モモンガが冒険者モモンとして、ナーベラルを伴ってエ・ランテルへ向かったのは五時間前のことだ。
そういえばそんなこともしてると言ってたなぁとぼんやり考えながら手を振って見送った。彼は魔法で生み出したものでこそあるが、全身を包むことができる鎧を装備することで不審感を与えることなく街に繰り出せるというのだ。
(それはマネできないよなぁ)
残念ながら植物系モンスターに硬質な全身鎧は装備不可だ。布系防具で葉がはみ出ないようにすることはできるだろうが、寸胴の体型と顔まで……つまるところ全身を布で覆い隠してしまえば、ただの見るからに怪しい不審人物である。どこかしらでボロが出るだろうし、自由に歩くなんてことは難しいだろう。
何故そんなことを考えているのかと言えば、『モモンガがうらやましい』に他ならない。否、彼が毎日徹夜で書類仕事をしているのは知っているし、モモンとしての外部活動がその息抜きであることも知っているから単純に『うらやましい』というのも畑違いだと思うのだが。
要は外に出たいのだ。ナザリック内、特に第四階層の湖、第六階層のジャングルに生息している非知的生命はほとんど採取が済んでしまったし、風景写真もあらかた撮り尽くしてしまった。その頃からだろうか、転移直後にはあれだけ土に、虫に、水に、大気に、空に興奮していたというのに、人間恐ろしいことにこれだけありふれていると『慣れ』が来てしまうのである。
ブルー・プラネットはそういう『慣れ』を忌避した。自分が人生を懸けて探求したものだというのに、それに対する感動が薄れることは許せるはずがない。
だからこそ、その『慣れ』を振り払うためにも外に出、新鮮な風景を目にしたいのだ。
モモンガからまわされた仕事――書類に向けていた視線をあげ、溜め息を一つ。それにいち早く気づき声をかけたのは、
そこでブルー・プラネットは私室で仕事を行う際に補佐を一人つけることにしたのだが、それに抜擢されたのが彼女というわけだ。
「ブルー・プラネット様、休憩になさいますか?」
「ああ、いや……」
(……精神的な疲労は拭えない、か)
何となく心内に現れたもやもやを溶かしておきたい気もする。
「うん、そうしよう。お茶を入れてくれるかな」
「かしこまりました」
ユリが美しくも丁寧な所作で淹れた紅茶を受け取って啜ると、熟した茶葉の香りと仄かな渋みが酷使した脳に染み入るようだった。おそらくヴァイン・デスに脳はないはずだから、どうあっても錯覚なのだが。
茶を淹れてもらった後、再び待機姿勢に戻ったユリに視線を移す。夜会巻に眼鏡という風貌は実に理知的で、イメージとしては物語に登場するお屋敷の家庭教師を彷彿とさせる。職業柄、職場体系についてよく愚痴を交わしていた製作者のやまいこ女史も、現実の方じゃこんなかんじだったのか、あるいは彼女の理想の姿なのかな……などと想像してしまう。
彼女の所属するプレアデスは、第九階層に配置された、セバス配下の戦闘メイドチームだ。戦闘メイドと言ってもレベルは守護者達に遠く及ばないが、要はメイド内での区分けのためにつけられた通称である。一般のメイドはほぼほぼ一レベル、そしてプレアデスはレベル五十オーバーなのだから、こちらが戦闘向けなのは一目瞭然だ。
六姉妹にも関わらず見た目も性格も種族もバラバラで、これは製作者がそれぞれ己の趣味に奔った――ナザリック内はどこもそうだけど――からに他ならない。『巨乳こそ神』『ミニスカ金髪美女が暗器仕込んでたら激熱でしょう!』『はぁー黒髪メイドに罵られたい……』『無表情マスコット系自動人形もいいぞ』『あぁああエントマ~~~』等と喚き拳を叩きつけ合うあの日の倒錯した連中の顔が、まるで昨日のことのように思い起こせる。やまいこさんとホワイトブリムさんに『真面目にやってよ皆』『メイドをなんだと思ってるんだお前らは。最高だなもっとやれ』とかしこたま叱られてたのも。……ホワイトブリムさんもブン殴られてた側だったかな。
