漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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自分の腕の中でようやく眠りに落ちたアスリューシナを傍らに
寝かせたまま、昼間の出来事を問いかけたキリトゥルムラインは……。


35.接触(5)

アスリューシナに注いでいた時とは瞳の色を一変させて冷静さを装いつつも震える手で膝頭を握りしめたキリトゥルムラインは、彼の怒気を感じたのかピクリと揺れたアスナの肩に気づき、慌てて彼女の腕に手を伸ばし、ゆっくりと撫でる。

しかし触れられた途端、眉を不快そうに歪めたアスリューシナの反応にキリトゥルムラインが困惑して思わずこちらも眉を動かすと、心中を察したサタラが「侯爵様」と言いづらそうに声をかけてきた。

 

「その……実は今、お嬢様は腕を痛めておりまして」

 

敢えて詳細を省いたサタラの言葉に勘の良さを発揮したキリトゥルムラインの声が尖る。

 

「原因は?」

 

誤魔化しは効かないと観念したサタラは「それをお話する前に……」と前置きをしてから一礼を捧げた。

 

「本当に有り難うございました。侯爵様がおいでくださらなかったら、あのままお嬢様はどうなってしまっていたか…………それにしても、ご予定より随分と早いお戻りで……」

「ああ、夜半前に屋敷に着いたんだ。そうしたらサタラから伝令があったと家令に聞いて。それに中央市場のエギルからも連絡が入ってたからそれを確認してすぐにこちらに来たんだが……アスナがあんな状態になってるなんて……」

 

今まで自分を出迎えてくれていたアスリューシナとはほど遠く、痛ましい姿を思い出して堪らずにキリトゥルムラインは自分の傍らにある彼女の髪に手を伸ばす。スー、スー、と落ち着いている呼吸音に合わせるようにそのロイヤルナッツブラウン色の絹糸を梳くと気持ち良さそうに彼女が侯爵の足に頬をすり寄せてきた。その様子にクスッと声を漏らし、愛しい眼差しを注いでから身を屈め「…………」と誰にも聞こえない声で彼女に囁くとほんのわずか、彼女の口元が嬉しそうな弧を描く。

束の間、アスリューシナの寝顔を眺めていたキリトゥルムラインはそれから名残惜しそうに顔を上げ、サタラと視線を合わせた。

 

「よく伝令を寄越してくれた。アスナの様子がこれほどとは……オレも驚いたよ。こちらの侍女達も大変だっただろ」

「お気遣いありがとうございます。ですが先日の侯爵さまのお言葉通り、侯爵家の家令の方にお言付けいただいていたお陰ですぐに事情をお伝えする事が出来、引いてはお嬢様を救っていただいたのですから」

 

キリトゥルムラインが領地に赴いている間、何も心配はない、と告げた自分の浅はかさを悔いているのか、いつもより硬い表情のサタラに対して、奇しくも彼女がキズメルにかけた言葉と同じように侯爵は「こちらに責めはないよ、サタラ」と確かな口調で告げる。

平素ならば侯爵からの言葉を否定するなどしてはならないと十分理解している侍女頭が今回だけははっきりと首を横に振った。

 

「いえ、お嬢様に中央市場に行かれては、と献言したのは私でございます」

「だとしても……だいたいアスナは月に一回は市場に行ってるだろ。サタラが言わなくても遅かれ早かれ足を向けただろうし……そもそも今回の一件、色々と偶然すぎるんだよなぁ」

 

既に無意識のレベルでアスリューシナの髪を指に絡ませ、その感触を糧に考えをまとめているキリトゥルムラインが次にキズメルへと視線を移す。

 

「異変を感じたのはいつからだ?」

 

その問いかけにキズメルは一礼をしてから昼間の出来事を侯爵に話し始めた。

 

 

 

 

 

「ふーん……」とキリトゥルムラインはキズメルの話を聞いている間もアスリューシナの髪を弄り続けたまま同じ姿勢でどこか焦点の合わない真っ黒な瞳をしていたが、話の中にオベイロン侯が出てくるとその視線が一筋流れ落ちた涙跡のある公爵令嬢の頬へと着地する。

まるでその時流すはずだった涙だと感じているのか、次第に憤怒で荒くなる呼吸をなんとか抑え込むように両肩が大きく揺れていた。

 

「……で、アスナの腕の痛みはアイツのせいなんだろ」

 

確信を持って投げられた問いにサラタはゴクリ、と唾を飲み込んでから静かに「はい」と答える。

一刻も早く冷えた身体を温めなければ、と彼女が湯浴みで見た公爵令嬢の腕は鬱血して赤紫に変色していた。

 

「……馬車を強引に揺らされた時、どこかにぶつけられたのでは、とも考えましたが……指の跡がくっきりと…………」

 

途端にギリリとキリトゥルムラインの口元から歯噛みの音が漏れ、瞳は黒炎色に揺らめく。キズメルも悔しそうに両の手の拳を握りしめると小さな悪態が耳に飛び込んで来た。

 

「くそっ」

 

侯爵が人前で発していいとは思えない音吐だが、心中は同じなのでサタラは気持ちが少しでも鎮まれば、と話を続ける。

 

