漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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中央市場にある広場でキリトゥルムラインと一緒に昼食を頬張っていた
アスリューナの元へ懐かしい存在が現れて……


16.見守る者(3)

フードの奥から人々が行き交う姿を眺めつつ噴水の縁にキリトゥルムラインと並んで腰を

降ろし、白パンをちぎって口に入れ、冷たいスパークリングミントウォーターを飲む。口の

中がスッキリとすれば、また甘辛いタレがたっぷりとかかった温かい鶏肉を頬張り、その

合間に隣に座る黒髪の青年とお喋りを楽しむ。

何もかもがアスリューシナにとっては初めてで心躍る体験だった。

キリトゥルムラインが一足先に食べ終わろうかという頃、彼の少し後方に黒いモフモフと

した毛皮がヒョコヒョコと横切る。

途端、アスリューシナが驚いたようにキリトゥルムラインの背後に向かって声をかけた。

 

「トト?」

 

黒いモフモフの足取りがピタリと止まる。

声のした方向に顔を巡らせ、訝しげに「うぉふ?」と呻くような低い声を漏らした。

 

「やっぱり……トト!」

 

黒いモフモフは今度こそ声の主をハッキリと認識したのか先程までの警戒心を解いて、やはり

モフモフとした尻尾をちぎれんばかりに振りながらアスリューシナの元へと僅かに後ろ足の

片方を引きずって、それでも目一杯の速さで駆け寄ってくる。

アスリューシナも昼食を脇にどかし、地に両膝をついて腕を広げ黒いモフモフを迎え入れた。

 

「トト、トト……ああ、元気だった?」

 

アスリューシナの腕に飛び込んだ黒いモフモフのトトは震える後ろ足を目一杯に伸ばして、

ペロペロとフードの中の頬を舐める。

全体がモフモフのトトは当然顔もモフモフしており目も口も黒い毛が覆い被さるように伸びて

いたが、休むことなくパタパタと振られている尻尾が間違いなくアスリューシナとの再会の

喜びを表していた。

 

「ゃんっ、くすぐったい、トト」

 

微笑ましい光景を唖然とした表情で見ていたキリトゥルムラインがぼそり、と呟く。

 

「黒い……モップか?」

 

キリトゥルムラインの自然と口を突いて出た単語にアスリューシナが声を荒げた。

 

「失礼ですっ、キリトさま!……犬ですっ。『トト』と言う名前の立派な犬ですっ」

「えっ、犬?……ああ、なるほど、うん、犬か……犬ね。そうだな、よく見ると……犬……

かも」

「だから、ちゃんと犬ですっ……よくご覧になって下さい。市場の皆さんが世話をして

下さっているので、毛艶だってしっとりサラサラで、とても綺麗な黒で、私の一番好きな

色ですっ」

「えーっと……エリカは……その……黒い毛並みが、好きなのか?」

「はいっ……黒が……」

 

「最近とても気になってしまう色なんです」と続けようとした時だ、見上げているキリトゥ

ルムラインが何かを言いたげに片手で自分の漆黒の前髪をツンツンと弄っているのを見て、

思わず腕の中のトトの力いっぱい抱きしめた。「きゃふんっ」とトトが悲鳴をあげる。

 

「ち、ち、ち、違いますっ、私はトトの毛並みの話をしているんです」

「うん、オレもトトの毛の色の話をしてるつもりだけど……」

「うう〜っ」

「エリカ、そんなに力いっぱいトトを抱きしめてると、トトが果てるぞ」

「えっ?……きゃーっ、トト、ごめんなさいっ」

 

慌てて両腕の力を緩めると、抱き上げてその身体を自分の膝の上におろした。ずり落ちない

ようにしっかりと支えて頭を撫でてやれば再び嬉しそうに「はうっ、はうっ」と息を弾ませて

いる。その様子に一安心したアスリューシナは改めて穏やかな視線を膝元に注いだ。

 

「それにしても、元気そうでよかった……最近全然会えなかったから気になっていたの。後ろ

足は、どう?、痛みはでていない?」

 

問われた内容が理解できたのか、トトもアスリューシナを見上げて大丈夫だと言うように

尻尾をパタパタと振っている。彼女の言葉を聞いたキリトゥルムラインがすぐ隣までやって

きて同じように地面に片膝を降ろした。

 

「トトはこの中央市場の犬なのか?」

「はい、産まれたての子犬だった頃、この広場の近くで私が……見つけて……その時からずっと

ここの店主さん達に可愛がっていただいているんです」

「ってことは、いつも市場内をウロウロしてるんだよな?、それにしてはオレ、今まで一度も

会った記憶がないんだけど……まあオレが市場に足を向けるようになったのが……」

 

とここまで言うと声を潜めて「爵位を継いだ後だから、ここ二年ほどだけどな」と言えば、

アスリューシナは口元に軽く微笑みを浮かべてからキリトゥルムラインの疑問を解消して

くれた。

 

