漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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アスリューナの私室を定期的に訪れるようになったキリトゥルムラインは……


13.密会(3)

それから何度もキリトゥルムラインはユークリネ家のアスリューシナの私室を訪れた。

それこそ5日と間を置かず、サタラとの約束通り、細心の注意を払って。

既にアスリューシナもキリトゥルムラインを私室に招く事に何の躊躇いも抱かなくなって

おり、それどころか彼が次に来ると約束した日を心待ちにしている自分の気持ちを、他の

侍女達の前で抑え込むのに苦労するほど互いの距離は縮まっていた。

 

 

 

 

コンッ、コンッ、コンッ……いつもの様に三度ガラスを叩く控えめな音が耳に届くと、アスリュー

シナはすぐさまバルコニーへと繋がるガラス扉に駆け寄り、カーテンを引き、鍵を開ける。

人ひとり分の空間が外と室内を繋ぐと、黒いコートの裾とカーテンの端が同時にはためき、冷たい

風が一気に入り込んできた。

「さぶ、さぶ、さぶ」と僅かながら背を丸め、指ぬきグローブをはめた両手を擦りながら素早く

侵入してきたキリトゥルムラインを見て、思わずアスリューシナは寒さに赤くなっている彼の頬を

両手で包み込んだ。

 

「!?」

 

その行為に瞬間固まったキリトゥルムラインだったが、すぐさまニヤリと笑うと「暖めてくれる

のか?」と小声で言いながらアスリューシナの細い腰に両手を回す。

「ひゃっ」と驚声が上がると同時に頬に触れている白い手は熱を持ち、自分の腕の中で俯いて

しまった公爵令嬢の顔も手と同様、可愛らしく染まっているだろう色を想像してキリトゥルム

ラインは思わず目を細めた。

しばらく互いの沈黙は続いたが、耐えきれなくなったのか侯爵の頬を暖めていた手はずりずりと

下がって、今の体勢を解こうとキリトゥルムラインの胸に突いて軽く突っ張ってくる。

そんなアスリューシナの細腕の頑張りがキリトゥルムラインに通じるはずもなく、まだまだ

足りないとばかり逆に密着するように抱き寄せて、遠慮無く彼女のぬくもりから暖を取り続けた。

アスリューシナから何の拒絶の言葉もないので、自分の腕の中でガチガチに強張っている身体を

解すように背中を摩るとほどなくして胸元から羞恥に震える声が耳に届く。

 

「外は……寒かったのですね」

「ああ」

 

この日、日中は天気が良く、ポカポカと暖かい日差しが存分に降り注いでいたが、日が陰るにつれ

風が強くなり、ぐんっ、と気温が低下していた。

 

「おじいさまのお屋敷で暮らしていた時も、寒い時期になるとこうして従兄弟の頬を暖めて

あげたんです。なので……つい……」

「うん」

 

暗に他意はないのだと言いたげな言葉にキリトゥルムラインが静かに頷く。

 

「アスナ……あったかいな」

「それは……よかった……です」

 

単に寒くて抱きしめられているだけなのだと自分を納得させ、アスリューシナは高まる鼓動が

伝わらぬようにと突っ張っていた腕の力を抜いて静かに瞳を閉じ、自分を落ち着かせることに

専念した。

 

 

 

 

 

その日から二人にはひとつの決まりが出来た。

キリトゥルムラインはアスリューシナの私室を訪れると何も言わずに少し両手を広げる。

泣き出しそうな表情のアスリューシナは内なる感情を抑えたまま彼に近づく。

引き寄せられるようにその胸に両手のひらで触れ、頬をすり寄せ、身体を預けるとキリトゥルム

ラインは広げた腕を閉じ、彼女を優しく包み込んで自分の内に収める。それからアスリューシナが

小さく問うのだ。

 

「寒いのですか?」

 

それにキリトゥルムラインは一言だけ「ああ」と答えて彼女の髪に顔をうずめる。

二人にとって本当に外が寒いのかは問題ではなかった。それは互いの行為を肯定化するための

やりとりにすぎない。それがわっていながら二人はそれを繰り返した。

そうしてしばらくした後は何事もなかったかのように、いつもの様に並んでソファに腰を降ろし

笑いながら他愛のないお喋りをする。

 

 

 

 

 

