漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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王城の夜会からユークリネ公爵家の屋敷へと戻ったアスリューシナは
ひとり、私室で……。


05.訪問者(1)

屋敷に戻ったアスリューシナはすぐさま浴室で侍女達の手を借りて髪の染色を落とした後、身体を

きれいにしてから、ゆったりと湯船につかった。

屋敷の玄関前で馬車から降りた時、出迎えのサタラの姿を見て兄のコーヴィラウルが城での体調

不良を漏らした時は肝を冷やしたが……「馬車の中でだいぶ落ち着いたの」と笑顔で告げれば、

数秒間ジッと令嬢の顔を見つめたサタラは「それは、安心致しました」と微笑んだ。

コーヴィラウルは特に気にも止めていないようだが、互いはこの笑顔の意味を正確に理解して

いる。

侍女頭のサタラは自分が仕えている令嬢が「気分が優れない」と言い張り、兄を強引に納得させ

た事などはお見通しだった。本当に体調を崩したのならこれほどコーヴィラウルが安穏としている

はずがないからだ。それでも幾分顔色の悪さを見て取り、これは王城で今一番顔の見たくない

侯爵様とお会いになったのだろう、と見当をつけて、あえて何も言わなかった。

そして妹の体調不良を告げたコーヴィラウルもその辺りの事は承知している。

承知してはいるが、あえてそれをサタラに言うことで王城から戻ってきてしまった言い訳にして

いるのだ。

サタラはやれやれ、と思いつつもありえない位の短時間で王城の夜会から舞い戻ってきた

公爵家の嫡男とその妹令嬢に対して普段通りの態度を崩さず、それぞれの私室に向かう二人に

「湯浴みはいかがされますか?」「軽くお食事を召し上がりますか?」とテキパキ、口と手を

動かしつつ同時に配下の侍女達に指示を飛ばした。

その頼もしい姿を見た公爵家の兄妹は自分達が産まれた時から屋敷に仕えてくれている彼女には

かなわない、と互いの顔を見て肩をすくませながら笑みを漏らす。

今ではアスリューシナ付きの侍女となっているサタラだが、二年ほど前まではコーヴィラウル

付きとなっていた為、彼が屋敷に戻ってきている時の彼女は短期間ではあるが二人のお付きを

兼任するのだ。

そのせいで普段よりアスリューシナの世話を他の侍女に任せる事が多くなってしまうのは致し

方ない事だった。そして今宵は想定外も甚だしい時間に兄妹が戻ってきた為に慌てふためいた

侍女達を統べる事でサタラの意識も散漫になっていたようでアスリューシナの足の異変には

気づかなかったのである。

それでもサタラを始めユークリネ公爵家で働く侍女ともなれば身元はしっかりしているし、

大体の部分においては優秀と言っていい人材が集まっている……はずなのだが……。

 

「閉め忘れたのね……」

 

浴室から出て続き部屋の私室に入ったアスリューシナはバルコニーに面しているカーテンが

ゆらめいているのを見て僅かに眉をひそめ嘆息した。

室内には何カ所かに燭台が置いてあり、その全てのローソクが灯っている。それでも室内全体を

照らすほどの光量にはかなわず、風でカーテンが揺れなければ見落としていたかもしれない。

公爵家の兄妹が揃って王城の夜会に出席するなど初めての事なので、屋敷内は朝から随分と

慌ただしかった。そのせいでミスをしたのだろうが、それでもあってはならない失態だ。

公爵令嬢の私室の扉を侍女が閉め忘れたなど、サタラが知ったら激怒するに違いない。

先ほどのお風呂で髪と身体を丹念に洗ってもらい、お湯の中で手足をのばして疲れを癒やした後、

ナイトドレスに着替えてガウンを羽織るまでを侍女達に手伝ってもらったアスリューシナは浴室を

出る段階で彼女達を全員下がらせていた。足首の痛みもお湯で温めたせいか随分とやわらいで

いる。

サタラはアスリューシナの入浴の準備と髪の手入れ方法を指示した後、姿を見せていないので

兄の世話を焼いている事は簡単に想像ができた。

馬車を降りる時、兄がぼそりと「腹が減ったな」と呟いていたので、今頃は入浴を済ませた兄に

軽い夜食を給仕しているのだろう。

給仕の侍女は別にいるが、ユークリネ公爵家の若き料理長がサタラの夫であるせいかサタラ自身も

味へのこだわりはかなりのもので、結果、食事の際も給仕に手を出してしまうのだ。

ガラス扉を閉めるだけでわざわざ侍女を呼ぶのも大げさな気がしたし、何より疲れた身体を早く

休めたくてアスリューシナは自らバルコニーへと続く窓辺に近づいた。

夜風がスゥ−ッと室内に入り込み、彼女の髪をふわりと浮かせる。

洗いたての髪が鼻先をかすめ、香油の香りが鼻腔を刺激した。

ふと、歩みを止めて自分の髪を見下ろすと侍女達が優しく手入れをしてくれた髪が艶めいている。

一房を手にとり、まじまじと見つめて吐息を漏らした。

 

