漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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ルーリッド伯爵邸での夜会に赴いた二人は……


19.指輪(3)

キリトゥルムラインにゆっくりと導かれながらルーリッド伯爵家の夜会会場に入った瞬間、アス

リューシナは思わず足を止めた。

眩しい程に輝いているのは天井のシャンデリアだけではなく、会場のあちらこちらに配置された

美術品の他、今宵の為に用意された料理や飲み物に合わせた銀食器やガラス器、年若い貴族の

令息や令嬢がふんだんに身に纏っている貴金属……それら全てからまばゆいばかりの光の渦が

溢れている。

しかし、それ以上にアスリューシナの目を奪ったのは会場のあちらこちらに生けてある薔薇の

多さだった。

 

「すごい……」

 

特にアスリューシナの目が釘付けになっているのは、ホールの中央近くにある見事な彫刻を施した

台座の上。そこに鎮座している丸みを帯びた大きな白磁の花器には何十本もの瑞々しい青薔薇が

さし入れられている。

髪を染色している影響で彼女は瞳の色さえも薄いアトランティコブルーに変化していたが、その

目をめいっぱい見開いて興奮のせいか頬を僅かに赤らめて食い入るような視線を送っていると

隣から、クスッと小さな笑い声がした。

 

「そんなに一心に見つめると伯爵が勘違いをするぞ」

「えっ?」

 

その言葉を問い返そうとするより早く、キリトゥルムラインが再びアスリューシナの手を支え

ながらホールの中を、その薔薇の元へと歩き出す。

会場内の薔薇達に気を取られているアスリューシナには、自分と自分をエスコートしてくれて

いる侯爵がホールに登場した途端、場内の視線の的となっている事に気づいてなかった。

うっとりと蕩ける視線をガヤムマイツェン侯爵に送る令嬢もいれば、その侯爵の隣にいるアス

リューシナに棘のような視線を投げつけてくる令嬢もいる。二人の動きを目で追いながら「どう

して?!」と密かに不満げな声を交わし合う令嬢達も少なくなかった。

反対に令息達はアスリューシナの容姿と仕草に見とれたままその視線を外せずにいる者が

ほとんどのようで、中には彼女の手を引くガヤムマイツェン侯爵に羨ましげな息を吐く者も

いたが、相手が三大侯爵とあっては羨望はあっても嫉妬にはなりえないのだろう、小さな声で

「オベイロン侯は?」と疑問符を浮かべる者もすぐさま彼女を見つめる事に夢中になっている。

青薔薇の元へとアスリューシナをエスコートしてきたキリトゥルムラインは、薔薇を背にして

威風堂々と立っている年長の男性に意味ありげな笑顔を向けた。

 

「伯爵、こちらがユークリネ公爵家のアスリューシナ嬢です」

 

それを聞いて、目の前の男性が今宵の主催者であるルーリッド伯爵だと気づいたアスリューシナは

慌てることなくそっとキリトゥルムラインから手を離すと両手でドレスをつまみ腰を落として

深々と頭を下げる。

 

「初めてお目にかかりますルーリッド伯爵様。今宵はご招待いただき有り難うございます。ユー

クリネ公爵家のアスリューシナと申します」

 

礼を取る令嬢の優雅さに「ほほう」と軽く息を吐いた伯爵は優しい眼差しで言葉を返す。

 

「こちらこそ、我が屋敷にお越し頂き誠に光栄に思いますよ。今までお会いする機会がなかった

のが実に残念だ。さてはガヤムマイツェン侯が隠しておられたのかな?」

 

最後に悪戯めいた微笑をガヤムマイツェン侯爵へと送ると、それに応じるように侯爵も目を

細めた。

 

「ええ、その通りです。今宵はどうしても、とユージオに頼まれまして」

「なるほど、なるほど。ですが秘宝は人の目に触れてこそ、その輝きと存在意義を示すものです

からな」

「ですがその美しさのあまり、邪(よこしま)な考えを持つ者が現れるのも煩わしいだけなので」

「それら全てを受け入れてもなお、手元に置くお覚悟があるのでしょう?」

「でなければここにはいません」

「ならば結構……いや、これは失礼しました、アスリューシナ嬢。なにせガヤムマイツェン侯爵が

令嬢をエスコートしての夜会など初めてのことなので、主催したこちらとしても驚きを隠しきれず

出しゃばった物言いを致しました」

 

ルーリッド伯爵とキリトゥルムラインの含みのあるやりとりを黙って聞いていたアスリューシナは

伯爵の言葉に思わず声を漏らした。

 

「えっ?……初めて、なのですか?」

「ええ、そうです」

 

ゆっくりと頷いた伯爵が一層優しさを込めた瞳でアスリューシナを見つめる。

 

「僭越ながらこちらのガヤムマイツェン侯は私にとってはもう一人の息子も同然でして。うちの

愚息同様、女性っ気が全くないのを気にしていたところですが、なんの、私に内緒で随分と美しい

花を隠し持っていたようで、いやいや、安心致しました」

 

それから侯爵へと一歩踏み出して顔を近づけ、「昨晩は戯言を申しましたな」と言えば、侯爵も

ニヤリと表情を崩して「全くだ」と返す。

しかし伯爵は表情を一変させると声を落として更に侯爵との距離を縮め低い声を落とした。

 

