「……一大事だ」
「……ああ」
机を挟んで相向かいに座り、頭を抱える二人。片や骸骨、片や植物。お互い形が変わるわけでもないが、その表情はいつになく厳しいものだった。
ピリピリと張りつめた空気が漂う中、どちらともなく溜め息が漏れる。顔を手のひらで覆い、お手上げといった身振りを取って暗い雰囲気を払おうとするも、机の上に置かれたままの資料……先ほど確認した玉座の間のマスターソースを写したものはそれを許してくれない。
もう一度吐かれた溜め息は、完全に二人とも重なっていた。
「「金が足りない……」」
いよいよもってその空気に耐えかねたブルー・プラネットは、ソファに勢いよく顔を沈ませてバタバタと暴れる。
「もぉおおおおお!! 全然足りないよこのままじゃ! セバス達が王都で消費する額は落とすわけに行かないし!」
「アインズ・ウール・ゴウン合資会社、倒産のお知らせ……」
現実から逃れたいのはモモンガも同じだ。ただそうしないのは無駄だということがよくわかっているから。
ギルドの維持費はゲームと同じく、この世界に転移してからも必要不可欠な存在。マスターソースを確認すればわかることだが、少しずつその資金は増減を繰り返し、今のところは均衡を維持している。
そう、いますぐに底を突きそうだというわけではないのだ。計算したところ、少なくともナザリックの維持に問題はない。しかし、外での活動の費用も含めて考えればまだまだ足りないというのが現状。
モモンがそれをカバーできるほど稼げればいいのだが、では矢鱈滅多らに依頼をこなせばいいかと言えばそんなわけにもいかず。今のところ、辛うじて資金が消費するスピードを抑えているに留まっている。
一応、ナザリックの宝物殿に在る宝をエクスチェンジボックスにかけるという手立てもないことはないが……それをするなら、本当に、本当に最後の手段にするべきだと二人は思う。
ナザリックの財はメンバーみんなで集めたもので、それに手を付けるのはかつての思い出を金に換える、愚かな行為だ。モモンガはもちろん、ブルー・プラネットもそんなことができるはずがない。
そもそも、内部の貯金を崩すような真似は安定した供給が無ければ、結局のところ根本的な解決には至らないわけだし。
「現状、支出ばっかりで収入がほとんどないからねえ……」
エクスチェンジボックスの存在から考えれば、それはそのまま金でなくとも、物体として安定して手に入りさえすれば解決する問題だ。
しかしその方法は未だ思いつかない。モモンとしての冒険者活動でしっかり資金を稼いでいるモモンガのように、自分にも何かできないものか。ブルー・プラネットが頭を悩ませていると、目の前のモモンガが何事か閃いたように鼓を打ち、虚空へと手を伸ばす。
「ええと……あった!」
抜き出された手に握られていたのは小箱。受け取って開いてみれば、中に入っていたのは苔状の植物だった。
「以前報告してもらった『植物知識』……でしたっけ。それで鑑定してみてもらえますか?」
「お安い御用だ。ちょっと触るよ」
別に触れずとも鑑定は可能だが、目の前の未知の植物にわくわくが止まらない。触れずに居られるものか。苔に魅力もクソもないと笑うやつもいるが、生き物というのはどれも同一な物は存在しないのだ。それぞれの浮かべる表情は愛でるに相応しい魅力に満ち溢れている。
質感は想像通り、やわらかい。採取してから日は経過しているようだが、蓄えた水分はまだ緑色を湛えるに十分だ。臭気も独特だが、基本的に土に触れているはずの面にこびりついているのが木片なあたり、樹表面にその身を宿していたのだろう。カルネ村近辺で採取したどの種類とも異なるのは間違いない。
(まあ、確認はこんなところか)
特殊技術を発動する。まるでテストの答え合わせをするような気分で、少しだけわくわくを落ち着かせる。
するりと清水のように流れ込んできた文言を、つらつらと口から吐き出した。
「『ザイトルクワエの一部、主に頭頂部に自生する薬草。魔樹が蓄えた膨大な魔力を吸って育ったために、接種した生物に与えられる恩恵は大きい。即死を除く下位の状態異常を全て解除し、使用者が次に受けるHP回復効果を二十パーセント増強する。ポーション利用適正有り。栽培難度:高』……こんなとこかな」
以前発動した時と同じ、まるでゲームの説明文のようだ。ユグドラシルでは視覚的に表示されていたそれは、視覚的か意識的かの差以外は殆ど仕様が変わっていないようだった。
薬草を箱に戻すと、モモンガは手を叩いて賞賛の言葉をくれる。
「お見事!」
「いやいや、それほどでも」
