漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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無事にスカーフが手元に戻ってきて……。


【番外編・2】顔の見えぬ友:3

あの日、屋敷に戻ってから無事に返してもらったスカーフを改めて広げてみて驚いた。

かの屋敷のバルコニー近くの枝に舞い降りたスカーフを枝と一緒に矢で射貫いた為に開いた穴が

綺麗に同色の糸で塞いであったからだ。

確かに咄嗟に書いた紙片には大切なスカーフだと記したが……まさかそんな事までしてくれる

とは予想もしていなくて、顔さえよくわからない彼女に感謝の気持ちが膨れ胸の奥が温かく

なる。

これはどうしても一言御礼を伝えなければ、と思い再びヘカテートに頼んだのだが、タイ

ミングが悪かったのか、それとも矢を飛ばさなかったせいかバルコニーに彼女が現れることは

なかった。

その後も何回か同じ事を繰り返してみたが彼女はもちろん他の人間がバルコニーに姿を見せる

事もなく……それは、そうだろう、彼女は彼女で侍女としての仕事があるに違いない。

いつも都合良くバルコニー近くで働いているとは限らないのだし……そう思い、これで伝わら

なければ諦めようと決めた日のことだった、ヘカテートがいつもの枝に舞い降りてしばらく

すると人影が近づいてくる。

目をこらして見れば、その歩き方は間違いなくスカーフを拾ってくれた彼女だった。

前回と同じようにヘカテートの前に腕を出すと、ヘカテートも覚えていたようですぐさま

彼女の腕に飛び移る。

それが嬉しかったのか、恐る恐るもう片方の手の指を伸ばし、ゆっくりとその頭を撫でて

いるではないか。

それには私もビックリした。

あの用心深いヘカテートが一度会っただけの人間に触れることを許すなんて……それだけでも

彼女の人柄が知れて、遠くから見ているしかない自分に歯がゆさを覚える。

出来ることなら直接会って御礼が言いたい。

けれどそれは自分がどこの貴族の家に仕えている者なのか、きちんと身元を明かさなければ

取り次いではもらえないだろう。

軽率に主の家名を口にすることは出来ない。

顔も知らない女性と主を比べればその重さは悩むまでもなく明かだった。

それでも……と思ってしまう……王都にやって来てからこんなドキドキは初めてだったから……。

ふと我に返ってヘカテートを見れば、いつの間にか枝に留まり何かを待っているようだ。

どうしたんだろう?、と思う間もなく彼女が駆け戻ってきてヘカテートの足筒に何かを入れて

いる。

もしかして……バクバクと心臓の音がうるさいほど頭の中に響いて、その振動に翻弄されて

いる間に気づいた時には私の肩にヘカテートが舞い戻ってきていた。

我慢できずにその場で足筒の留め具を外す。

一瞬視線を戻したバルコニーにもう人影はなかった。

僅かに震える指を睨み付けて力を込め、丸まっている紙を伸ばした。

いつも私が使っている紙より薄く、それでいてしっかりとした感触に紙の質の良さが指先を

滑っていく。

広げると言うほど面積のない紙面には一文だけ、彼女の緊張が伝わってくるような一言が

記されていた。

 

『お手紙、また、いいですか?』

 

これは……これは……またこのやりとりを望んでくれていると受け取っていいのだろうか?

戸惑いや疑問を押しのけるように嬉しさが溢れて抑えきれない。

主(あるじ)に付いて王都にやって来て、初めて自分の手で何かを切り開いたような気が

した。

 

 

 

 

 

それから彼女との手紙の交換が始まった。

手紙と言ってもヘカテートの足筒に入る程度の大きさの紙だからあまり長い文章にはならない。

だから少しずつ少しずつ互いの事を書き記した。

とは言え、一番初めに私が彼女へ送ったのは互いの屋敷の主については触れないままで構わ

ないだろうか?、という内容だった。

これが受け入れてもらえなければ、このやりとりを続けることは出来ないと思ったから。

彼女の屋敷の主人とうちの主との関係を、私と彼女の間に影響を及ぼしたくなかったのだ。

同意を得られるだろうかの心配も彼女からの返信で杞憂に終わる。

むしろ彼女もそれを望んでいてくれて、私は心から安堵の息を吐き出した。

加えて彼女からは意外な言葉が綴られており、その内容から更に顔も知らない彼女に好感を

抱くこととなる。

それは私の飛ばしたスカーフの穴を勝手に修繕してしまった事で気分を害しているのでは

ないか、という私の気持ちを慮った手紙だった。

 

『大切なスカーフだと知り、余計に穴が空いたままでお返しするのが気になって、勝手に

針を通してしまいました。ごめんなさい』

 

