「いやぁ、恐怖公も元気そうでよかったよ。道案内ありがとうね、シャルティア」
「え、ええ……」
ブルー・プラネットの全身の葉が、蔦が、まるで鼻歌でも歌っているかのように機嫌よく、ザワザワと蠢いていた。
それと対照的に、第一階層を歩いていた時よりも三歩ほど離れて後を追う女性二人の表情は青白い。元々二人とも色白な性質だが、当の本人たちにとってはそういう問題ではなかった。
「でも本当によかったのかい? 遠慮せずについてきてよかったのに」
「いえいえ、お二人のご歓談を邪魔するわけにはいきませんもの。私どもなどお気になさらず、ごゆっくり堪能いただけましたでしょう?」
「わたしも、恐怖公にはいつでも会うことができんすから……」
二人とも、どこか遠い目をしながら答える。
それならいいのだけどと呟いて、ブルー・プラネットは再び歩き出した。
しばらくして、その足が止まる。見れば、誰かから〈伝言〉が来たようだ。シモベ二人は立ち止まって待機していたが、ブルー・プラネットの開かれた口から出た名に、すぐに跪くこととなる。
「ああ、モモンガさん。何かあった?」
『ブルー・プラネットさん、コキュートスが、以前話した蜥蜴人の殲滅作戦に失敗しました』
「失敗、というと……」
『率いていた軍の指揮官が消滅。敗北、という結果です』
「あちゃー、それは残念」
返事をしつつ横目で見れば、シャルティアとオーレオールもどこかから連絡を受けているようだった。シャルティアの方は時折驚愕の表情が浮かんでいるあたり、内容はこちらと同じだろう。
『というわけで、コキュートスからの報告を受ける手前、俺の部屋に来てもらえませんか? 報告会には守護者が揃うことになってますから、その前に集会をします。台詞回しをしっかり練習しておきましょう。……というか、ぜひとも俺の練習に付き合ってくれませんか……』
「なるほどなるほど。あー……ついにこの時が来てしまったか」
『ふふふ、ブルー・プラネットさんにもこの胃の痛みを半分ほど負担してもらいますよ』
「うへえ……とりあえず、すぐそちらに向かうよ」
〈伝言〉が打ち切られたことを確認すれば、シャルティアとオーレオールの方もほぼ同時に連絡が終わったようだ。こちらに跪いたまま、転移の許可を請願してくる。
「ブルー・プラネット様、申し訳ありんせんが、アインズ様より守護者に召集の命が下りんした。名残惜しくはありんすが、ここで失礼いたしたく存じんす」
「ああ、また後で会おう。オーレオールも同じかな?」
「はい。桜花聖域守護の代理を頼んでいたヴィクティム様にも召集がかかっておりますので、再び本来の任に戻らせていただきます」
「なるほどね。そうか、ヴィクティムもか……君の上司なのにまだ顔を会わせてなかったな。うん、それじゃあまた何かあれば、モモンガさんに許可を取ってから声をかけさせてもらうよ。お仕事がんばってね」
「ありがとうございます」
二人の姿を見送ってから、指輪の力により第九階層に転移する。まっすぐ向かうのはモモンガの私室だ。
さて、コキュートスは武人建御雷の設定したNPCだ。前線での単純な戦闘能力ではブルー・プラネットより上だったはずだし、とにかく強い蟲キャラでそれはもうカッコいいという認識しか持っていなかったため、作戦失敗には少し驚いた。
とはいえ、使い捨ての軍勢を率いさせ、敗北も視野に入れた実験だというのはモモンガから風呂で聞いていたから落胆することはなかったが。むしろ、想定通りの結果になったことに対するモモンガへの感嘆の方が大きい。やはり聡明だ、この人は。
ノックをして扉を開けてみれば、中にはローブを纏った骸骨が束ねた資料を持って待ってくれていた。その光景があまりに見慣れないもので、どうしても違和感がある。しかもその骸骨が嬉々として資料の束の一部を手渡してくるのだからなおさらだ。
「待ってましたよブルー・プラネットさん。これをどうぞ」
「お待たせしました。……え、何この量は」
