思います。完全に彼女の独白形式ですし、メインの二人の話が進展する
ことはありませんので飛ばしていただいても構いません。
最近、うちの主(あるじ)の様子がおかしい。
基本、気を許した相手にはとことんわかりやすい態度で接する主が明らかに挙動不審を無理に
隠そうと頑張っている……隠そうとしているのがわかってしまうという時点でわかりやすい
部分は一貫しているのだけど……。
最初に違和感を感じたのはもう二ヶ月くらい前になるだろうか……随分と中央市場に出かける
回数が多いな、と思ったのは。
もともと中央市場には好んで出向いていた主だったが、自分の領地の産物の売れ行きが気に
なるんだ、と言いながら何度も足を運ぶ様子は品物や取り引きの様子を見る、と言うよりは
明らかに誰かを探している、といった感じだった。
目当ての人物が行商人なのか仲買人なのか問屋の人間なのかはわからなかったが、主がかなり
必死だったのは遠目でも痛いほどに伝わってきて……ある日、思わず聞いてしまったのだ
「誰を探してるの?」と。
私の問いかけの内容に、と言うより私が問いかけてきた事自体に驚いた様子の主は、一瞬、
深黒の目を大きく見開いた後、困ったように笑うだけで明確な言葉を返してはくれなかった。
領地にいた頃は屈託の無い笑顔で煩いほどに私達を追いかけ回し、一緒に遊ぼうと誘って
きたくせに、王都で暮らすようになってからの主がその綺麗な瞳を輝かせるのは剣を振るって
いる時だけになってしまって、それでも、その困り笑いだけは、何かを諦めたような笑顔でも
なく、本当に心の底からの願いが叶わないでいる途方に暮れたような笑顔で……なら、子供の
時のように私に相談してくれれば、と思ったのに……結局、主はそれをしてはくれなかった。
市場に行っては少し疲れたように屋敷に帰ってくる度に、そんな主の表情を見るとモヤモヤと
した何かが湧いてきて、でも、その理由もそれをどうにかする術もわからず、私はそんな主の
姿をただ静かに見つめるだけだった。
しかし、その瞳はあの日を境に一変することになる。
それは主がいつもの市場の噴水広場でアホ面さげて昼食を摂っていたところ、ポケットの
中身を貧弱な小男に盗まれたことに端を発っしていた。
その瞬間を目撃した時はあまりの間抜けさに開いた口が閉まらないどころか顎が外れたかと
思うほど大口を開けて仰天してしまったが、そこは腐っても騎士の称号も兼ね持つ我が主、
すぐさま相手を追いかけ始めたので、とりあえず大事に至らずに済めば、じぃやさんには
報告せずにおこうと静観を決め込んだ。
しかし場所は王都の中でも、最も賑わいをみせている中央市場。
しかも食い意地の張った主は囓っていた肉を口から離すこと無く相手を追いかけている。
出る所に出れば、あれでも三大侯爵なのに……。
貴族社会の内情なんて知らないし、知りたくもないけど、本当に時々、必要最低限の範囲で
出席している夜会に赴く時の盛装の主を見れば、改めて女性の目を惹きつける容姿を持って
いたんだな、と再確認させられる。
私ごときがお供をするわけにはいかないから、夜会の場での主がどんな感じで振る舞って
いるのかは知らないが、必ず日付が変わる前には屋敷に戻ってくるので……まあ、多分、
適当にあしらっているのだろう。
今はまだ爵位を継いで間もないし、婚期と言っても適齢期にさしかかったばかりの年齢だから
ご両親もじぃやさんも何も言わないけど、あと数年も経てば夜会に行ったまま朝まで帰って
来なかったり、どこかの令嬢の元に通ったりするのだろうか。
そんな想像を巡らせると、またあの原因不明のモヤモヤが広がってくる。
それを胸の奥底にぎゅうぎゅうに押し込めて、小男を追いかけている主に視神経を集中させ
れば、その距離がほとんど縮まっていないことに気づき、思わず溜め息が漏れた。
そろそろ騒ぎも大きくなってきたし、少し手助けをした方がいいかもしれない……そう判断
して携帯している小型の弓矢に手をのばした時だ、ほんの僅かな時間だったが弓矢と主の
両方を意識した為、小男への注意が逸れた瞬間、気づけば多分何かに蹴躓いたのだろう、
ゴロンゴロンと小男が派手に地面を転がっている。
あらら……でも、あれでもう大丈夫。
あっという間に主が小男の元へと辿り着き、無事に盗難物を回収している。
これで一件落着、と些細な事件として処理した出来事が、実は主にとっては運命とも言える
出来事だったらしい事を私は知る由もなかった。
そして、その日から主はぱたり、と中央市場を訪れなくなった……と言うと少し大げさだが、
要は侯爵となってからの視察を兼ねた息抜き程度の回数、に戻ったのだ。
その代わりに夜の外出が増えたのには首を傾げるばかりだったが、主も社交デビューを
済ませた立派な紳士なのだから色々と赴く場所はあるのだろう。