とあり『それに、とても綺麗な色のスカーフだったから』とも書かれていた。

里長が私の為に選んでくれたスカーフをそんな風に言われて、文字を目で追いながら頬が

緩む。

『でも、御礼のお手紙をわざわざ届けていただき、本当に嬉しかったです』と手紙は締め

くくられていた。

こうして、互いの屋敷の名前は知らないまま手紙のやりとりは続いたが、やはり手紙を

送る相手の名前を知らないままでは書きづらかったので、お互いの呼称だけは教え合った。

それとヘカテートの接し方についても。

故意にではなくてもヘカテートの嫌がる事を知らずにしてしまう可能性はある。

自分と彼女を繋いでくれるのはヘカテートだけだったから、そこは丁寧に書き記した。

彼女も同様の事を思っていてくれたらしく少しでも疑問あれば手紙の最後に追記してくれる

ので、次の私からの手紙はその返事から始まる事となる。

その甲斐あってか、一ヶ月も経った頃にはヘカテートのテリトリーと言っていい程に彼女の

屋敷の庭にも慣れたようで、手紙が付いていなくても散歩をしているらしい。

ついこの前の手紙にも『ヘカテートが気持ち良さそうに陽当たりの良い枝の上に留まって

羽根を広げ、虫干しをしていたのを見ました』と報告されている。

 

「ヘカテート、彼女の仕事の邪魔をしてないでしょうね?」

 

少し疑い気味に睨めば、ヘカテートはとぼけたような表情で小首を傾げた。

そうなのだ、彼女はよく屋敷の窓から外を眺めているらしく、そのお陰でスカーフにも

気づいて貰えたのだが、それなのに自分からあの屋敷の外に出る事がほとんどないらしい。

理由は書いてなかったから、それ以上は聞かない方が良いのだと判断してそのままを受け

取っているが、仕えている屋敷の主が上級貴族で羽振りも良ければ使用人達の買い物も

御用聞きに頼んで済ますことが出来るので、屋敷から出ないで過ごすことは可能だし……

現に私が暮らしているこの屋敷がそうなのだから……だから単に内気な性格なのかも、と

自分を納得させていた。

それでも時間がある時は厨房を借りてお菓子を作り、屋敷の者達に分けていると知って、

ならば仕事場の人間関係はうまくいっているのだろうと推測する。

それでも、ふと私が外の様子を書いてみたら、とても嬉しそうな返事が返ってきて、だから主の

お目付役として訪れた場所や私が休みの日に出かけた場所の様子を書くことが段々と増えて

いった。

そんな風に日々の他愛もない出来事を報告し合える関係が王都で築けるとは思っても

みなくて、私はお目付役の任でさえそれまでとはどこか違う気持ちで取り組めるようになって

いたある日の夜、いつものように主から翌日の外出を告げられた時、主がここ最近一番と

言っていいほど挙動不審な様子で私に請うたのだ。

 

「明日の中央市場の視察には……同行者がいるから……」

 

へえ、珍しい事もあるものね……多分、初めてではないかしら?

 

「それで……オレがその人の傍にいない時は……その人を見ていて欲しいんだ」

「……どういう意味?」

「だ、だから……明日はオレの目付役としてじゃなくて…………彼女を護衛してもらいたい」

 

主の口調も私を真っ直ぐに見つめる瞳に宿る意志も、最後の言葉はガヤムマイツェン侯爵の

ものとなっていた。

主が自分の身と同等かそれ以上に大切にする存在が出来た、という意味なのだと咄嗟に頭が

理解して、了解の意を黙して臣下の礼で示す。

 

「ありがとう、シノン」

 

深く下げた頭の上に慈愛に満ちた穏やかな主の声が降りてきて、優しく耳を撫でる。

主従関係である事を望んだのは私なんだから、命じてくれればいいのに……そんな嬉しそうな

声で「ありがとう」なんて言わなくていいのに……主の口から「彼女」という言葉を聞いて

凍り付いたように固まってしまった表情を見せたくなくて頭を下げたはずなのに、今度は

下を向いているせいで涙が頬から床に滴ってしまいそうだった。

この涙を主に知られてはいけない。

涙を流すほど私は自分の気持ちに誠実に向き合ってもいなければ、何の一歩も踏み出そう

とはしなかったのだから。

少しして、家令であるじいやさんが主を呼ぶ声が聞こえると、主は未だ顔を上げない私を

残して「じゃあ、明日」とだけ言い残して私の前から離れて行く。

その足音が聞こえなくなるまで私はその姿勢のまま必死に涙を堪え続けた。




お読みいただき、有り難うございました。
ラストは少し切なくなってしまい、書いていて「ごめんねー」と心の中で
手を合わせてしまったくらいです。

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