蔦と化し、強靭になった両腕でも重みを感じるほどの厚さがある。それをパラパラとめくってみれば、中は台本になっているようだった。
「一応こういう形式でやっていくっていう予定の台本です。彼らの前でロールプレイしながら進行するの、けっこう大変なんですよ?」
「いや、それはそうなんだろうけど。台本って……彼らから急な質問が出てきたらどうするんだい?」
「……ケースバイケースで、臨機応変に?」
「あ、これは何も考えてないやつですね間違いない」
微妙な間の後に、小首を傾げてふわふわした回答をするモモンガと冗談を言い合い、どちらからともとれない笑い声が起きる。
「そこはブルー・プラネットさんがこう……うまくやってくれると信じてますよ、俺は」
「うへえ」
不安は残るものの、そこからはひたすらに練習だった。合間合間にロールプレイ慣れしたモモンガさんからの指導もはさまりつつ、なんとか台本通りのセリフ回しは覚えることができ、あとは、何事も起こらないことを願うだけである。
「ほんと、会社のプレゼンを思い出しますよ」
「ああ、俺は学会を思い出すなぁ。クソ教授の質問攻めが脳裏に……うっ頭が」
「まぁ、大丈夫です。最悪アルベドとデミウルゴスに振ればなんとかなります。多分」
「なるといいなぁ……」
◆
練習も一段落して、集会までまだ時間があるため、休憩を兼ねた時間にモモンガがやって来たのは宝物殿だった。ナザリックのシモベ全員にその姿を見せるに当たり、ブルー・プラネットも全盛期の装備を揃えるべきだと考えたからだ。
勿論彼らが反逆を起こすとは万に一つ程度にしか考えていないが、一応の保険と、『ブルー・プラネットがナザリックに帰ってきた』という一大事さを示すためには、より尊大な姿であるべきだと思う。特に全身神器級装備で固めたアインズが居て、見劣りするような存在であってはならない。
なので宝物殿に取りに行ってください、と言ったは良いものの、そこを守護する奴が例のアレだったために、すぐさま訂正して『ギミック解除が何かと大変ですし俺がパパッと取ってきますよハハハハハ』と適当宣って転移してきたのだった。
「ンアインズ様ッ! 本日もご機嫌麗しく、こうして再び御身自らこの宝物殿を訪れていただけるなど! 本日はブルー・プラネット様の装備をとのご用命でしたね?」
「ああ、うん。そうだ」
毎度毎度のオーバーアクションっぷりに頭が痛くなる思いをしながら、これでも自分の息子のような存在なんだよな……と、指輪を預けて霊廟へと向かう。その足取りは前回の訪問よりも遥かに軽く、しかし普段に比べれば若干重くなっていた。
パンドラズアクターは、その背を見つめながら、己の胸中にじわりと滲んだ闇を抑えるように、胸の前で拳を握った。かの御方が帰還する前、守護者統括アルベドから提案された『とある作戦』を聞いた時から、それは胸の中にあったように思う。
――『アインズを苦しめる至高の四十一人を密かに捜索する』――そのための部隊の一人として、誘いを受けていた。
ただの捜索部隊にしては、他の面子を見ても過剰戦力なのは明らかだ。だからこそ、その誘いを口にした悪魔の表情の裏に潜む真の意味合いはすぐさま読み取れる。当然それも織り込み済みで、彼女は誘っていたのだろう。守護者統括のなんと、恐ろしく、狡猾なことか――。
創造主たるモモンガを心から愛するパンドラズアクターと言えど、それは快く二つ返事をできるような提案ではない。たとえ主人を苦しめているものでも、モモンガにとってはかけがえのない友人であり、彼らの帰還そのものこそ我が創造主の望みであると知っていたからだ。事実、ブルー・プラネットの帰還を我が主は喜んでいる。想像してはいたものの、いざその様を自身の目で見れば、迷いが生じるのは必然だった。
パンドラズアクターには、守護者達に勝るとも劣らない叡智が与えられている。それでも、持て余してしまうような問題だった。
一通り装備を回収して戻り、指輪を受け取ると、パンドラズアクターが徐に声をかけてきた。
