漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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アスリューシナの私室からキリトゥルムラインが去った後、入室してきたのは……。


10.訪問者(6)

キリトゥルムラインと入れ替わるようにして、今しがた彼が視線を送った先の扉から

ノックの音がする。返事をする間もなく「失礼します」と言って侍女頭のサタラが

キズメルを伴って入ってきた。

 

「サタラ!……いつの間に……」

 

驚きと共に発せられた問いには答えず、サタラは足早にアスリューシナの元へとやって

くると、そっと腰を落として両手で右足首に巻かれている包帯を確認する。

 

「……しっかりと巻いてあるので今夜はこのままお休みくださいお嬢様」

「あの、サタラ……」

「明日の朝、お取り替えいたします」

 

アスリューシナの言葉を取り合わず、淡々と侍女としての役目を果たすサタラは令嬢の足首から

視線をサイドテーブルの上に移した。いつの間に置いていったのか、キリトゥルムラインが

持参した軟膏がある。

 

「今度からはちゃんとおっしゃってください。それにしても……お召し替えや湯浴みの時にも

気づかないなんてうちの侍女達は……これだから私がいないと……そもそもガラス扉を閉め忘れる

とは……」

 

何やらブツブツと言いながらキズメルに持たせていたトレイを受け取り、乗っていた茶器を並べて

お茶の準備を進めている。

 

「サタラ、なぜ侍女が鍵を閉め忘れたって……」

「ちゃんと閉まっていたならお嬢さまが自ら解錠して、大胆にもかの侯爵様を迎え入れたことに

なりますが……どの様な理由があっても、それはないでしょう。なら、朝から忙しくしていた

侍女達が閉め忘れたと考えるのが妥当です」

 

「それと」と言ってから傍に控えているキズメルに顔を向け、その瞳を見つめて困ったように

微笑むと語気を和らげた。

 

「護衛としてお嬢様の周辺に気を配るのはもちろんですが、もう少しお嬢様ご自身の変調にも

気を配ってくださいね、キズメル」

 

侍女達の振る舞いならサタラの監督下だが、キズメルは護衛の身なので本来ならサタラが口を

出せることではない。それでも二人はアスリューシナ付きの侍女と専任護衛という役職を介して

ここ二年ほどは密なる交流を深めていた。キズメルがアスリューシナにとって姉のような存在

なら、サタラにとっては娘のような感覚だ。やんわりと注意喚起をされ、キズメルは無言で頭を

垂れた。

 

「違うのサタラッ」

 

うなだれているキズメルを見て、思わずアスリューシナが声をかける。それを制するように

ティーセットの乗ったトレイを彼女の目の前に置いたサタラは声を固くした。

 

「いいえ、違いません。市場に行くのがいけない、とは申しません。お怪我を負う事もある

でしょう。ですがご自分の身はご自身だけのものではないのです。お嬢様が我慢をなされば

いいという問題ではありません。この屋敷に仕える者が皆、お嬢様の事をどれほどお慕いして

いるか十分にご理解いただけていないようですね」

「そっ、そんなことはないわ。ええ、本当よサタラ」

 

サタラが自らが仕える公爵令嬢への忠誠心を暴走させ始めたのを感じ取ったアスリューシナは

慌てて侍女頭の両手を自らの手で包み込んだ。

 

「いつも、いつも感謝してるわ。サタラだけでなく、他の侍女達もいつも良くしてくれて……」

「なのにですっ」

 

興奮気味のサタラがアスリューシナの言葉を遮った。それこそ侍女としての振る舞いでは

なかったがアスリューシナとしては益々勢いの増す侍女頭をなんとかしなくては、の思いしか

ない。

 

「足の痛みをおっしゃっていただけず、私はつい先ほどコーヴィラウル様からうかがったん

ですよっ。それもお食事を終えてお部屋に戻られる時に、ふと思いついたように『そういえば

アスリューシナの足のケガ、どうしたんだい?』と。その時の私の気持ちがお嬢様におわかりに

なりますかっ。このお嬢様付きの筆頭侍女である私が、お嬢様のお怪我を存じ上げすに……

それをっ、それを、若様は随分と楽しそうなお声振でっ」

「ごめんなさい、本当にごめんなさい、サタラ。もうこんな事しないから。ケガをしたら一番に

サタラに言うわ。それにお兄様の性格はサタラもよく知っているでしょう。いつものサタラなら

私のケガなんて気づいていて当然なのだから、お兄様の悪ふざけがでたのよ」

 

