漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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夜会からルーリッド公爵邸へ戻る馬車の中でのキリトゥルムラインと
アスリューシナは……。


26.指輪(10)

キリトゥルムラインに抱きかかえられた状態のままユークリネ公爵家へと戻る馬車の中、アスリューシナは目を閉じて小さく、小さく、身を縮込ませた。強張っている身体をドレス越しに感じたキリトゥルムラインが髪の染色による副作用の悪化を懸念して小さく問いかける。

 

「アスナ?、具合、ひどくなってるのか?、もっとよりかかっていいぞ」

 

俯き加減で顔色は見えないが、胸の上で組み合わさっている両手は固く握りしめられていた。すると口元からひどく震えた声が漏れてくる。

 

「……あの……重く……ないですか?」

「えっ?」

「ですから、こうして私を……」

 

自分がキリトゥルムラインの膝の上にいるという体勢が目眩に加えて更なる緊張を生んでおり、アスリューシナはいつもよりギュッと目を瞑っていた。しかしそこに「クスッ」と笑うキリトゥルムラインの声がこぼれおちてくる。

 

「まさか。夜会用のドレスを纏っていても重いうちに入らないさ。騎士の式典用盛装なんてこの何倍もの重装備なんだぞ。ゴチャゴチャと余計な装飾が多いからな」

 

それを聞いてアスリューシナは目元の力を抜き、僅かに顔を上げて何を想像したのか口元を緩めた。

 

「キリトさまも、盛装をされる事が?」

「称号の授与式の時はいやでも盛装なんだ。あとは騎士団に所属していれば建国祭のパレードでも盛装での参加が決まりだけど、オレは所属してないから」

「小さい頃に、一度だけ、見たことがあります」

「城外での国王のパレードを?」

「はい、父には内緒で兄と一緒に。先頭の騎士様が、とても立派な出で立ちを、なさっていて、それに……太い剣と大きな盾をお持ちでした」

「うーん、先頭だと第一騎士団の団長だよな。その頃の団長で大きめの盾なら……ああ、ヒースクリフ侯爵か」

「……あの方も、騎士の称号を?」

 

目を閉じたまま少し意外そうに問いかけるとすぐに「ああ」とキリトゥルムラインから肯定の言葉が返ってくる。

 

「とっくに引退されたけどな。剣だけでなく盾とを併用した剣技で神業と言われたらしい」

「剣と盾……キリトさまも、両方をお使いに?」

「いや、オレは盾を持たない主義だから……」

「主義……ですか…………その言い方、なんだか、あやしいですね……」

 

そう言ってアスリューシナは可笑しそうに口元を緩ませたが、反対に見えているはずもないのに焦り顔となったキリトゥルムラインは早々に話題を変えた。

 

「そ、それよりそんなに喋ってて大丈夫なのか?」

「はい、こうして、身を預けさせていただいていると、大分楽です」

「だったら……」

 

アスリューシナを揺らさぬよう慎重に、抱きかかえている両手のうち背中から肩へと伸びている手を僅かに動かして彼女の頭を自分の胸元によりかからせた。

 

「この方が首の負担が減るだろ?」

 

以前よりもより一層密着した体勢を強いられて恥ずかしさは増すが、確かに息も楽になって……アスリューシナは素直に「はい」と認めてからいつも侯爵が自分の私室を来訪してくれた時のように片頬を寄せる。馬車という狭い空間の中で歳の近い青年に抱きかかえられて安堵感を覚えるなんて、ほんの少し前までの自分と比べれば信じられない状況だった。

あの時はまさか鶏肉を口に咥えたまま市場内を走っている青年が三大侯爵のお一人だなんて思いもしなかったけれど……とアスリューシナは改めてキリトゥルムラインを最初に見た日を思い出す。

あの日、キリトさまは指輪を盗った小男を追いかけて……とそこまでを思い起こして、ピタリ、と思考が停止した。

 

「キ、キリトさまっ、指輪っ」

 

ルーリッド伯爵邸の小園でキリトゥルムラインと合流してから暗闇を自覚したり、その後、体調不良に見舞われたり、加えてその都度寄せられる彼からの熱で色々といっぱいいっぱいになっていたアスリューシナだったが、自分がバルコニーから小園へと降りた理由を思い出して思わず瞼を押し上げて顔を上向ける。

予想していた以上の至近距離にキリトゥルムラインの顔があって、覗き込まれるように注がれていた視線が自分のものと重なるが、今は指輪の事を伝えなければ、と恥ずかしさを追いやり真っ直ぐに見返すと、ふいに侯爵が申し訳なさそうに微笑んだ。

 

「大丈夫だから、アスナ。落ち着けって……ほら、目を閉じて……」

 

ゆっくりとキリトゥルムラインの顔が降りてきて、瞳の艶めいた漆黒の深さに我も忘れて魅入って動けずにいると、いつの間にか鼻先が触れてしまいそうなくらいの距離に気づいたアスリューシナは慌てて目を瞑った。

途端に閉じたばかりの瞼の片方に柔らかくて少し湿った感触が軽く押し付けられる。

 

「ひゃっ」

 

すぐにその感触は離れていったが、その正体を確かめる勇気の出ないアスリューシナは瞼を動かさずに震える唇で「キリトさまっ」と羞恥と怒りを混ぜ込んだ声を発した。

 

「ルーリッド伯爵様のお屋敷でもそうでしたが……戯れに触れないで下さい」

「戯れ?」

「夜会の場で皆様方がいらっしゃるのに……腰を引き寄せたままだったり……髪に……その……」

「ああ……こんな風に?」

 