その姿にはいつもの大仰さは窺えず、少しだけ大人しくなったのが見て取れる。それが、モモンガには印象的だった。
「……アインズ様、アインズ様はブルー・プラネット様がご帰還なされたことについて、如何お考えですか?」
「如何、だと?」
アインズには、彼の表情は読めない。卵形に適当に描いた絵のような顔だ、読める人間の方が少ないだろう。
どうやら、ブルー・プラネットについて思うところがあるのは明白だ。ただ、アインズには目の前のこの存在が求める答えがわからなかった。いつものように適当に誤魔化せば良いような気もしたが、質問の内容は大事な友人についてである。放っておくわけにもいかず、鷹揚に尋ねることとした。
「今は帰還について言えることは少ないが……逆に問おう。お前はブルー・プラネットさんについて如何考えている?」
「アインズ様のご友人にして、大いなる大地そのものの如き慈悲を持った大自然の番人! でございます!」
「うむ。概ね間違いは無いな。お前たちが私に忠誠を尽くしてくれるように、彼にも等しく忠誠を尽くしてやって欲しい。」
「――ハッ」
「……だから、遠回しな質問はよせ。私には全てお見通しだぞ? 正直に聞かれれば答えてやらんことも無いがな」
(何か聞きたいことがあるらしいことしかわかってないけど)
そう心の中で嘯く。いわゆるハッタリだ。この姿になってから何度使ってきたことか。人の心を読むなんて、魔法でもなければ無理だとアインズはヒシヒシと感じている。
他のシモベの例に漏れず、ハッタリは目の前の役者にも効果てきめんだったようだ。深々と礼を取ったままパッと顔を上げたかと思えば、再び俯き、意を決したように顔を上げてこちらを見る。
「アインズ様は、正直な部下の方が好ましいとお考えでしょうか?」
「虚言を吐く者は信用を失う。世の常だろう」
「では、懺悔を聞いていただけますでしょうか。我が主人よ」
「……いいだろう。言ってみろ」
役者は自身の胸に手を置き、語る。
「ブルー・プラネット様がご帰還なされたと聞き、始めに私が抱いた感情は『喜び』でした。しかし、次に抱いたのは……『不安』、だったのです。」
「不安?」
「はい。私の役割は御方々の姿を保存し、駆使すること。そうしてアインズ様に奉仕することを何よりの喜びと感じております。しかし、その四十一の役割のうち、一つが失われました。不敬にも、私にはそれが悔しかったのです。アインズ様のお役に立てる機会を一つ失ってしまったことが。喜ぶべき御方のご帰還を、素直に喜ぶことができない! 御方々がこれからまたご帰還なされる可能性が高く、円卓を埋める日がそう遠く無いと言うのに……私は、喜ぶべきその日が不安で不安で仕方ないのです! このまま御方々がご帰還され、円卓に四十一の御方が集まった時、アインズ様にとって……私とは、何の意味も持たない存在になってしまうのでは無いかと! 不安を隠せず、御方々に嫉妬してしまう私自身が恐ろしいのです!! 恐れ多くもナザリックの支配者であるアインズ様ご自身に創られた身でありながら、私がナザリックにおけるシモベとして最も不敬な存在になってしまったと! 私の存在意義が消滅するその日に、不安を憶えて仕方ないのです!!」
もはや見慣れたオーバーアクションで長ゼリフを言い切り、役者は再び礼をした。頭は下がったままだ。
モモンガは、困惑していた。彼の抱えていたものは、
モモンガは解釈する。それは不安だけではなく、寂しさだと。
円卓に一人で座り、来る日も来る日も一人で過ごしたあの日々の寂しさだと。
――四十一の円卓は二度と埋まらない。仲間達はきっと帰ってこない。それならこの拠点は、このギルドは、俺がやってきたことは何だったのか。――かつて、一瞬だけ脳裏を過ぎった最低なあの不安に、よく似ていた。
懺悔を聞いたからには、彼には何か言葉を与えなければいけない。モモンガは迷った。彼を許していいのだろうか。彼は、このままではブルー・プラネットや、他のギルドメンバー達にすら恨みを抱えたまま生きていくことになってしまう。
