漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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エリカと離ればなれになってしまったボクは彼女に会える日を
中央市場で待ち続けて……。


【番外編・6】ボクと彼女:後編

結局、ボクが彼女とこの市場で再会できるまでにはあの日から十年とちょっとの時を有した。

その時の彼女は随分と大きくなっていたけど、やっぱりフード付きコートで顔と身体をすっぽりと覆って、彼女のすぐ隣にはエギルの店先で会ったキズメルって言う女の子が一緒で、ちょっと怯えた様子の彼女の手を握っていた。

でもボクを見つけるなりその手を離し、すぐにしゃがんで両手を広げ、フードの下から見える口元は嬉しそうに綻んでいて、ボクは少しびっこを引きながら一直線に彼女の腕の中へ駆け込んだんだ。

 

「よかった……」

 

ボクと彼女の様子を端で見ていたエギルが顎をさすりながらちょっと意地悪い笑顔になる。

 

「トトって名前を付けて市場の皆で世話してるけどな、今じゃこの中央市場の全部をテリトリーにしてるボス犬になりやがった」

 

あの時のボクの姿からは想像もしていなかったのか、すごく意外そうに口を開けたエリカが「そうなの?」と確かめるようにボクに話しかけてくる。それを自慢げに肯定すれば、彼女は「ふふっ」と笑ってから「すごいのね、トト」と初めてボクの名前を呼んでくれた。

そうさ、今ならどんなヤツが来たってボクがエリカを守ってあげられるんだ。

もうこの市場でエリカが怖い目に遭わないように、これからはいつでも安心して市場に来られるように、ボク、ずっと待ってたんだよ。

会いたくて、会いたくて、とっても会いたかったエリカに会えて大喜びのボクを前に、それまでの笑顔を消してエリカはボクの後ろ足をさすった。

 

「でも……この後ろ足…………ごめんね、ちゃんと治してあげられなかった」

 

今にもナッツブラウン色の瞳からあの時みたいに涙があふれ出しそうで、ボクが驚いて彼女を安心させるためにその涙を一生懸命舐め取っているとエギルも言葉を添えてくれる。

 

「ほらほら、トトがビックリしてるぞ。そいつなら大丈夫だ。その足でここのボスになったヤツなんだからエリカちゃんが気に病むことは何もないさ」

「でも……今からでも……」

「お嬢様っ」

 

エリカの小さな呟きに傍に居たキズメルが慌てた様子で声を上げれば、珍しくエギルも真剣な眼差しでボク達のすぐ隣に腰を落とした。

 

「エリカちゃん……コイツはもう立派にこの身体で十年以上ここで生き抜いてきたんだ。オレ達も出来る限りの世話はしてる。これ以上の行為はお前さんがしんどい思いをしてまでやる必要はオレはないと思うけどな」

 

エギルの言葉にボクは同意を示すように「わふっ、わふっ」と元気良く鳴いた。

この足だってちょっと不便な時はあるけど、でも、治す為にエリカが辛い思いをするならこのままで全然構わない。

心配してくれるのは嬉しいけど、ボクは平気だよ、と彼女のほっぺたを舐めたら、エリカがくすぐったそうにちょっと笑ってボクの顔を覗き込んでくる。

 

「大丈夫なの?……トト?」

「わふんっ」

 

元気良く答えたら彼女はボクの身体をぎゅっ、と抱きしめてくれた。

 

 

 

 

 

それから彼女は月に一度のペースでこの市場にやって来るようになった。

それでもボクを見つけると一瞬だけ悲しそうな表情で自分を責めているみたいに顔を歪めるから、そんな感情を持たせたくなくて、彼女が来た時はそっと遠くから見守るだけにしている。

ただ逆にあまり顔を見せないとエギルから「エリカちゃんが心配してたぞ」って言われるから、たまに姿を見せて、抱っこして貰って、彼女の膝の上で撫でてもらうけど…………これがもうめちゃくちゃ気持ち良い。

そんなある日、事件は起こった。

エリカがいつも乗って来る馬車が市場のはずれに到着したのを知ったボクは先回りしてエギルの店のすぐそばに移動する。

彼女は市場に来るとまず一番にこの店にやって来るからだ。

エギルの店にはここ最近、やたらと市場に来るようになった男の客が今日もいてエギルとお喋りをしている。

……あいつ、暇なんだなぁ……エリカもあいつみたいにもう少し頻繁に市場に来てくれたらいいのに……そんな事を思いながら彼女の到着を待っていると、いつものフード付きコートを羽織ったエリカが珍しく急ぎ足でこっちに向かって来て……あっ、と思った時は何かに躓いたらしくバランスを崩した彼女がエギルと話していた男の客に受け止められていた。

