漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

21 / 83
主のお目付役として中央市場に赴くと、そこに現れたのは……。


【番外編・2】顔の見えぬ友:4

中央市場への視察当日、主(あるじ)はまずいつものように市場を取り仕切っている果物屋

へと足を向けた。普段なら店主と軽口の応酬をしているのだろうな、と予想がつく表情が、

今日に限り常に視線が周囲へと泳いでいる。

ほどなくしてその視線が一転に集中した。

主から少し離れた場所ですっぽりとフード付きマントを着用した人物が足早に果物屋へと

向かっている。

アノ……人物だろうか?

細い肩幅にマントの裾から伸びる細い足、その先に見える靴が女物なのでマントの人物が

女性だろうと判断できるが、主の外出に同伴するにはイメージが違いすぎて戸惑いが

生まれる。

半信半疑で様子を覗っていると、かの人物がバランスを崩した。

小走り気味になっていたので、何かに躓いたのだろう。

あっ、と思う間もなくその細い肩から伸びる両腕を主が支える。

やっぱり……そうなのね。

その瞬間に戸惑いは霧散して確信に変わった。

彼女が転びそうになって、一瞬、驚いた表情を見せた主だったが、待ち焦がれた女性が腕の

中に収まると何とも言えない蕩けそうな笑みを浮かべながら相手の耳元に何やら囁いている。

彼女の方も主の腕を振りほどく様子も見せずに言葉を交わしているようだ。

密着した状態のままで会話を続けている二人に業を煮やしたのか果物屋の主人が割って

入ったらしい。

途端に彼女は主の拘束から逃れて店主に頭を下げている。

いや、逃れたと思ったのは間違いで、よく見れば主の片手はしっかりと彼女の指を包み込んで

いた。剣を握るための手だと思っていた主の手が、今はしっかりと彼女の柔らかそうな手と

繋がっている。

主に手を握られるのは初めてではないのだろう、何の違和感も感じていない様子の彼女の

表情が見られないのは、今は幸いと言うべきか。

自然と釘付けになってしまっていた二人の手から故意に視線を外して周囲に気を配れば、

そこかしこから市場の店主達が店の外に出てくるのが見て取れ、思わず首を傾げる。

疑問を抱く、と言えば彼女の風貌も大いに謎だ……市場で顔を隠さなくていけない、という

事は市場の関係者なのだろうか?

いや、それならわざわざ市場で会わなくても良いのだし……なら、主が通っているらしい

娼館の娘?

それも、しっくりこない。

それほど詳しく娼婦を知っているわけではないけれど、マント越しにもわかるほどに彼女の

立ち居振る舞いは優雅で凛として美しいから。

どのような身分の女性にしろ、主は彼女を侯爵夫人として迎え、自分の隣に立たせる未来

までを描いているのだろうか。

私はいつか二人が並んで立つ姿を、やはりこんな風に遠くから見守るだけなのか……。

すっかり吐き出したと思っていたモヤモヤが再び胸の中に湧いてくる。

そうこうしているうちになぜか数十名の店主達が主の前に立ちはだかり、口々に猛々しく

何かを言い放っていた。

何を言い争っているのかと、しばらく静観していると今度は主の隣の彼女が店主達に

向かって言葉をかけているようである。

先程までの勢いはどこへやら、彼女の話を大人しく聞いている店主達の姿も不思議だったが、

その言葉に元気づけられたようにたちまち笑顔になった老人達の切り替えの良さにも驚いた。

やっぱりここは面白い。

モヤモヤが少し薄れた気がして、私は任務に専念するべく果物屋の店先から移動を始めた

主達を追いかけた。

 

 

 

 

 

