初対面の三人が少しうち解けてきて……。
誤解と緊張が解けたリーファ嬢は本来の元気に満ちた笑顔を取り戻し、アスナに向けて軽く頭を下げた。
「有り難うございます、アスリューシナ様……実は私、兄がいるんですけど……って、ご存じですよね。住んでいる屋敷も違うので滅多に顔を合わせないんですが、つい最近、私が剣の稽古をしていたら偶然通りかかったみたいで、珍しく声を掛けてきたんです。『お前もユークリネ公爵令嬢様の立ち居振る舞いを機会があったら見習うといいぞ』って……あの兄が他所の貴族令嬢様の話を私にするなんて初めてで、それでどんな方なんだろうって……今日は朝からドキドキしてましたっ」
「そ、そんな……キ……ガヤムマイツェン侯爵様が……」
「へえ、貴族の社交場には滅多に顔を出さないガヤムマイツェン侯爵様がお屋敷からだってほとんど出てこないアスナの事をねぇ……顔見知りなの?」
両頬に手を当ててリーファ様の言葉を嬉し恥ずかしそうに受け止めていたアスナがカッチーンと氷結した。それからパチパチと瞼から融解してぎこちなく唇が動き始める。
「えっ?、あの……えっと……そうっ、王城の夜会、あの時、初めて遠目にお見かけして……それで、それから……先日、ルーリッド伯爵様の夜会に……」
「あれ?、あの夜会、アスナにも招待状届いたの?、私は出席しなかったんだけど……シリカ様はまだ社交界デビュー前だから届いてないわよね?」
私の問いかけに立ったままのシリカ嬢が頷く。けれどリーファ嬢が思い出したように口を開いた。
「ああ、でも珍しくうちの兄は出席したんですよ、その夜会。確か前日からルーリッド伯爵様のお屋敷にお邪魔してたみたいで、私の侍女達が話してました。私はそういうの苦手なので行きませんでしたけど」
そこで記憶を刺激された私はつい最近、興奮気味にその夜会に出席した別の友人から無理矢理聞かされた話を思い出す。
「そうそう、そう言えば私も聞いたわ。あのガヤムマイツェン侯爵様がどこかのご令嬢を同伴されて夜会に現れたとかで、そりゃあもう大変な騒ぎになって、あまりのショックに失神した令嬢まで出たとか……」
「ええっ、そうなの!?」
なぜかアスナが再び心底ビックリした表情をしていて、今日の彼女はいつもの穏やかな雰囲気とは少し違ってなんだか前より明るくなったと言うか、しかも一段と綺麗になったような……とにかく少し前まで体調を崩して、しばらくベッドから出られない状態だったと聞いていたから、その姿に嬉しさと安堵が湧き上がる。
「へぇっ、あの兄がご令嬢を、ですかぁ……その話は知らなかったです。どこのご令嬢なんですか?」
「いや、私もなんだかすっごく興奮して支離滅裂に喋ってるのを一方的に聞かされただけで、令嬢の名前は……言ってなかったかな……」
「あっ、あのね、リズ……」
何かを言いたそうにして俯き加減でモジモジとしていたアスナを見て、私は自分のうっかりに気づき慌ててリーファ嬢とシリカ嬢に向き合った。
「あ、ごめん、アスナ、紹介の途中だったわね……シリカ様、リーファ様、今更だけど、こちらがアスリューシナ・エリカ・ユークリネ公爵令嬢様よ」
私の紹介に一瞬きょとんとしたアスナだったけど、すぐに表情をふわり、と微笑みに変えて誰もが溜め息を漏らす優雅な所作を披露してくれる。
「初めまして、アスリューシナ・エリカ・ユークリネと申します。恥ずかしい事に身体があまり丈夫ではないので社交界にも殆ど参加できず、世間知らずではありますが、仲良くしていただけると嬉しいです」
その気品溢れる声と振る舞いに茹で上がったタコのように、ぼうっ、と頬を染めて立ち尽くしているリーファ嬢とシリカ嬢に向かって私は「ちょっとっ、二人ともっ」と小声で活を入れた。私の声にキャメル色のツインテールが揺れる。
「あっ、ごめんなさいっ。アスリューシナ様、こちらこそ、宜しくお願い致します」
ぴょこり、とシリカ嬢が頭を下げるのを見て、隣のリーファ嬢も急いでお辞儀を返した。
(うんうん、そうなのよねぇ、みーんな最初は見惚れるのよね)
まるで自分のことのように自慢げな気分になった私は機嫌良く「さあ、座って、座って」と三人にイスを勧めれば、心得た侍女達が素早くそれぞれの令嬢達の後ろに付いて、着座を手伝う。全員が席に落ち着いたところで他の侍女達が次々と茶器などを運んで来てくれた。その中でも古参の侍女が「お嬢様」と私に向け用意した覚えのないお菓子を見せに来る。
「あ、もしかして……アス……リューシナ様から?」
笑顔で頷く侍女のすぐ傍からアスナの少し恥ずかしそうな声が添えられた。
「リンゴのタルトなの。形が不揃いで恥ずかしいんだけど……味はね、美味しいって言って下さったから……大丈夫かなって」
(ああ……アスナお手製のお菓子が食べられるなんて本当にユークリネ公爵家の使用人達が羨ましい)
