漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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夜会会場の片隅でキリトゥルムライン、アスリューシナ、ユージオの三人が談笑をしていると、ルーリッド伯爵家の家令が近づいてきて……


21.指輪(5)

ルーリッド伯より幾分年若そうな執事が恭しく頭を下げると、ユージオは何事か?、と訝しげな表情で向き直った。その耳元に家令が顔を近づけて、一言二言耳打ちをした途端、伯爵子息の瞳に真剣味が宿り、同時に眉間に僅かな皺が刻み込まれる。

再び元の姿勢に戻った家令はやってきた時と同じように一礼をするとその場を素早く離れて行った。

 

「キリト」

 

静かに呼ばれたユージオの声に何かを察したキリトゥルムラインもまた瞳の色を整えて次の言葉を待つ。

 

「始まったようだよ……僕としては君の予想が外れる事をほんの少し望んでたんだけどね」

 

友の少し情けない笑顔を茶化すようにキリトゥルムラインの口の端が挑むように動いた。

 

「わざわざこっちから舞台を用意したんだ、のってもらわないと困る。ルーリッド伯からも好きに使ってくれと許可は貰ってるしな」

「それなんだよね。許可したくせに後の事は全て僕に押し付けてくるんだから、加えて夜会の対応までしろって言う。結局僕が一番貧乏くじを引いてるようなもんだろ?」

「ユージオが花を迎え入れる時は手伝うよ」

 

これからいくつも起こるであろう王家と伯爵家との結びつきに対する数々の障害対処への助力を暗に匂わせると、ユージオはわざとらしく「はぁっ」と息を吐き「その時は期待してるから」と零して家令が消えた先を指さした。

 

「少し確認して欲しい事があるらしい。向こうも多少は頭を使ってきてるみたいだね。キリトでないと判断出来ないって」

「オレが不用意に動くわけには……」

「だから、ちょっとゴメンね……」

 

そう言いざま手にあるグラスの中に残っていた少量のブルースピリッツをぴしゃっ、とキリトゥルムラインの胸元にひっかける。突然の出来事に二人の会話を静かに見守っていたアスリューシナも「あっ」と小さく声を漏らしたが、それ以上に「ああっ」とユージオがわざとらしい驚声をあげてすぐさま近くに控えていた従者を呼んだ。

 

「ごめん、ごめん、手が滑った。向こうで着替えてきてよ」

「こちらにどうぞ」

 

あらかじめ家令から指示がでていたのか、慌てもせずに従者はキリトゥルムラインをユージオが示した広間の奥へと招く。

 

「……ユージオ」

 

さすがにいきなり飲み物をかけてくるとは予想していなかったキリトゥルムラインが少しの怒気を孕ませ友の名を口にした。今宵はアスリューシナの傍を離れないと約束しているキリトゥルムラインが半眼でユージオを睨み付ける。

 

「まあまあ、ユークリネ公爵令嬢様のお相手は僕がしておくから」

 

するとすぐ傍からも援護の声が添えられた。

 

「そうです、キリトゥルムラインさま。早くお着替えにならないと」

 

キリトゥルムラインがチラリと視線を隣に向ければ気遣いの視線がまっすぐに自分の目に飛び込んでくる。ほんの少し、自分への執着の色を探すがアスリューシナの瞳はただ純粋にキリトゥルムラインの濡れた衣類への懸念だけだった。その表情を見てしまってはこのままこの場に留まるとは言い出せず、侯爵は自分の胸元に視線を落とす。

少量とはいえシャツにはしっかりと鮮やかな青い染みが広がっていて、この状態で公爵令嬢をエスコートするわけにはいかない事を渋々認めたキリトゥルムラインは素早くアスリューシナの髪に唇で触れて「すぐに戻る」とだけ言い残し、彼女から離れた。

三人の様子を遠巻きに見ていた令嬢の一人がユージオとアスリューシナから離れたキリトゥルムラインを見て素早くその隣に駆け寄り、いかにも心配そうな素振りで「侯爵様、大丈夫ですか?」と声をかけながら両手を彼の腕に絡ませる。無下に振り払うわけにもいかないキリトゥルムラインは特に表情も変えず「ああ」とだけ答えると、すぐさま従者が間に入り「侯爵様は一時退座をなさいますので」と告げ丁重に令嬢の同行を阻んだ。それでも「あら、私、何かお手伝いいたしましょうか?」と令嬢が食い下がる。そうこうしているうちに他にも数人の令嬢達がキリトの行く手をさえぎり、心配そうな瞳をギラギラと執拗に輝かせて侯爵の肩にすり寄ったり、汚れた胸元に手を当てようとしていた。

その光景を複雑な心境で見ていたアスリューシナが無自覚に自分のドレスの端をギュッ、と掴む。同じくキリトゥルムラインと彼を取り囲む令嬢達の不躾な振る舞いにこっそりと同情の視線を送っていたユージオが鼻から小さく息を吐き出した。

 

「あーあ、あれじゃあキリトがますます不機嫌になっちゃうな」

 

その言葉にキリトゥルムラインの姿を見ていられず俯き加減に視線を落としていたアスリューシナが顔を上げる。意外だと言いたげに問いかけてくる瞳に向かい、優しく微笑んでから「だってそうでしょう?」と可笑しそうに目を細めた。

 

