漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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オベイロン侯爵より馬車からの降車を強要されたキズメルは……。


33.接触(3)

キズメルはオベイロン侯爵に促されるように大人しく降車するとすぐに御者台へと移動した。

とにかく馬車の中でアスリューシナとオベイロン侯、二人だけの時間を短くする為には主人が言った通り、可能な限り早く公爵家に戻るしかない。

一方、御者の方は様子はわからずとも多くの護衛部隊を待機させたまま車内へと乗り込んでいった一人の紳士が時折不快な声を荒げていたのは扉が開いていた為、耳にも届いていたようで、やってきた専任護衛に対し緊張を込めた声で「どうされました?」と迎えた。

 

「お嬢様をお守りする為にも、一刻も早く公爵家に戻らなくてはなりません。味方はいないと思って下さい」

 

キズメルの言葉にすぐさま御者は無言で頷く。時間がないのだと理解の早い彼が無駄な質問をしてこない事に安堵したキズメルは前方を確認しながら「馬は?」と短く質問を投げかけた。

 

「既に落ち着かせました。いつでも出発できます」

 

希望通りの返事に信頼の笑みで御者に頷くと次の指示を伝えたキズメルは「私は別の馬ですぐ後ろにいますから、中で異変を感じたらお嬢様の言葉を待つ必要はありません。あなたの判断ですぐに馬車を止めて下さい」と言うとオベイロン侯爵家の護衛部隊から馬を一頭借りる為、ひらり、と御者台から飛び降りた。

 

 

 

 

 

キズメルの指示通り、中央市場からユークリネ公爵家までの道のりをいつもの目立たない裏道ではなく最短距離を選んで進む少々乱暴とも言える速度の馬車に王都の人々は皆、視線を送らずにはいられなかった。しかもその馬車の後ろを大仰な護衛部隊が続いているのだ。

車内のアスリューシナも外の景色を見る余裕はなかったが、馬車の揺れがいつもと大分違うことは感じており、毎月、市場への往復では温厚な手綱裁きの御者が今ばかりは馬を急かしてくれているのだと心強さを得る。

しかし、そんな心の拠り所もすぐ隣から届くどこか安定感のない声に揺さぶられて強引に意識を戻された。

 

「アスリューシナ嬢」

「なんで……しょうか」

「僕は君の社交界デビューのあの夜会の日から幾度となく公爵に手紙を差し上げているんだけどね」

「それは……存じ上げませんでした。多分、父の手元に据え置かれているのだと思います。あの夜会以降、社交界には出られずにおりますので、全てに疎い私などが侯爵様からのお手紙を拝するなど相応しくないと考えてるのでしょう」

「別に僕は疎くても構わないんだよ。さっきの君の使用人みたいに小賢しいよりよっぽどいい。口答えなどせずにただ僕の傍にいれくれればいいんだ」

 

人形のような扱いを聞かされて侯爵から見えることのないアスリューシナの柳眉が僅かに歪むが、そんな変化など気づきもしないオベイロン侯はますます饒舌に口を動かす。

 

「だってそうだろう?、たった一回のあの夜会でどれほどの男共が君の姿を目に焼き付けたと思ってるんだい?……君の本当の姿さえ知らないような輩が、だよ」

 

候の言葉に一瞬、アスリューシナの息が止まった。

 

「けれどそれはまあいい。その辺のことはユークリネ公爵もわかっているようだからね。だから君はずっと社交界にも現れず、他の男性貴族との交流もなかった…………僕はね、この二年間、君が僕の元へ来るその時を楽しみに待っていたんだ」

 

互いの認識の共通性がまるでない内容にアスリューシナは混乱し侯爵の言葉を理解しようと懸命に考えるが、自分がオベイロン侯の元へと輿入れが決まっているかのような言い方にどうしようもない不安が膨れる。まさか求婚話に乗り気だった両親が勝手に返事をしてしまったのだろうか?……しかし候の口ぶりだと自分はオベイロン侯爵という決まった相手がいるから他の男性貴族と接しずにいるととれる発言だが、アスリューシナはあくまで自分の髪色を知られたくないから屋敷に籠もっているのであって候は全く関係がない。

そもそもアスリューシナ自身はオベイロン侯の元へと嫁ぐ気持ちなど欠片もありはしないのだ。

もしも……もしも嫁ぐ事が許されるのなら…………とアスリューシナが漆黒の髪を揺らして自分を見つめる黒曜石の瞳を持つ一人の青年の姿を思い浮かべると、それを察知したように苛立ったオベイロン侯の声がその思考を切り裂いた。

 

「なのに、なんでルーリッド伯爵の夜会になんて参加したんだっ」

 

オベイロン侯の吐く息がフードの端を揺らす。一層身を縮こませて身体を固くしたアスリューシナはそのフードに侯爵の手が伸びてくる事を感じて必死の声で訴えた。

 

「おやめ下さいっ……き……今日は……少し気分が良かったので……それで……馬車から王都を眺めようと出ただけなのです。まともな身なりをしておりませんので、どうかこのままで……」

 