懸命にサタラの手を撫でさすり、気持ちをなだめながら、アスリューシナは「お兄様ったら」と

内で溜め息をついた。

 

(気づいていたなんて……)

 

自分の兄が存外に食えない相手だったと、久しぶりの再会ですっかり失念していたことを思い

知る。父であるユークリネ公爵の片腕となって自国内はもちろんのこと、他国の商人とも売り

買いの駆け引きをしているのだから、観察力や洞察力は人一倍培われているに違いない。

腹に一物あるような兄の笑みを思い浮かべてアスリューシナの眉間に皺が寄る。そんなアス

リューシナにサタラはぐいっと顔を寄せた。

 

「加えて先ほどまでここにいらした侯爵様ですっ」

「ふえっ」

 

咄嗟に握っていた侍女頭の手を放し上体をのけぞらせたアスリューシナに、更に詰め寄った

サタラは大げさに息を吐き出すと、大胆にも公爵令嬢をジトッと睨み付けた。

 

「おみ足の具合をうかがおうとお部屋の前まで参りましたら男性の声が聞こえるんですから。

私の心臓が一瞬止まりましたっ。すぐにキズメルを呼びにやってお部屋に乗り込もうとしまし

たら、お嬢様が『ガヤムマイツェン侯爵様』とお呼びするのが聞こえて、再び心臓が止まり

ましたよっ」

「それは……私だって、驚いたわ」

 

そこまで言ってアスリューシナは、はたと思い至る。自分が侯爵の名を呼んだ声が聞こえた

のなら……

 

「サタラ……その……部屋でのやりとり、聞こえてたの?」

「侯爵さまの名を強くお呼びになったのは聞こえましたが。あとの内容はよく聞き取れません

でした。それにしても……あの……お嬢さま、ガヤムマイツェン候は、その……御髪を……」

「……ええ、ご覧になったわ」

 

最後までサタラに言わさずともその内容を正確に理解したアスリューシナは、そっと事実を

告げる。

自分が仕える令嬢の冷静な口調に対してサタラは一瞬の動揺を見せ、片手を口にあてた。

 

「そんな……」

「でもね、侯爵さまは……大丈夫だと思うの。他言はしないとおっしゃってくださったし。

そのお言葉を違えるような方だとは思えないのよ。それにそれ以上の事はご存じないみたい

だし……」

「……アスリューシナ様……」

 

侯爵へ信頼を寄せるアスリューシナの口ぶりと表情にサタラは小さな驚きを覚える。

 

「変よね、ほんの少ししかお話していないのに、そんな事を思うなんて……」

 

キリトゥルムラインの人柄を語る自分が恥ずかしくなったのか、使用人の二人からの視線を

避けるように俯くアスリューシナにサタラは冷静さを取り戻してある考えを進言した。

 

「こう言ってはなんですが、お嬢様。あの侯爵様ならオベイロン侯爵様とのご婚約、退けて

いただけるのでは……」

 

キリトゥルムラインを思い出していたのか、ぼんやりとしていたアスリューシナが一気に

表情を引き締める。

 

「……それは……ダメ……それだけはダメだわ」

「ですがっ、このままでは……」

「ガヤムマイツェン侯爵さまは理由(わけ)あってこの足のケガの責任を感じて謝罪においで

下さっただけ。それだけなの。私にしてもそうよ。いくら気に入らない殿方と婚約を結びたく

ないからと言って、何の想いも抱いていない方を頼るなんて、出来ないわ」

 

少し悲しげに首を振るアスリューシナに対し、これまで沈黙を守っていた専任護衛のキズメルが

耐えきれずに口を開いた。

 

「ですがっアスリューシナ様、オベイロン侯爵様と同じ三大侯爵家様がお相手なら、きっと

旦那様や奥様にもご納得していただけます」

「キズメルまで……ありがとう、心配してくれるのは嬉しいけど、その話はもうおしまいにして

ちょうだい。今日は疲れたから休みたいの。それとこのケガのことだけど、侯爵さまの見立て

だと多少腫れても三日もあれば落ち着くそうだからお父様達には言わないでね。明日、侍女達に

見つかったら王城でのダンスでお兄様に踏まれたとでも言ってやるわ」

 

