漆黒に寄り添う癒やしの色〈恋愛編〉   作:ほしな まつり

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十四年前、人知れず母方の祖父である辺境伯の元へと
送られたアスリューシナ。
それをただ見送るしかなかったサタラとキズメル……。


38.接触(8)

「侍女達も気持ちは皆同じだったと思います。なにより看病が必要な状態のお嬢様を長時間馬車に乗せ簡単には帰って来られない場所へと運んでしまわれるのですから。その後いつお屋敷にお戻りになるかもわからず、出来ることなら行かないで欲しいという願いはありましたが、同時にこれで王都で狙われる事はなくなるのだとわかっていたのでキズメルだけでなく、見送りに出た使用人は誰も口を開きませんでした。ただ全員がお嬢様を乗せた馬車の音が聞こえなくなるまでその場に佇んでいたのを覚えています」

 

二人からの話を黙って聞いていたキリトゥルムラインは初めてこの部屋を訪れた時のアスリューシナの言葉を思い出す。

 

『誰もがキリトゥルムラインさまのように優しい方ばかりではないんです』

 

「……アスナがそんな目にあったのは……やはり髪の色が原因なのか?……」

 

やりきれないように顔を歪め、悲しみと怒りをない交ぜにしたキリトゥルムラインの声に答えたのは無言のサタラだった。迷いを払うかのごとくゆっくりと首を横に振ると悔しさで震える声を吐き出す。

 

「わかりません……旦那様は秘密裏に調査を進めていたようですが、公爵家の力をもってしても首謀者は特定できませんでした。会話が出来るまでに回復されたヨフィリス様の言葉からお嬢様が閉じ込められていた場所を捜索しましたが普段は空き家のようで所有者もおらず、あの三日間、直接お嬢様に関わっていたと思われる男二人は探し出す事が出来ましたが……ヨフィリス様がお嬢様を連れ出す際、乱暴にもみ合ったようで、その時受けたケガが原因なのかどうかはわかりませんが既に死亡しておりました」

 

サラタからの説明にキリトゥルムラインの首が僅かに傾いた。

 

「もみ合った程度で公爵家の護衛長まで務めるキズメルの父上の顔に傷を負わせたのか?」

 

当然の問いに今度はキズメルが困惑の声で答える。

 

「それが……よくわからないのです」

「わからない?」

「はい、父は顔を切りつけられた前後の記憶がはっきりせず……多分、それまでの疲労とお嬢様を見つけた安堵に加え、一刻でも早くお嬢様を連れ帰りたいと気が急いていたのでしょう……ただ、そこにもう一人、子供がいたと、ぼんやり申しておりました。お嬢様を抱きかかえた後、その子供にも声をかけた気かすると」

「子供?」

「ですが、突然、顔に激痛が走り、痛みと半分になった視界とで混乱した父は、とにかくお嬢様を連れ帰る事を最優先に考えたそうです。なので子供の存在も思い出したのはかなり後になってからでした。もちろん、お嬢様が監禁されていた場所に他の子供がいたような痕跡はなかったのですが……」

 

キズメルが口にした言葉にキリトゥルムラインの眉が神経質に反応した。

 

「やっぱり……監禁状態だったのか?」

 

認めたくはないが確認せずにはいられないのか、固い表情のままキズメルを見返す黒い瞳はそれでも強い光を持ち続けている。

 

「はい、父が両眼で見た最後のお嬢様のお姿は……いつものケープコートは纏っておらず、しかし夜の市場で見失った時着ていらしたドレスのまま椅子に縛り付けられ、目隠しをされて……そ、そして……」

 

次に続くはずの言葉にキズメルは声を詰まらせ、何を告げようとしているのかわかっているサタラは俯いて自分の服の布地を両手できつく握りしめた。

 

「そして……アスリューシナ様の手や腕、足には無数の切り傷がっ……」

 

!!!!!

