ブルー・プラネットの私室。モモンガから回された分の仕事も一通り終わり、凝ってはいない肩をぐるりと回してから腕に張り付いたバンド状の時計を見る。10:29――早くもなく、遅くもない。おそらくモモンガもまだ執務室にいるだろう。相変わらず、針葉樹のようにすらりとした佇まいのユリ・アルファに声をかける。
「ユリ、俺は今からアインズさんのところにこれを提出しに行ってくる」
「お申し付けくだされば、御身を煩わせずとも私が提出させていただきますが……」
「これは俺に与えられた仕事だからな、自分で報告するよ。まぁ、よければついてきてもらえるかな」
「かしこまりました」
ナザリックではモモンガに並ぶ上位の存在となったブルー・プラネットだが、いつまでも私室にふんぞり返っているのは元研究職と言えど性に合わないのだ。短距離ではあるが四肢は動かしたいときもある。ユリを伴って向かうのはいつものモモンガの執務室だ。
ドアの前に到着し、ノックをしようとした瞬間――室内から猛烈な衝突音とともに『ごっはぁ』という叫びが聞こえた。声の主は我らが大墳墓の主、友人モモンガである。まさにドアを開ける寸前だったタイミング、ユリは不安げな視線を向けてきた。
だが、あの人が非常時にそんな情けない声をするとは思えない。
「大丈夫大丈夫、大方アインズさんがすっ転びでもしたんでしょ。あのローブの裾って歩いてる時に踏みそうじゃない?」
「そ、そうでしょうか……?」
「うん、そうそう――」
『アインズ様ァアア!』
『何を言ってるんだお前!』
「「……」」
守護者統括の叫び声、そして困惑し、焦りすら見える声色のモモンガ。室内の惨状を想像し、顔を見合わせ頷いたユリとブルー・プラネットが執務室に飛び込むのに躊躇いはなかった。一気にドアを開け放てば、執務机の前で何か得体のしれないモンスターに組み伏せられる
どこから現れたのかは知らないが、一体どうやってここまでの侵入を許してしまったのだろうか。そういえば叫び声をあげたアルベドも姿が見えない、このぐにゃぐにゃと黒い触手のようなものを伸ばしたモンスターに斃されてしまったのかも――そう思うと、怒りの感情が突沸するように吹き上がった。
「クソッ、何者かは知らんが、アインズさんから離れろ!」
〈植物の絡みつき〉を唱えると、ブルー・プラネットの右腕から10本ほどの蔦がモモンガに組みついたモンスターに巻きつく。締め上げて引きはがそう、そう思っての初撃はすべての蔦が勢いよく弾き飛ばされることによって不発に終わった。
似たようなエフェクトをユグドラシルで見たことがある。移動困難――これには拘束の状態も含まれる――に対する完全耐性のパッシヴスキルが適用された場合だ。拘束魔法を意に介さず、モンスターは変わらずモモンガを捕食し続けている。
このままでは不味い。焦りで頭に血が上るのを感じていると、それに冷や水を浴びせるように冷静なユリの言葉が届く。
「ブルー・プラネット様」
「何をしているユリ、早く助けないとアインズさんが」
「アレはアルベド様です」
「えっ」
言われて見れば、ぐねぐねと触手の如く動いてるのは彼女の髪で、奇怪な動きは馬乗りになって腰を動かしているせいだった。翼もいつも以上に広がっているだけだ。
(あほくさ……)
急速に脳ミソが冷却され、はぁと安堵の息が漏れる。天井で呆けていた八肢刀の暗殺蟲達が彼女を全力で引きはがそうとしていたが、どうやら力不足らしく大変難航しているようだ。
「……あー、マーレ、ユリ。手伝ってやんなさい」
「――あわわ、は、はい!」
「はっ」
レベル50代の前衛職の腕力とレベル100後衛のサポートが追加されたこともあって、暴走した守護者統括はすぐさま引きはがされる。解放されたモモンガに肩を貸してやると、彼は拘束されたアルベドに指を突き付けた。
「アルベド、謹慎三日間」
そのままユリと八肢刀の暗殺蟲に引き摺られていくのを見送ってから、ブルー・プラネットはモモンガのローブがずれているのを直してやる。
「ああ、びっくりした。ありがとうございますブルー・プラネットさん」
「何をしたらああなるの」
「いや、『ギルドメンバーが造ってくれたお前たちは宝だ』って言っただけなんですけど……マーレとシクススにも。そうだよな?」
「は、はい……」
モモンガは現実から目を逸らそうとしているのか、『何か悪いものでも食べたのか』などとのたまっている。どうせ理由の一端はわかっているのだろうが、詰めてもいいことはないので詰めることはしない。代わりに降って湧いた疑問を投げつけることにした。
