漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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ソファで眠るアスリューシナの傍らで日中、彼女に起こった出来事を聞き終えた
キリトゥルムラインは……。


36.接触(6)

しばらく無言のままアスリューシナの寝顔を労りと情愛の目で見守り続けているキリトゥルムラインはサタラの、こほんっ、とわざとらしい小さな咳を耳にして「ん?」と疑問の顔を向けた。

侯爵が自分の主人に注ぐ底なしに優しくて温かなオーラを同じ空間で感じるいたたまれなさにどうにか耐えていた二人だったが、これ以上は、とサタラが降参の旗を揚げる。

 

「侯爵様、淑女の寝姿をそのように強く見つめるものではございません」

「あっ……ああ、そうか、そうだよな。この前の夜会の帰り、目は瞑らせたけど寝てはいなかったし。王都を発つ前の夜はこんなに落ち着いてアスナの寝顔なんて見ていられなかったからさ、つい」

 

それはあの夜、早々にこの部屋からあなた様を追い出した私への怨言ですか?、とサタラの眉が反応を見せるが、キリトゥルムラインは再びただ一心にアスリューシナの寝顔を見つめていた。

 

「……所作も綺麗だと思ったし、何よりこの髪の色も綺麗だと思ったけど……」

「先日のルーリッド伯爵様の夜会のドレス姿はいかがでございましたか?、私共、かなり気合いを入れましたが」

 

確かにアスリューシナ自身も「侍女達が時間をかけてくれました」と言っていたのを思い出し、コクコクと首を振って「ここの侍女達の腕は見事だな」と賞賛を送る。

 

「アスナは外見だけじゃないだろ。内面もすごく綺麗で…………」

 

誇らしげにサタラとキズメルが心からの笑みを浮かべつつ深く頷いた。

 

「それで、今……やっぱり寝顔も綺麗なんだなぁ、って目が離せなくなって…………そうしたら、どうしてこんなにも綺麗な人がこんな生活をしなきゃいけないんだろう?、って…………毎日、毎日、屋敷から出られず、庭で花を愛でることすら許されないなんて……絶対おかしいだろ?」

「ガヤムマイツェン侯爵様……」

「こんなの、まるで罪人のようじゃないか。アスナが何をしたって言うんだ、髪が不敬の色なのは彼女の責任じゃないよな。なぜ自分を禍(わざわい)だなんて言う。こんなに綺麗で真っ直ぐで強いのに広い公爵家の自室で隠れ住むように暮らして、暗いのが苦手だと言って無理に笑う姿なんて全然アスナらしくない」

 

すぐ傍らの安眠を妨げぬよう静かな声のまま氷のように冷たく激高するキリトゥルムラインだったが、それでも耐えきれずに苦悶の表情を浮かべる姿にサタラは泣きそうな微笑みで答えた。

 

「有り難うございます、侯爵様。今のお言葉、この公爵家に使えている者なら誰しもが口にしたくとも出来ない思いでございますから」

「だいたいロイヤルナッツブラウンは染めてはいけない色であって、もともとの色ならば咎を受ける事では……」

 

数ある公爵家の中でも領地がないとは言え代わりに中央市場を取り仕切る手腕は誰もが認めるところで、三大侯爵家には及ばずともその発言力は強く、貴族社会の中では決して蔑ろには出来ない地位を築いているユークリネ公と、既にその片腕と称されるコーヴィラウル子息、加えて辺境伯の令嬢ながらその学識は男性であったなら学問の塔が放ってはおかなかっただろうと噂されている公爵夫人。公爵家にはそんな主人を支える優秀な使用人達も揃っていると言うのに尚この現状を打破する事は出来ないのか?、と歯がゆさを滲ませたキリトゥルムラインが言葉を詰まらせるとサタラはより一層悲しげな表情で「侯爵様……」と呼びかけた。

 

「侯爵様は、お嬢様は身体が丈夫ではないから屋敷から一歩も出られない、と世間に周知されておりますが、その実、三歳の頃に王都を離れて公爵夫人のご実家である辺境伯の元でお育ちになった事をご存じと伺っておりますが」

 

確かめるような視線を送られ、キリトゥルムラインは小さく頷き話の先を促す。

 

「いくらお嬢様の髪の色が他者と違うからと言って、まだ年端も行かぬ可愛い一人娘をわざわざ遠く離れた地にやる事は旦那様にとって苦渋の決断でした。けれどそうせざるをえないひとつの事件が十四年前に起こったのです」

 

サタラは俯き加減で訥々と語り始めた。

 

「あの頃も旦那様はいつもお忙しく、あまりお子様方と一緒の時間を過ごすことがありませんでした。そのせいか中央市場を視察される際は必ず同行を強請るお嬢様を困ったようにお笑いになりながら、それでも少し嬉しそうに馬車に乗り込むお二人の後ろ姿を、私共もいつも笑顔でお見送りしたものです。ですががそんなお姿を見る事が出来たのはその年の建国祭の日まででした」