そして、その六姉妹に隠し玉として用意されたのが七姉妹――末妹の存在だ。オーレオールオメガ、非常時には彼女をリーダーとした七人で行動をとることとなっている。
「あ、ユリ、質問良いかな」
「許可など、御方からのご質問であれば即座に」
「ああ……オーレオールのことなんだけど」
(とりあえず片膝つくのはやめてほしいなぁ)
質問の概要を口にすれば、ユリは刹那難しい表情をした……かと思えば怜悧な表情を取り戻して答える。
「私たちの末の妹。ブルー・プラネット様に創造された存在、ですね」
「そう。俺の記憶が正しければ、彼女とは多分、俺たちが全員この墳墓にいた時に一度顔を合わせたくらいしか会ったことがないんじゃないかな」
「仰る通りです。彼女は第八階層から離れることは滅多にありませんし、それはあってはならないことですから。もちろん、至高の御方の命令とあれば別ですが」
「そう、だよねぇ……。」
プレアデスの設定には、みんなで示し合って姉妹で仲がいいように書き込んでおいたはずだから問題はないはずだが。それでもだ。
「会いたかったりする?やっぱり」
「それは、……はい。差し出がましいことではありますが、また姉妹全員そろう日を願っております」
長女としては、仲が良いにもかかわらず会えないのはさびしいものがあるのだろう。こちらとしても姉妹には末永く仲良くあって欲しい。
いい策はないものか……そう思考を巡らせると、つい先日挨拶に向かったマスコット的メイドからのリークを思い出した。
「……プレアデスは定期的に報告会を開いてるんだろう? シズから聞いたよ」
「は、はい。各々の進捗報告を兼ねた、実質茶会のようなものではありますが……」
「まぁ、オーレオールも最近仕事内容が増えたからね。たまには報告会に誘ってあげてもいいんじゃないかな――否、せっかくだ。誘ってあげてくれ」
「ブルー・プラネット様……寛大なお言葉、感謝いたします」
ユリは感激した様子で、さらに礼を深めた。
親心としては、娘があの聖域に一人という状況もどうかと思っていたのだ。何かと言って彼女を連れ回していた理由の一つがそれである。
特にブルー・プラネットの心を痛めたのが、先日のオーレオールとのお喋りだった。自分から話題を振ってみるものの、彼女が話せることといえば桜と仕事と桜花聖域のことばかり。彼女自身は気づいていなかったようだが、それ以外にはとんと話すことが無かったようなのだ。そうなってしまったのも、ひとえにあの地に縛り付けてしまった自分の責任……そう思うと、罪悪感なども抱いてしまう。時折は彼女にも休暇を出して、ナザリック内を自由に歩けるようにしてあげてもいいのかもしれない。
ああそうだ、とブルー・プラネットは思いついて声を上げる。墳墓内で仕事をしていたユリ、シズ、エントマの三人と、ちょうど任務から帰還したタイミングが合っていたナーベラル、ソリュシャンの二人。彼女らとは顔を合わせる機会があったために挨拶できたのだが、もう一人。――よりにもよってな最後の一人が残っていた。
「プレアデスと言えば。ルプスレギナは今、ナザリックの外で働いてるんだろう? モモンガさんからはそのことを訊き忘れていてさ。どこに行ってるんだい?」
「ルプー……失礼しました、ルプスレギナでしたら、アインズ様の命によりここから少々離れたところにある『カルネ村』の監視を行っております」
「カルネ村?」
「はい」
カルネ村――たしかモモンガがこの世界に来て初めに救った、外にある村のことだったはずだ。人がいて、家があって、畑がある。近くには森もあり、薬草の採取に長けた村人と、この世界の薬師としては高名な少年がいるという。
「……ふふふふ。ユリ、〈伝言〉のスクロールを」
「はっ、ただいまお持ちいたします」
外に出るための言い訳を見つけてしまった。ルプスレギナには礼を言わなければならないだろう。
意気揚々といった調子でユリから受け取ったスクロールを展開し、モモンガに伝言を送る。
外出許可をもぎ取るためのブルー・プラネットの口は『普段の数十倍饒舌だった』と、後に大墳墓の主は語った。
(村……かな……?)
