時の彼には思えたのだ。
和と離れ、孤立していた当時の穏乃の選んだ道は、牌のある道だった。
後の【チャップマン】、馬場券悟も加わった彼らは無敵だった。だがそれも長くは続かなかった。勝負は卓上だけが全てでは無かったことを、馬券の実家を燃やされることで彼らは知った。命知らずの男二人はともかく、穏乃をこのままチームには居させることは出来ない。少なくとも、自分自身がリーダーとして未熟なうちは。
別れ際、穏乃にはチームにいた名残としてコードネームが与えられた。このコードネームは、メンバーの素性を隠す方法の一つとして、後の【ZOO】にも受け継がれている。
彼女に与えられたコードネームは、【サル】。その初代【サル】が今、夕暮れの山城邸前にて、かつての仲間と再会した。しかし【ZOO】のリーダー…園長の第一声は
「何故お前等がここに!?」
であった。
新庄の死を知らされた園長と仙道は行動を開始した。しかし、彼女達を巻き込む気は無かった。香那も、照も、穏乃も。
「まさかカナちゃんも山城麻雀を?」
仙道の問いに、コクリと香那は頷く。
「お前ら、自分達が何をしようとしてるのか解っているのか?」
「解っているよ。風間さん…いえ、今は【園長】ですね」
園長の問いに、穏乃は答えた。
「香那のお父さんの仇…」
照も続く。二人は香那が選別し、ここに来た。照は親友であり、穏乃はインハイの『あの大将戦』に出て唯一連絡を取れた者(風間巌の元同僚であることは後で知った)。
「後ろにいる奴は誰だ…」
仙道は彼女達の後ろにいた、赤い髪のサイドテールの女子を指して言った。
「こんにちは。こんばんはかな?」
ペコリと頭を下げたのは有珠山高校の獅子原爽。香那が説明するに、北海道で知り合った友人であり、彼女も戦力になるとのこと。だが、園長は緊張感の無い爽の表情を見て言った。
「もう一度言う。お前ら、自分達が何をしようとしてるのか解っているのか?」
「命の遣り取り…いや、一方的な狩りの場へのダイブ…かなぁ…」
爽の返答には間が無かった。
「っ!」
その一瞬、園長と仙道は強い圧力を感じた。発生源は、彼女の背後。眼には見えないが…しかしあまりにも巨大な存在が、そこにはある。それも『複数』。5~6はいるだろうか。もし実体化したのなら、広大な山城邸を破壊し尽くせるのではと錯覚させられるほどの。
「昔、何度も死にそうになった時はあったし、その度に『こいつら』に助けてもらってたからか…感覚が麻痺してるのかも」
園長は、『あの時の』穏乃を見た時と同じ感覚に襲われた。だが、あの時の感覚は正確では無かったことを知った。これは『若さ』では無い。『神々』の力だ。
「これる奴は全部連れてきた。麻雀以外でも戦力にはなると思うよ。カナの事も、私が守るから」
丁度その時、一台の中型トラックがその場に着いた。
「騒がしいな」
助手席から降りてきたのはワシズ。彼は辺りを見渡ながらそう言った。
「……この娘らも山城麻雀に参加すると言って…」
仙道が説明したと同じくして、荷台の扉が開かれた。
そこからはD・Dとネリーが降りてきた。その奥には、札束の壁が見える。200億…いや300億か。
「参加人数が増えたのかい?」とD・Dが言うと、
「5人でも十分だと思うけど。取り分はそっちの方が多いし、ネリーはこのままでも良い」とサカルトヴェロの少女が続いた。
日が沈みかけようとしたその時、
「ククク…」
冷たい風と共に、小さな笑い声が場に響いた。
影は、笑い声の主の顔を冷血な獣の顔へと変貌させた。
「毒が抜けきってなかったなぁ…」
ここにまた一人、眠っていた野性を呼び戻した者がいた。