漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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アスリューシナの侍女と護衛の信頼を得たキリトゥルムラインは……


12.密会(2)

「では、ただ今お茶の支度をしてまいります」

 

今後の話し合いが済んだところで本来の役目を思い出したようにサタラが礼を取ってから扉に

向かおうとしたが、ふと足を止める。

 

「お嬢さま、今日お作りになったクッキーもお持ちしますか?」

「えっ!?」

 

突然の申し出にアスリューシナが上ずった声をあげた。

 

「ダッ、ダメよ、あんなの」

「アスナが、作ったのか?」

 

不思議そうな顔のガヤムマイツェン侯爵に向けて、サタラは首肯した。それを見て侯爵は

一瞬目を見開いたがすぐにその目が細められる。

 

「食べてみたいな」

「わかりました」

「サタラッ、ちゃんと料理長が作ったものがあるでしょう」

「お嬢さま、その料理長がきちんと『美味しい』と言ったのですから大丈夫です」

「そんなの身内贔屓に決まってるじゃない」

 

必死にサタラの暴挙を止めようとしているアスリューシナに別方向からも声があがった。

 

「私も大変美味しくいただきました」

 

珍しくキズメルまでもがアスリューシナよりサタラに賛同する。

 

「だから、それが身内贔屓だって……」と言い続けているアスリューシナの言葉は取り合わず

サタラはキズメルに「手伝ってください」と言って扉の向こうに消えていった。

はあーっ、と溜め息をついているアスリューシナを見ながら、キリトゥルムラインがクスクスと

笑い声を漏らす。それに気づいたアスリューシナは気まずそうに侯爵にソファを勧めると、

再びその手をとったキリトゥルムラインが三日前のように並んで腰を降ろそうと導いた。

 

「自分でクッキーを作ったのか?」

 

キリトゥルムラインからの問いにアスリューシナは珍しくしどろもどろに口を動かす。

 

「……貴族の令嬢がする事でないのはわかっていますが……その……ずっと屋敷内にいるので

……それにおじいさまのお屋敷にいた頃も作っていて……サタラの夫が料理長なんです。

ですからサタラから料理長に頼んで厨房に入れてもらって……」

「それを召使い達に?」

「はい、日頃の感謝の気持ちです」

 

恥ずかしそうに俯いたまま説明をするアスリューシナの横顔を包むように柔らかく見つめる

キリトゥルムラインがあった。

しばらくして再びお茶のセットとクッキーを乗せた皿を持った二人が入室してくる。いたたまれ

なくなったのか、アスリューシナは立ち上がって自らお茶の支度を手伝い始めた。

「どうぞ」と言って差し出された小皿の上のクッキーをひとつつまんで口に放り込む。ポリポリと

良い音を立てゆっくりと飲み込むと、続いてすぐさま目の前にティーカップが現れた。

感想を言う間もなく紅茶で喉を潤してから、ふぅっ、と息を吐き出す。

 

「うん、美味い」

「本当に?」

 

いつの間にか再びキリトゥルムラインの隣に座って両手をギュッと膝の上で握り締めたままのアス

リューシナがこわごわと聞いてくる。

 

「ああ、別にオレはアスナに気を遣う必要もないから……本当に美味いよ」

「……よかった……」

 

ホッと息を吐き出して肩の力を抜いたアスリューシナを見つめる漆黒の瞳が優しさを纏う。

 

「そんなに心配だったのか?」

「はい……家族や屋敷の者達以外の方に食べてもらったのは初めてだったので……」

「でもこれで益々納得した。自分で作っていなかったらパイのアイデアなんて出ないよな」

 

その言葉と共に向けられた笑顔を受けてアスリューシナが頬を染めた。

 

「あ、有り難うございます」

「いや、だから礼を言うのはこっちだって。お陰で今年の収穫分は滞りなく出荷できたって

領地からも報告があがってる」

「それは、よかったです。領民の皆さんもひと安心ですね。ユークリネ家としても市場の

売り上げが好調なのは何よりですから」

 

キリトゥルムラインに微笑んでから、アスリューシナはサタラとキズメルに退室を促した。

一礼をして扉の向こうに姿を消す二人を見送ると侯爵がバツの悪そうな表情で声を潜める。

 

「使用人の耳には入れてはいけない話だったか?」

「いいえ、少なくともあの二人はユークリネ家に領地がない事も、代わりに市場を取り仕切って

いる事も知っています。ですが……」

 

そこまで言うとアスリューシナは少し困ったように笑った。

 

「ガヤムマイツェン侯爵家の領地事情を我が屋敷の使用人の前で話題にするのは主として控えた

方が良いと思いましたので……」

 

その言葉は既に貴族の屋敷を取り仕切る女主人としての判断と言えるものだ。所作だけで

なく正妃としての教養が身についていることを知りキリトゥルムラインは言葉を失った。

「それに……」と今度は一転、情けなげに眉尻を落とし唇を尖らせる。

 