機嫌を損ねるかも、とは覚悟したがフードを取ることだけは避けたいアスリューシナが懸命に言葉を重ねると、意外にもオベイロン侯は「ふーん」と幾分楽しげに笑ってから伸ばした手で肩に触れ、撫でさすりながら次第に唇を笑みの形のまま震わせ始める。

 

「伯爵の夜会には随分と着飾って行ったそうじゃないか。そんな話を他の貴族の男共から聞かされた僕の身にもなって欲しいなぁっ」

「そ……それは……」

「しかもっ?……よりによってあのガヤムマイツェン侯爵と一緒だったって?」

「っ……」

「随分と仲睦まじい様子だったと話題になっていたけど、何かの間違いなんだろう?、アスリューシナ」

 

もはや敬称もなく呼び捨てにされたアスリューシナは段々と均衡が崩れていくような侯爵の言葉とその抑揚に恐怖を覚えた。肩をさすられていた手が次は撫で回すように腕へと降りてくる。

 

「あの若造の手がこの肩に触れ、腕を支え、腰を引き寄せていたなんて…………僕の物に手を出そうとは勇敢なのか、愚鈍なのか、身の程をわきまえないにも程があるっ」

 

強い力で腕を握られ、苦痛に思わずフードの中で顔を歪めたアスリューシナだったが、それでもか細い声を吐き出した。

 

「私は……あなたの物では……ありません」

「はぁ?、何を言ってるんだい、アスリューシナ。君はもうすぐ、やっと僕の物になるんだ。あの馬鹿なガヤムマイツェンなど、君の価値なんかまるでわかってないじゃないか。いいかい?、君が僕の物になればこれまでと同じ、いやそれ以上の暮らしをさせてあげられるよ。社交界なんて無能どもの集まりにも関わらなくていい。僕の傍でずっと僕だけの役に立ってくれればいいんだ」

「な……何を言って……」

 

話しているうちに興奮を抑えきれなくなったのか、自分勝手な理想を押し付け、当然のように叶うと思っている未来を想像しているのだろう、アスリューシナの腕を掴んでいる手が歓喜に震え、声には狂喜がにじみ出ている。

 

「屋敷という檻から出られない君は籠の中の小鳥と一緒さ。そのまま従順に今度は僕が用意した鳥籠の中で生きていくんだ、小鳥ちゃん」

 

フードのお陰で相手の表情を目にしなくて済むのは逆に幸いと言うべきだが、いつ、突然、フードの中を覗き込まれるかという恐怖がアスリューシナを極限にまで緊張させ、耳に入って来る呪いじみた言葉が精神を擦り切らすほどに追い込んだ。

 

「わ……私は……嫌……」

 

もう感情を紡ぐ事しか出来なくなった時、ぽんっ、と栓を抜いたようにオベイロン侯の顔から表情が抜け落ちる。何の感情も宿していない顔から無機質な声だけが転がり出た。

 

「嫌……だって?…………僕の物にならないなら……君は世を狂わせる禍罪(まがつみ)にしかならないよ、アスリューシナ」

 

聞き覚えのある言葉だと認識しながらも限界を超えたアスリューシナの意識はそこで途切れる。しかしほとんど同時に馬車が止まり、「失礼しますっ」とキズメルが叫ぶように声をかけ応答を待たずに扉が勢いよく開いた。

オベイロン侯が声を出す間も与えずに侯爵令嬢の元へと参じフードが乱れていない事を確認して気を緩めるが、当の主人が気を失っているとわかり途端に怒気を纏う。

それでもここは一刻も早くアスリューシナを屋敷の中へ運ぶのが先と思い直して、すぐさま主人を抱きかかえ馬車を降りた後、待機させていたサタラを始めとする侍女達に主人の身を預けて自分は未だ車内に残っているオベイロン侯へ拳を握りしめて無言で頭を下げた。

するとキズメルのすぐ隣に家令が並び、同じく深々と一礼をしつつ低く落ち着きのある声を発する。

 

「オベイロン侯爵様、お嬢様をここまで有り難うございました。あとのことは公爵家にお任せ下さい。後日、我が主より改めてご連絡を差し上げることになりましょう」

 

さすがに公爵家の家令ともなれば、たかが使用人とは扱えないのか、オベイロン侯は冷めた目つきで二人を見るとゆっくりと馬車から降り出てきた。

自分の護衛部隊の一人が引いてきた馬へと歩みを進める途中、振り返り、口の両端をきゅっと吊り上げて笑いながら命ずるように言葉をかける。

 

「アスリューシナ嬢は相変わらず身体が弱いんだね、だったらくれぐれも屋敷から出さないようにしてくれたまえ」

 

それには否とも諾とも応じず二人は侯爵とその護衛部隊が公爵家の敷地から見えなくなるまで頭を上げることはなかった。




お読みいただき、有り難うございました。
御者さんといい家令さんといい実はユークリネ公爵家の男性使用人さん達は
皆さんかなり優秀でございます。
料理長さんや庭師さん、コーヴィラウルの専任護衛ヨフィリスさんなど
結構ちょこちょこスタッフが登場(?)しているのですが……なぜか
キズメルの部下の皆さんだけは深夜の侵入者に気づかないのほほん気質!(苦笑)

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