カルネ村の付近まで転移門を繋げ、そこから草を踏みしめ大はしゃぎで歩くこと数分。美しく青々とした草原の中、突如として現れた要塞のごとき壁の貼られた風景に対する第一印象はそれだった。
あれで合ってるんだよね? と付き添わせたユリに問えば、いつも通りの怜悧な声色で間違いありませんと返ってくる。
まずは近づいて観察してみないことには話にならないだろう。どうやら入り口らしい、壁の途切れた場所に向かえば、中から数体のゴブリンが姿を見せた。お出迎えかと思ったが、そんな雰囲気は微塵も発していない。警戒心マックスといった様子だ。
それもそうだろう、ブルー・プラネットは今回カルネ村へ外出する際、なにも姿を隠すようなことはしていなかった。即ち、見た目は2メートルはある植物の塊なのである。例えゴブリンといえど、特殊な見た目のモンスターが村に近づけば警戒もするだろう。
とりあえず、何事もファーストコンタクトというのは重要なファクターである。精一杯にこやかに、明るい声で挨拶を投げかける。
「やあやあゴブリンの諸君、私は怪しいものではない。アインズ・ウール・ゴウンの遣いの者だ。名は『プラネス』という。」
「あの魔法詠唱者様の……?」
ゴブリン達は顔を見合わせ、そのうち一人が村の中へと走って行った。
「疑って悪いが、中にいる別のゴウン殿の遣いに確認を取ってもらう。少しそこで待っててくれないか」
「構わないとも」
おそらくルプスレギナのことだろう。というか、彼女には事前に連絡をしたはずだよな? と小声でユリに確認を取る。そのはずですが、と小声で返して溜息をつく彼女の表情には呆れが見て取れた。ブルー・プラネットも次いで溜息を一つ。あの犬ころ、そういう抜けたところまで製作者に似る必要はないと思うのだが。
少し待つと、ゴブリンたちは村娘らしい少女とルプスレギナを連れてきた。当のルプスレギナは眠たそうに目をこすりながら何事かぼやいている。
「眠いっすよー……なにがあったのか知らないっすけど、プラネスなんて人知り合いにはいねっすから……昼寝の邪魔しないで欲しいっす……」
「ルプスレギナさん、まずはちゃんと会ってもらわないと」
うぇー? 等と呻きながら、寝ぼけ眼でこちらを見るルプスレギナ。ひらひらとユリと共に軽く手を振ってやれば、その光景に一気に目が覚めたようで、獣らしい素早い動作で目の前に出て臣下の礼をとった。
「し、至高の御方! ブルー・プラネット様、ご帰還を心よりお喜び申し上げます!」
「待て待て待て。俺は今はプラネスだ。いいね? ルプスレギナ」
「……承知致しました、プラネス様」
ガタガタと震えながらも礼を崩さないルプスレギナの様子を見て、ゴブリンと村娘――エンリ・エモットは戦慄する。
あの軽口を叩いては自分達をからかい、ゴブリン達からすればどんな野生の獣よりも危なげな雰囲気を醸し出していたルプスレギナがあそこまで怯えている――目の前に広がる異常事態に、覚えたのは慄きだった。
しかしブルー・プラネットはそんなことは露も知らない。村娘の顔には心当たりがあったため、声をかけて話を前進させようと試みる。
「もしかして、そちらがエンリさんかな? もし良ければ、今回の訪問の目的について少しお話ししたいのだけれど……立ち話もなんだろう。良ければどこか屋内で話したいのだが」
「あっ、は、はい! かしこまりました! みんな、ゴウン様の遣いの方がいらっしゃったから失礼のないようにと村の人達に伝えてきて」
「了解しました姐さん」
ゴブリン達は一人を残して村の中へ散って行く。統率を取るその姿と、『姐さん』という呼び方――彼らの主人であるエンリ・エモット。薬師ンフィーレア・バレアレが好意を寄せるその人であろう。
