漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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渋々アスリューシナの元から離れたキリトゥルムラインに代わり、相手役を
務めていたユージオだったが……


22.指輪(6)

友であるキリトとの約束を守りたいのか、はたまた自分の想い人の心情を慮って他の令嬢と接したくないのか、頑なにアスリューシナの隣を離れようとしない今宵のホスト役であるユージオに向かい、アスリューシナは心が僅かに痛むものの少々強引に彼を突き放した。

 

「私に対するオベイロン侯爵様の事は皆さんご存じでしょう?、そして今宵はガヤムマイツェン侯爵さまにエスコートしていただいたのですもの、更にここでユージオ様を独占してしまったら……私の立場もお考えください」

 

そう言われてしまってはこの場に留まっている事も出来ず、不承不承ではあるがユージオはアスリューシナの元から足を踏み出す。

くれぐれもこの場から離れぬようにと言い聞かされたアスリューシナは、優しくて、でもどこかキリトゥルムラインと似たような芯の強さを持つアッシュブラウンの後ろ髪を見送ってからそろり、と周囲を見渡した。

ユージオが自分の傍を離れたのに合わせて令嬢方の対応も色々だった。

アスリューシナに関心を薄めた者は目標を夜会の主役である伯爵家の三男に定め、行動に移し、そこまでの行為に及ばずとも戸惑いの顔を寄せ合わせているグループもあり、しかし未だ眉をひそめたままアスリューシナから視線を外さない令嬢も少なくはない。

それらに混ざって男性からの色めき立った視線も数多くあったのだが、その意味がアスリューシナに届くことはなく、彼女は全てを居心地の悪い空気と捉えていた。少しの息苦しさを覚えて、これが周囲から寄せられる自分への感情のせいなのか、もしくは髪の染色によるものなのかが判別出来ず、胸に手をあて大きく深呼吸を一回してからキリトゥルムラインが消えた広間の奥へと視線を巡らせる。

心細さを振り払うように軽く頭を振ってからアスリューシナは先刻のルーリッド伯の言葉を思い出していた。

 

(確か、向こうのバルコニーの先にも小園があるっておっしゃってたわよね)

 

広間の一角が全面ガラス張りとなっており、その向こうには夜会のもてなしのひとつとしてライトアップされた幻想的な庭園が広がっている。近くに行かずともその明かりの多さはガラスに反射してキラキラと輝き、夜会会場の装飾としても役を担っていた。

誰に聞くことなく庭園への入り口を見つけたアスリューシナはもう一度だけ広間の奥を確認してからそっと足を踏み出す。

 

(キリトさまが戻ってくる前に、ほんの少しだけガラスのこちら側から覗けないかしら……)

 

花のように美しい令嬢方から棘のような尖った視線を浴びているよりは本物の花を目にして心を静めたくて、アスリューシナはこっそりと小園の入り口近くの柱の陰に身を隠した。

柱のお陰か、目に付かない場所へと姿を隠した令嬢をいつまでも気にしているほど余裕がないせいか、痛いほどの視線を感じなくなって僅かに気が緩む。ただ小園を彩っているであろう花々を想像する事だけに意識を向けて目を凝らすとガラス戸の向こうに淡い光に照らされた色とりどりの薔薇が宝石を散らしたように煌めいていて知らずに頬が紅潮した。

 

(……綺麗)

 

ガラスに近寄りたい衝動を堪え、柱の陰から食い入るように薔薇を眺める。ユークリネ公爵家にももちろん立派な庭園が存在するが、これほど屋敷の建物近くにはないので、いつもは階上の窓から見下ろしている。自分が住んでいる屋敷と言えど、庭に出て誰かに姿を見られる可能性があるなら、それすらも控えなければならないとわかっているアスリューシナは、自らの手で庭にある葉も蕾も花にも触れたことがなかった。その代わり、心優しい庭師達がその時々に咲いている花を令嬢の私室に届けてくれる。それを見て心を温めていたアスリューシナだったが、時折、幼少の頃に過ごしていた祖父である辺境伯の庭を思い出し、そこを従兄弟達と駆け回っていた記憶に懐かしさがこみあげる事もあったのだが……そんな風に過去の記憶をぼんやりと頭に浮かべながら薔薇を見つめていると、突然、自分が身を寄せている柱の向こう側に何人かの令嬢達が集まったのだろう、随分と憤った会話が耳に入ってきた。

 