「トトはもう14年以上もここで暮らしているおじいちゃん犬なんです。だからあまり歩き

回る事もないようで、私が市場に頻繁に来られないのもありますが、今日、会えたのも半年

ぶりくらいです」

 

「そうなのか」と呟きながらアスリューシナの腕の中に収まっているトトの頭をガシガシと

撫でてやれば、乱暴な手つきが気に障ったのか、真っ黒い毛並みの奥からジロリと睨んでくる。

その強気な視線にキリトゥルムラインは「おっ」と声を上げたものの、更に顔を寄せてアス

リューシナに聞き取れないくらいの音量で対抗するようにこちらも挑戦的な言葉を吐いた。

 

「普段ウロウロしないお前がタイミング良く現れるとはどういう事だ?、そんなにオレの

邪魔がしたいのか?」

 

アスリューナの腕の中で見えないはずのトトの口が優越感を滲ませた形に変わる。その後に

軽く「ふんっ」と小さく鳴らされた鼻は「まさにその通り」と告げているようだった。

 

「はぁっ、この市場はライバルが多すぎるな」

 

キリトゥルムラインの独り言に首を傾げるアスリューシナだったが、その意味を問おうと

する前に再び疑問を投げかけられる。

 

「で、後ろ足ってのは?」

「あ、はい……トトは片方の後ろ足が不自由なんです……その、私が原因で……」

「ア……エリカが?」

「はい、なんとか治そうと思ったのですが、エギルさんが無理をして治さなくてもこの市場で

大事に世話をするから大丈夫だと言ってくださって……」

「エギルがそう言うんなら大丈夫だ。あいつはいい加減な事は言わないからな。それに足が

不自由なのに14年以上もここで暮らしているなら、トトの方はあまり気にしてないのかも

しれない。エリカの言う原因を深く聞く気はないけど、エリカがトトに好かれているのは

オレでもわかる」

 

元気づけるようにアスリューシナへ笑顔を向ければ、トトも同意を示すように腕の温もりから

顔を上げて「うぉふんっ」と啼いた。

 

「そう……でしょうか?」

 

自信なげな口調でトトの気持ちを確かめようとその黒い毛並みの奥の瞳に顔を近づければ、

トトの方も顔を寄せてアスリューシナを励ましたいのか、フードの中のその頬をペロンと

舐める。

 

「ふふっ、有り難う、トト」

 

そのやりとりを見ていたキリトゥルムラインが面白くなさそうな表情を浮かべていると、

広場にやってきた子供達がトトを見つけて駆け寄ってきた。

 

「トトだっ」

「トト!」

「トト、おいで」

「一緒に散歩しよう」

 

自分とトトをアッという間に取り囲んで口々に飛び出す誘いにアスリューシナが戸惑っている

と、横からヒョイッとキリトゥルムラインがトトを抱き上げる。

 

「ほらよ、ガキ共。トトはじいさんだし後ろ足が悪いみたいだから優しくだぞ」

 

ちらり、とアスリューナに了解を得るため眼差しで問いかけると、慌てて彼女が頷いた。

それを確認してから両手を伸ばしている女の子の一人にトトを抱かせれば、すぐ隣の男の子が

得意げに言い返してくる。

 

「そんなのわかってるよっ」

「なら任せて大丈夫だな」

 

信頼をのせてニヤリと笑えば子供達も同じように笑って大きく頷く。女の子の腕の中に

移動したトトでさえ不敵な笑みを浮かべているようだった。

トトを抱えた女の子を中心として子供達が広場から去っていくのを見送っているとすぐ隣の

フードの奥からクスクスと楽しげな笑い声が漏れ聞こえる。

 

「エリカ?」

「キリトさまは子供達のお相手が上手なんですね」

「小さい頃は妹の相手をさせられてたし、領地にいる時は同じ年代のヤツからそいつらの兄弟

姉妹にいたるまで各年代層いっしょくたで遊んでたせいだろ。夜会で令嬢の相手をするより

子供相手の方がよっぽど気が楽だな」

「まぁっ……私も、一応令嬢ですが?」

 

悪戯を仕掛けるように口元を綻ばせているアスリューシナに手を差し出し共に立ち上がると、

キリトゥルムラインはそのまま顔を彼女の耳元に寄せた。

 

「なら、子供の相手をするよりこうやってアスナといられるのが一番楽しい」

 

この場所で呼ばれるはずのない「アスナ」と呼ばれ、囁かれた言葉の意味を理解した途端

フードの奥は真っ赤に染まった。




お読みいただき、有り難うございました。
トトは購入特典の小説に登場したキャラクターですが、アスナを
メロメロにさせたせいか、私の中で妙に印象の強いワンちゃんです。
「見守る者」は1、2、3と、それぞれ市場の店主さん達だったり、
お目付役のアイツさんだったり、トトだったり、と二人を見守ってくれる
存在として登場していただきました。
(もちろん、終始キズメルも見守っているはずです)
では、次は少し寄り道をさせていただいて番外編をお届けします。

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