漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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ルーリッド伯爵家の夜会の後日、アスリューシナのもとを訪れた
キリトゥルムラインは……。


29.触れる心(1)

ルーリッド伯爵家での夜会からきっちり五日後の夜、キリトゥルムラインは予告通りいつもの様にユークリネ公爵家のバルコニーへ足音も立てずに樹枝から反動をつけて飛び降りるとアスリューシナの私室のガラス扉の前まで歩み寄る。はやる気持ちを一呼吸置くことで幾分落ち着かせてから約束の合図を送った。

ガラスをノックした手を下げきる前に分厚いカーテンがゆらめき、徐々に左右へと分かれて、その隙間から背後の月明かりに照らされたアスリューシナの小さなかんばせが現れる。これまでは待ちわびていたような、どこか期待めいた笑顔で出迎えてくれていた彼女だったが、今夜は戸惑うような瞳のままキリトゥルムラインの姿を認めた途端、俯いてガラス扉の鍵へと手を伸ばした。

キィッッ、と僅かな音を立ててキリトゥルムラインがガラス扉を開けても、目の前のアスリューシナは下を向き、両手を前で合わせたまま静かに佇んでいる。ゆっくりと公爵令嬢の私室に足を踏み入れた侯爵は後ろ手に扉を閉めてから両腕を広げる代わりに首を傾げ、「アスナ?」と小さく彼女の名を口にした。

周囲からは親友と認知されている同い年の騎士団長ならこんな時も迷うことなく適切な言葉が出てくるのだろうか?……とキリトゥルムラインは特に女性に対する感情の機微に疎い自分に内心頭を抱えながら、それでも数日前、最後に見たアスリューシナの姿を思い出せばすぐにでも体調を確かめたくて、自ら足を動かして一歩近づく。その気配に気づいたアスリューシナが少し怯えるように顔を上げた。

しかし一向に彼女への応対が思いつかないキリトゥルムラインは声を掛けることなく、ただ傍にいきたくて彼女の目の前まで歩み寄る。そこでようやくアスリューシナの表情に戸惑いの中にも抑えきれない揺らめきが潜んでいることを見つけ、両手の指はせわしなくコチャコチャと動き続けている事に気づいた。途端、キリトゥルムラインが笑顔となり、もう一度、問いかけると言うよりは呼ぶように「アスナ」と言うと、意を決したように彼女も一歩を踏み出す。

まだ幾分迷いが混ざっているヘイゼルの瞳が今度こそまっすぐにキリトゥルムラインと視線を交合わせると、ようやく少しだけ嬉しそうに弧を描いた。

堪らずにその華奢な身体を抱き寄せると、「きゃっ」と小さな声をあげるがすぐに身体を預け自らの頬をキリトゥルムラインの胸元にすり寄せる。抱きしめ合う為に今まで何回も繰り返してきた問いかけも返答ももう必要なかった。

言い訳も口実もいらずに互いのぬくもりを分け合える事が嬉しくてアスリューシナを抱きしめる腕にいつもより力を込めてしまった時だ、何かに気づいたように彼女の全身がピクリと震える。

その反応に驚いてすぐさま力を緩め、覗き込むようにアスリューシナに顔を寄せた。

 

「ご、ごめん。痛かったか」

「あ、いえ……」

「体調も万全じゃないんだろ?、顔色もまだ少し良くない」

「室内が薄暗いせいです。それに今日から……ちゃんと食事だって……」

 

そうは言われても今夜もアスリューシナの部屋にはたくさんの燭台が灯っている。加えて彼女の口ぶりにひっかかりを覚えたキリトゥルムラインは真面目ぶった声で「食事って?」と更に問いかけた。

 

「ス……スープを……飲めるようになりました」

「……なら昨日までは何を口にしていたんだ?」

「……ずっと……薬湯を……」

「薬湯だけっ?、ユージオの夜会から帰ってきて四日も薬湯ばかり飲んでたのか?」

「……いえ、最初の二日は何も口に出来ず……」

 