「……まぁ、たしかにどこかおかしいよねえアルベドは。あそこまでアインズさんに執着するなんて、そんな設定でもあったかな?」
「えっ!? あ、ああー、そうかもしれないですね? うん」
そんな疑問に目に見えて動揺するモモンガはすぐさま冷静を取り戻したが、ブルー・プラネットの耳と視線はごまかせない。
「何か隠してるね? アインズさん」
「い、いや隠し事なんて……」
「マーレ、アルベドを呼んできてくれ」
「わわ、わわわかりましたよ! 説明します! 説明しますから!」
多少強引ではあるが、ここまで来て隠し事なんて好ましいものではない。結局問い詰めた結果モモンガが口に出したのは、『アルベドの設定を変更した』という重大事項だった。
「うわぁ、アインズさん……うわぁ」
「ちょっと、言いながら下がらないでくださいよ! 俺だってああなるとは思わなかったんですから!」
「しかし、そうかぁ……タブラさんにどう言い訳するかはおいといても、責任はとらなきゃいかんでしょ」
「責……任……」
うごごごと頭を抱えて悩みだした愉快なオーバーロードに確認の済んだ書類を手渡して、シクススに軽く挨拶してからしばらく放置されていたマーレと共に執務室を出る。
「そういや、マーレはアインズさんにどんな用があったのかな?」
「あっ、チェックが終わったので、回覧板を返しに来たんです。じゅ、順番的にはコキュートスさんが来る番だったんですけど、蜥蜴人の村のお仕事が忙しそうだったので代わりに……。ブルー・プラネット様は確認済、でしたよね?」
回覧板、というのはモモンガ発案の守護者へのお風呂のお誘いだろう。もちろん回覧板の開始時点でモモンガ及びブルー・プラネットは参加のサインを入れている。
「もちろん。コキュートスの代わりとは、マーレは偉いね」
ぽんぽんと頭を撫でてやれば、マーレはふにゃりと柔らかい笑みを浮かべた。こうして撫でてやることも最初は恐れ多いと言ってくることが多かったが、今では抵抗なく受け入れてくれている。多少なりとも心を開いてくれているということだろうか。あとはオドオドした様子が少しでも減れば尚良し。
そんなマーレと廊下の途中でわかれて、私室へと戻りながらブルー・プラネットは考える。内容は、アルベドについてだ。
『モモンガを愛している』。わざわざそんなことを書き込むくらいなんだから、きっとモモンガもアルベドの見た目がある程度は好きなんだろう。どうにかゴールインして、彼らには幸せになってもらいたいものだ。
(急かしてきた親戚のおばちゃんの言うことも、今ならわかるなぁ)
……とはいえ、ブルー・プラネットも現実では未婚の人間。愛だのなんだのを語れるような立場では、ないのかもしれないが。
「んん? じゃあアレはもしや?」
ある一点を思い出して、立ち止まった。つい声が出てしまったことに慌てて周囲を確認したが、頭上を固める八肢刀の暗殺蟲も特に動く気配はない。
ブルー・プラネットが思い浮かべるのは、アルベドと初めて会った時の、あの視線。
(まさか、俺がモモンガさんと一緒に風呂に入ったのを嫉妬した、とか?)
興奮して押し倒すほどの熱愛ぶりだ。ありえない話ではない。というかきっとそうに違いない、とブルー・プラネットはあらぬ勘違いを続ける。
(それならビビる必要もないか。ちゃんと応援してあげないとね)
カルネ村でも行った仲人活動を思い出し、ブルー・プラネットの足取りは弾んでいた。
※※※
その日、プレアデスの月例報告会兼お茶会の卓を囲んでいるのは六人だった。ルプスレギナを除いた戦闘メイド五人に加え、
「あれぇ?オーレオールぅ、食べないのぉ?」
「……エントマお姉様、私は人肉はちょっと……」
「エントマ、オーレオールは腕よりも耳の方が好みなのよ。ほら、こちらにしなさいオーレオール」
「いやあの、ソリュシャンお姉様……」
「ああぁ、そうだったねぇ。じゃあぁ、腕は私がいただきまぁす」
――桜花領域守護者、オーレオール・オメガ。七連星最後の一人を加えたメンバーが加わるのは、転移前後でも初のことである。
屈託のない笑顔で巫女の目の前に置かれた右腕のフライを受け取るエントマと、その空いたスペースにすかさず細かな部位が盛られた皿を置くソリュシャンの様子に、ユリは溜め息を一つ。
「……ごめんなさいね、オーちゃん。エントマとソリュシャンは『姉様』と呼ばれるのが嬉しいから、貴女にちょっかいを出すのよね?」
「ユリ姉様ぁ!」
