漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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新章、スタートです。


31.接触(1)

ガヤムマイツェン侯爵が火急の用件で領地へ赴く為、王都を離れてもうすぐ三週間が経とうかという頃、すっかり体調が戻ったアスリューシナは久々に中央市場へと向かっていた。いつもの様に紋章も豪壮な装飾も何も付いていないただの黒塗りの小型馬車を使うが、その内装は外見にそぐわず座面や背面には高級な布地が張られ、たくさんの分厚いクッションが更に居心地を良くしている。

馬を扱う御者の確かな技量と、あえて目立たぬように仕立ててあるが車輪の小さな留め具までが一級品の馬車のお陰で大した揺れも感じず快適に目的地へと近づいていたアスリューシナへ、向かいに座っていた専任護衛のキズメルが気遣うような口調で珍しく自ら話しかけてきた。

 

「もうすぐ市場だと言うのに、楽しみではないのですか?」

「えっ?……ごめんなさい、キズメル。何か言った?」

 

ずっとぼんやりとした表情で窓の外を眺めていた令嬢だったが、やはり心ここにあらずだったようだ。

 

「ですから、いつもならば市場への到着を待ちきれないといったお顔なのに今日は随分とふぬけているので……」

「ふ、ふぬけてるって……失礼ね。ちょっと考え事をしていただけよ」

 

自分の護衛のあんまりな言い方に唇を尖らせたアスリューシナだったが、見たままを口にした自分に非は無いと信じている様子のキズメルは慌てることなく次の一手を打ち出してきた。

 

「考え事とは……ああ、侯爵様の事ですか」

 

確信しているような口ぶりがちょっと憎らしくて、でも反抗心から否定をしてみたところで説得力のある偽の言い訳など思いつくはずもなく、恥ずかしさから頬は熱を持つがここは素直に頷くことにする。

 

「前に来た時は、侯爵様がご一緒だったなって思って……」

「そうでしたね。お二人とも随分と……何と言いますか、こう……まるで……」

「まるで?」

「年甲斐も無くはしゃぐ……」

「キズメルっ」

「普通の恋人同士のようでした」

 

普段、あまり表情を崩すことのないキズメルがほんの少し唇を綻ばせて、やはり彼女の目に映ったままを言葉にしたのだと理解したアスリューシナはよけいに熱を持ってしまった自分の頬を両手で隠し、心臓のバクバクを抑え込む意味でも身を縮混ませて視線を落としたが、それでも我慢出来ずにちらり、と目線だけを上げてキズメルに「本当に?」と問いかけた。

 

「はい」

 

既にいつもの冷静な専任護衛の顔に戻ってしまったキズメルはアスリューシナの言葉に即答するが、一瞬の安堵を見せた公爵令嬢はすぐに落ち着きを取り戻し、頬はいつもの白磁となって瞳には自虐の色が覆う。

 

「こんなフード付きコートで髪も顔も隠している私が……」

「お嬢様」

 

自分が肩に羽織っている煉瓦色のロングコートの端をギュッ、と握った途端、対面しているキズメルが遮るような視線と声を飛ばしてきた。

 

「公爵令嬢が市井で御身を晒して歩かれては護衛が何人いても足りません。私の苦労と市場への迷惑を考えて下さい」

「そ、そういう事を言っているのでは……」

「ああ、ですが侯爵様はまるっきりそのままでしたね。違和感が微塵もありませんでした。さすがはガヤムマイツェン侯爵様と感嘆致しました」

「あのねキズメル、そういう言い方も、ちょっと…………でも、そうね」

 

あの日のキリトゥルムラインの姿を思い起こしたアスリューシナはクスッと笑って気分を浮上させる。普通に市場へやってきた王都で暮らす青年のように気さくに店主と会話をし、新しく入荷した商品に目を輝かせていた。民衆と何の壁も作らず買い物客に混じってあれこれと品物を眺め、お昼には食事さえ調達してきてくれたのだ。

あの日の驚きと楽しさと嬉しさで心が一杯になって思わず笑みを漏らしていると「やっとお笑いになりましたね」と安心を含んだ声が正面からそっと耳に届く。

素早く顔を上げるが、キズメルはいつもの任務第一の真面目な表情で、それでも思っていた事を淡々と口にした。

 

「侯爵様が王都を発たれてから段々とお嬢様の口数が減り、笑顔を見ることが少なくなったとサタラが心配しておりました」

「そう?…………いつも通りに過ごしていたと思うけれど……」

「そうですね、私の前でもいつも通りに見えるよう、頑張っておいででしたね」

 

キズメルさえ気づいていたのなら、目聡いサタラが気づかぬはずもなく……今回、珍しくサタラから「そろそろ中央市場にお出かけになってはいかがですか?」と提案してきた理由は少しでも公爵令嬢の気が紛れればとの思いがあったことを知ったアスリューシナは二人の気遣いに心が温まる。

 

「傍にいてくれて有り難う、キズメル」

「護衛が仕事ですから」

 