悪戯ッ子のように笑うアスリューシナを見てキズメルは顔をしかめる。

 

「……お嬢様」

「キズメルの責任ではないのだから。落ち度はちゃんとサタラに言わなかった私よ」

 

サタラもそれ以上の言葉をキズメルが言うべきではないと判断して、話を遮るように用意した

紅茶のカップを令嬢にそっと差しだした。カップから立ち上がる香りに「ルイボスね」と

アスリューシナが微笑むのを見て頷く。

気分を落ち着かせてくれる茶葉を選んでくれた侍女頭に礼を言ってからそれを飲み干した後、

アスリューシナはサタラの手を借りて寝室に移動してベッドに横たわると、日中の市場での

出来事から王城での夜会と侯爵の訪問といった、たった一日では起こりすぎる数多の出来事を

振り返る間も無く、すぐさま眠りに落ちたのだった。

 

 

 

 

 

いまだ日の出の時間にはほど遠い深夜、コーヴィラウルの部屋から呼び鈴が鳴ったので急いで

サタラが駆けつけると、そこにはきっちりと外出の身支度を整え終えたユークリネ家の嫡男の

姿があった。

 

「ああ、サタラ、こんな時間にすまない」

「いえ、ですが一体どうされました?」

「さっき使者がきた。前から取引を希望している東方の商人と連絡がついたそうだ。気が

変わらないうちに会いに行ってこようと思ってね。勝手に出かけるとサタラに怒られると

思ったから呼んだんだ」

「そうでしたか……前々からお探しになっていたあのお品ですか?」

「そうだよ」

 

珍しくコーヴィラウルが心からの笑みを浮かべる。幼い頃の面影を思い起こさせるその表情は

サタラにとっては懐かしく、また久々に目にする嬉しいものだった。しかし「東方」の二文字に

表情は自然と硬くなる。

 

「しかし、そうしますと今回のお出かけは長期になりそうですね」

「そうなるかな……昨夜の王城でアスリューシナを目にした貴族達から目通り願いが届く

だろうが、それは父上が取り合わないから問題はないとして……」

 

そこまでの言葉を耳にしてサタラが首を僅かに傾げた。

 

「どうせあの侯爵がアスリューシナにご執心なのを知った上で自慢のひとつにでもしようと

『侯爵夫人となる前、彼女は自分の隣にいたんだ』と言いたい連中さ。そこまでの虚栄心が

なくとも、侯爵から本気でアスリューシナを奪い取ろうとするヤツはいないだろうしな」

 

妹の気持ちなど露ほども考えていない身勝手な行動も、貴族社会では表だって批難される

ことがないことを理解しているコーヴィラウルの口元が歪んだ。この社会では人脈構成は大きな

要だ。どのような形であれユークリネ公爵家と繋がりを持つきっかけとして先の夜会でのアス

リューシナの存在は大きかった。

 

「久々に大勢の前へアスリューシナを連れ出したからな、手が届かなくなる前に思わずちょっ

かいを出したくなる容姿を十分に披露してしまったよ……それに未来の侯爵夫人としての

繋がりを期待する人間もいるだろうし」

 

現在のユークリネ公爵令嬢としての地位、その愛らしい姿、優雅な立ち居振る舞い、加えて

三大侯爵家のひとつであるオベイロン侯からの求愛対象者であるアスリューシナは、ただ

存在するだけで無数の鳥や虫を呼び寄せる魅惑花のようだ。

 

「そのお言葉、コーヴィラウル様も同様でございましょう」

 

王都に滞在していることさえ希である公爵家嫡男が正装で登城したのだ、さぞ貴婦人方が瞳を

潤ませたであろうことはサタラにとって疑う余地すらない。

途端、うんざりとした表情を浮かべたコーヴィラウルはサタラを軽く睨み付けて、ボソリと

「俺のことはいいんんだよ」と溜め息と共に吐いてから口元を引き締めた。

 

「それにしても気がかりなのはあの侯爵だ。ここしばらくは父上も忙しいだろうから話が進展

することはないと思うが……俺が取引を成功させて戻ってくるまで大人しくしててくれる事を

祈るしかないな……アスリューシナのこと、頼んだよ」

「はい、心得ております……あっ、そのアスリューシナ様のおみ足ですが……」

「うん、やっぱり痛めてただろ?」

 