「ふふ……大丈夫です。わかっていますよ姉様方」
考えを見透かされたエントマは照れたような声色で、しかし表情は変わらない。ソリュシャンもにっこりとほほ笑んだままだ。
報告会の主目的である議題報告は、既に三件が済んでいた。ナーベラルのモモンとの冒険者活動、ユリ及びシズの第一回(中略)オークション、ソリュシャンの王都での情報収集。そのどれもが順調で、大きな問題もなく。議題進行を務めるユリは四つ目の議題を探す。
「オーちゃんからは、特に聞いていないのだけれど……何か報告はあるかしら?」
「いえ、特には……少し前まではブルー・プラネット様の近侍を務めていたけど、この頃は変わらず転移門の管理の日々です」
「ああ、それに関しては悪いことをしたわ。ブルー・プラネット様には、事務補佐としてもオーちゃんを推薦したのだけれど」
「私を? ユリ姉様、それは何故――」
「皆あなたを応援してるのよ、オーレオール」
横から口を出してきたのはソリュシャンだ。彼女の言う応援とは果たして何を指しているのか、オーレオールには皆目見当もつかない。
「あら、そんなとぼけた顔して。メイド達の間ではもちきりの話題なのに」
「……そう。皆、知ってる。」
「ええと……?」
「ちょっと、あなた本当にわからないの?」
呆れた、とソリュシャンだけでなくナーベラルまでもが溜め息を吐く。
「ブルー・プラネット様が何かとあなたのことを気にかけているでしょ? 結婚式はいつになるのかしらって、ペストーニャ様も含めて皆期待してるんだから」
「えっ……あ、ええ!? そっ、それってあの、まさかデミウルゴス様が」
「デミウルゴス様はそんなこと言いふらす方じゃないでしょう。初めはアウラ様からだったかしらね? まぁ使用人の情報網っていうのは、いつの世も早いものだってホワイトブリム様が仰っていたし」
「あ、ああああーー!! そ、そそそそんなわけないじゃないですか! ブルー・プラネット様が、そんな……」
オーレオールが思い出したのは、ブルー・プラネット主催のバーでの守護者交流飲み会だった。
そこで同席したデミウルゴスに持ちかけられたのは、ブルー・プラネットの相手の第一候補にオーレオールを挙げているという話だった。間違いなくナザリックで一番に気をかけているのはオーレオールである、というデミウルゴスの言葉に、思わず巫女は頬を紅潮させた。
そんな噂話がいつの間にか広がっていて、剰えこうして応援されている――紅潮を通り越して、顔から火を噴きそうだった。
そんな風に顔色をくるくる変える妹の姿に、姉達はくすくすと微笑む。事実、メイド達――特にプレアデスの面々は彼女の恋を応援しているのだ。何故ならば、
「ブルー・プラネット様がオーレオールと結婚すればぁ、至高の御方が私たちの義理の弟ってことになるものねぇ?」
「……ブルー・プラネット様にも、義姉さんって呼んでもらえる?」
各々は妄想を膨らませ、恍惚の表情を浮かべる。守護者が見れば『不敬な考えだ』と誰もが突っ込みを入れるだろうが、それはもちろん冗談。副次的な義理の関係を望みもするが、実際はただの妹想いな姉たちなのである。
しかし、その変わっていく顔色がある一転から、何か思いつめた表情に変わったことに気付くのもまた姉だからこそだった。
「どうかしたの? ブルー・プラネット様から何か言われた?」
「いえ、ただ……」
あの日、光栄にも時間を割いてお話してくださった創造主が浮かべた表情が、心の片隅に引っかかったままだった。
「ブルー・プラネット様が、寂しげな表情を……。どういうことかしら」
「至高の御方の深淵なるお考えには、私たちメイド風情では追いつくこともできないのでしょうけど……オーレオールの気のせい、ってわけでもなさそうね」
「……はい」
手を挙げたのは、黙って特製ドリンクを飲んでいたシズだった。
「……寂しいってことは。ブルー・プラネット様、孤独?」
「孤独ってことはないでしょう。私たちシモベがいるし、アインズ様だっていらっしゃるもの」
「……そっか」
「……もしかして、だけど」
次に心当たりを挙げたのはナーベラル。
「昔、弐式炎雷様が『近頃は競争相手が減っちまったなぁ』と仰っていたのを聞いたことがあるわ」
「競争相手……お隠れになってしまった至高の御方々のことかしら?」
「ううん、あのころはまだ四十一人全員がご健在だったから違うと思うの。きっと対等に戦える、外の敵を望まれていたのよ。私にはわからないけど、前衛職は手ごたえのある敵を望むとも聞いたことあるし」
