漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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キリトゥルムラインが腕を痛めたまま領地へ赴くと聞いた
アスリューシナは……。



30.触れる心(2)

キリトゥルムラインの腕の状態と明日からの領地行きに関してこれ以上自分が何を言っても詮方ないと判断したアスリューシナはいつも通り隣室に控えているサラタを呼びお茶の支度を頼んだ。

すっかり恒例となってしまったアスリューシナ手作りのお菓子と共にお茶を飲みながら、キリトゥルムラインから領地に行くまでに見える景色や今時期のガヤムマイツェン領で目にする動植物の話を楽しそうに聞いていたアスリューシナがふと口にしていたカップの中身に視線を落とす。それから部屋の隅に控えていたサタラに向かって申し訳なさそうに声をかけた。

 

「サタラ、お茶のお湯を替えてきてくれる?」

 

そう指示されたサタラは一礼と共に「かしこまりました」と言うとお湯の入ったポットを手に令嬢の私室から出て行く。扉の向こうに消えたサタラを見送った後、キリトゥルムラインが少し意外そうにアスリューシナの言動に首を傾げた。

 

「そんなにぬるくなってたか?」

 

この位ならわざわざ替えさせるほどでは、と言いたいのだがアスリューシナにとってそれが当然の事なら、もてなしを受けている自分がとやかく言うことではないのだろう、と曖昧な口調で尋ねると彼女はより一層罪悪感に満ちた瞳で小さく「いいえ」と言いながらふるふると顔を振る。

それからゆっくり立ち上がるとキリトゥルムラインをその場に残し、壁際のチェストの前まで歩み寄った。一番上の引き出しを開け、中からキリトゥルムラインにとっても見覚えのある小さな容器を取り出す。引き出しを元に戻し、それを大事そうに両手で包んだまま再びキリトゥルムラインの隣まで戻ってきたアスリューシナは「腕を見せていただけますか?」と静かに微笑んだ。

一拍遅れて彼女の言う「腕」が昼間の将軍との手合わせで痛めた箇所の事だと気づいたキリトゥルムラインは素直に袖を肘までまくり上げて彼女の前に伸ばす。一見、異常はないように見えるが痛めたと思われる筋に沿って筋肉が不自然に盛り上がっていた。

アスリューシナは以前キリトゥルムラインが置いていった軟膏を少量すくい取り、そうっ、と差し出された腕の患部に乗せていく。細い二本の指でまんべんなく伸ばしてから患部の中央にぴたり、と手の平をあてて祈るように目を瞑った。

 

「……アスナ?」

 

それまでされるがままのキリトゥルムラインが不思議そうに彼女の名を口にするが、ロイヤルナッツブラウンの髪をさらり、と両肩から脇に流してうつむいたままの公爵令嬢は姿勢を崩そうとしない。何かに集中しているような真剣さを感じ取ったキリトゥルムラインも口を閉じてしばらく動かずにいると、室内の蝋燭の灯りに反射してキラキラと輝いている彼女の髪が眩しく、つい魅入ってしまう。

一時をただぼぉっと令嬢に見惚れたままどの位の時間が経っただろうか、ふいにアスリューシナが安心したようにひとつ大きく息を吐き出して顔を上げた。それから弱々しく微笑むと微かな声で「キリトさま」と呼ぶ。

 

「領地への道中、お気を付けて……私は、少し疲れて、しまい……ました。サタラが……戻ってきたら、謝って……おいて下さい……ちゃんと言う事を……聞いて……しばらくは……大人しく……して……る、か……らっ……て…………」

 

そい言うなり、グラリと身体を傾げキリトゥルムラインの胸元に倒れ込んだ。

 

「アスナッ!?」

 

慌ててその身体を支え彼女を抱きかかえた時だ、室内にノックの音が響き、新しいお湯の入ったポットを手にしたサラタが一礼をして入ってくる。

しかし部屋に足を踏み入れた途端ソファで密着している二人を目にしてピクリッと片方の眉が跳ね、次にキリトゥルムラインの表情を見てすぐに認識を改めた。手近にあったサイドテーブルにポットを置くとつかつかと足早に二人に近づき、チラリと横目でテーブルのティーカップ横に置いてある塗り薬の存在に視線を走らせる。

 

「あの、サタラ……アスナが急に……」

 

どう説明していいのかわからず混乱したキリトゥルムラインが助けを求めるように腕の中のアスリューシナとサタラを交互に見ていると、侍女頭の緊張を含んだ声が容赦なく侯爵の耳へと飛び込んできた。

 

「落ち着いて下さい、侯爵様……この軟膏はお嬢様が?……侯爵様、どこかお怪我をされているのですか?」

 

揺るぎない芯の通ったサタラの声を聞き、幾分落ち着きを取り戻したキリトゥルムラインは彼女の質問に「ああ」と頷いてから返答を頭で順にまとめて慎重に説明する。

 