アスリューシナからの言葉が終わらないうちにキリトゥルムラインは彼女を横抱きに持ち上げ、大股にソファへと移動した。

 

「キ、キリトさまっ」

「ったく、更に軽くなってるぞ。そんなんじゃ立ってるのだってやっとだろ」

「気のせいですっ、今は夜会用のドレスではないので軽く感じるだけですっ」

「……意地っ張りなところは相変わらずか」

 

呆れながらも苦笑しつつ、そっとソファにアスリューシナを座らせたキリトゥルムラインは密着するようにすぐ隣に腰を降ろし、その細くて真っ直ぐな指を自分の手に絡める。

 

「震えは……ないな」

「ですから……本当にもう大丈夫なんです」

「どこがだよ。ここまで体調を崩すってわかってたらユージオの頼みなんかきかなかったのに……」

 

いくつもの感情がパタパタと重なってキリトゥルムラインの眉間にくっきりと皺を刻んだ。積み上げられた感情の中から一番強い気持ちを苦しそうにアスリューシナへ告げようとすると少し怖い顔が目の前に現れる。

 

「謝らないでくださいね」

「え?」

「ですから、キリトさまがそんなお顔をする必要はないんです。こうなるとわかっていて夜会のご招待を受けたのは私ですし、サタラを始め、私付きの侍女達もみんな私が夜会に出向く事をとても喜んでくれて……なのでここは……」

 

繋がっている手を自らもそっと握り返したアスリューシナは誰もがうっとりとしそうな笑顔をたった一人に向け、「楽しかったですね、夜会」とキリトゥルムラインを包み込んだ。その笑みと言葉を驚きで受け取ったキリトゥルムラインの心と顔がほんわりと温かくなる。

 

「あ……ああ、そうだな。夜会が楽しいなんて今まで思った事もなかったけど……うん、確かに、あれは色々と楽しかった」

 

いつものニヤリとした笑みが戻ったキリトゥルムラインを安心したように見つめていたアスリューシナだったが、「夜会」で思い出した気がかりを少し覗うような瞳で口にした。

 

「それで……あの者達は?」

 

それだけで彼女が何を気にしているのか悟ったキリトゥルムラインは「大丈夫」と大きく頷く。

 

「ちゃんと解決したから……あの夜はユージオが文字通り東奔西走してくれて、オレはルーリッド伯爵邸に戻ってからはひたすら被害者ぶって大人しくしてたんだけど、あいつの方は言い寄ってくる令嬢達をやんわりとかわしながらあっちこっちに指示を飛ばして……」

 

その時の親友の必死な姿を思い出したのだろう、楽しそうにくっくっ、と喉を鳴らしながら語るキリトゥルムラインにアスリューシナは批難めいた視線を送った。その視線に気づいた侯爵はコホンッ、とわざとらしい咳払いをして笑い声を封じ、穏やかな笑みとなる。

 

「ガヤムマイツェンの屋敷の方もすっきり片付いた。これで目や耳を気にせず落ち着ける環境になってきたよ」

 

くつろいだ様子にアスリューシナもホッ、と息を抜いた。しかしその瞳は再び疑問を抱え込む。

 

「あと、先程感じたのですが……キリトさま……腕を、どうかなさいましたか?」

 

気づかれるとは思っていなかった変調を指摘されて僅かに目を見開いたキリトゥルムラインだったが、真っ直ぐな問いかけに誤魔化しは諦めて苦笑いで返した。

 