「本当にキリトの事を思うなら先程のユークリネ公爵令嬢様のように汚れた衣類の替えを優先させるべきなのに、あれでは……」

 

立ち止まったままのキリトゥルムラインに二人が視線を合わせた時だ、アスリューシナの私室でくつろいでいる時には聞いたこともないような低い声が吐き出される。

 

「いい加減にしろ」

 

どの令嬢の顔も見ず、独り言のように呟いた言葉に取り囲んでいた彼女達の動きがぴたり、と止まった。その一瞬の間をついて素早く包囲網から抜け出したキリトゥルムラインは何事もなかったかのようにルーリッド家の従者に先導を任せ、足早に広間から出て行く。

一部始終を観覧していたユージオはふうっ、と息を吐き出すと肩をすくめてアスリューシナに向き直った。

 

「まあ、彼女達の気持ちもわからなくはないですけどね、自分のため、家のため、より上位の貴族と縁を持ちたいのは当然ですから。今宵、ユークリネ公爵令嬢様を伴ってきた事でキリトの女性に対する態度が緩くなったと思ったのでしょう……とんだ見当違いですが……どちらかと言えば折角今まで空いていた彼の隣が既に埋まってしまったと判断すべきなのに……」

「ですが……男性ならあのようにお美しい女性が近くにいらしたら嬉しいのでは……」

 

だから王都にはわざわざ貴族専用の高級娼館というものまで存在するのだろうし、とアスリューシナは小首を傾げる。公爵令嬢の反応に「あれ?」と冷や汗をかきそうな笑顔でユージオは親友が手に入れたと思っていた花に説明を始めた。

 

「あ、ええっと……まあ、そうですね……一般的に嬉しいか嬉しくないか、と問われれば嬉しいと答える男性が多いと思いますが……」

 

自分は一体何を言おうとしているのだろうか?、と疑問符を抱きながらも目の前で小さな顔を納得の表情で上下させているアスリューシナにルーリッド伯爵家の三男坊は必死に友のため、言葉を尽くす。

 

「ですが、好意を寄せてくれている相手なら誰でも嬉しいかと言えば、そういうわけでもなく……」

「そう……なのですか?」

 

なぜかアスリューシナの眉が寂しそうに下がった。「ええっ!?」と内心、驚きと焦りが交錯しているユージオは更にまくし立てるように早口で続けた。

 

「やはりその相手に自分も好意を抱いているかどうかが一番重要ではないか……と」

 

そこまで言い切って、ふうっ、と肩まで動かして息を深く吐き出したユージオは初めて会った時のような穏やかな笑みを湛えてアスリューシナを正面から見つめる。

 

「それは女性も同じなのではないですか?」

 

そう問われて、キョトンと薄いアトランティコブルーに染まった瞳を丸くしたアスリューシナは次に何を思ったのか、ぽっ、と頬を淡く染めた。その反応をホッとした気持ちで受け止めたユージオが更に言葉を重ねる。

 

「公爵令嬢様もキリトが傍にいる時といない時とでは表情が違いますからね」

 

アスリューシナが恥ずかしそうに視線をはずして「そう……ですか?」と小さく呟けば安心したように優しい声が肯定する。

 

「はい、公爵令嬢様のお相手はしておく、なんてキリトに言った事を後悔しているくらいですよ。僕では全くの役不足のようですから」

「そのようなことは……」

 

慌てて否定の言を述べようと顔をユージオに向けた時だ、彼の肩越しに挑むような視線を感じ、思わず周囲に目をやれば、こそこそとこちらの様子を覗っている令嬢達のグループがあちらこちらに存在している事に気づき、違う意味でアスリューシナが声を上ずらせる。

 

「ユ、ユージオ様、今宵の主役がいつまでも一所(ひとところ)に留まっていてはいけませんわ」

「いえいえ、キリトとの約束ですから……戻ってくるまでそれほど時間はかかりませんよ」

「ですがユージオ様を独り占めしていると、私が他の皆様から恨まれてしまいますもの」

 

必死の願いにユージオは困り顔で小さく笑った。

 

「僕としてはこのまま他の令嬢方のお相手などせず公爵令嬢様と楽しく喋っていたいのですが……」

「ユージオ様、ルーリッド伯爵様とのお約束、お忘れではないですよね?」

 

力のこもった目で見つめられ、ユージオは観念したように大きく息を吐き出す。

 

「はあぁっ……実はこの夜会の件、あの方の耳にも入ってしまい随分と機嫌を損ねているんです。これで僕が愛想を振りまいたなどと適当な噂が耳に入ったら何を言われることか……」

 

いきなり子供のように本当に困り果てた表情に転じたユージオを見て、アスリューシナは思わずクスッ、と喉の奥で息を跳ねかせた。

 

「本当に、大切に思っていらっしゃるのですね」

「……そうですね、臣下である貴族の三男が過ぎた感情を抱くことすら罪に近いのに、伸ばした手を同じ気持ちで掴んでもらえたのですから、こちらはもう離すまいと必死なんです」

 

自嘲するような笑みの後「互いに想い合える相手と出会えるなんて、この世界では難しいですからね」と独り言のように零した言葉を聞き、アスリューシナは深く、ゆっくりと頷いたのだった。




お読みいただき、有り難うございました。
何やら動き始めたようです。
(二ヶ月ぶりの更新は緊張しますね)

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