おいっ、こらっ、エリカに触んなっ……当然、パッと離れると思っていた二人はなんだか恥ずかしそうに、でも嬉しそうに身体をぴたりと寄せ合ったままだ。

いつまでくっついてるんだよっ、と男の足首に噛みついてやろうか?、って思った時だ、ボクの気持ちが伝わったのかエギルの声が二人を離し、続いてあっちこっちから市場の店主達が集まってくる。

エリカと男の客を取り囲むようにして陣を張った店主達は次々に男に向かって文句を浴びせ始めたけど、それがどんどんと変な方向に流れていって、終いにはみんなエリカに慰められている。

おいおい、しっかりしてくれよ……ここのおっちゃん達も年食ってきたからなぁ、とボクは自分の事を棚に上げてコソコソと移動を始めた二人の後をこっそりと付いて行ったのだった。

 

 

 

 

 

散々市場内を歩き回ったエリカと男の客……どうも「キリト」という名前らしい……は昼時になってようやく噴水広場で腰を落ち着けた。見つからないよう付いて行ったボクも結構疲れて、二人が見える場所に座り込む。

エリカはキリトから渡された鶏肉を美味しそうに頬張っているが、食べやすいように切ってあるとは言えたっぷりと付いたタレが口の端に残っていて、それを見つけたキリトがニヤリと笑ってから何も言わずに彼女の口元へ人差し指を伸ばした。

艶やかな彼女の唇を口角から撫でるように山なりに触れ、拭き取って指先に付いたタレを自分の舌で舐め取る。

一瞬の出来事に硬直していたエリカは一連の仕草に声も出せず首まで真っ赤にしてから怒っているのか恥ずかしがっているのか判別できない声で「キリトさまっ」と声を跳ねかせていた。

すると反省した様子もないキリトがすぐにエリカのフードに顔を近づけて周囲に聞こえないよう小声で囁いていたけど…………ボクには聞こえた……アイツ、「直接舐めてもいいのか?」って楽しそうに言いやがった。

エリカを舐めていいのはボクだけだっ……疲れなんてどっかに吹き飛んで、ボクはわざとエリカの視界に入るようアイツの後ろをヒョコヒョコと横切ってやる。

案の定、彼女はすぐボクに気づいて、嬉しそうに名を呼んでくれた。

偶然を装って当たり前のように彼女の腕の中に収まり、キリトのヤツに向けお前なんかに触れさせてやるもんかっ、と見せつけるように彼女の頬を舐める。しかしそんなボクに対してキリトはもの凄く失礼な言葉を発した。

モップ?!、黒モップだって!、ボクのどこをどう見たら黒モップに見えるんだっ、お前の髪の毛だってボクとおんなじ真っ黒じゃないかっ……今度こそ本気で囓ってやろうと口を開きかた時、やっぱり憤慨の声を上げていたエリカが黒を一番好きだと言ってくれる。

うんっ、ボクもエリカのナッツブラウン色は一番好きだ、と彼女の顔を覗きこむとその目はボクではなくキリトの目を見つめていて…………ああ、エリカが一番に好きな黒はボクの黒じゃなくて…………。

そんなエリカの視線に引き寄せられるようにキリトもボク達の隣に片膝を突いてボクの頭をガシガシと撫で回してくる。

もう……お前にだけは撫でられたくないっ、と睨んでやると一瞬怯んだ声を出したキリトだったが、すぐにボクの耳に口を寄せてタイミングよく現れたボクに文句を言ってくる。

邪魔?……したいに決まってるだろ……当然だと鼻を鳴らせば脱力したようにキリトが項垂れた。

男同士のやりとりに気づかないエリカはちょっと不思議そうな顔をしていたけど、すぐいつものようにボクの後ろ足の心配を口にする。

本当にもう平気なのにな、ボクは全然気にしていないよ……いくら言っても伝わらないもどかしさ……でも今日はキリトがボクの言いたい事を代弁してくれて、その通りなんだってわかって欲しくてボクは笑顔で「うぉふんっ」と鳴いた。

キリト……お前、ちょっといいヤツだな。




お読みいただき、有り難うございました。
後編の後半になんとか僅かながらイチャを入れられて、ほっ、として
おります(苦笑)
キリトが王都を発つ前あたりの関係性だったらいきなり舐めていたかもしれませんが、
まだこの頃ではね……と久々に自分でも「見守る者」あたりを読み返しました。
あうっ、初々しいなぁ……。
現在連載中の「接触」の章が終わったら、こちらの【番外編】をその前に挿入します。

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