聞けば上級貴族の男性ばかりが集まるサロンは昼夜を問わず催されるそうだし、その……貴族
専用の……娼館という物も王都には存在するらしい。
そう考えれば屋敷で晩餐を済ませた主が、偶然出くわした私に「絶対、ついてくるなよ」と
釘を刺すのも頷ける。
いくらお目付役とはいえ女である私に付いて来られては困る場所に行くのだろうと推測して、
少々侮蔑の籠もった目つきにはなってしまったが「わかってるわよ」と答え、気を利かせて
それ以上は追求しないでおく。
そんな風に、夜中に出かけた翌日の主は決まって機嫌が良く、ああ、勝負事が上手くいった
のか、はたまた気に入った娘が出来たのか、と思うと何ともやりきれない思いに囚われる。
それまで「キリト」と呼んでいた幼馴染みに近い存在の男の子を「主」と呼ぶ覚悟を決めて
里をおりた時は、もっと王都で新しい何かに出会えると思っていたのに、このところは
ずっと気が晴れる事がない。
「別にお目付役が嫌になったわけじゃないけど……」
住み込みでお世話になっている侯爵家から少し離れた場所にある高台の樹木の上で私はひとり
物思いにふけっていた。
山育ちの私にとっては王都の樹上など広場に設置されている子供用大型遊具のてっぺん程度の
感覚だ。
今日は朝から夕方まで、びっしりと主の予定が詰まっていて外出どころか庭に出る余暇すら
ないので、そんな日は私にとっての休日となる。
折角だからと屋敷から出てきたものの、賑やかな場所に行く気にもなれず、結局、王都に移り
住んで一番最初に見つけた心安まる場所へと自然に足が向いた。
ここから見えるのは全方位、貴族の屋敷だが、ひとつひとつの敷地が広く、外壁を軽く越える
高さの樹木を第二の外壁として植えている屋敷が多いので、一見緑の中にいるような気分に
なれる。
この場所でどうにも整理しきれない気持ちをぼんやりとこねくり回していると、「アッ」と
声を上げた時にはイタズラな突風に首に巻いていたスカーフを持っていかれた後だった。
ダメっ、と飛んでいくスカーフに呼びかけても、風が戻してくれるはずもなく、スカーフは
かなりのスピードでどんどん空高くに巻き上げられている。
それを目で追いつつも足場を確保しながら、私は木から木へと飛び移りスカーフの後を追った。
あれは里を出る時に育ての父である里長が自分の首に巻いてくれたものだ、なくすわけには
いかない。
そう思いながら飛んでいくスカーフをひたすらに追いかける。
これ以上は飛び移る木がない所まで来て、スカーフはどうにか私の視力で確認できる遠方の
どこかの貴族の屋敷の敷地内にひらひらと舞い降りた。
誰の屋敷かはわからないが、やはり周囲の屋敷と同様に敷地の周囲を背の高い樹木が並んで
いる。その枝葉の間を目をこらして見れば、スカーフは二階のバルコニーに張り出している
庭木の枝に引っかかったようだ。
更にこれ以上屋敷の内部に飛ばされてはかなわない。
とりあえず、その枝に固定しておこうと私は常備している弓矢を取り出した。
簡易型なので飛距離はあまり期待できないが、ここからならなんとか届くはず。
慎重に狙いをさだめて矢を放った。
ピシュンッ、と矢は鋭い音を立てて屋敷の樹木の間をすり抜けスカーフに向かって飛んでいく。
狙い通り、矢はスカーフと共に枝にプスッと突き刺さった。
それから、さあ、どうしよか、と腕組みをする。
主くらいずば抜けて身が軽ければバルコニーまで侵入できるかもしれないが、あいにくと私は
そこまで身体能力が高いわけではない。
そうこう考えているうちに、どうやら屋敷内の人間がスカーフの存在に気づいたようで
バルコニーに人影が出てきた。
女性のようだから、あの屋敷の貴族に仕えている侍女だろう、バルコニーの手すりから身体を
乗り出し、腕を伸ばして私の矢とスカーフを手にした後、不思議そうに首を傾げている。
その様子を遠目に見ていて、はたと気づく。
「私ったら、貴族の屋敷に矢を放っちゃったわ……」
これは、そこの貴族に敵意在り、と見なされても仕方の無い行為だ。
どうしよう……主に迷惑がかかるかもしれない。
私は急いで懐から紙とペンを取り出すと、急いで要件のみを書き、すぐさまバルコニーに
第二の矢を射込んだ。
放った矢がバルコニーに飛び込んだ瞬間、ビクッと彼女は肩を縮込ませたが、矢に結び
つけた手紙に気づくと周囲をキョロキョロと見回してから、そっと拾い上げシワを伸ばして
いる。
すぐに読み終わるともう一度キョロキョロと視線を彷徨わせているが普通の人間の視力で
私の位置を捉えられるはずもなく、しばらくして諦めたのか誰かに呼ばれたように
バルコニーから姿を消した。
お読みいただき、有り難うございました。
どちら様のお宅のバルコニーなのかは……ご推察のとおりです(笑)