とりあえず彼女に着いていこうとしたのだが、相変わらず平伏したまま身を震わせている駄犬を置いていくわけにもいかない。顔を上げさせて、一応状況を確認しておく。
「ルプスレギナ、ユリから伝言が飛んだはずだけど聞いてなかった?」
「い、いえ! 把握しておりました」
「……じゃ、なんで村の中にいたの? 昼寝してたんだよね?」
「……」
ブルー・プラネットは基本的に、よほどのことでなければ部下の失敗を怒るつもりはない。甚大な被害があるような失敗ではないし、エンリ・エモットとこうして話をする機会が得られた段階で結果は成功なので、別に彼女の失敗を強く責める気は毛頭ないのだが、詰めていけば間違いなく彼女の非が重なっているのが原因なのでこういうふうになってしまうのだ。
おそらくこれ以上責めるような真似をすれば自害でもしかねないだろう。任せるのであればプレアデスの副リーダーに丸投げ――もとい、任せるのが最良だ。
「……まぁ、とりあえず俺から言うことはもう特にないな。ユリ、その辺は君に任せていい?」
「かしこまりました。ナザリックのメイドとしてふさわしいよう、再指導させていただきます」
「うぇえ……」
既に半泣きだが、自業自得という言葉がある。何にしろ人生において、ほうれんそうだの言われた分の仕事だのは最低限できないと困ることしかないのだ。これでモモンガに迷惑がかかれば、他のシモベ達から白い目で見られるようなこともあり得る。今のうちに直せるところは直しておくべきだろう。
そのあとエンリに案内されたのは、村の長の家だった。他の家との違いは微妙だが、その決して立派とは言えない扉をくぐり、用意された席につく。
反対にはエンリと村長らしき男が座った。
「さて、まず改めて自己紹介させていただこう。私はプラネス。アインズさんの友人だ」
しかし、彼ら村民からは未だ疑問の色が消えない。彼らにとってアインズ・ウール・ゴウンは偉大なる魔法詠唱者、その種族がアンデッドであるなどとは一ミリも知らないのだ。その友人と名乗るモンスターがどういった関係なのかも予想できていないことだろう。
「ああ、私がこんな姿なのにも疑問があるだろうな。実は私は元々、遠い森の奥深くに住んでいたモンスターだったんだ」
「遠く……というと、トブの森とも違うのですか?」
「そうだ。あの森よりも遥か遠方だな。あるときその森に彼……アインズさんが訪れた。彼が様々な種族と友好を結ぼうとしている人格者なのは知っているだろう?」
村長とエンリの視線がちらりと窓の外へ移る。ゴーレムやゴブリンを与えられている彼らにはこれも納得のいく話であるはずだ。
「私も彼の考えに感動してね、彼の研究に喜んで協力し、友になったわけだ。本日は突然、こんな姿での訪問だったにもかかわらず歓迎してくれたことに感謝するよ」
後ろの方で『あれ? そうだったっすか?』という声と何か硬いものを殴る音が聞こえた気がするが、多分気のせいだ。エンリと村長が苦笑いなのも気のせい。
「感謝するのはこちらです。私たちはゴウン様に返せないほどのことをして頂いてますから……」
「そうかな? ……まぁ、彼がこの村に来た時に色々聞かせてもらったらしいじゃないか。この周辺の様々な情報を。それを聞いて、兼ねてより人間と交流を持ちたいと思っていた私も非常に興味が出てきた。ぜひ色々とお話を伺いたいわけだな。彼も言っていたと思うが、我々にとって知識とは宝のようなものでね。何よりも価値がある」
「なるほど……お話しするのはもちろん構いませんが、具体的にどういった内容のものを?」