本当はもっと頻繁に交流を深めたいんだけど、本人も言っていたように彼女は身体が丈夫じゃないから今回みたいに屋敷に招待するのも本当に久しぶりで……それくらい彼女はずっと屋敷の中にいる。いつだったか、そんなに毎日寝込んでるの?、と聞いてみたら、とにかく大人しくしているのが一番だから、と少し寂しそうに答えてくれて、だったらいつも「大人しく」何してるの?、と聞いたら、静かに読書をしたり、刺繍をしたり……と言ってから、ちょっと間を開けて、お菓子を作ったりもしている、とこっそり教えてくれた。
普段から口癖のように自分の執事に「どこでお育て方を間違えたのでしょう」と呟かれ続けている私でもわかる、普通の貴族のご令嬢は自分で料理なんかしない……下級貴族の私でさえ調理場なんて入り口まで行った事はあるけど、それは執事に内緒で調理長に小腹が空いたと訴える為で……だから公爵家の令嬢が調理場に行って自分でお菓子を作ると打ち明けられて私は思わずこう言ったのだ……「アスナらしくていいわね」って。
それからアスナはうちの屋敷に遊びに来る時は必ずお菓子をお土産に持って来てくれるようになったんだけど……これがまたどれもお店に並んでるのみたいに美味しくて、彼女の自作だと知らないほとんどの使用人達は「公爵家の料理人ってば神!」と言いながら余ったお菓子の争奪戦を繰り広げているらしいから、うちの場合、私の淑女教育もなってないけど、使用人教育だってかなりゆるゆるだ。
私はそのリンゴタルトをテーブルの中央に置くよう指示してから「じゃ、お茶会を始めましょ」と両の手の平を重ね合わせた……背後の侍女達から、そのタルト、残しておいてくださいねー、の視線を一身に浴びながら……。
予想通り、アスナが持参してくれたタルトは二人の年若い令嬢達にも大好評だった。アスナ自身は「リンゴの名産地であるガヤムマイツェン侯爵家のリーファ様のお口に合うでしょうか?」と、ちょっと不安そうだったけど、リンゴの味に関しては舌が肥えていると思われるリーファ嬢も「本当に美味しいですっ、ユークリネ公爵家の料理人さん、すごいですね」と二つ目に手を伸ばしていたし……と同時にタルトが減る度に後方から嘆きのオーラが漂ってくるのはどうにかして欲しい。
二つ目のリンゴタルトを食べ終わったリーファ嬢が満足そうに紅茶を啜りながら「うちの兄もリンゴのタルト、好物なんですよ」と言うと、なぜかアスナが淡く頬を染めて「……そうなんですね」と嬉しそうに微笑んだ。
私のような子爵令嬢はこの国の三大侯爵家の当主であるガヤムマイツェン侯爵様なんて近くに寄った事もないけど、いつも遠巻きに女性に囲まれてるくせに無愛想で物静かな印象しかなくて、その侯爵様がタルト好きと聞いて思わず口が開きっぱなしになる。
「……甘い物がお好きなんて……ちょっと、イメージと違う……ような……」
少し失礼だったかな?、と思った私の発言に、リーファ嬢は苦笑で頷いてくれた。
「そうなんですよね。爵位を継いだ後は色々と大変みたいで、兄は本邸で生活してて、私は隣の別邸なのでなかなか会う機会もないんですが……」
そこまでの説明で、さすが三大侯爵家、と思ってしまう。家族がそれぞれ違う屋敷で暮らしてるとか、どれだけ広いんだろうガヤムマイツェン侯爵家の敷地。うちなんかみんなで一緒にひとつの屋敷だし、アスナの所も家族全員同じお屋敷で生活してるけど、ほとんどいつも侯爵様ご夫婦もお兄様も留守にしてるって言ってたから、うちとはちょっと違うかもしれない。それにお屋敷の大きさ自体がうちとは全然、比べものにならないくらい違う……。
そんな我が家のこじんまり事情に思いを馳せている私の前でリーファ嬢の予想外な言葉は続いた。
「子供の頃は一緒に領地で育ったんですけど、その頃は笑顔いっぱいに領地の子供達と一緒になって朝から晩まで領地内を元気に走り回っている兄の後ろを私はいつも追いかけてて……」
リーファ様が教えてくれる幼い頃のガヤムマイツェン侯爵様の姿を想像して……想像しようとして……出来なかった。
だって私が知っているガヤムマイツェン侯爵様と言ったら、無口、無表情、無関心を全身に纏っていて、例え正当な理由があったとしてもその正面に立つなんて絶対に遠慮したい存在だ。いつだったか勇者と呼ぶに相応しいどこかの令嬢が勇気を振り絞ったんだろう、震える両手を握りしめて「ガヤムマイツェン侯爵様っ」と呼び止めたら、ちらり、と振り返った侯爵様の視線で彼女は射殺されて、その場に崩れ落ちてたし……うーん、でもあの時のご令嬢は侯爵様の不機嫌顔に恐れを成した、と言うよりはその視線にハートを打ち抜かれたようでお顔が蕩けてたけどね。
お読みいただき、有り難うございました。
アスリューシナ手作りのタルトを「美味しい」と「言って下さった」のは
もちろん、あの侯爵さまです。
兄妹そろって好物のようですね……お茶会が終わった後、タルトはいくつ残って
いるのか……侍女達はハラハラしながらお給仕してます(笑)
侍女として働くならリズベットの屋敷が一番堅苦しくない職場かも……。