 

どんな言葉でも正面から受け止める覚悟で話を聞いていたキリトゥルムラインだっだか、最後に聞かされたアスナの状態に怒りで奥歯をギリッと鳴らす。幼い頃も今と変わらず細くて、柔らかであっただろう白い肌に幾つもの赤く浮き上がった傷がそのまま彼女の心の傷を思わせ、想像したキリトゥルムラインの目の奥は痛みを覚えるほど怒りの熱を持っていた。

 

「……どういう事だ?、その男共は幼い子供をいたぶって喜ぶ気狂いだったという事か?」

「わ、わかりません」

 

キズメルが強く頭を振ると、サタラが引き継ぐように顔を上げる。

 

「あの事件に関しては、わからない事ばかりなのです。実行犯と思われる男二人は既に生存しておらず、当事者であるお嬢様は話を出来る状態ではございませんでした。お嬢様のご不在を隠す為、辺境伯の元まで同行した侍女はわずか一人で、使用人達はもちろん奥様もコーヴィラウル様も普段と変わらぬ様子で過ごすよう旦那様に言われ、皆ぎこちなくもお嬢様を思いながら懸命に日々を送ったのです。お嬢様を送り届けた侍女が帰ってきた時は皆で囲みましたが、彼女から出た言葉は辺境伯のお屋敷に着いた翌日、お嬢様はようやく意識を取り戻されたけれど、未だ熱が下がらずうわごとでしきりと黒い犬の心配をしている事と夜になると暗闇を異様に怖がるようになってしまったというおいたわしいご様子ばかりで……目をお覚ましになった時、覚えの薄い辺境伯のお屋敷で慣れていない侍女達の世話をお受けになっているか思うと、もう涙が止まりませんでした」

「……この屋敷の誰もが辛かっただろう」

 

侯爵からの慰めの言葉にサタラは頷きそうになる首を寸前で止めた。

 

「いいえ、一番お辛いのはお嬢様ですから。お嬢様がお受けになった心や体の傷を思えば、寂しいなどと口にするどころか思うことさえ贅沢なのは皆わかっておりましたので、表向きは大病を患ってお部屋で寝込んでいらっしゃるお嬢様のお世話をしていると見えるように、侍女達は毎日食事を運び、衣類を洗濯して、部屋に飾る花を整えました。お嬢様が気にされていた犬の件は……そう、確かキズメルが中央市場に行ってくれたのでしたね」

 

視線を動かすと小さく首肯するキズメルを見て、キリトゥルムラインも思い当たったように「ああ、トトか」と、こちらも首を縦に振る。

 

「そう言えば、今回の馬車の襲撃……と呼ぶにはお粗末な騒動だけどな、市場の人間達も気づいたそうだが、その発端はトトだったらしい」

 

まさにもさもさの黒モップという愛嬌ある見かけに騙されてしまいそうだが、実はあの中央市場全体をテリトリーとするボス犬であるトトを見知っているキズメルは意外さを見せず、それを知らないキリトゥルムラインにとっては驚きの事実で、同様にトトを知らないサタラに向かい困惑を混ぜた声で市場のまとめ役であるエギルから聞いた話を語り始めた。

 

「昼間、トトがエギルの所まで片足を引きずりながら、それでも全速力で駆け寄ってきたらしい。珍しく急いた姿にエギルも何かを感じ取ったんだろう、しきりと吠え続けるトトを信じて、腕っぷしに自信のある男達数名を連れ、トトが向かう方へ付いて行ったらアスナがいつも市場まで来るのに使っている馬車の周りを見知らぬ男共が取り囲んでいるのに気づいたそうだ。すぐにそいつらを何とかしようと駆けだした途端、横から出てきた護衛部隊に進路を塞がれたとかで」

「塞がれたのですか?」

「ああ、そうとしか思えない動きだったと言っていた。馬車の周りにいる連中はこちらで対処するから手出しは無用だと言われ、それでも市場のまとめ役として状況を把握したいとエギルが食い下がっている間に今度は男共を追い払った護衛部隊が馬車を包囲していたと。それで結局エギル達はわけもわからず解散したらしいんだが……いつの間にか姿を消したボロを着た連中についてもエギルはもちろん同行してくれた仲間達も知らない人間ばかりだと言うんで、奇妙と言うか怪しさが増したんだ。基本、市場に店を出している人間は周囲をよく見ているし覚えている。お客の顔や好みを覚えるのは当然だし、よからぬ事をしそうな奴に気を配ったり、要注意人物がいれば情報を共有すると言った横の繋がりにおいて中央市場の連携は見事と言うべきだろう。不定住者が皆無とは言わないが、それだってだいたいは把握しているはずなのに市場の関係者が揃って見た覚えがないという人間が……しかも多人数集まって同じ行動を取るなんてあまりにも不自然だろ」

「……とおっしゃいますと……」

「多分、最初に馬車に近寄ってきた連中は、その後護衛部隊を連れたオベイロン侯爵がやって来る事を知っていた……と言うより、アスリューシナを適度に怯えさせ、そこに侯爵が現れるお膳立ての為に行動していたと見なすべきだろうな」

「……全てはあの侯爵様の筋書き通りというわけですか」

 