「うん、特にこの村は薬草の採取に長けた村人がいると聞いている。よろしければ色々な種類の薬草について聞きたいな。私の住んでいた森とは植生が違う可能性が高いだろうけど、自分の足で調べるにしても何かしら足掛かりが欲しいからね」
「あ、それなら……」
エンリはおずおずと言った様子で口を出してくる。……見るからに、まさに村に住む娘という風貌だ。一つにまとめられた髪、同年代の少女に比べ筋肉のついた四肢。一つ違うとすれば、この植物で出来たプラネスの姿に物怖じしないところだろうか。村長からはまだ若干恐れの色が見えるというのに、彼女からはそれは微塵も感じられない。
「これから、私たちで新しい場所に薬草を取りに行くつもりなんです」
「おお、それはこちらとしても都合が良い。よければ、それに同行させてもらっても構わないかな? 現地で現物を見ながらご教授願いたい」
「教授なんて、そんな。……同行についてはもちろん問題はないんですけど、実は今、森が『荒れている』らしくて」
ふむ、と一呼吸おいて、出された白湯を煽る。無味。
「それなら何も、君が行かずともゴブリン諸君に任せればいいんじゃないかな? 村娘に森のモンスターは些か手に余るだろう」
「いえ、それがそうもいかなくて」
エンリによれば、ゴブリンたちには薬草の判別が困難なのだという。単純に知能の問題なのかとも思ったが、エンリの指示に迷いなく従い、村の入り口で自分たちを迎えて自己判断で行動していた彼らに学習能力がないとは到底思えない。なにかしらのこの世界特有の法則だろうか、それともまた別の要因か。
ではンフィーレアとかいう薬師の少年に任せれば、と提案すればそれはいけないと頑く断られる。各家庭の財布は別々で管理すべきだというのだ。しっかりしているものだ。
しかしそういうことならば彼女が出張ってくるのも納得も行く。
「必要な薬草も、時期を逃すと採れなくなってしまうものなんです。図々しいお願いかもしれませんが……」
「わかった、任されよう」
「いいんですか?」
「いいともさ」
言葉の途中で食い気味に返事をされたことで、エンリは呆けた表情を見せる。
そんな風に返事をしたのも、話の流れでお願いの内容はわかったからだ。薬草を採取するまでの護衛、というところだろう。
だが、ブルー・プラネットにとって大事なのは森のモンスターから彼女を守ることで得られる情報だ。『今しか見られない植物が近くにある』という事実こそ、ブルー・プラネットが優先すべきものである。この機を逃す手はない。
「情報を貰うにしても、それだけでは取引とはいかないからね。教えてもらった分の働きはさせてもらおう」
「ありがとうございます。プラネス様さえよろしければ、すぐにでも出発したいところなのですけど……」
「ああ、私としてもその方がありがたいな。ルプスレギナ、君は仕事を続けなさい。ユリは私についてきてくれ」
メイド二人に指示を出し、席を立つ。エンリは薬師の少年とゴブリンたちに声をかけるべく家から出て行ったようだ。
ちょっとした遠足に心躍らせながら、プラネスもその後を追った。
「これとこれは?」
「……いえ、申し訳ありません」
「それじゃあ、これとこれ」
「……申し訳ありません。私ではお役には立てないようです」
次々見せられた薬草の判別ができず、ユリは首を横に振るばかりだった。大丈夫大丈夫とフォローを入れ、採取した薬草を少しずつ小箱にしまいながらブルー・プラネットは考える。
話に聞いていたゴブリンだけでなくユリでもこうなのだ。彼女の持つ職業に薬草の類いを判別できそうなものはなかったはず。ともすれば、これは職業だとか特殊技術によるものだと考えるのが妥当だろうか。
