漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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城には王がいて、その下には貴族や騎士がいて、更に下には一般庶民が城下で
ごく普通の生活を営んでいる。
王都から馬を走らせれば貴族達の治める領地が広がり、その先には海や山が
あり、他の国へと続いている。
そんな世界でキリトとアスナが出会ったら……。


01.中央市場(1)

城下の中心に位置する広場の一角には常設の市場として様々な品物を扱う店が所狭しと

建ち並んでいた。

一角といっても国内では一番規模の大きい『中央市場』の名を持つ市場だ。

アインクラッド王国に属する広大な土地は穏やかな気候に恵まれており、それぞれの

貴族達が治めている領地からは多種多様な野菜や木の実、果実に穀物、肉や豆、そして

香辛料を中心とした調味料をはじめ、それらを使った加工食品がこの中央市場に卸されていた。

毎日、早朝から売り手と買い手が商品のやりとりをし、それが終わる頃には城下で生活をして

いる市井の民や貴族の屋敷で働く使用人達が新鮮な食材を求めて市場を訪れる。

その後も市場にやってくる人々は絶えることなく、太陽が頭上に上がる頃にはあちら

こちらから肉を焼く香ばしい香りや、焼きたてパンの優しい香りが行き交う人達の胃を

誘惑していた。

 

「こんにちは、エギルさん」

「やあ、いらっしゃい、エリカちゃん。今日は何をお探しだい?」

 

市場の中心部近くにある一軒の店先に鈴を転がすような声の主が立っていた。店内には色も形も

様々な果物が瑞々しい光沢を備えそれぞれの箱の中で行儀良く収まっている。

頭からすっぽりと煉瓦色のフード付きロングマントを羽織っている彼女は、その容貌は

もちろん体つきさえ華奢な肩幅からしかうかがい知ることができない。それでも背筋の伸びた

綺麗な立ち姿にしなやかな所作、加えてマントの端からのぞく手の甲と細い指はシワひとつ

なく、それら全てが年頃の娘を示唆していた。

深めのフードから見えるのは彼女の鼻と口元のみだが、色白の肌にスッとした鼻筋、細い

おとがいの少し上にある薄い桜色の唇は屈託もなく禿頭の店主に微笑みかけている。

彼女は腰をかがめて目の前にある商品を左から右に眺めると、改めて顔をあげた。

 

「そろそろ今年のリンゴが入荷したと思って来てみたんですけど……まだ種類が少ない

ですね」

「ああ、出回り始めたばかりだから、まだ出そろったとは言えないな」

 

彼女の視線の先にはリンゴの詰まった箱が種類別にいくつか置いてある。

その周りにもブドウやオレンジ、洋ナシにマーシュやベリーが並んでいたが、彼女は

見向きもせず一心にリンゴを見つめていた。

 

「ガヤムマイツェン領でとれたリンゴは?」

「ああ、それならこれだ」

 

そう答えながら店主のエギルは仕入れたリンゴの中では比較的小ぶりなサイズばかりが詰まって

いる箱からひとつを取り出した。

 

「やっぱり、その見事な赤だと思いました。でも今年のは小さめですね」

「そうなんだ。毎年一番人気だから今年も期待していたんだが、色艶はいい、収穫量も

いつも以上だ。その代わりサイズが小さく、果肉がかなり硬めで何より酸味がキツすぎる。

花が咲く時期までは順調だったらしいんだが、その後やけに涼しい日が続いたせいで

実が成長しきれなかったんだな。どうにも客にも勧めづらくて困ってるところさ」

 

浅黒い肌で体躯の良い店主はいつもの人好きのする笑顔とは違う苦笑いを浮かべて

持っていたリンゴを大きな手の中で器用にナイフを使い皮を剥き、一口大に切ってから

「ほら」とエリカの前に差し出した。

リンゴの角を小さくかじり、口に入れたエリカはシャリシャリと音を立てて何回も咀嚼すると

こくん、と飲み込んでから頷く。

 

「確かにかなり酸味がありますね。でも果肉はしっかりしているから逆に煮ても崩れる

心配はないと思います。このまま食すのはいささか無理でもパイにするにはもってこいの

素材だと思うんですが……そうだっ、エギルさん、リンゴと一緒に蜂蜜も仕入れています

よね?」

 

口元だけでもわかるほど満面の笑みとなったエリカは、はしゃいだように言葉を続けた。

 

「リンゴを煮る時、お砂糖と一緒にガヤムマイツェンのリンゴの蜂蜜を加えるといいと

思います。サッパリとした甘みの中にこくが出ますから」

「なるほどな……助かったよエリカちゃん。ガヤムマイツェンのリンゴを仕入れた他の

店にも伝えておこう」

 

顎に手を添えたエギルが感心したように何度も頷いてみせた。同じ産地のリンゴと蜂蜜なら

相性も間違いないだろう。エリカは微笑んだまま他のリンゴをしげしげと眺めている。

 

「それと……アーガス領のリンゴはまだなんですか?」

 

その問いを聞いたエギルの顔が途端に曇った。店主の変化に気づいたエリカが問うように

首をかしげる。エギルは膝を曲げて彼女の顔に自分のそれを近づけると声を潜めて口を開いた。

 

「今年は仕入れなかったんだ」

 

エリカが再び問いを発せずとも、エギルは言葉を続けた。

 

「最初はいつも通り仕入れる予定だったんだがな、商品を見たらなんだか妙に腑に

落ちないというか……何かひっかかる気がして」

「……変色していた……とか?」

「そうじゃない。色もいい、形もいい、艶もあるし収穫数も例年通りだ……味は

わからんけどな。けど……名産地と言われるガヤムマイツェンでさえ今年の出来は

上々にほど遠かったんだ。気候がそれほど違うとも思えないアーガスのリンゴに

全く影響がでてないのはおかしいだろう。それに並んでいるリンゴが不気味な程

同じ大きさで同じ色だったんだ……なんか、こう『作った』と言うより『作られた』と

いう感じがして……それで今年の仕入れはやめにした」

「あそこは栽培技術の研究が盛んですからね」

「ああ、ただその熱心さが変な方向に向いてなきゃいいんだが……この中央市場の品は

騎士や貴族といった政に関わる人間の口に入る場合も多い。納得のいかない物を扱うわけ

にはいなかいさ」

「……そうですね。では、ガヤムマイツェンのリンゴをみっつと、あと蜂蜜もください」

「おうっ」

 

威勢の良い声を上げたエギルは紙袋にリンゴを詰めると別の袋に蜂蜜を入れながら「パイの

アイディアのお礼だ。蜂蜜はおまけにしとくよ」と言ってウインクをした。




お読みいただき、有り難うございました。
もともとこちらの『ハーメルン』様で投稿してます「ソードアート・オンライン」の
キリアス・エピソード集《かさなる手、つながる想い》にアップするつもりの
作品でしたが、いささか長編になりそうなので別枠を設けさせていただきました。
記念すべき(?)第1話ですが「キリト」も「アスナ」も記載できず……記載どころが、
キリトに至っては気配すら伺えず……これは余りにも淋しいので、第2話も続けて
投稿させていただきます。
よろしければもう少しお付き合いください。

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