ある時、キリトゥルムラインがいつものように腕の中にアスリューナを包み込んで彼女の

ぬくもりを感じていると、もぞもぞと顔をあげたアスリューシナが頬を染めながら躊躇いがちに

瞳を閉じてスンスンと鼻を鳴らした。

その表情と仕草に途端に自分の体温が上がった気がしたが、どうにか堪えて首をかしげると

再びヘイゼルの瞳が開く。

 

「キリトゥルムラインさま、何かいい香りがします」

 

それで合点がいったようにキリトゥルムラインは抱擁を解いて自らの手や肘の匂いを嗅いだ。

 

「多分……リンゴの香りだと思う。今日の昼間に昨年作られたリンゴの蒸留水をつけて

みたんだ」

「リンゴの蒸留水?……初めて聞きます」

「さすがのアスナでも知らないか。市場に出荷するほど数を生産してないからな。うちの

領地のリンゴの中でも厳選した物を使って蒸留水を作るんだ」

 

キリトゥルムラインの腕の中だという事も忘れてアスリューシナは好奇心に瞳を輝かせて

一心に漆黒を見つめている。その眼差しを嬉しげに受け止めてからキリトゥルムラインはくすり、

と笑った。

 

「まず虫食いがなくて真っ赤なリンゴを選び慎重に皮だけを剥くんだ。煮立たせないように

皮を煮ながらゆっくりと水蒸気を集めて清潔な瓶に溜める、とまあそれだけなんだけど、

おそろしく手間と時間がかかるから売り物にはならない。毎年領主であるオレの所に何個か

送られてくるんだ。それに香水と呼べる程の強い香りでもないから……」

 

そこで言葉を途切れさせたキリトゥルムラインを不思議に思ったアスリューシナは、嗅覚に集中

していた意識を戻して侯爵の顔を見上げる。その問いかけるような視線を受けて、再び

キリトゥルムラインは唇を動かした。

 

「……その……かなり密着しないと……相手に香りが伝わらない」

 

その言葉に自分達の状況を一瞬で自覚したアスリューシナはそれこそリンゴのように顔全体を

色づけてから、それでも一呼吸後には再び瞳を閉じる。

 

「……はい、とても素敵な香りです。その様な贈り物をいただけるなんて、キリトゥルム

ラインさまは領民の方に慕われているのですね」

 

キリトゥルムラインの腕の中から抜け出したアスリューシナは花がほころぶような笑顔を侯爵に

向けた。

 

「んー……子供の頃は一年の殆どを領地で過ごしていたから、しょっちゅうリンゴの木に

よじ登って叱られてたな。挙げ句の果てに木から落ちて例の塗り薬の世話にもなってたから、

未だに蒸留水と一緒に毎年薬も送ってくるんだ。まったくオレがいくつになったと思って

るんだか……年寄り達には孫みたいなもんなんだろ」

 

照れた顔を隠すようにガシガシと前髪をいじるキリトゥルムラインの姿を見て今度はアスリュー

シナがくすり、と笑う。

 

「それよりアスナ、今度はいつ市場に行くんだ?」

 

突然、キリトゥルムラインが思い出したように話を切り出した。

 

「えぇっ……あ、そうですね、もうそろそろ行きたいと思ってますけど……」

 

それを聞いてキリトゥルムラインが悪巧みでも持ちかけるかのように、にやりと口元を歪ませる。

 

「今度はオレも一緒に行くって言ったよな」

「えぇっ……本気……だったのですか?」

「当たり前だろ、ふたりで行く」

「キリトゥルムラインさまと……ふたりで、ですか?」

「ああ、たまには昼間に外でアスナと会いたいし、それに市場のエギルに言いたい事もあるしな」

 

有無を言わさぬ勢いで、うんうんと頷くとすぐさま隣室のサタラを呼び出して打合せを始めた

キリトゥルムラインの横顔を、アスリューシナはただただ呆れたように見つめるしかなかった。

そしてこの夜は期待と嬉しさの中に少しの不安を抱いたアスリューシナの隣で、そっと令嬢の

手に自分の手を重ねたキリトゥルムラインはサタラとの話し合いにほとんどの時間を費やす

こととなった。

 




お読みいただき、有り難うございました。
リンゴの蒸留水……もちろん創作ですが、イメージ的には
リネンウォーターです。
次から再び舞台は中央市場となりますが……なにやら
賑やかな予感がしますね(笑)

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