一方のブルー・プラネットはと言えば、エンリやンフィーレアに聞くまでもなくその薬草の名前と効果を把握できていた。手に取る前から、その植物を注視さえすれば、その植物に関する名前や効能、適切な採取方法といった様々な情報が挿入されるように脳裏に滑り込んでくるのだ。そのほとんどはユグドラシル時代には存在せず、見ること自体が初めてなものばかりだというのに。
そういえば、ユグドラシルでは植物モンスターの基本特殊能力に〈植物知識〉なるものがあった。これはレベルごとに植物系アイテムの採取数・ドロップ率が増加したり、鑑定を行わずともその性能を把握できたり、効能が本来よりも高くなったりするもので、生産職をとって各地でコレクション作業をしていたブルー・プラネットとしても恩恵が大きかったと記憶している。
わざわざ教授してもらうまでもなかったかなと若干の後悔を憶えつつ、密生しているエンカイシを採る若者二人を見る。
森に入るに当たり、彼女たちの護衛たるゴブリンからは、こっそりとンフィーレアの顔を立てることをお願いされていた。できればあの二人の仲を取り持ってほしいというのである。なるほど似合いのカップルだなぁとは思っていたのだが、どうやらまだ恋人関係ですらないというのだ。ンフィーレアが奥手で、さらにエンリがどうにも鈍いところがあるらしい。そういう恋愛アンチシナジーはいらないと思う。
仲人の経験はないから自信はないが、たぶん褒めたりすれば良いのだろう。適当な薬草の効能でも尋ねようと声をかけようとしたが――気づく。血の匂いだ。まだ遠いところからだが、新鮮な血を身体につけた何かがこちらへ向かってくる。
少し遅れて、ゴブリンたちも気づいたようだ。ンフィーレアとエンリの元へ素早く近づき、静かにするように促す。
「何か来ているみたいだね。目的は私たちではなさそうだが、警戒するに越したことはないだろう。さ、そちらへ」
ゴブリン三体と少年少女、そしてユリ。六人を隠すには木の幹だけでは足りないなと、プラネスはその横にドカリと座り込んだ。なんせ植物そのもののような身体である。ちょっとしたカモフラージュくらいにはなるだろう。
「プラネス様、御方を盾にするなど許されることではありません!」
「しー。今はこの方がいいだろう、静かに」
飛び出そうとしたユリを強引になだめる。下手に動いて周りの少年少女たちに危害が及ぶのが最も避けるべき事態だ。
森という
「
小さな声で呟く。残虐性の高い犬に追われていたゴブリンは見るからにぼろぼろで、命からがら逃げてきたというよりは犬に弄ばれている真っ最中なのだろう。野生動物が餌を獲るときに、こういった行動をとることがあるのをプラネスは知っていた。
さて、これでエンリやンフィーレアに気付かれれば戦闘は避けられない。見立てではレベルも大したことはない、プラネスどころかユリでも一撃で仕留められる相手だ。が――
(彼の顔を立てるべきか、ご教授いただいた分のお仕事をするべきか)
正直どちらでもいい。結果的にここで彼らが死ぬことはないんだから。油断するわけではないが、余裕のある選択肢というのは迷う時間がどうしてもかかってしまう。
さーてどうしようかななどとぼーっとしていたら、悪霊犬は既にゴブリンを追ってこの場を離れたようだ。匂いで気づかれるかと思ったのだが、そういえば直前に採取していた薬草の存在を忘れていた。ツンと鼻にくる青臭さ――ブルー・プラネットはこれも良い匂いだと感じているが、一般的に言えば――に、人間やゴブリンの匂いはかき消されたのだろう。
「よし、それじゃああのガキが生贄になってくれてる間に戻りますか」