「サラタが部屋から出て行った後、アスナが自らその軟膏を取り出して……オレが日中に剣の手合わせで少々腕の筋を痛めたから、そこに薬を塗ってくれたんだ」

 

サタラが何かを確信したように呆れと怒りの交じった溜め息をついて侯爵の不安に揺れる黒い瞳を直視した。

 

「軟膏を塗った……だけではなく、患部にしばらくお手を当てましたね」

 

まるで見ていたかのように告げてくる言葉にキリトゥルムラインが驚きを隠せず、目を見開いたままこくり、と頷きで肯定すると、いよいよサタラの顔つきが険しくなる。

 

「どうりで……私を部屋から追い出したかった理由がそれですか。今宵、私をお呼びになる前にお嬢様は侯爵様のお怪我をご存じだったのですね。ご自身のお身体も回復しきっておりませんのに、まったくうちのお嬢様ときたらっ」

 

プリプリと怒り出したサタラにキリトゥルムラインは下から覗うような視線を向けた。

 

「実は……倒れる前、アスナがサタラに謝っておいてくれって。しばらくは大人しくしてるから、と」

「当然ですっ」

 

一層眉を吊り上げて侯爵を睨み付けてくる侍女頭に、堪らずキリトゥルムラインはアスリューシナを抱き支えていた腕に力を入れる……が、そこで腕の違和感が消えていることに気づき、軟膏を塗ってもらった箇所をしげしげと眺めた。

 

「痛みが……ない……この軟膏、こんなに速効性があったか?」

 

今宵一番の大きな溜め息をついたサタラがさも当然と言いたげな口調で「お嬢様の手当のお陰ですね」と言い放つ。その言葉に今ひとつ納得しかねる様子の侯爵だったが、その思考を遮るようにサタラが侯爵に対するとは思えない態度に出た。

 

「では、侯爵様、お嬢様は未だ体調が万全ではございませんので、既にお休みになられたご様子。そのままソファに横たえていただき、今宵はこれまで、という事に……」

 

要は自分の敬愛する公爵令嬢はまだ病人で、なのに今夜は侯爵の来訪で無理をして起きていた為に倒れたのだから長居はせずさっさとこの場から立ち去りなさい、と言われているのだ。アスリューシナは楽しかったと言ってくれたが、体調を崩す原因となった夜会に誘ったのは自分で、五日経った今でも体調が戻りきっていない彼女の部屋へ半ば強引に訪れたのも自分……そう考えるとアスリューシナを盲愛しているサタラの怒り具合も納得せざるを得ない。

しかし、いつもならこの部屋から辞する時はアスリューシナがバルコニーのガラス扉まで見送ってくれて、少し寂しそうな笑顔に向け次の来訪日を告げると頬を染めて喜びを表してくれる顔を十分目に焼き付けてから去るというのに、なんとも離れがたく思ってしまう気持ちが悪あがきへとつながる。

 

「だったら、このままオレがアスナを寝室に……」

「結構でこざいますっ」

 

思わず「ですよね」と言ってしまうそうになる口をぴっちりと閉め、腕の中で気を失っているかのように何の感情も見せず目を閉じている彼女の寝顔を見てキリトゥルムラインはサタラに指示された通り、そうっと彼女を背中からソファに降ろした。その行為に対し頭を下げたサタラだったが口調が和らぐことなく「あとはキズメルと侍女達で対処いたしますので」と言われれば令嬢の寝室になど入れてもらえるはずない事は、時として無茶無謀の行為にでるキリトゥルムラインでもわかりきっていて、領地を往復するしばらくの間、彼女の顔も見られず、声も聞けず、髪にも触れられない事実にがっくりと肩を落とす。

しかし全ては自分が望むこれからの為、と思い、身を屈めてアスリューシナの髪をさらり、と撫でて「すぐに戻ってくるから」と小声で誓った。それからサタラに向き直り主のような口ぶりで今後の事を伝える。

 

「往復の移動も含めて一ヶ月ほどの予定だが、出来るだけ早く王都に帰還する。留守中何かあればサタラの名で侯爵家に伝令を寄越してくれ。家令には話を通しておくから」

「承知致しました。お嬢様はしばらく寝室に閉じ込めますのでご心配なさるような事は何も起きないと思いますが……ええ、今度こそきっちりお元気になるまで一歩たりとも寝室からお出になることは私が許しません」

 

なにやら息巻いているサタラに苦笑しつつも「ほどほどにしてやってくれよ」と言葉を添えるともう一度アスリューシナの寝顔を見てからキリトゥルムラインは音を立てずに彼女の私室から出て行った。




お読みいただき、有り難うございました。
段々と「サタラさん最強伝説」が伝説ではなくなってきました(笑)
さあっ、さっさとご自分のお屋敷にお戻りなさいっ、と
令嬢の私室から追い出したのでしょう。
( ※ 恒例のウラ話は次章と合わせてお届けします )

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