「ですが、侯爵様より頂戴しました軟膏を塗布しましたので痛みが長引くことはないかと……」

「そう……だな。本来は出番がない方がいいんだろうけど……役に立ったようでよかった」

 

手の力を抜くと同時に息を吐き出して気持ちを切り替えたキリトゥルムラインはそれでも問わずにはいられなかったのか少々口ごもりながら「それで……」とサラタを仰ぎ見た。

 

「その……他には……あー……」

 

何が言いたいのか、その表情で悟ったサタラは僅かに表情を緩めて「大丈夫でございます」としっかり頷く。

 

「腕以外にはどこも傷や痣などはございませんでしたから」

 

欲しかった言葉を受け取り今度こそ安心したキリトゥルムラインだったが、その侯爵に向け拳を固めたままのキズメルが少々戸惑うような声で「侯爵様」と珍しく自らキリトゥルムラインに口を開いた。

 

「ですが、アスリューシナ様は腕を掴まれたくらいで失神したりは致しません。その辺のご令嬢方よりずっと気丈夫な方です」

 

至ってしごく真面目に自分が仕える主人の気強さを語ってくる専任護衛の言葉に本来のアスリューシナの姿を思い出したキリトゥルムラインが「そうだな」と肯定してから内の疑問を口にする。

 

「ならアイツと馬車で二人きりの間、他に何かあったと考えるべきだろう。どうしてここまで自分を追い詰めたのか……キズメル、君が馬車を降ろされる時のアスナの様子はどうだった?」

「はい、確かに緊張や怯えは感じられましたが…………あの侯爵様と馬車で二人きりになるのですから当然の反応かと」

 

論無きこと、とサタラが二回頷く。

残るは公爵邸に着くまで車内で何があったのか、だが、果たしてそれをアスリューシナに尋ねても良いものか、と思案しつつ一通り話を聞き終わった侯爵は「ふぅっ」と息を吐き出し、気持ちを切り替えて公爵令嬢の頭を撫でた。それは自分がその場に居られなかった悔しさとアスリューシナの勇気への賞賛だったのだろう、労るように何度も何度もロイヤルナッツブラウンの髪の上に手の平を滑らせる。

 

「あの侯爵と二人きりになったせいでアスナの精神状態が崩れたんだろうけど、キズメルがアイツに刃向かっても事が大きくなるだけで、後々、もっとやっかいな事態になっていただろうから、やはりアスナの判断は正しかったよ」

 

侯爵の言葉にサタラが今度は深く大きく頷いた。

 

「あの侯爵様は少しでもこちらに非があればそれを理由に何を言い出すかわかりませんからね。旦那様がお留守の今、私共では何の抵抗できませんし…………頼みのコーヴィラウル様は未だ何のご連絡もなく……」

「まぁ、ユークリネ公が居ないからこそ良くも悪くも話は動いていないわけだが……本当に良くも悪くも、だな。お陰でこちらの要望も伝えられない…………コーヴィラウル様も遠方なのか?」

「はい、長年探し求めていた物がようやく手に入るそうで…………コーヴィラウル様はその為に他国を渡り歩き、長い時間をかけて情報を集めていらっしゃったのですから結果を得られるまでお戻りにはならないでしょう」

「ならそれこそアイツの言う通り、しばらくアスナを屋敷から出さずにいるしかないか。今回のアスナの外出、どうもアイツは知っていたとしか思えないんだ」

 

キリトゥルムラインの言葉に揃って驚きの表情となった二人はすぐに互いの顔を見合わせた。

しかしすぐにキズメルが遠慮がちに口を開く。

 

「失礼ですが、侯爵様。わが公爵家に内通者がいるとは……」

「そこは疑っていないよ。アスナと公爵家の使用人達の関係性はオレの理想と言ってもいいくらいだし。けど、さっきも言ったようにアスナが外出するのは月に一回、反対に月に一度の外出は必ず市場に行ってるってことだろ。その事をアイツが気づいたとすれば昼間の一件、偶然を装うことは可能だ」

 

確かに色々と腑に落ちない点を思い浮かべている様子のキズメルだったが、それでも、と根本的な疑問を侯爵に告げた。

 

「けれどアスリューシナ様は表向き病弱の令嬢という事になっております。市場でも終始フードは被っておられますから、月に一度公爵家から馬車で出向く人物の存在に気づかれたとしても、それがお嬢様だと思う確証は……」

「そこなんだよな、もし市場の古狸達に探りを入れたとしても、その辺は適当に誤魔化すに決まってるし……オレだってどれだけ苦労したか……オレの知ってる情報屋も商売する相手は選ぶヤツだから、そこから、っていうのもないと思うんだよな」

 

色々と内に入って考え込んでいる様子のキリトゥルムラインは「だいたいアスナの情報を求めてくるようなヤツがいたら、そいつの情報をオレが買うって言ってあるし……」とブツブツ零しながらも公爵令嬢の髪に触れていた指がその一房をくるり、と絡め取り、自然と目線がその寝顔に行き着く。

 

「……月に一度の外出くらい、自由にさせてやりたい」

 

共に出掛けた中央市場でのアスリューシナの姿を思い返していたキリトゥルムラインは静かに眠り続けている傍らの存在に向け、自らの決意のようにそっと言葉を落とした。




お読みいただき、有り難うございました。
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