サタラの眉が憎々しげな感情の形を成し、昼間の出来事を思い返したキズメルの顔は既に怒りを通り越したのだろう、逆に氷のような冷たくて鋭く尖った視線がこの場にいない人物を射殺すように真っ直ぐ貫かれている。

二人の表情も当然と黙認したキリトゥルムラインは少し考え込んで口をへの字に曲げた。

 

「けど……なぜ今なんだ?…………ああ、ルーリッド伯爵の夜会に参加した話でも聞きつけたか」

 

その予想にすぐさま首肯したのはキズメルだった。

 

「そうかもしれません。ですから『くれぐれも屋敷から出さないように』などとおっしゃったのかと」

 

まるで自らの所有物であるかのような言い様と内容にキリトゥルムラインは眉間に深い縦皺を作り、ちっ、と舌打ちをしてから小さく「余計なお世話だ」と言葉を吐く。

 

「こうなったら絶対、アスナに建国祭の花火を見せてやりたくなった」

 

当然、アスリューシナの意志があっての上での話だが、その独り言とも取れる言葉にしっかりと頷き返してくれた侍女頭と専任護衛をキリトゥルムラインはまるで共犯者を得たような微笑で喜びを表し、二人の主へと視線を移動させた。

柔らかな漆黒の瞳は縋るように身を寄せているアスリューシナの寝顔を映している間に徐々に真剣味を帯びていく。

キリトゥルムラインはその柔らかそうな頬のすぐそばにあり、未だしっかりと自分の上着の端を握っている白い指を両手で包むと、ゆっくりと撫でながら一本ずつその強張りを解いていった。慈しみを込めた所作に意識はなくとも安心を得ているのか、アスリューシナの手が何の抵抗を見せずに開けば、それを軽く持ち上げ、自らも屈んでその手の平に唇を押し当てる。白くて小さくて柔らかな感触はアスリューシナそのもので、キリトゥルムラインは唇を通して彼女の心に触れているような錯覚を覚えた。

深夜の侯爵家の私室でたくさんの蝋燭の灯りにぼんやりと浮かび上がるその姿は何かを誓う儀式と見紛うほどで、平素ならば眠っている令嬢に唇を寄せるなどすぐさま叱責の声を飛ばすはずのサタラさえ、その厳かな様に飲まれたのかただ静かにその光景を見守っている。

 

「……侯爵様……」

 

しばしの時を経て、サタラの何とも言いようのない呼びかけが室内を静かに漂った。

ようやく、その声に反応してアスリューシナとの接触を終わらせたキリトゥルムラインは顔を上げ、改めて自分の行為が何を意味していたのかを理解して少し照れたように口元を動かす。

 

「すまない、やっぱり俺がアスナを寝室まで運びたい」

 

その両手はまだアスリューシナの手を包み込んでいた。

許されるなら目が覚めるまでアスリューシナに寄り添いその手を握っていたいのだろう。

手の平へのキス……それは異性への最愛を示しており、同時に相手からも同等の愛情を求める行為である。既に遠回しにだがアスリューシナに対し求婚の言葉を口にしているキリトゥルムラインではあるが、今夜の事でその想いが強まり先のような行動を取ってしまったらしい。

その人となりは多少強引でマイペースな部分があるにしろ、それを上回る好意を既に抱いているサタラは自分の主である公爵令嬢を支え、守り抜いてくれる相手としてガヤムマイツェン侯爵に頭を下げた。

 

「今夜だけでございますよ」

 

未婚の令嬢の寝室に殿方を入室させるなど、相手が三大侯爵であってもアスリューシナに仕える侍女としては確固たる態度で拒まねばならぬ所だが、今宵の衰弱しきった令嬢の姿を思い浮かべ、そしてそう遠くない未来、きっと自分の主人はこの屋敷を離れ、ここにいる侯爵様と同じ屋敷の同じ寝室を使うことになるのだろう事を予測してサタラは寝室の扉へ向かった。

アスリューシナを運び入れる為サタラがベッドを整えて、キズメルが寝室の灯りを準備する。

そうして二人が自らの役割を果たしている間、そうっとアスリューシナを抱き上げたキリトゥルムラインは、かつての夜会帰りの馬車内の時のように長い睫毛に縁取られた瞼の下の色を想って、静かにゆっくりとキスを落としていた。




お読みいただき、有り難うございました。
これで「接触」の章は終わりです。
実は今回の影のヒーロー(?)はトトでしたっ。
中央市場の犬世界も縦横連携関係はハンパありません。

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