漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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ルーリッド伯爵邸での夜会当日……


18.指輪(2)

キリトゥルムラインからルーリッド伯爵邸での夜会の招待状を受け取った数日後の夕刻、豪奢な

二頭立ての馬車が静かにユークリネ公爵家の正面玄関に横付けされた。御者台から下りた御者が

車内に声をかけて扉の取っ手に手をかけようとした瞬間、それすら待ちきれないのか、内から少々

乱暴に扉が開く。

出迎えの為、玄関前で控えていた公爵家の家令はその行動に片眉をピクリと動かすだけで心情を

収めたが、家令より一歩下がった位置にいた公爵令嬢付きの侍女頭は「はぁっ」と溜め息にも似た

深い息をこっそりと吐き出した。

今宵はキリトゥルムラインがガヤムマイツェン侯爵として初めてユークリネ公爵邸を正面から

来訪する日だ。

いつものように気軽にひょいっとお立ち寄り気分で来ていただいては困ります、と何度伝えたか

わからないと言うのに、侯爵自ら扉を開けて馬車から降りてくるなど、浮かれ気分丸出しでは

ないか。

そんな侍女頭サタラの苦悩など気づきもせずキリトゥルムラインは公爵家の家令の挨拶を

「ああ」の一言で受け流すと、サッサとサタラの前にやってきた。

 

「アス……」

「初めまして、ガヤムマイツェン侯爵様。アスリューシナ様付きの侍女、サタラと申します」

 

侯爵がいつものように令嬢の愛称を言いかけたのを瞬時に悟ったサタラは半ば強引に言葉を遮り、

それでも形式上、先に侯爵からのお声がけを受けた態で筆頭侍女として挨拶の辞を述べた。

家令にだけはコーヴィラウルからガヤムマイツェン侯爵の対応を指示されていたようで、今回の

アスリューシナの外出について驚くほどスムーズに彼女の父であるユークリネ公爵から夜会出席の

許可が下りたのは、彼の手腕によるものだろう。

何が言いたかったのかは伝わったようで、サタラの気迫にやや押され気味だったキリトゥルム

ラインが家令の時と同様に「ああ」と返事をしてから表情を引き締め「……アスリューシナ嬢

は?」と丁寧に慎重に言葉をかけてくる。

 

「既にお支度はととのってございます」

 

そう告げてからチラリと自分の後方に控えている若い侍女達へ目配せをすれば、心得ている様子で

その中の二人がそれぞれ左右の扉に両手をかけた。

女性が動かすにはいささか重そうな公爵家の扉がゆっくりと動いて室内の明かりが徐々に玄関先に

漏れ出る。しかしその明かりを遮るように中央には夜会用のドレスを身に纏ったアスリューシナが

立っていた。

落ち着いたクロームオレンジ色のドレスがアスリューシナの白い肌を引き立たせている。

今宵の首飾りは琥珀ではなく華奢なデザインのチョーカーに小粒の真珠があしらわれ、中央に

ひときわ大粒の真珠がひとつ輝いていた。

ウエスト部分から優雅に広がるドレープの波の上へ手袋をはめた両手を合わせ、少しはにかんだ

表情で嬉しそうな笑みをたたえている姿が目に入った瞬間、キリトゥルムラインは驚いた表情を

見せたがすぐに口元を緩ませて足早にアスリューシナの元へと駆け寄る。

アスリューシナもすぐさま玄関の外へと足を踏み出すと、目の前までやってきたキリトゥルム

ライン侯爵を見上げてにっこりと微笑み、初めて私室で対面した時のように最上級の礼をとった。

その礼を受けてから侯爵が言葉をかける。

 

「今宵は招待を受けてくれて有り難う、アス……リューシナ嬢」

 

慣れた手つきで片手を差し出せば、こちらも何の気負いもなくそこに自らの手を乗せて「こちら

こそ、お誘いいただき有り難うございます。ガヤムマイツェン侯爵さま」と僅かに頬を染めた。

初対面とは思えぬ二人の雰囲気に当てられた侍女達が一様にうっとりとした視線を送るが、

キリトゥルムラインは気に止めることなく自然と自分の手の内にあるアスリューシナの手の甲へ

手袋ごしに唇を落とす。

そのまま自分の腕にアスリューシナの手を絡ませると馬車へと導いた。

徐に御者が扉を開けようとしたところでアスリューシナは僅かに小首を傾げ、いつもは黒く輝く

瞳に被さるくらいの黒髪を今宵は夜会のためかサイドに流しているキリトゥルムラインの耳元に

その唇を寄せる。

 

「ガヤムマイツェン侯爵さま、この紋章は?」

 

アスリューシナの視線の先にある馬車の扉には薔薇の花をモチーフとした紋章が刻み込まれていた。

全体が黒塗りの馬車に数本の青い薔薇が絡み合いその周りを幾何学模様のような複雑なデザインの

枠が金で縁取られている。

 

「ああ、ルーリッド伯爵家の馬車を借りたんだ。詳しい話は中でするから、乗って」

 

言いながら手を添えてアスリューシナを馬車に乗せ、自分自身は公爵家を訪れた時と同じように

御者の手を借りずにひょいと乗り込めば、既に御者は心得たのか戸惑うこともなく静かに扉を

閉めて御者台へ上がり手綱を握った。

ゆっくりと走り出した馬車が公爵家の門を出ると、それまで窓から屋敷の方を眺めていた

アスリューシナが「ほうっ」と息を吐き出して窓のカーテンを閉めて座り直す。

隣に座っているキリトゥルムラインはその様子を見て膝の上に行儀良く置かれた手をそっと握った。

 

