リズベットの前にひとりの男性貴族がやって来て……。
「本当です。これ以上私の友人に失礼な態度をお取りになるのなら、オベイロン侯爵様といえど父を通して抗議させていただきます」
(オ……オベイロン……って……三大侯爵家のっ!?)
さすがに爵位軽視の私でも我が国のトップクラスの貴族の名を聞けば自分のしでかした事の重大さは認識できるし、何より、そのオベイロン侯が口にしたユークリネ公爵家の名だって雲の上の家柄で……。
(えっと……つまり……ここにいる二人って……最上級貴族じゃないのっ)
そんな私の驚きなんて完全無視で、侯爵様は少し意外そうに、それでいて彼女の言葉を面白がっている様な下品な色を瞳に宿して公爵令嬢様を見つめ返した。
「ふぅーん、僕のこと、わかるんだ」
「今宵、夜会の場で何度か視線を感じましたので、兄に尋ねたところオベイロン侯だと」
敢えてどんな視線なのかは言わなかったけど、なんとなく想像つくなぁ……粘着質っぽいから、この人。
そこで私の想像を裏付けるように侯爵様の唇が歪むように微笑んだ。
「なら話は早い。僕は君がとても気に入っていてね……」
どこまでも上から目線で物を言う候に私も段々と腹が立ってくる。確かに貴族のトップだけど、三大侯爵家だけど、だからって何をどう言ってもいいって事にはならないはずで、こちらに向けて侯爵様が一歩を踏み出した途端、私の腕を掴んでいた公爵令嬢様の手がビクリと震えた。
自分が令嬢を怯えさせているなんて思いもしていないのか……うううん、この人は例え怯えが伝わっても気にしたりしない、それどころかその姿を楽しむような種類の人で、隣の友に近づけてはいけないと本能が告げる。
相手は私の家の爵位なんて比べものにならないくらい高位の侯爵で、しかも成人男性だ、私がどう行動したところで敵うはずないってわかってるけど、だからって友達を見捨ててはおけない、そう決めて公爵令嬢様を背に庇おうとした時、更にバルコニーの扉が開いて勢いよく一人の男性が飛び込んできた。
「すまない、アスリューシナ。遅くなった」
すぐ隣から「お兄様」と小さく安心した声が聞こえて、ああ、この人が、とつられて緊張が緩む。やってきた公爵令嬢様の兄上は兄妹と言うだけあって目の前の侯爵様に負けないくらいの美丈夫だ。軽くあがっている息を整えながらこの場にそぐわないふわり、とした笑みを浮かべて邪魔者扱いの視線を突き刺している侯爵様に歩み寄った。
「これはこれはオベイロン侯爵様、こんな所にいらしたのですか。夜会会場でご令嬢方があなたをお探しでしたよ。見つかって、ここに押しかけてこられたら大変ですね。今宵は国王様もご列席ですし、何より社交界デビューの若者達が主役ですから我々は引き立て役なのでしょうが……」
涼しげな面持ちでこれ以上ここに居座ると騒ぎになりますよ、と示唆するユークリネ公爵家ご令息の横を、表面上は穏やかに微笑んで「ああ、そうだな、そろそろ会場に戻るとしよう」と歩み去る瞬間、射殺すような気を放ってオベイロン侯爵様はバルコニーから出て行った。
何事も動じないタイプかと思っていた公爵令息様が、ふぅっ、と息を吐いて肩の力を抜いたのがわかる。
しかし、すぐに表情を引き締め駆け寄ってきて、妹である公爵令嬢様の両肩をガシッ、と支え瞳を覗き込んだ。
「大丈夫か?、アスリューシナ」
「遅いわ、お兄様」
「ごめん、今年のデビュタントは積極的な子が多くてね……」
どうやら、このバルコニーに一人残してきた妹の元へと戻ろうとする兄は今宵デビューしたての令嬢方に次から次へと言い寄られていたらしい。