中央市場へ付き従うことは役目なのだから当然だとも聞こえるキズメルの素っ気ない言い方も、自分がまだ辺境伯の元へと送られる以前の幼い頃から今の公爵家で姉妹のように過ごしていたアスリューシナにとっては言葉の奥に隠れている気持ちをくみ取ることはたやすい。

 

「そうね、キズメルがいてくれないと私はどこにも行かれないから」

「そうですね……けれど侯爵様ならお嬢様をお任せできるかもしれません。何せ未だに私の部下達は誰一人として夜中に忍び込んでいらっしゃる侯爵様の存在に気づきもしないのですから、最近歯がゆいを通り越して、段々と腹が立ってきました」

「……キズメル……それは嬉しいと言うか、部下の皆さんが心配と言うか……」

「なのでここは部下に期待するより、一日も早く侯爵様の方が正々堂々と昼間にお屋敷の玄関からお越し頂けるよう、そちらに期待しようと思います」

「うーん、それもちょっと難しいかも。なぜかあの方、夜に忍び込んでいらっしゃる方が楽しいみたいで……」

「さすがは三大侯爵家様と言うべきでしょうか。凡庸の私にはわかりかねる感覚です」

「…………きっと他の三大侯爵家の皆様は違うと思うわ」

 

アスリューシナの柔らかな弧を描いた唇がほんの少しひくついた時だ、突然の馬の嘶きと共に今までとは比べものにならない強い衝撃が車体を揺らし、全体が前のめりに傾いた。

 

「きゃぁっ……なっ、なに?」

「失礼します」

 

キズメルがアスリューシナの身体を支える為に素早く座席を離れ彼女の腰に手を回して転倒を防ぐ。

車輪の軋む音に加えて無理な急停止に長柄と箱馬車のどこかが強くこすれ、身体に届く振動と同時に耳障りな低音と高音が一気に耳の中へ侵入してきた。そしてすぐに御者の緊迫した声が響く。

 

「なんだっ、お前達はっ」

 

その言葉で複数の人間と相対しているのだと悟ったキズメルはこれ以上馬車が揺れないと判断すると、そっと令嬢から身を離し「フードを被ってください」と告げて御者台に通じる小窓から周囲を観察した。馬を取り囲むようにして何人もの男達が行く手を阻んでおり、みなボロボロの服装に汚れた手や顔のせいで人相さえもはっきりしない。一見すると家も仕事もない不定住者のようだが、こんな王都の中心部でこれだけの人数が結託して小さな箱馬車を襲うとは考えられない状況だった。

立ちふさがっている者達に向け少々乱暴に声を荒げている御者だったが、御者と言えど公爵家の使用人であり公爵令嬢が乗る馬車を任される人物だ、多少腕に覚えはあるはずだがいかんせんこの人数を一人で相手にするのは無理だろうと自分も加勢に出ようかキズメルが思案していると、外の連中が御者の制止の声も聞かずに今度は馬車の周りへと移動してくる。

前方の道が開けた隙に御者が再び馬を走らせて怪しい連中を馬車から引き離そうとするが、興奮した馬がなかなか言う事を聞かず手こずっているうちに彼らが次々に馬車に手を伸ばし車体を揺らし始めた。

前後左右、めちゃくちゃに揺らされる馬車はまるで荒れ狂う嵐の中の大海原にいるようで、さすがの公爵家の馬車と言えどここまで外部から力を加えられるとギイギイとあちこちから苦しげな音が響き、それら全てがアスリューシナを混乱へと導く。

すぐさま再び公爵令嬢を抱きかかえたキズメルは「声は我慢して下さい、舌を噛みます」とだけ囁いた。

両手で口を塞いで小さく震えているアスリューシナを包む腕に力を込めながらキズメルは出来る限り周囲の状況を把握しようと耳に意識を集中させる。

アスリューシナに声を控えるよう言ったのはこの為でもあり、逆にこの馬車に若い女性が乗っていると知られたくないからでもあった。

先程から外の連中は馬車を止めただけで何の要求もしてこない。物取りが目的なら馬車など揺らさず人数に物を言わせて御者を引きずり降ろし、馬車ごと奪うか、さっさと扉を開けて中を確認すればいいのだ。

ただし扉を開ければキズメルは侵入してくる奴らを一人ずつ確実に仕留めるつもりでいる。

しかし問題はこの連中が馬車の中に居るのが女性だと、もっと言えばそれが公爵令嬢だと知っているのか否かだった。

なぜなら今のアスリューシナは髪の色を染めていない為、編み込んで背中に流してはいるが何かのはずみでフードが外れたら公爵令嬢の秘密が丸見えになってしまう。たまたま襲った馬車に自分達が乗っていたのなら無用な殺生はしたくなかったし、反対にお忍びの公爵家の馬車を狙ったのだとしたらその情報源が問題だ。

キズメルは馬車が停止した位置が中央市場からそう遠くない場所だと確信しており、ならば目的不明の彼らと接触する前にこの騒ぎを聞きつけて警備隊がやってくるだろう、と令嬢を抱きしめながらその時を待った。




お読みいただき、有り難うございました。
二人の中央市場デートでは散々見せつけられ、侯爵様の深夜訪問に
部下達は全く気づかず、真面目なキズメルの精神状態が心配です(苦笑)

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