「流石ブルー・プラネットさんですね。仰る通り、この薬草は以前お話した『ザイトルクワエ』から採取したものなんです。この世界ではかなり珍しい、いわゆる『万能薬』らしいんですけど……」
「万能薬、ねぇ」
ブルー・プラネットからすれば、貴重な薬草という時点で蒐集する価値は十二分にある。
が、いちユグドラシルプレイヤーとしての評価は『微妙』と言わざるを得ない。レベルカンストプレイヤーのダンジョン攻略やPvPともなれば、蔓延る状態異常は上位、さらに特殊な物ばかり。しかも時間系や拘束系に至っては動きが封殺され、アイテムによる治療は不可。だからこそ事前対策が欠かせないわけで、スキルや魔法による第三者からの解除と装備の耐性こそが状態異常の対策としては鉄板だった。
つまり、この薬草が『万能』と呼ばれるのなら、この世界の住人はやはり低レベルだということだろう。
二人の考えはおそらく同じで、見合わせた顔には苦笑いが浮かんでいる。
しかし、そんな薬草が果たして今までの話にどう関係があるというのだろうか。モモンガは無駄な話に道を逸らすタイプではないのに、と目の前でころころと転がされる小箱を見つめながら思う。
「これは守護者達の訓練の際に入手したものなんですが、組合が以前入手したのは三十年も前の話らしいんですよ。で、ザイトルクワエを完全に斃した、ってことは……」
「ああ、もう採取できないんだ」
ザイトルクワエという魔樹は一度見て見たかったが、害成す存在としてモモンガたちの手によって斃されてしまっている。
貴重な薬草がこれ以降入手できないというちょっとした哀しみが声に乗ってしまった。
「そこで、なんですけど。ブルー・プラネットさん、薬草の栽培って興味あります?」
「大アリ。詳しく聞かせて」
エクスチェンジ・ボックスに大量の小麦を投入することで、金貨が手に入った。ならばさまざまな薬草や、野菜、花。それらを大量に生産することができれば、それは安定した供給たり得るのではないか。それがモモンガの案だった。どこかから物資を奪う、という案も最初に浮かんだらしいが、それでは所詮付け焼き刃でしかないし、益になる規模の事件はやすやすと起こすわけにいかない。
つまるところ、大規模な畑――農園を造ろうというのだ。その維持管理担当として、ブルー・プラネット以上に適任はいないだろうとモモンガは言う。
「確かに、俺にとっては夢のような計画だなぁ」
「何分、今は何事も手探りの状態なので……あるのは時間くらいです。デミウルゴスの牧場のように、長期的な運用ができるように運営してもらえませんか? 必要なものは申請さえしてもらえれば、ナザリック内から持ち出して問題ないので」
断る理由がない。なにしろ、書類仕事よりも目に見えた形でナザリックのために働くことができるのだ。しかも、農園を造る場所はどこでもよく、ナザリックの外でも構わないという。
思い浮かべたのは大農園。ああ、何と夢のある話だろうか。ゲーム内でしか行えず、資料でしか見られなかった手による農作業。土にまみれて行えるそれを胸に、期待は膨らみ続ける。
「わかった。まかせて、必ず成功させると誓うよ」
「いやぁ、実に頼もしいですね。それじゃあまずは敷地ですけど」
「ああ、実はそれならオススメのいいとこがあるんだ」
「そうなんですか?」
実際には見たことがないものの、おそらくそこであれば農園に必要な条件が十分にそろっていると思う。
先ずはそこの下見に行きたい。その場所と、農園計画に必要なNPCをモモンガに伝えれば、どちらも即快諾されたのだった。
蜥蜴人の集落への遠征の際に利用した要塞から、数キロメートル先。
地図で確認した方角へと、気配を辿りつつ森の中を進む。
種族特性と職業特性によってパフォーマンスが最高になったブルー・プラネットの移動速度は、その巨体に見合わないほど速かった。
空を切り、バサバサと身を覆う葉がはためくが、職業『
しかし、フィールドブーストがかかってテンションが最高潮のブルー・プラネットに追いつけるようなシモベは、今回の御付にはいなかったわけで。
「いいぞ、空気が美味い! 緑が目に美味い! 木漏れ日が暖かい! 今、俺は風になってる!! 生きてるんだなぁ俺は! はははははは!!!」
至高の存在の勅命により、今回の付添いとして選ばれたのは、マーレ・ベロ・フィオーレとエントマ・ヴァシリッサ・ゼータ、そして八肢刀の暗殺蟲二体とそれに抱えられたピニスン・ポール・ペルリアの五人。ピニスンに関してはマーレの魔法を駆使したうえで、八肢刀の暗殺蟲に抱えられた状態だ。
ナザリックのシモベとしての意識が根付いた、ピニスンを除く四人は造物主の後を必死に追いながら……森の奥から届く、その楽しげな声に涙を禁じ得なかった。