無理もないわね、と間近で誰もが見惚れそうな顔を凝視している私へ、その視線が合わされる。
「こちらのご令嬢は?」
その問いに私が答えるよりも早く、未だ腕を掴んでいる公爵令嬢様が楽しそうに笑った。
「私の出来たばかりのお友達、リズベット・カジュ・キサノシェ子爵令嬢様です。オベイロン侯爵様から守っていただいたの、お兄様からもちゃんと御礼をおっしゃってね」
そう言ってから私の腕を離すと「でもまずは、先程の続きを……」と言ってから正面に移動して、再び『流麗な淑女のお辞儀』をとる。
「私はアスリューシナ・エリカ・ユークリネと申します。先程は本当に……有り難う……ございました」
姿勢を元に戻して、ちょうど後ろにいる兄上様に振り向くと声を柔らかくして「お兄様」と呼びかけた。
「今回ばかりは……遅くなった事……許して……差し上げます。だって……リズベット様と……お友達に……なれ……たから」
微笑んでいるアスリューシナ公爵令嬢様の身体がグラリと傾いてそのままストン、と兄上様の腕の中に崩れ落ちる。
ええっ、と驚いて動けずにいる私の前で予期していたかのように公爵令嬢様の兄上が慌てることなく彼女を抱き上げた。
耳元で呼びかける「アスリューシナ」の声にうっすらと瞳を開けた彼女はか細く途切れ途切れの声で「ごめんなさい」と謝るが、公爵令息は慈愛の籠もった目で「気にするな。屋敷に戻ろう」と告げただけだった。
それからかける言葉が見つからずに突っ立っているだけの私へ、ここへやって来た時のような柔らかい笑顔をおくってくれる。
「申し訳ない、キサノシェ子爵令嬢様。我が妹はご覧の通り屋敷から出るとあまり長時間、笑顔ではいられないんだ。それでも私としては友達でいてもらえると嬉しいのだけれど……ああ、それとオベイロン侯から妹を守っていただいて心から感謝する」
妹君を抱きかかえまま、可能な限り頭を下げてくる兄上様に私はわたわたと手と首をいっぺんに振りまくって大恐縮した。公爵家のご令息から「令嬢様」だとか「感謝する」なんて言葉とお辞儀がもったいなくて、恥ずかしくて、さっきまでここに居た侯爵様とは雲泥の差だ。
「そ、そんなっ、友達ですからっ、あっ、当たり前です」
そう告げると本当に嬉しそうな笑顔で応えてくれて、腕の中のアスリューシナ公爵令嬢様に「よかったな、アスリューシナ」と落とせば、辛そうな中にも嬉しさを込めた「はい」という小さな声が聞こえる。そして妹君をしっかりと抱き直した公爵令息様は「我々はこれで失礼するよ。後日、アスリューシナから連絡をさせるから」とだけ言い残して足早にバルコニーから去って行った。
果たしてその口約束は守られるのか、ちょっと心細い日を数日過ごした後、綺麗な文字で綴られた手紙が届いた時は舞い上がって喜んだ。
そうして私達の友情が始まったのだ。
「とにかくっ、シリカ様も貴族社会のデビュー間近なんだから夜会では言い寄ってくる男性貴族には十分注意するのよ。ああ、でも新しい出会いは大切にね。アスナと私みたいに素敵な友情が芽生える可能性もあるんだから。ねっ、アスナ」
ちょっと自慢げに笑って隣の友を見れば、アスナもまたキラキラと輝くような笑顔で大きく頷いてくれたのだった。
お読みいただき、有り難うございました。
コーヴィラウルお兄様、ナイスタイミングの登場です。
侍女頭のサタラがキリトゥルムラインに話したように、この後、抱きかかえた
妹令嬢を急いでユークリネ公爵家まで連れ帰りました。
これで【番外編・5】は終わりです。
お付き合いいただき、有り難うございました。
そして本編はようやく終盤に入ります。