漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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二人で中央市場に行こうという約束が果たされる日がきて……


14.見守る者(1)

「エギルの店に居るから、そこで落ち合おう」……先日の夜、別れ際にそう言い残して部屋を出て

行ったキリトゥルムラインの言葉に従い、アスリューシナはいつものように中央市場の端で

屋敷から乗ってきた地味な黒塗りの馬車から降りると、はやる気持ちを抑えながらいつもより

早足にかの店に向かった。エギルの店が見えてくると、店先で黒のトレンチコートが目に入り、

フードが揺れるのも構わず小走りになる。

その足音に気づいたのか店主と話をしていたと思われる侯爵が振り向いた……と、ほぼ同時に

市場のでこぼことした地面に躓いてアスリューシナが小さく「あっ」と言うやいなや、

前のめりに体勢を崩しつつ無意識に伸ばした腕を次の瞬間にはキリトゥルムラインがしっかりと

掴んでいた。

 

「あ、有り難うございます」

「うん、でも、気をつけてくれ……髪の毛、フードから落ちるぞ」

 

後半はことさら音量を抑えてアスリューシナの耳元に口を寄せる。

 

「それなら大丈夫です。今日は後ろで束ねてますから」

 

そう言って少し顔を上げるがやはり目深にかぶったフードからは少し得意気に綻んだ口元しか

見ることは出来ない。

アスリューシナのすぐ後ろを付いてきていたキズメルは一瞬手を差し伸べかけたが、すぐに

見知らぬ関係に戻って、彼女が無事キリトゥルムラインと合流できたことを見届けると、

そのまま歩調を落とさず二人の後ろを通り過ぎる。

ちらり、と目線を侯爵に送れば、それに気づいたキリトゥルムラインも僅かに頷いて了承の意を

表した。キリトゥルムラインはアスリューシナの腕を掴んだまま再び顔を寄せる。

 

「いつもとは逆にアスナが来るのを待つのも新鮮でいいな」

「……お待たせしました、キリトゥルムラインさま」

「あー、さすがにここでその長ったらしい名前はやめてくれ。いかにも貴族ですってバレバレ

だから」

「では……」

「だから、キリトでいいって」

「キ……キリト、さま」

 

恥ずかしそうに下を向いたまま、見なくてもわかる桜色の唇から初めて小さく発せられた

自分の呼称を耳にした瞬間、衝動的にキリトゥルムラインは掴んでいた腕を引き寄せ、

アスリューナの身体を自らの腕の中に閉じ込めようとした、その時だ。

 

「あーっ、ごほん、ごほんっ、俺の店先で何やってるんだ、おふたりさん」

 

たまりかねたように店主がわざとらしい咳払いをしてキリトゥルムラインとアスリューシナに

声をかけた。我に返ったように素早くアスリューシナが顔を店主に向け「ごめんなさいっ、

エギルさん」と慌てた声をだす。

 

「エリカちゃんのせいじゃないさ。悪いのはみーんなこのキリトのヤツだから」

 

それを聞いてキリトゥルムラインは眉間に皺を寄せた。

 

「なんだよ、それ」

「そうだろう?、一体いつまでエリカちゃんの腕を掴んでいるつもりだ?」

 

その言葉にいまだ自分の腕をしっかりと支えてくれているキリトゥルムラインの手の

温かさに戸惑うアスリューシナが「あの……」と困った声を出せば、しぶしぶといった様子で

掴んでいた力を緩め、離すかに思えたその手を下に滑らせてほっそりとした彼女の手に

絡ませる。

そしてアスリューシナの隣に並ぶと、その耳元に囁いた。

 

「キズメルが傍にいないんだ。はぐれたら大変だろ。それにさっきみたいに目の前でコケられても

困るし」

 

いつも自分の部屋で自分の肩や背中をさすり、髪をすくい上げる手が今は自分の手と繋がって

いる、その新鮮な感覚に心臓がどきんっ、と跳ねた。そんな動揺を「はぐれない為、転ばない

為」と呪文の様に自分に言い聞かせ落ち着かせる。

ふたりの様子を眺めていたエギルがスキンヘッドをなでながら、ふふーんと意味ありげな笑みを

浮かべていた。

 