「ガヤムマイツェン侯爵家の『花』として迎えるおつもりなのでしょう?……くれぐれも花泥棒に

ご注意を」

 

進言に頷くだけで返すと二人のやりとりを少し不安げに見つめているアスリューシナからの視線に

気づいたキリトゥルムラインが素早くその腰に手を回す。

 

「ルーリッド家の薔薇も見事ですが、オレにはこちらの花の香りの方が好ましいので」

 

アスリューシナに声を上げる間さえ与えず、引き寄せてアトランティコブルーの髪に顔を寄せると

周囲から小さく悲鳴のような声が同時にいくつも上がり広間の空気がどよめいた。キリトゥルム

ラインに密着されたアスリューシナがわなわなと唇を震わせて顔を朱一色に染め上げていると、

その姿を呆気にとられた顔で見つめていた伯爵の声が小さく跳ねる。

 

「ふふっ……侯爵がそのような事をなさるとは夢にも思いませんでした。何度我が家に足をお運び

いただいても一度たりとも花の香りを慈しんだことなどなかった貴殿が……」

「オレにも好みがあるんですよ」

「おや、我が家の庭園には侯爵のお気に召す薔薇は一本もございませんでしたか?」

 

その言葉にアスリューシナが祈るように両手を握りしめ伯爵へと身を乗り出した。

 

「お庭にも……薔薇が咲いているのですか?」

 

純粋に花への好奇心で満たされている瞳に気づき、伯爵が嬉しげな声で答える。

 

「ええ、今宵の薔薇は全て屋敷の薔薇園からとってきたものですから」

「青薔薇も?」

「はい、わがルーリッド伯爵家の象徴ですので丹精込めて育てているのですよ」

「ああ、それで青以外の薔薇も見事なのですね」

「は?」

 

アスリューシナの発言に滅多に表情を崩さないルーリッド伯爵の眉が一瞬、ひくり、と動いた。

そんな変化など気にもとめずアスリューシナは会場を見回して、うっとりと頬を緩める。

 

「こちらに飾られているどの色の薔薇も香りはもちろんですが色の深みも花弁の厚みも見事です

もの。私は棘のとってある薔薇しか手にした事がないのですが、きっとお庭の薔薇は棘も

しっかりと固くて張りがあるのでしょうね。青薔薇は良質の白薔薇と黄薔薇から紫を作り、更に

赤薔薇と黄薔薇から作った橙と掛け合わせ、そこから出来た赤薔薇が必要と聞いておりますが、

今宵、伯爵さまの後ろにある青薔薇を見れば、他の色とりどりの薔薇の素晴らしさも自ずと

わかります」

 

夢現の表情で会場内の薔薇に視線を送っている公爵令嬢を前に、ぽかんと口を開けたままの

伯爵はクスクスと楽しげな忍び笑いを耳にして、ハッと我に返った。

少し視線をずらせば意地の悪い笑顔のガヤムマイツェン侯爵が令嬢の髪から顔を離し、口元に

手を当てている。

今まで周囲からの薔薇への賛辞と言えばルーリッド伯爵家の紋章でもある珍しい青薔薇を褒め

称えるばかりで、その青薔薇を作り出す為の薔薇に対する賞賛の言葉は初めてだった。

大体は青薔薇以外の薔薇を青薔薇の引き立て役と認識しているようで、まさか青薔薇を育成

するために必要不可欠な存在とは想像もしていないだろう。

しかも青薔薇を作り出す知識を病弱の公爵令嬢が持っているという事実もにわかには信じ

られなかった。

ゴホン、と咳をして平常心を取り戻した伯爵は真剣な表情で「アスリューシナ嬢……」と

声をかける。

 

「貴方は一体……」

「彼女は他の花と、違うでしょう?」

 

まるで自分事のように得意気な笑みを浮かべて伯爵の言葉を遮ったキリトゥルムラインは、

それ以上の問いを許さないとばかりに深い漆黒の瞳でルーリッド伯爵を制した。

その瞳の色の意味を理解した伯爵は言いかけた言葉を、ふぅっ、と長い息と共に吐ききり、

いつもの穏やかな面持ちに戻る。

 

「アスリューシナ嬢、よろしければ体調のよろしい時に是非また我が屋敷にいらして下さい。

次はゆっくりと本邸の薔薇園をご案内させていただきたい。あちらのバルコニーの先にも

小園がございますが本園はこれの比ではありませんからな」

 

伯爵からの誘いにアスリューシナの頬が嬉しさで染まった時だ、そっ、とキリトゥルム

ラインが耳元で囁く。

 

「よかったな。伯爵自らが本園へ招くなんて……」

「随分とガヤムマイツェン侯爵の可愛らしい花がお気に召したようですね、父上」

 

キリトゥルムラインの言葉を引き継ぐように青薔薇の後ろから若々しくも穏やかな声が

響いた。




お読みいただき、有り難うございました。
ルーリッド伯爵とガヤムマイツェン侯爵とは、それこそ父子ほどの
年齢差がありますが、爵位順で言うと侯爵の方が上なので、対等か
それ以上の口の利き方になってます。
そして……最後に……やっと一言、出番が……キター!(笑)

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