「でも、弐式炎雷様とブルー・プラネット様は少し毛色が違うんじゃない?」
「確かにそうだけど、参考までにと思ったの。至高の存在がそういったお顔を私たちに見せることもあるってこと。オーレオールが感じたのは気のせいじゃないと思うわ」
「ブルー・プラネット様は中・後衛の御人だけど、今朝アインズ様を救おうとした御姿は普段と違って戦いに苛烈な印象を受けたわね」
「……アインズ様を?ユリ姉、何時の話?」
「言ってなかったかしら。今朝アルベド様が……」
茶会が姦しくなり始める中、オーレオールは考える。ブルー・プラネットはあまりそういう、争い事は好まない御人だ。……ただ、それが全てではなかったとしたら。あの御方が実は心の奥底で、対等に戦える機会を欲していたとしたら。
「ありがとう、姉様方。御方の憂いを祓えるよう、わたしがんばります」
「ええ。がんばって進展させてね、恋も仕事も」
「うぅ」
「アルベド様よりはよっぽど現実的よ。がんばりなさいな」
ブルー・プラネットのあずかり知らぬ所で、地盤は固まっていく。
※※※
守護者達との裸の付き合い……風呂から上がり、温まった身体を休めようと、至高の存在二人はモモンガの私室でゴロゴロと怠惰に過ごしていた。八肢刀の暗殺蟲もメイドも部屋から追い出し、こうしてダラダラする時間は実に甘美だと二人は惟う。
「また桜花聖域を空けちゃって、申し訳ないねモモンガさん」
「ここ最近は何事もないですから。ちょっとの間だったら問題ありませんよ」
「平和だよねぇ、本当。お茶会から戻ってきたオーレオール、ものすごく嬉しそうだったもの。『お姉様』って呼べたのがすごく嬉しかったってさ」
「姉妹仲が良いんですね。みんなが望んでた通りだ」
どこか遠くを見つめながら、モモンガはそうつぶやく。ギルドメンバーの面影を思い起こしているんだろう。
「あ、ブルー・プラネットさん、この前カルネ村行ったじゃないですか」
「行ったね。ちゃんと門限守ったよ?お父さん」
「誰がお父さんですか。薬師の少年がポーション作ったって話聞いてました?」
「ポーション……? いや、聞いてないね」
「そうですかぁ……。昼間ルプスレギナがそれを提出したんですけど、あまりにホウレンソウできないものだからガツンと言っちゃったんですよね。組織の連絡網をしっかり構築しないとダメかなぁ」
ルプスレギナがホウレンソウできない、という部分には強く同意する。ブルー・プラネットがカルネ村を訪問した日にできたポーションを、数日後の今日提出するというのは少し遅すぎる話だ。
よくよく考えたら、カルネ村での彼女の出迎えミスについてはモモンガには伝えていない。おそらく今それを言えば彼は怒りを爆発させるだろうし、ルプスレギナをかばう意味でも飲み込んでおくことにした。
「まぁ、ユリか誰かを一回中継すればいいんじゃないかな? 彼女に確認させれば二度手間になるけど、たぶん大丈夫だと思うんだよね。るし★ふぁーさんもやまいこさんとかを経由すればちゃんと連絡してくれたじゃない」
「るし★ふぁーさん対応マニュアルがここでも生きてくるとはなぁ」
頭を抱え、枕に顔を埋めるモモンガ。女湯で大暴れしたライオン像しかり、ルプスレギナしかり。この拠点は本当に気が抜けない。
「それとも、俺がカルネ村にまた行ってこようか?」
「そんなわくわくした表情で言わないでくださいよ。次こそ門限破りそうな気がしますし」
「ええええ……信用無いなぁ……」
「エネミー討伐の連絡した時、遅刻常習の生産組と一緒だったじゃないですか」
「うぐっ、それを言われると痛い」
言いながら胸を押さえて、ごろごろとソファから転がり落ちる演技をするブルー・プラネット。あまりに滑稽で双方から笑い声が上がった。
笑い声が止み、部屋がふと静寂に包まれる。
「このまま、平和な日が続いて、大きな事件もなく……皆が見つかればいいんですけどね。」
ぽつりとモモンガが呟いた言葉に含まれた、切ない願望。
残り三十九人の仲間たち。この世界に居るのかもわからない彼らと、再び笑いあえるその日を。
「……俺もそう願うよ。NPCの誰一人がかけることもなく、このまま……。皆と会える日を、願ってる。」
思い起こすのは、茶会から帰ってきたオーレオールのあの嬉しそうな表情だ。娘がいる父親というのは、きっと毎日あんな温かい感情を家族から受け取っているんだろう。
彼女たちNPCとモモンガが幸せでいられるように働こう。ブルー・プラネットの心にできた目標は、ほんの少しだけ硬いものに変わった。