「緊張してるのか?」

「はい……ルーリッド伯爵様やご子息様とはお言葉を交わしたことがありませんし……何より、

夜会に兄以外のエスコートで参加したことがないので……」

 

その告白にキリトゥルムラインの口角が上がる。

 

「なら王城での兄上のように、ちゃんとアスナを守らないとな」

「そんな風に見えました?」

「アスナは兄上にも屋敷のみんなにも大事にされてると思うけど」

「それは……そうですね……」

 

自らの今夜の装いを確認するように眺めてアスリューシナの口元が緩む。

同じようにアスリューシナのドレス姿を目を細めて見つめているキリトゥルムラインの手が彼女の

膝元から離れ、いつものように髪へと伸びた。

部分部分に複雑な編み込みが施されているが、毛先の方はそのままになっているので慣れた

手つきで一房を手にとる。

 

「今夜はあまりクルクルと指に巻き付けないで下さいね。折角侍女達が時間をかけてくれたのです

から」

 

そう事前に窘められてしまい、僅かに残念な色を浮かべたキリトゥルムラインだったが、それでも

染色した髪に触れるのは初めてだったのでその色に顔を近づけた。

 

「見事に染まるもんだな……手触りはそれほど変わらないけど……それにいつもと色が違うって

わかっていても、さっき見た時はやっぱり驚いた。王城では近くで目に出来なかったし……」

「へん……ですか?」

「いや、こっちの出で立ちも十分、男達を惹きつけるよ」

「もうっ、そんな冗談は……」

「冗談なわけないだろ。今夜はいつもと違ってのんびりアスナを独り占めは難しそうだな。

寄ってくる虫を追い払わないと……」

「虫……ですか?」

「ああ。前にも説明したけど、今回の夜会はルーリッド伯の息子であるユージオのお相手探しが

主催理由だが、まさか令嬢ばかりを招待するわけにもいかないだろ?。だからあくまでも同じ

年代の令息や令嬢の交流を深める場として独身貴族の男性もかなりの人数が呼ばれてるんだ。

ユージオ本人は想い人がいるから、あくまで招待客をもてなすだけのホスト役に徹するらしいけど、

伯爵としては気に入った令嬢がいたら他の貴族に取られるまえに自力で何とかしろ、くらいの

心持ちらしい。実際、オレ、昨日からルーリッド伯の屋敷に滞在しているんだけど、伯爵からは

『息子と同じ令嬢を見初めないでいただきたいものです』なんて耳打ちされたくらいだから」

 

「まあっ」と小さく声をあげたアスリューシナの手を握ると、キリトゥルムラインは二人しか

いない馬車の中だと言うのに、囁くように彼女の耳元に口を近づける。

 

「だから『茶番』だって言ったろ。ユージオにとっても、オレにとっても」

 

その言葉の意味を自分の心の奥底に閉じ込めた感情と照らし合わせたい衝動に突き動かされそうに

なったアスリューシナはキュッ、と目を瞑ってやり過ごす。

 

「……アスナ」

 

顔を寄せたままキリトゥルムラインは熱を帯びた声でいつもの愛称を口にした。

 

「ガヤムマイツェン侯爵さま……その……呼び方は……ダメ、です……」

「なんで?」

「夜会にいらした貴族の方々が……勝手な憶測を……」

「憶測?」

「……はい……」

「既にアスナをエスコートして夜会に出ようとしているのに?」

「ですから……これ以上は……今宵は、ただ、エスコートをして……いただくだけで……」

「それ以上の意味はない?……それ以上の想いはない、って?」

 

アスリューシナが目を閉じて俯いたまま小さく首を縦に振る。

ふぅっ、とキリトゥルムラインの吐く息が自分の頬に当たり、未だ彼がすぐ傍にいるの

だと分かって、ますます身体を縮込ませた。

 

「言ったよな、今夜はオレの傍にいろって。それがどういう意味を持つのか、周りからどう

見られるのか、オレはわかっているつもりだけど?」

「ガヤムマイツェン侯爵さま……」

「今夜はずっとオレの事をそう呼ぶのか?」

「その……つもりです……が……」

 

窺うように、こっそりと顔を上げたアスリューシナは侯爵からの冷たい視線に一瞬にして顔を

強張らせる。

 

「ううっ……」

 

困り果てたように眉をハの字に曲げ、じわり、と潤んだ瞳で静かにキリトゥルムラインを

見上げれば、しばらくしてそのにらめっこ勝負に決着がついた。

「それ、反則技だろ」とキリトゥルムラインがぼそり、と言い放ってから、すっ、と

アスリューシナの目の前まで顔を近づけてニヤリ、と微笑む。

 

「なら、譲歩案をだそう。オレはアスナをアスリューシナ嬢と呼ぶ代わりに、アスナは

オレをキリトゥルムラインと呼ぶ。これ以上は譲れない」

 

それは互いをファーストネームで呼び合う仲だと公言しているわけで、結局親密な間柄で

あると示している事に変わりは無いのだが、アスリューシナも今更キリトゥルムラインを

他の令嬢方と同じように「ガヤムマイツェン侯爵さま」と呼ぶ自分に僅かな抵抗を感じていた

ので、しぶしぶを装ってその提案を受け入れる。

こうして馬車は一路、ルーリッド伯爵の屋敷へと向かったのだった。




お読みいただき、有り難うございました。
ユークリネ公爵家のアスリューシナ付きの侍女さん達、がんばりました。
サラタを筆頭に自分達がお仕えする令嬢をこれでもか、と磨き上げました。
腕の見せ所ですから……(笑)

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