「それにしても、本当にエリカちゃんにたどり着くとはなぁ……最近顔を見せないから諦めたの

かと思っていたんだが……」

「まあ、エギルにはほんの少しだけど世話になったからな。いちを報告に……」

 

そこまで言いかけてキリトゥルムラインは周囲の異変に気づく。

通行の邪魔になるのも構わずあちこちの店主が自分達を中心に集まってきていた。しかも

それらの面々はキリトゥルムラインが余さず「古狸」と認定しているおやじ連中だ。

 

「くっそうー、俺達のエリカちゃんがあんな若造とっ」

「エリカちゃん、そいつに騙されてるんじゃないのか?」

 

明らかにこれ見よがしの態度でキリトゥルムラインへの文句を言い合っている。

 

「おい、こら、古狸のおっさん達、若造は構わないけど、騙されてるって何だよ」

 

チクチクと刺さる敵意の視線に怯むこと無く言い返せば、その倍は罵声が返ってくる。

しかも「うるさい、青二才がっ」とか「お前なんぞにエリカちゃんはもったいない」とか、

挙げ句には「目を覚ますんだ、エリカちゃん」とわけのわからない罵詈雑言が矢のように降って

きた。当のエリカは事態に驚くばかりでポカンと口を開けたまましばらく固まっていたが、どこ

からか「また店に来てくれよ」の声が聞こえて我に返る。そしてすぐさま店主ひとりひとりの

名前を呼んで声をかけ始めた。仕入れた商品の状態や売れ行きに始まり以前話題にしたと

思われる話の続きに果ては店主やその家族の体調まで、それこそ身内のように接するその姿に

今度はキリトゥルムラインが唖然とする番だった。

ひととおり声をかけ終わる頃には涙ぐむ店主の姿があちらこちらに見受けられ、場はさながら

娘を嫁にだす新婦の父親が集まったような湿っぽさに包まれる。

 

「まさかこの若造がなぁ……」

「どこのどいつだ、絶対エリカちゃんは見つからないなんて断言してた奴はっ」

「誰か喋ったんじゃないだろうな」

「そんな奴、おるわけないじゃろ」

「見つからないと信じてたのに……」

「俺だってそうだ」

「わしだって『見つからない』に賭けたさ」

「ここにいる奴らの殆どは『見つからない』にのったはずだろ」

「『見つかる』方に賭けたのは……エギルくらいか?」

 

そこまでを聞いてキリトゥルムラインの肩が震えだした。と、時を同じくしてエギルが勝ち

誇ったように微笑む。

 

「エギル、お前さんこの若造にエリカちゃんの事、喋ったんじゃなかろうな。それなら賭は

無効じゃぞ」

「喋ってねえよ。キリトに聞いてもらってもいい、なあ、キリト」

 

同意を求めた相手を見てエギルが、おや?、と首を傾げた。いつもの真っ黒のトレンチコートが

プルプルとわなないている。ギリリと音がしそうなほど歯をかみ締め自分を取り巻く店主達を

睨むその漆黒の瞳には間違いなく剣呑な光が含まれていた。

 

「どうりで……いくら……聞いても……エリカの情報が……集まらないわけだよ……なぁ…………

こっの、古狸どもがっ」

 

内に溜め込んだものを一気に吐き出す。

だが、百戦錬磨の店主達にはそんな怒声もどこ吹く風だ。

 

「あー、だがエギルも『見つかる……が相手にされない』方だったよなぁ、賭けたの」

「……そうだったか?」

「そうだ、ちゃーんと覚えておる。もうろくはしとらん」

「ちっ……一人勝ちだと思ったのにな。ならどっちにしろこの状態じゃ賭けは無効だろ」

 

エギルの言う「この状態」を示す二人の繋がれた手に全視線が集中する。その意味に気づいた

アスリューシナがボンッとフードから覗くおとがいまでを真っ赤に染めた。

 

「こ、こ、こ、こ……」

「ニワトリか?、アスナ」

 