「ユークリネ家に領地がないのは……その……残念と言うか……」

 

「そうか?」とキリトゥルムラインが首を傾げれば、隣にある美しい顔がずいっと寄ってきた。

 

「そうですっ」

「うわっ」

「領地があればその土地の事を色々学べますし、領民の皆さんとお話する機会もあるでしょう」

「それは……まあ……そうかもな」

「なのにひいひいお祖父様さまったら、王族から臣下へと下る時に領地はいらないから、その

代わりに王都の中心に市場を開く権利をお願いするなんて……」

「でも、そのお陰で王都は発展したんだろう。その後に東市場や西市場ができたにもかかわらず、

今もって中央市場が一番の規模と活気を維持してこの国の経済の中心にいるのは、それを取り

仕切ってきたユークリネ家の歴代公爵達の手腕だと思うけどな」

「その事については尊敬もしていますし、誇らしくも思っています。でも……」

 

わかってはいるのだ、中央市場に出店する店や扱う品物の質について父や兄がどれほど真摯に

向き合っているかという事は。中央市場に店が出せれば一流、中央市場に売っている物なら

間違いはない、とまで言われる信用を維持するのがどれほど大変なのかという事も。

それでも自分より近くで感じているはずの母が、時折「領地があれば」とこぼしているのを

聞いてしまうと、自分の領地への思いが消えるはずもなく、加えて辺境伯の元で暮らした

アスリューシナは祖父の領主として領民に接する姿に幼い頃から常に羨望の眼差しを送っていた

のだ。

サタラやキズメルを下がらせた時の落ち着いた口調に続き、領地への想いを興奮気味に訴える姿の

後、頭では納得していても気持ちが追いつかず俯いてしまうアスリューシナのころころと変わる

表情にキリトゥルムラインはひたすら魅入っていた。

 

「ガヤムマイツェン侯爵さまの領地はリンゴの生産が主ですけど平地以外にも薬草の採れる山が

あって、そこから流れてくる川の水はとても美味しいと聞いています。リンゴの収穫が終わると

山に入ってシカやウサギを狩り、干し肉にして寒い時期の食糧とするのですよね」

「よく……知ってるな」

「はい、市場で商品を搬入する皆さんにそれぞれの土地のお話を聞いたり、直接買い付けに行く

店主さんから土産話に聞かせていただくので」

「アスナ……もしかして中央市場に物を卸してる商人や、市場の店主全員を知ってるのか?」

「商人の皆さん全員は無理ですけど、店主の方々は全員に近いと思います。皆さん親切に色々と

売り買いの事も教えて下さるんです」

 

当然とばかりに笑顔で話す彼女を見て、侯爵は呻きながら頭を抱える。

生産者や仲買人、商人、それらと取引をする店主に及ぶまで一体何人とのパイプを持って

いるのか……キリトゥルムラインは一瞬意識が遠のく気がした。

これではまるで中央市場の関係者が彼女の言う領民と同じではないのか。

土地土地の話を聞き、そこから流通を学び、市場経済の流れを読み取る……そんな事の出来る

貴族令嬢など聞いたこともない。しかも相手だって商売だ、そうそう手の内を明かさないのが

普通なのに、一体どれほどの人間が彼女に魅了されているのかと思うと、多分その筆頭であろう

エギルのアスナに対する可愛がりぶりに納得がいった。

 

(どおりで、オレがエリカの事を聞く度に跳ね返すはずだ)

 

しかも、口調はからかいまじりなくせに目は全く笑っていなかったのである。あれは完全に愛娘に

寄ってくる悪い虫を見る父親の目つきだったと思い起こし、溜め息と共にげんなりと両肩が力なく

下がった。屋敷の侍女や護衛を味方につけただけでは足りなかったらしい。

これは自分がエリカにたどり着いたという事実をエギルに認めさせなくてはならない、と固く心に

誓ったキリトゥルムラインは、ふんっ、と顔を上げると共に気分も上げて己の決意にひとつ

頷いた。すぐさま隣にいるアスリューシナの手に自分の手を重ねると、驚いて動けずにいる令嬢に

向けて意味深な笑顔を向ける。

 

「なら、今度はオレと一緒に市場に行こう」

 

何やら勝手に話を決めてニヤニヤと黒い瞳を輝かせている侯爵とは裏腹に、未だその両手を侯爵に

捕らえられたままのアスリューシナは桜色の唇をポカンと開けたままいつまでも固まっていた。




お読みいただき、有り難うございました。
市場ではすっぽりと顔を隠しているご令嬢ですが、実はもの凄く
顔の広いご令嬢でもあります。
うっかりご令嬢をいじめたら、中央市場では買い物が出来なく
なるくらいに……(笑)

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