「ユージオ様ったら、本当にこの夜会でお相手を選ぶお気持ちがあるのかしらっ」

「ふふっ、ご自分が相手にされなかったからって、その言い様は失礼よ」

「私だけじゃないわ、どなたに対しても同じですもの」

「同じ……でなかったのは、先程までご一緒にいたユークリネ公爵令嬢様ぐらい?」

「……そうね……随分とご親密にお話をされていたようだったわ」

「私、侯爵令嬢様のお姿を拝見したの、初めてなのだけど……」

「私もよ」

「お身体が丈夫ではないそうだから、夜会や舞踏会にもいらっしゃらないものね」

「この前の王城での夜会には珍しく兄上さまと登城なさって随分と話題になったと父が申していたし」

「だって数年前の社交界デビューの夜会であのオベイロン侯爵様が一目惚れなさったんでしょう?、それ以来、全くと言っていいほど社交界にはお出になっていなかったのに、先月の王城の夜会に見えたと思ったら、あっという間に退城されて、それで今度はユージオ様のお相手探しの夜会にこともあろうかガヤムマイツェン侯爵様とご一緒にいらっしゃるなんて……随分と私達を見下していらっしゃる方ですわ」

 

アスリューシナの呼吸が一瞬止まって、すぐさまドキドキと早鐘を撞くように呼吸が乱れ始める。

 

「私達のように夜会や舞踏会に参加して上級貴族の殿方の目に留まるよう努力するなんてご自分には必要ないとおっしゃりたいんでしょう」

「三大侯爵のお二方を手にしていらっしゃるんですものね、私達の姿などさぞ滑稽に見えているに違いありませんわ」

「まあ、あれだけお綺麗な方ですもの、夜会に出なくとも病がちでも殿方の方から寄ってくるのではなくて?」

「はぁっ、羨ましい」

「本当に……」

「私なんて次の誕生日までにお相手が見つからなかったら、昨年、奥様に先立たれた三十も年上の伯爵様の元へ嫁ぐことになっていて……」

「それなら私も、うちの領地より遠い辺境伯と話がまとまりそうなの。そうなったら二度と王都にも来られなくなるわ」

「縁談のお話があるだけ私より贅沢よ……」

 

口々に自らの身の上を嘆く話ばかりが出だした頃には、カチャリと静かにガラス扉を開けたアスリューシナの姿は外のバルコニーへと消えていた。

 

 

 

 

 

開けた時と同じように音を立てぬよう扉を元に戻すと、くるり、とバルコニーを見渡して人影を探す。

幸い、アスリューシナの他に夜会会場を抜け出してバルコニーに出てきている者はいないようだ。それでも広間の近くにはいたくなくて、すぐさまタタタッ、と端の手すりまで歩み寄る。小園を眺める為に設計されたと思われるバルコニーは奥行きよりも横に長く、手すりはアーチ型にカーブを描いて庭園に突き出しており、薔薇を鑑賞する人々の視界に庭全体が収まるようになっていた。

昔、祖父の屋敷の庭を全力で走った時のように心臓がバクバクと跳ねて胸が苦しくなり、全身を這い回る震えのせいで立っていられなくなったアスリューシナはペタリ、と手すりに背を預けて座り込む。そのまま背中を丸めてうずくまった。

両手で胸元を押さえ懸命に息を整えるが染色のせいとはまた違う苦しさはなかなか収まってくれない。

ここなら照明の明かりも届かず広間からはガラスを覗いた程度では気づかれないだろうが、それでも少しでも早く平静を取り戻すためアスリューシナは懸命に身体と心を宥めた。

 

『随分と私達を見下していらっしゃる方ですわ』

『夜会に出なくとも病がちでも殿方の方から寄ってくるのではなくて?』

『上級貴族の殿方の目に留まるよう努力するなんてご自分には必要ないとおっしゃりたいんでしょう』

 

きつく閉じていないと口から飛び出してしまいそうな否定の言葉を無理矢理に抑え込む。

デビューの夜会以来、社交界には参加せず出掛けるのは居心地の良い中央市場だけ。それ以外は屋敷からも出ず、それでも何不自由ない生活を送っていられるのは裕福な公爵家の令嬢だからだ。加えて人も羨む三大侯爵家のオベイロン侯から求婚の申込みを貰っている。そして同じ三大侯爵家のガヤムマイツェン侯爵とも繋がりを示せば、貴族と言えど経済状態が貧窮している家からしたら嫉妬と羨望の的になるのは当たり前だった。

 

(もう、屋敷に戻ろう……)

 

キリトゥルムライン候は送り届けるまで傍にいてくれると言っていたが、アスリューシナは今すぐにでもこの場から立ち去りたくて、ひとつ深呼吸をしてからゆっくりと顔を上げる。

ルーリッド伯爵家の誰かにキリトゥルムラインへの伝達を頼み、屋敷まで馬車を出して貰えれば問題はないはずだ。勝手に帰る事に僅かな罪悪感を感じるが当初の目的であったユージオとの対面は果たせたのだからキリトゥルムラインが困ることはないたろう、とアスリューシナが立ち上がろうとした時、庭園の隅からボソボソと低い話し声が風に乗って聞こえてきた。




お読みいただき、有り難うございました。
お喋りをしていた令嬢の皆さん……別に意地悪なお嬢さん達では
ないんですよ。事情を知らなければアスリューシナがやっている事は
そういう風に見られて当然なんです。

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