(こんなに綺麗にしてもらってるのに、隠しておかなきゃならないなんて)

 

続く思いが口をつく。

 

「……いっそ、髪を短く切ってしまおうかしら……」

「冗談だろ」

「!!!!!」

 

アスリューシナの目の前のカーテンが不自然に揺れた。

カーテンの端を掴む手に気づいて一歩後ずさってから声を上げようとした途端、するりと部屋に

人影が入り込み素早く彼女の口に手をあてる。

 

「悪い、頼むから大声を出さないでくれ」

 

突如アスリューシナの目の前に現れた侵入者は黒いポンチョのようなフード付きショートコートを

羽織っていた。コートの下も黒、細身のパンツも黒、手にも黒の指ぬき手袋をはめている。

まるで闇夜から生まれ出たような出で立ちだ。そんな怪しげな様相とは裏腹に焦りを含ませた

親しげな口調と自分の口を覆っている手の戸惑いがちな感触から、アスリューシナはほんの少し

警戒心を解いた。

それに夜中に公爵令嬢の私室に侵入しておきながら騒いでくれるなと頼んでくる盗賊がいるとも

思えない。扉が閉められてしまうと思い慌てて侵入してきたのなら、すぐさま次の要求を告げて

こないのも不可解だった。

窃盗が目的ならわざわざアスリューシナに声をかけてから入ってくる必要はないのだ。

素早く忍び込んでアスリューシナを縛り上げるか気絶でもさせるのが盗賊の常套手段のはず。

もしも……目的が殺害なら、今更声をあげてもあげなくても結果は変わらないだろう。

瞬時にそんな判断を下して、それでも恐怖の為に湧き出でた涙を瞳にたたえたままフードの奥の

侵入者の顔を見つめ返した。

 

(あ……瞳……とてもキレイだわ)

 

片手はアスリューシナの口をおさえ、もう片方の手は人差し指だけを顔の中央に立てて、

静かにして欲しい意志を表している。

少し戸惑ったような表情で口元は強ばっているが、こちらの様子を覗うように眉根を寄せ、

じっとアスリューシナを見つめてくる瞳は漆黒の闇のようだった。その闇の中に夜空に

輝く星々のような煌めきが瞬いている。

涙目のまま公爵令嬢に見つめられた侵入者の頬が無自覚に染まっているのは、潤んだ視界と

余裕のない精神状態のアスリューシナが気づくはずもなく。

目の前の令嬢がわめき散らすことはないと感じ取ったのか、侵入者は彼女の口元から手を

離した。

安心したように「はーっ」と大きく息を吐き出す姿を見てアスリューシナが問いかける。

 

「あなた……夜盗なの?」

「はっ?」

 

盗賊ではないと思いながら、それでもそれ以外の可能性が見いだせず、探るような視線を

送った。

青年にとってはあまりにも予想外の問いかけだったのか、口をだらしなく開けたまま、大きく

目を瞠って固まっている。

その反応を見たアスリューシナは冷静さを取り戻して、瞳以外にも視線を移した。肌の色は薄く

どちらかと言えば女顔で体つきも細身だ。身は軽そうだが粗野な盗賊というより、纏う雰囲気

から高貴さを感じる。もっと言えば武官より文官タイプといったところだろうか。

アスリューシナは頭のどこかにぼんやりと残っている記憶に呼ばれたような気がして首を傾げた。

星空のような瞳を隠すようにこれまた見事なくらい闇色の前髪が垂れている。

 

『そう言えば、知っているか?、ガヤムマイツェン侯の髪の色、染めてないそうだ』

 

突然、王城で聞いた兄の言葉が蘇った。

 

(ま……まさか……)

 

目の前の青年は「あーっ」と呟くと天を仰いで片手で被っていたフードを肩に落とす。

ガシガシと乱暴に髪を掻いてバツの悪そうな表情で再びアスリューシナを見つめた。

 

「……これなら……わかるか?」




お読みいただき、有り難うございました。
やっと……やっと……です。
が、今までもほぼずっと同じフレーム内には存在していたんですけどね。
そしてサタラは何でもお見通し系の出来る侍女頭さんですっ。

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