自分が創った存在が、そんな悲しい道化に成り下がるのを見るのは、モモンガとしても本意では無い。
例え黒歴史だろうと、自分が皆の姿と思い出を保存するために作った着せ替え人形でも、彼は既に一つの生命なのだ。
「パンドラズアクター」
「ハッ」
踵を鳴らし、卵顔の役者はその場に立つ。モモンガは数度言い淀むが、一度口を開きさえすれば続く言葉はつらつらと流れるように出てくるものだ。
「……俺は、その不安をよく知っている。かつて同じ不安に苛まれ、苦しんだことがある。自己を嫌悪し、自己を否定し、とにかく、苦しかった。それは一つの生命として、当然の苦しみだ。俺は、そうやって自分で考え、苦しみ、こうして俺に吐くまで耐え続けたお前を誇りに思う」
「もったい無いお言葉! 不敬な私を…」
「だが、お前は一つ忘れていることがある」
パンドラズアクターは思案する。何を忘れているというのだろう、至高の存在の深淵なる考えに追いつこうと脳を巡らせるが、それに思い当たる節はない。
結果、口からは至高の言葉の一部を復唱するに留まった。
「忘れている、とは……」
「では一つ問うぞ。お前は、誰に創られた?」
「絶対の支配者にして至高の御方々の纏め役、アインズ様でございます!」
「そうだ。そんな私は、お前にどんな仕事を頼んできた?」
「御方々の姿を模し、その力を駆使し様々なことをして参りました」
エクスチェンジ・ボックスを使用した際に同じように、至高の存在の能力の八割を行使できる。実際にそれを用いた働きは少なかったが、パンドラズアクターは誇りを持って務めてきた。
アインズはその答えに満足したように頷く。
「そうだな。では、私の姿を模した時は?」
「主に、影武者として働いておりました」
「そうだ。既にナザリックにいる私の姿は模すことができるというのに、私の仲間が此処に帰還したら、お前はその仲間の姿になれなくなるのか?」
パンドラズアクターは、その言葉で全身に電撃が奔ったような錯覚を覚えた。
そう、御方々が帰還しても、役者の役割は変わらない。できることはなくならない。役さえ与えられれば、後は演じるのは自分の力なのだと。今目の前にいる四十一人のうちの一人に、今まで必要として頂いていたことを忘れてしまっていた。
「……いえ! いいえ! 例えあの円卓を囲む席が万に増えようと! 御方にさえ望まれれば、私は変わらず、四十五の望まれた形態に変化することができます!」
「そうだ、お前は変わらない。あの円卓が埋まろうと、ブルー・プラネットさんが帰還しようと! お前の存在は揺るがない、『お前にはお前にしかできないことがある』ことを忘れるな! 不安を持つことは悪いことではない。意思のある者なら誰しも持つものだ。だが、迷うな。お前は着せ替え人形ではなく、俺の」
そうして続けようとした言葉が案外恥ずかしいことに気づき、思わず言葉を濁す。
(ブルー・プラネットさんのことも笑えないな、全く)
風呂場で恥ずかしげに頭を掻いていた男の言葉を思い出す。なるほど、これは恥ずかしい。
だが、言わねばなるまい。彼を襲う不安を振り払うために。
「――お前は、俺の大事な息子なのだからな」
「あ、あ、アインズ……様ッ……!」
パンドラズアクターは、泣いた。涙が流れる種族ではないのに、心はわんわんと大声で泣いていた。
創造主は、恐れ多くもこの不敬な存在を誇りに思い、息子だとまで言って下さった。自分はただの道化で、シモベとして一生その下で仕えさせてくれればそれでいいと思っていたのに、心の不安を取り払い、前を向けるように言葉をくれた。情けなく泣いてしまった自分の肩を叩いてくれる父親の手は骨だというのに、なぜか温かかった。
一方、珍しく取り乱し、宝物殿に膝を突いた息子の肩をぽんぽんと叩くモモンガは、『結婚もしていないのに、これまた大きい息子ができてしまった』と心の中でボヤいていた。