玉座の間で語られた、ブルー・プラネットの身に起きた不幸。忌まわしき地、破滅し、至高の存在が命を落とすほど凄惨な世界。『りある』という世界で味わったはずの絶望。その恐ろしさを思えば、かの御方があそこまで喜んでくれることにどうして水を差せようか。
そんな風にシモベたちに思われていることは露も知らず、先行するブルー・プラネットは目的の区域に近づいたことを全身で感じとっていた。
森から与えられていた力が、徐々に薄れていく。緑は進むごとに色を失い、白く朽ちたその姿は植物と呼ぶにはあまりに生気が足りていなかった。
目の前に広がっていたのは、爆ぜてささくれた巨大な樹の株。生物の気配は一帯からは感じられず、中心の株、横たえた大木の幹のような蔦の破片だけが色を持っている。
ザイトルクワエの跡地だ。
「……酷いな」
足元に落ちていた枝を拾って握れば、少しの抵抗もなくぐしゃりと崩れた。まるで砂のオブジェを潰したかのような虚無感に、覚えるのは哀しみ。
そんな景色の全体を見渡し終えたころ、ようやくマーレ達が追い付いた。
「お、お待たせしました!」
「いや、すまないね。少し逸りすぎた」
謝るものの、その視線は目の前の凄惨な状況から逸らせない。
蔦の怪物の枝葉の奥に、感情を見つけたのだろう。マーレは続けて質問を投げかけてきた。
「ブルー・プラネット様。……ざ、ザイトルクワエを殺したことを、怒っていらっしゃいますか?」
「……いいや。俺は怒ってないよ」
これは、アインズにも聞かれたことだが。
生き物というのは、少なからず他を殺して生きている。食べ物であるとか、日々の生活の中でもそう。ただ、その殺し方があまりに目に余るとか、大局的に見て有害であるとか。それこそが罪なのだ。
ピニスンの話では、ザイトルクワエはその大きな力を維持するために、他の動植物を食らって生きたという。その結果トブの大森林を破壊し、さまざまな生物をそこから追いやった。それはナザリックからすれば間違いなく悪で、この地そのものがもたらす恩恵とザイトルクワエがもたらす恩恵を天秤にかければ、どちらが傾くかは想像に難くない。
だからこそ、ザイトルクワエを斃したという行為は、大局で見て正しい行いだったのだとブルー・プラネットは納得していた。
……あの破綻した現実を生きていなければ、ザイトルクワエに対する同情ももう少し沸いたのだろうが。
「怒るとすれば、ザイトルクワエに対してだ。守護者の皆やアインズさんには森を守ってくれたことに感謝こそすれ、怒ったりはしないさ。奴が奪ったものは大きかったが、こうして死んだ今。朽ちて大地に沈めば、魔力と栄養を大地に溶かし込んでくれるだろう。ここは良い農地になると、俺は踏んでいる」
現実と違い、この地の被害はまだまだ取り返しのつくレベルだ。大地の栄養も植物も動物も喰らい尽くされているが、森の全域から比べれば小規模。この程度ならば、ブルー・プラネットの知る最悪には程遠い。
ただ、ここを勝手に弄ることが正しい行いなのかは判断に迷うところだ。森というのは年月を経さえすれば、自力で自然的に復活する。ここも例外なく、悠久の時を経たいつか、元通りの森林に変わるだろう。
それを判断してもらうことが、ナザリックに唯一存在する現地人をここまで連れてきた理由だ。
「ピニスン、このままここを放置したとして、元の森に復活するまでにどのくらいかかる?」
ピニスンはうーん、と首を傾げて唸った。
「……かなりかかると思うよ。太陽がいっぱい昇ったり沈んだりするくらいには」
元々外界から来た彼女には、気安い口調を許している。ナザリック内でも多くない植物系の住人だし、気楽に話せる人物として仲良くしたかったからだ。アインズと同程度の立場だよと言ったらひどく怯えられたが。
しかし、そんな長命な種族が故だろうか。彼女らの時間感覚というのは独特で、正直よくわからない。彼女の表情と声色は真剣そのものなので、こちらが質問を間違えてしまっただけだ。
「そうか。それじゃあ、ナザリックで説明した通り、この一帯を大農園にしたいんだけど。ここを耕して農地にしても大丈夫かな?」
「いいんじゃない? 君が管理してくれるなら、むしろ安心だ。手入れにも手を抜かないだろうし」
第六階層の畑作業を手伝った影響か、アインズの影響か。彼女からの信頼度もなかなかのものらしい。
……そんなピニスンのことをマーレがすごい顔で見てるのは注意すべきか。エントマも仮面蟲のせいで真顔だけど、キチキチ音がする辺り何かを我慢してると見える。
何はなくとも、現地民から許可は得られた。作業を開始するとしよう。