「ああ、今日の昼間、今回の騒動の報告をしに王城へ出向いたんだけど、『剣の塔』でユージーン将軍につかまってさ……」

「ユージーン将軍と言えば『剣の塔』に在籍している騎士の皆さんの指南役を務めていらっしゃる……確か兄上様も王城にお仕えですよね?」

「うん、兄のモーティマー博士は知識の泉と称される人物で、こっちは『法の塔』の顧問を務めてる。二人共、表向きは要職ではなく相談役と言った立場なんだけど、ユージーン将軍の場合、全騎士団と関わっているから末端の騎士団員とさえも信頼関係が深い。その為、段取りをすっ飛ばした独自の命令系統を持ってるんだよ。純粋な強さで言えば各騎士団長の方が上なんだろうけど、部下の騎士達の修練とか任せっきりの団長も多くてさ……」

 

そこまで言って小さく「特にあそこの騎士団長とかなぁ……」と付け足すキリトゥルムラインを見つめながらアスリューシナは首を傾げる。

 

「キリトさまは騎士団に所属されていないのにユージーン将軍と懇意なんですか?……」

「うーん……まあ再三騎士団に誘われるから出来るだけ顔を合わさないようにはしてるんだけど、今日はユージオの所へ顔を出した帰りにうっかり捕まって剣の相手をさせられたんだ」

「将軍のお相手ですか……」

「騎士団の連中だとヘタに怪我させてもマズイんだろうが、オレだと団員としての任務がないから容赦なく剣を振るえるだろ……そんな関係だよ」

 

言外に「察してくれ」と言われたような気がしてアスリューシナの笑みが苦笑に変わる。

 

「えっと……要は、多少怪我を負わせても騎士団としては痛くも痒くもないから、ユージーン将軍にとっては遠慮無く剣術の相手を頼める存在、といったところ……でしょうか?」

 

キリトゥルムラインの目がどんよりとした事で肯定と受け取ったアスリューシナは身体を侯爵へと向き合わせて、空いている手をそっとその腕に伸ばした。肘の少し下を触れると筋肉が強張ったのがわかる。すぐに「大したことはないよ」と柔らかい声が落ちてきて、顔を上げればキリトゥルムラインが少し恥ずかしそうに笑っていた。

 

「将軍の剣を受け流す時ちょっとタイミングが甘かったみたいで、筋を軽く痛めただけだ。普通の手合わせでもよくあることなんだけど将軍の剣は重さが違うからな。屋敷には例の塗り薬もあるし……ただ……」

「ただ?」

「明日、領地へ向けて発つんだけど、長時間の馬の扱いが少し……」

 

途端に不安そうな表情となったアスリューシナを見て、キリトゥルムラインがあわてて言葉を繋ぐ。

 

「ああっ、別に馬を制しきれなくなったりはしないからっ。ただ今回は多少強行軍で行く予定だからいつもより長く馬に乗るってだけで……」

 

あたふたと言葉を足してくる侯爵に心配そうな瞳のままのアスリューシナが躊躇いがちに問いかけた。

 

「移動を馬車で……とはお考えにならないのですか?」

 

自分の感覚で言えば距離に限らず屋敷の敷地から出る場合は常に馬車なのだし、それこそ父も兄も外出時は馬車を使用している。馬車ならば座っていればいいのだから痛めた腕の回復にも好都合だろう。

しかしアスリューシナの疑問にキリトゥルムラインは軽く頭を振った。

 

「領主と言っても領地の年寄り達から見れば孫みたいな歳なんだ。幼い頃から知っている領民達の元へ帰るのに馬車でってのは……なんか抵抗があるんだよな……それに急ぎの旅になるからどっちにしても馬で行くしかない。本当にこれくらい、大丈夫だから」

 

そこまで言われてしまってはアスリューシナとしても口にする言葉が見つからない。安心させるように微笑むキリトゥルムラインを見つめながら彼女は静かに彼の腕をさすり続けた。




お読みいただき、有り難うございました。
初登場(?)のユージーン将軍とモーティマー博士ですっ。
お二人とも出番は……ないんですけどね(苦笑)
実はもう一人、初登場(?)の「あそこの騎士団長」さん。
こちらはずうっと先に出番が……あるかな?
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