結局、主達はあちらこちらの店先を覗きながら最終的にはいつもの噴水広場にやってきて……

そう、ずっと手を繋いだまま。

もう、ここまでくると胸の中のモヤモヤはすっかり落ち着いて、逆に呆れる気持ちが

ムクムクと生まれてくる。

小さい頃から知っている男の子が随分と立派に成長したと思っていたのに、女性を連れ歩く

場所が市場とは……ありえない。

人々がごった返す中、しっかり手を握って、会話だって市場の活気溢れる喧噪の中、いちいち

耳元に口を寄せて。

もしかして、全部計算なのっ?!、と疑いたくもなってくる。

私のように見晴らしの良い屋根の上を一人で移動しているならともかく、あれでは彼女も随分

疲れただろう。

思ったとおり、主に促されて噴水の縁に腰を降ろした彼女は、ホッとした様子だ。

噴水のある広場から距離はあるが、ちょうど正面に位置している時計塔のいつもの場所に

陣取った私は改めて彼女を観察した。

顔はフードを被っているので鼻から下しか見えないが、色白の肌に形の良い鼻尖、薄い唇は

桜色でつやつやと輝いている。細いおとがいと同じく首もほっそりとしていて……とそこに

主が彼女に覆いかぶさるように腰を屈めて私の視線を遮った。

何かを問いかけられたようで、コクコクと首を縦に振ったかと思ったら、次はフルフルと横に

振っている。

そんなに勢いよく振ったら折れてしまうんじゃないかしら……と、我ながら間抜けな感想を

抱いていると、主が彼女の傍を離れるらしく、チラリと私がいる時計塔を見つめてきた。

いつものように見えるはずはないけれど、頷いて了承する。

走り去った主の後ろ姿を見送っていた彼女は、主が見えなくなると細く息を吐き出した。

何かを考え込んでいる様子だが、そこに苦悩の色はなく、懐かしさと嬉しさと少しの戸惑いを

感じる口元だ。しばらくそうして物思いにふけっていたようだが、何かを探すようにキョロ

キョロと自分の周辺を見回し始めた時、タイミング良く主が両手に昼食を持って帰ってくる。

いつもの鶏肉料理を買ってきたのだろう……女性に勧めるのはどうか、と思うチョイスだが

幸いにも彼女は口元を緩め、匂いを堪能していた。

続いてこれまた定番のスパークリングミントウォーターを彼女の目の前に差し出すと、今度は

驚いたように瓶すれすれまで顔を近づけて珍しそうに観察している。

市場で売っているおなじみの鶏肉料理やスパークリングミントウォーターを知らないの

だろうか?

その反応にますます彼女の正体がわからなくなって眉間に皺を寄せていると、彼女は主から

瓶を受け取り、もとの場所に座り直している。主は一旦振り返って自分の分のスパークリング

ミントウォーターを持った手で、わざわざ私に合図を送ってきた。

意中の女性の前で気を遣わなくてもいいのに、と思う反面、やはりほんわりと嬉しさが広がる。

その合図を見ていた彼女が首を傾げると主がその意味を説明しているのだろう、隣に腰を

降ろしてからこちらを指さしながら会話をしている、と思ったらすぐさま彼女が料理を脇に

どけて立ち上がった。

主もポカンと彼女を見ている。

何が起こったのかと怪訝に思っていると、彼女は綺麗な姿勢でペコリと私に向かって頭を

下げた。

えっ!?

一瞬、何が起こったのか、理解が出来ず思考が一時停止する。

自慢の目だけがパチパチと自分の意志とは関係なく真瞬きを繰り返しながらも彼女から視線が

外せない。

彼女は顔を上げると苦笑している主に向かって何かを確認しているようだ。

きっと私に伝わったのかを気にしているのだろう、主が安心させるようにゆっくりと頷いて

いるのが見えて、私の任務に対する信頼を感じると共に彼女の今の仕草がやはり自分に対する

御礼なのだと確信してふわふわとした妙な気持ちになる。

が、それを見透かしたように主が吹き出しているのが見えて、足下にでも矢を放って

やろうかと思った。

たった今日一日だけ、主に言われて見守っているだけにすぎない顔も名前もわからない自分に

対して、あんなに素直に頭を下げてくれるなんて……どうしよう、主の隣に居られる彼女に

抱いていた色々な感情が全て溶けて、彼女自身に新しい思いが芽生えてくる。

どんな立場の人物なのかが気になっていたが、自分を振り返れば、私だって主の領地にある

山里で養父に育てられた身だ、自慢げに口に出来る育ちではない。

そんな私を王都まで連れて来てくれ、屋敷に住まわせてくれている主なのだから、彼女の

生い立ちや身分などたいして重要視はしていないのだろう。

ちゃんと彼女の本質を見て、手を握っている事が臣下として誇らしい。

今日のこの出来事をあの屋敷の侍女をしている彼女にどう手紙に書こうかと思い、言葉を

浮かべる。

同じく顔を知らない彼女に伝えるには少々思いが複雑だ。

 

そうね……『中央市場で素敵な女性と出会いました』……これだけにしておこう。

 

 

 

 

 

 




お読みいただき、有り難うございました。
これで「【番外編・2】顔の見えぬ友」は終わりです。
長々とお付き合いいただき、本当に感謝です。
お互いがちゃんと顔を合わせる時が楽しみですね。
すぐに打ち解け合って「君ら……いつのまにそんな仲良しに
なったの?」と主くんに言われそうです(笑)
次回は本編に戻りましてやっと「彼」が絡んできます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。