「建国祭?」

「はい、あの日、日中、王城の式典などの催しの為に登城されていた旦那様は日暮れにこちらのお屋敷に戻られて、少し遅くなったけれど市場の様子を見に行ってくる、とおっしゃって……いつものようにお嬢様が一緒に連れて言って欲しいとせがんだのです。けれどその日は建国祭の為、市場も買い物客の他に物見遊山の人達が大勢訪れていてもの凄い賑わいになっておりましたし、それにこれからだと市場に到着するのは夜になってしまうので最初は旦那様も渋っておられたのですが…………当時からお嬢様は窮屈な生活をなさっていたのに我が儘一つ言わず我慢されていて、そのお嬢様から、どうしても、と言われると強く言えず……」

「連れて行ったのか?」

「はい……」

「ちょっと待ってくれ、でも、アスナは兄上と一緒に昼間、建国祭のパレードを見に言った事があるって……」

 

キリトゥルムラインの言葉に「そうです、後で分かった事なのですが……」と話の続きを語った。

 

「その日の午後、お嬢様とコーヴィラウル様は私達に内緒でこっそりとお二人だけでパレードを見に行かれてたのです。当時、お二人と仲の良い御者がおりまして、その者をコーヴィラウル様が説得されて、パレードだけ見たらすぐお屋敷に帰るという約束でお出かけになったそうで…………お帰りなった後、初めてのパレードや妹であるアスリューシナ様を気遣ってのお二人だけの冒険のような外出でお疲れになったのでしょう、コーヴィラウル様はそのまま寝てしまわれたのですが、アスリューシナ様だけは旦那様のお帰りに気づき、花火が見てみたいとおっしゃって……きっとお二人で外出された時に、夜、市場で花火が見られると耳にしたのではないかと。そうしてアスリューシナ様だけが旦那様とご一緒に夜の中央市場へお出かけになったのです」

 

国王が城から出て国民にその健在ぶりを知らしめ、国の繁栄を願う為の建国祭……それはこのアインクラッドという国が出来た当初から続いているという歴史のある祭りであり、民にとっては年に一番の楽しみだ。はじめは他国からの侵略や領地拡大の為の戦に勝った王の凱旋パレードだったという説が有力だが、今では国の豊かさを示す意味でも年々大掛かりになり王都の観光収入源としての役割も担っている。期間中は地方から出てくる民はもちろん、近隣諸国からも大勢が押しかけ、彼らをお客とする旅回りの一座や各地を行脚している商人達が集う為、普段から人出の多い中央市場は商品の数より人の方が多いのではないか、と揶揄される程の賑わいになり、更に祭り特有の喧噪が一日中絶えることなく市場は一種独特の空間に様変わりする。

 

「それでか、この前、夜会の帰り、アスナに建国祭の夜、市場を観に行かないか?、って誘ったんだ。そうしたら…………」

 

『見た事も聞いた事もないような異国の品々を扱う露店が並びますものね』

『ああ、食べ物も色々とあるし、おもしろい雑貨なんかもあるよな。ユークリネ公爵家のご令嬢でもさすがに建国祭の期間だけ店を出す商人達の顔や品物は覚えてないのか?』

『毎年変わるんですもの。それに他にも曲芸師や軽業師が腕を披露する見世物小屋がいくつか出ますし、遠方から建国祭を見にいらっしゃる方々も大勢いて、それはもうすごい人出で…………それに、やっぱり夜はアレがありますものね』

『アレ?』

『花火ですっ。一度でいいから夜空に咲くという火の花を見てみたいと、ずっと思っているのですが……』

『アスナ……見たことないのか?』

『……はい…………あの、建国祭の間は屋敷で働いてくれている皆さん、順番にお休みを取ってもらうんです。だから……』

『毎晩打ち上げてるんだから、一晩だけでも付いてきてもらえばいいのに』

『そう……ですよね……でも、なんとなく建国祭に市場に行きたい、とは……言いづらくて……』

『アスナ?』

『ヘンですよね。あっ、別に遠慮ではありませんから。私自身、行きたいのに行きたくないような中途半端な感じなんです。仮に行くつもりだったのに急に行くのが怖くなったりしたらキズメルも心配しますし、申し訳ないな、と』

『行くのが怖い?、夜で暗いからか?、市場は昼間みたいにたくさんの灯りがあるけど……だったら今夜みたいにオレが公爵家まで迎えに行くよ』

『えっ?』

『さっきのルーリッド伯爵邸の小園で実証できただろ。オレと一緒なら暗くても大丈夫みたいだし』

 

「こうやって、ずっとオレの腕の中にいればいいさ」と言った時「それじゃあ、花火が見られませんっ」と恥ずかしそうに、でも頬を嬉しさで染めたアスリューシナの口だけの抗議をキリトゥルムラインはただ笑って聞いていたのだった。




お読みいただき、有り難うございました。
少しずつ過去の出来事が明かされていきます。

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