ゴブリンは立ち上がりつつそう言い放つ。その意見は実に正しいとプラネスは感心した。プラネスとしてはサクッと退治もできるわけだが、彼らゴブリンたちには情報の少ない悪霊犬に挑むというのはリスクの大きい行為だ。状況判断能力に優れている彼らは、やはり野生のゴブリンだのそういったモンスターに比べて優秀であると評価せざるを得ない。
しかし、エンリは違った。こちらを見回すその視線には、違う感情が含まれている。
(優しい子だ――)
あの襲われていたゴブリンを助けてあげたいのだろう。だが、無理を言って付いてきてもらったゴブリンや、頼りっぱなしなアインズの遣いであるプラネスに声をかけるのは躊躇われる。そんなメッセージ性が窺えた。そもそもゴブリン達の言う通り、この場からさっさと引き上げるのが最善だというのもわかっているらしい。
結果、彼女の視線はさまよった末にンフィーレアに到着する。
「ンフィー……」
「はぁ……。わかった、助けよう。もしかすれば情報源になるかもしれない。あのゴブリンが襲われていた理由によっては、今後村に危険が及ぶかもしれない」
「勝てない可能性だってあるんですぜ?」
眉を顰めたゴブリン達。双方の言い分は間違っていない。片や自身の正義のために、片や合理性のために。出るならこのタイミングだろうと、一歩前に踏み出したのはプラネスだった。
「あー、わかったわかった。エンリさんとンフィーレア君はあのゴブリンを助けたい。ゴブリン諸君はエンリさんの言うことはわかるが危険に晒したくない。ここまでいいかな?」
空気を読まずにカサカサと葉を揺らして語る植物型モンスターに、双方は頷く。
「このままじゃ埒があかない。せっかくここに第三者がいるわけだ。セカンドオピニオン、折衷案の御提案といこうじゃないか」
〈
魔法を唱えると同時にゴブリン達の身体が一瞬発光したかと思うと、各々からおおという歓声が上がる。
「今かけたのは攻撃力、防御力を一時的に上昇させる魔法だ。これでどうだい?」
「……これなら、確かにいけそうですがね。やっぱり姐さんは……」
「彼女には私と、ユリが付こう。それからンフィーレア君もな」
少女一人を守るには過剰な戦力だ。だが、エンリの必死の説得、そしてかけられた魔法によって身体の奥底から湧き上がる力。
納得したゴブリンたちが悪霊犬を仕留めるまでは、さほど時間がかかることはなかった。
村の問題であるとかそう言ったものに深くかかわるのも面倒で、アーグと名乗ったゴブリンの子供はエンリやンフィーレアに任せ、何かあれば連絡するようユリも付けた。
その間に、プラネスは村を見学して回っていた。方々で感謝の言葉を贈られるあたり、アインズがこの村に与えた影響は大きいと感じる。
「いいじゃないか、いいじゃないか! 外の壁を見た時は何事かと思ったが、本当に資料通りの外観だな。村だよ村。こんなのはユグドラシルでしか見たことがない」
一軒の家の外壁……というべきか、木材をしげしげと眺めながら、興奮した様子でプラネスは言う。
件の襲撃の際、木造ゆえに一度壊れたカ所も多いと村人から聞いているが、それでも立て直しがある程度効きやすいのは木造の長所でもあり短所でもある部分だ。リアルでは外気に晒されれば腐食は必至なため、アーコロジー外では滅多に木造建築を見ることはなかった。この木特有の温かみに、木造の家に住んでいたことは無いにもかかわらず懐かしさを感じながら、次の目的へと案内をしてもらう。
「ルプスレギナ、次は畑にいこう、畑!」
「はっ――はい!」
至高の存在が民家の壁に頬擦りしているという理解不能な状況に呆気に取られていたルプスレギナは、興奮した様子のプラネスをあわてて先導する。