笑顔に僅かばかり底意地の悪さが混じる。

 

「……それが、どうもガヤムマイツェン侯爵様が関わっていらっしゃるらしく……」

「三大侯爵家のガヤムマイツェンが?」

 

予想もしていなかった侯爵家の名前にコーヴィラウルの眉がつり上がった。

 

「はい」

「確かなのかい?」

「ご本人がおいでになって、しっかりとそうおっしゃっていました」

「はっ?」

 

立て続けにサタラから告げられる言葉に理解が追いつかないせいで、常に余裕の笑みを絶やさ

ないはずの公爵家の嫡男は珍しくも口をあんぐりと開けている。その品性のない所作には

あえて意見を述べずサタラは説明を続けた。

 

「ですから、お二人が王城からお帰りになった後、アスリューシナ様のお部屋にガヤムマイ

ツェン侯爵様が直接おみえになって……」

「ちょっ、ちょっと待ったサタラ……色々と想定外が多すぎて混乱しているんだが、君が今

こうして落ち着いて報告をしていると言うことはアスリューシナの身は大丈夫なんだよな?

……ガヤムマイツェン侯爵が……うん、これはおもしろいな。サタラの見立てはどうだい?」

 

寸刻前までの焦り顔が嘘のように新しいオモチャを手に入れた子供の目でコーヴィラウルが

サタラに意見を求める。

 

「ガヤムマイツェン侯爵様には直接お目にかかっていませんが……扉から漏れ聞こえていたお言葉

から察しますに、うちのお嬢様に執着しているミミズトカゲのような侯爵様よりは何倍も誠実で

いらっしゃるようです」

 

アスリューシナには話の内容はよく聞き取れなかったと告げたはずのサタラだったが、それには

随分と含みがあったようだ。

 

「ふぅん……それで城でのあの視線だったわけか……何事もなくわが屋敷からお帰りになったの

ならアスリューシナの反応も悪くはないんだろう?……それにしても、ミミズトカゲ侯爵に続いて

同じ三大侯爵家のガヤムマイツェン侯爵か……なんとも我が妹姫は大物ばかりを釣り上げるね」

「さすがは私達がお仕えするお嬢様です」

 

令嬢への愛がダダ漏れしている筆頭侍女の鼻高々な物言いに若干顔を引きつらせたコーヴィ

ラウルは外套に手を伸ばそうとして、素早くそれをサタラに取り上げられた。

筆頭侍女は自慢げな言葉を吐きつつも自らの立場に沿った行動を怠ることはしない。

コーヴィラウルの背に回り彼が袖を通しやすいよう恭しく掲げれば、見惚れるほどの所作で

公爵家の嫡男はそれを着用した。

 

「なら俺もこのタイミングを逃すわけにはいかないな。アレが手に入れば、アスリューシナも今

よりは自由になるだろ」

 

同意を促すようにサタラに微笑んだ後、コーヴィラウルは廊下へとつながる重厚な扉へ足を

向ける。

 

「それにしても……今回もあまり屋敷に長居は出来なかったな……キズメルにももっと親子で

のんびりさせてやりたかったが……謝っておいてくれ、サタラ」

「キズメルは不満になど思いませんでしょう。表情や言葉には出しませんが、あれで父と自分が

公爵家のご子息とご令嬢の専任護衛を任されていることに誇りを感じているようですから」

「ならいいんだが……では行ってくる。見送りはここでいいよ。とにかく今はアスリューシナの

ことだ、くれぐれも用心を怠るなよ」

 

最後の言葉を公爵家の跡取りとしての顔で命じたコーヴィラウルにサタラは深々と頭を下げる。

重々しく開いたコーヴィラウルの私室の扉の両脇には公爵家の家令と公爵家嫡男専任護衛の

ヨフィリスが控えていた。




お読みいただき、有り難うございました。
やっとキズメルが喋りました。
そして最後の最後でヨフィリス登場です(笑)
でも、また当分出番はありません……コーヴィラウルのお供で王都から遠く離れて
しまいますから。
当然、コーヴィラウルもしばらく遠方でお仕事頑張ってきていただく事になります。
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