赤らんだ顔で言葉を詰まらせている様子を見て、一気に怒気を沈めたキリトゥルムラインが

絶妙なツッコミを入れれば、ぶんっ、とフードごと勢いよく首を振ったアスリューナの顔の

角度が間違いなく侯爵に向けられる。

 

(あ、これ、睨まれてるな……うん、見えなくてもわかる。今、オレ、すっごく睨まれてる)

 

「ニワトリじゃありませんっ」

 

そう声高に言い放つと怒りと羞恥に全身を震わせながら店主達に向かって「これは違うん

ですっ」と宣言する。だがその後は納得のいく説明が出来ない自分に戸惑い、空気の抜けた

風船のように勢いをしぼませて「だから、その、とにかく違うんです」とゴニョゴニョ下を

向いて同じ言葉を繰り返した。それでもキリトの手を振り払おうとしない彼女を見て、店主

達がニヤニヤと笑い始める。

 

「なら、一ヶ月後には相手にされなくなる、にオレは賭ける」

「一ヶ月、もつかねぇ」

「わしは二ヶ月だっ」

「あ、それ、のった」

「おいっ、若造、ちゃんと報告しろよ」

 

これはもう諦めるしかあるまい。所詮古狸達の前では三大侯爵家と言えど若造は若造なのだ。

目の前を飛び交う賭けの様子を脱力して見ていたキリトゥルムラインが「報告しろ」と

言われて頬をひくつかせていた時だ、繋いでいた手がツンツンと引っ張られる。

ん?、と首をかしげてアスリューシナに振り返れば、予想外に彼女の顔が至近距離にあって、

その桜色の唇が目に飛び込んできた。

 

「アスナ……不意打ちは勘弁してくれ」

 

何の事を言われたのか理解できないアスリューシナは一瞬きょとんと間を空けたが、問いただす

気はないらしく軽くつま先立ちをしたまま更にキリトゥルムラインの耳元に唇を寄せる。

 

「ここでアスナはやめてください。エリカと……」

「あっ、そっか。悪い……エリカ」

 

事も無げにエリカと呼ばれ、望んだばすのアスリューシナが逆にフードの下で頬を染める。

踵を地面に戻して俯き加減で「それで、あの、どうしましょう?」と困った声を出した。

どうやら彼女が困っているのは古狸のおっさん達が繰り広げている賭けの内容だと察した

キリトゥルムラインは困り笑いをしながら肩をすくめる。

 

「エリカが気にすることない。おっさん達の道楽だろ、ほっときゃいいんだ。それより、

そろそろ場所を移そう、時間がもったいない……」

 

見れば店主達は肩を寄せ合い熱心に賭けの内容を書き留めているらしく、こちらに気づく

気配すらない。この場を離れるなら今だな、と判断したキリトゥルムラインは店主達の輪の

一番外側で腕組みをしているエギルに軽く手をあげ目で合図を送る。それだけで言いたい事は

伝わったようで、禿頭の果物屋店主はニカッと笑って腕組みを解くと追い払う仕草で手を

振った。

 

「行こう、エリカ」

 

囁くような声で促し、繋いだ手を引いて人混みに紛れ込む。

背後では変わらず古狸たちの威勢の良い声が飛び交っていた。昼のかき入れ時に店を離れて

賭けに興じる店主達は大丈夫なのだろうか、と心配より興味本位の疑問が浮かんだが、

いずれも老舗と言われる店の主達だ、店主ひとりが抜けたところで商売に差し支えるような

構えの店なら中央市場の支柱とはなっていないだろう。ユークリネ公爵家が治めている中央

市場の地盤はその歴史と人脈が絡まって強固でありながらもしたたかで明るく柔軟なのだった。

 




お読みいただき、有り難うございました。
ようやくアスリューナ嬢からキリトゥルムライン候への呼び方が
「キリトさま」にまで到達いたしました。
それでも市場で手を繋いで歩く男性を「さま」呼びって……十分
周囲から浮きそうですが、そこまで気は回らないでしょうね。
きっと物陰からキズメルがため息をついていることでしょう(笑)

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