村らしく囲いがしてあり、規模はさほど大きくはないが作物も育っているいくつかの畑が見えてくると、再びプラネスは高揚を憶えた。
「はぁああ!! アーコロジー内でもドーム設備をわざわざ整えなければこの光景は見られないというのに! やはり太陽は最高だな! そうは思わないかルプスレギナ!」
「その通りだと思いますプラネス様!」
「……あー、太陽と言えば、だが。固い口調は良いぞルプスレギナ。お前はもう少し軽いくらいがちょうどいい。お前の創造主が言っていた通りだが、お前には太陽のような笑顔が似合う。俺の前では砕けた言葉を使うことを許そう」
「は――はいっす!」
至高の存在直々の許しに、ルプスレギナは歓喜した。これまでの失態を全て許されたかのような錯覚を覚え、気を失いそうになるほどに。
プラネスは、彼女の創造主――四十一人中最高の問題児の言葉を思い出していた。『こんな女友達居たら最高だったんだけどなぁ』――問題児が二人とか勘弁してくれ。
しかし、と畑の土を触りながら、プラネスは考える。
土があまりいい状態とは言えない。栄養が痩せているような印象だ。これでは細い作物しか育たないだろう。
村人に声をかけて尋ねてみれば、やはり大した作物は取れないらしい。自分達で食う分には問題無いが、売りに出せるほどの質と量ではないと。肥料の価格が高く、満遍なく配分しようとすれば不足してしまうのが現状だそうだ。
アインズの顔を立てる意味も含め、もう少し働いて行こうか。村人から許可を得て、畑の中心に立ち、魔法を唱える。
〈
ぽう、と畑に次々と温かい光が灯り――消えた。村人からおおと沸き立つ声が聞こえる。
「畑に多少だが加護を与えておいた。よりよい実りがあればぜひ報告してくれ」
「あ、ありがとうございます! なんとお礼を言えばよいか……」
「まぁまぁ、まだ結果が実ったわけではない。後は君たちがどう畑を使うかだ。楽しみにしているよ」
「プラネス様」
いつの間に戻っていたのか、ユリから声がかかる。時計で時間を確認したところ、もうすぐモモンガから指定された門限だった。そろそろお暇せねばなるまい。
「すまないが、ルプスレギナ。私はそろそろ戻るから、代わりにンフィーレア君とエンリさんに礼を言っておいてくれ」
「了解っす」
「ちょっと、ルプスレギナ」
「ユリ姉、いいんすよ。プラネス様から『お前だけは特別に砕けた口調でいい』ってお許し貰っちゃったっすから」
ふふーんと得意げな笑みを浮かべるルプスレギナを見た後、ユリは溜め息をついて『よろしいのですか』という視線を向けてきた。こちらとしてもここまで露骨に自慢するとは思わなかったが苦笑いで答え、近くにいた村人に軽く挨拶をしてから転移門を開いた。
地下大墳墓へと帰った至高の存在を見届け、ルプスレギナは大きくため息を吐く。仕えるべき至高の存在は、これから二人だ。あの様子ではまたこの村にも来るのかもしれない。何があそこまで楽しいのかはメイドの一端に過ぎない自分には理解不能だが、それでも御方が喜ぶのならこの村も捨てたものではないと思う。
「あ、あの、ベータさん」
「なんすか?」
「プラネス様は、もしや――大地を司る神様なのでしょうか?」
村人は、畑に加護を与える神聖な姿に、まるで神を見たという。ともすれば神の遣い、あるいは大地神そのものなのではないかと、そんな印象を受けたのだそうだ。
その質問に、うーんと首を傾げてからメイドは答えた。
「大地を司るかどうかはわからないっすけど、神様なのはまちがいないっすね。アインズ様もっすよ」
当たり前のように真顔で答えるルプスレギナに、村人たちはアインズやプラネスへの畏怖を、信心をさらに深める。
この村を、どうか神々が愛し続けてくれることを願って。