何が言いたいのかをやっとわかってもらえた、とアスリューシナが思うと同時に先程と同じ感触が今度は前髪ごしに額へ落ちてくる。

 

「うぅっ」

 

瞳を閉じているせいでキリトゥルムラインとの距離感がつかめず、身を縮込ませるしかないアスリューシナはそれでも決して嫌悪感を抱いているわけではない自分の有り様に戸惑い、知らずに、ふぅっ、と緊張で止めていた息を強めに吐き出した。それを身体の不調からくる息づかいだと勘違いしたキリトが少し神妙な声音で「ごめん」と謝罪を口にする。

 

「別にふざけてるつもりはないんだけどな……でも、もう大人しくしてるから」

 

あやすように肩をポンポン、と軽く叩かれてアスリューシナはもう一度、今度はゆっくりと深く呼吸をしてドキドキと高鳴っている心臓を落ち着かせる。彼女が再び己の腕の中で強張っていた力を緩めたのを確認してからキリトゥルムラインは今夜の余興について語り始めた。

 

「アスナも気づいたみたいだけど、小園にいた男達のうち、一人は前に中央市場で……」

「はい、キリトさまの指輪の入った布袋を盗んだ男ですね」

「ああ、あの時の失敗を取り戻そうと、伯爵邸に滞在していたオレの部屋へ仲間と忍び込んで来たんだろうな、けど、もともと今夜の事はこっちが仕組んだことなんだ」

 

打ち明けられた内容にピクリと眉が動いたが、今宵、キリトゥルムラインが口にしていた「余興」という言葉が何とはなしに引っかかっていたアスリューシナは声を出さずに話の続きを待った。

 

「身内の恥をさらすようだけど、未だにオレが侯爵の位に就いている事を快く思っていない親族がいてさ。多分……ガヤムマイツェンの屋敷内にもそっち側の人間がいるんだろうな。でなきゃオレが市場へあの指輪を持って行った情報を仕入れるのなんて不可能だし……で、前回はあの男を取り逃がしたから、今回は伯爵に夜会の場を提供してもらって奴らをおびき寄せたんだ」

「……でしたら、盗まれた指輪は……」

「もちろん偽物。袋の方は普段から本物を入れておいた……ほら、アスナにも指輪と一緒に見せた事あったよな。けど、中身は何でもルーリッド伯爵邸で窃盗をはたらいたとなれば、伯爵家の名にかけて容赦なく調査が出来るだろ。うちの屋敷で罠をはると内通者の妨害にあう可能性があるから……」

 

警備にユージオが隊長を務める第四騎士団の騎士達がまぎれていたのを知るのはごく一部の者達だけだったが、彼らなら屋敷の外でも権力を行使できる。盗人の追跡を任せておけばその先の首謀者にまで辿り着く事は間違いないだろう。

 

「ただ、今回は奴らも多少下準備をしてきててさ。同じように模造品を用意して、こっちが持っていた偽物とすり替えたんだ。だからオレが直接確かめなきゃならなくなって……」

 

冷静に考えればあの小男と仲間の男は偽物同士を交換しただけなのだが、それでも伯爵家に忍び込み賓客であるガヤムマイツェン侯爵の部屋から物を盗出したのだ、今度こそそれ相応の罰を受けることになるだろう。

キリトゥルムラインからの説明で事の次第を理解したアスリューシナは安心したようにほっ、と息を抜いてから侯爵が夜会の広間から中座した理由に納得する。しかしすぐさまそれまでとは一段階低くなったキリトゥルムラインの声が閉じている瞼越しに伝わってくるほどの強い視線と共にアスリューシナへと落ちてきた。

 

「けど、すぐに戻るってオレは言ったよな、アスナ」

 

殺気のような痛い気を感じ取ってアスリューシナは、ひぅっ、と息を飲み込んだ。

 

「なのにわざわざ自分から小園にまで降りて不審者達の後をつけるなんて、偶然オレが見かけなかったらどうなっていたか……そもそも市場で男を転ばせたり、今夜のように追いかけて行ったり……もしかしてアスナもガヤムマイツェン家の指輪を狙ってるのか?」

 

本気でないとわかってはいるものの、あながち冗談とも取れない声遣いにアスリューシナが慌てて否定の言を述べようとした時だ、小さな溜め息が瞼に圧をかけ、すぐそこにキリトゥルムラインの顔がある事を認識させられる。開こうとしていた瞼は逆に眉間に皺が寄るほど固く瞑られ、つられるように上下の唇にも力がこもった。しかし続いて耳孔へともたらされた息は微風の量で……外からの音も空気の流れも遮断されている馬車内には不必要な至近距離が……しかしだからこそアスリューシナを確実に刺激する。

 

「アスナになら、あげるよ。オレの持っている侯爵の指輪と対の指輪を……」

 

息と共にそっと吹き込まれた言葉の意味をアスリューシナが理解するより早く、顔を上げたらしいキリトゥルムラインの緊張感を失った声が覆いかぶさった。

 

「あれ?……でも……どこに…………ああぁっ」

 

何やら一気に脱力した雰囲気となったキリトゥルムラインに向け、おずおずと瞳を向ければ見上げた状態でも彼の顔が憮然としているのがわかる。どうしたのかしら?、と気になったアスリューシナが躊躇いがちに「キリトさま?」と呼びかければ、ちらりと目線を下げた侯爵は思いっきり不本意そうな瞳で「近々、領地に戻らなきゃいけない」と唐突に告げてきた。




お読みいただき、有り難うございました。
やはり団長職といえばヒースクリフ(侯爵様)ですよね。
ただ、しっかりと勤めを果たしていたのかどうかは不明ですが……
ここでも副団長に丸投げだったりして……。

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